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作品名:斎藤マリー ストーリー 作者:なおちー

第7回   第7回   「おいハゲ その人困ってるじゃん セクハラはやめろよ」
あれから6号室の囚人達は、いつものように
井上マリカを中心としてボリシェビキとなるべき
訓練(授業)を精力的に受け続けていた。

12月の末になれば冬休みが待っている。
前に何度も述べたが6号室の囚人にも当然冬休みがあるため、
あと少しの辛抱で年末年始は学園から遠ざかることができる。

彼らには普通の学生のような学期末のテストなど存在しない。
12月になってから政治思想(共産主義)や軍事史などの
専門的な書物を読む時間が増えた。

ある程度読んだら、本の感想を書くか、自説のあるものは論文を書く。
民主主義、資本主義を批判する内容が称賛される。

ボリシェビキを憎む生徒らにとって不快の極みであったが、
命令である以上は書かねばならない。
囚人に自由な選択肢などないのだ。

「君はすごい分量を書いているな」

マサヤが言う。彼の隣の席で何枚もの原稿用紙と
格闘しているのは橘エリカである。
令嬢として知られ、女子のクラス委員だったこともある。

彼女は実の兄(アキラ)と姉(アナスタシア)が生徒会に
粛清されてしまったことから、
ボリシェビキを深く憎むようになった。

こういう授業を一番嫌うのはエリカだった。
それなのにすごい勢いで書き続けている。

書いている内容は、日本の政治批評であった。

今国会の会期中に災害復興よりもIR法案の可決を
優先しようとしている自民党のやり方が気に入らない。
野党の指摘も自民党の揚げ足取りが中心で、
有効な政策や代替案を示しているわけではない。

また政党の数も無駄に多いばかりか、
一度も第一党になったことがないところが9割。
『国家運営の経験ゼロの無能者』の集まり。

これは米英の議会と比べても明らかに異質であり、日本国の
後進性を示している。この国に民主主義は潜在的に適さない。

国会では自民党が過半数の議席を持っており、
ひとつの党の中でいくつもの派閥が作られている。
日本が議会制民主主義国家の体を成していないという点で
野党議員らの指摘は正しい。日本国民は当然持つべき認識である。

IR統合型リゾート施設の可決施行を急ぐ自民党は、
内需を外個人観光客に依存しすぎている。
若者を中心に購買力の極端な低下(低賃金)
少子高齢化の影響を示しているといえる。
(外人の消費はGDP規模で4兆円に達している)

少子高齢化は財政のさらなる悪化に歯止めがかからない
ことを意味している。1000兆を超える政府の負債の
債務残高はG7各国と比べても極端に多く、
国債保有比率の40%は中央銀行である日銀が占める。
そして金利変動の指標となる10年もの長期国債の利回りは…(略

このような内容をひたすら書き続けていた。
途中で歴史の話を混ぜ、レーニンのネップ経済の
一定の成果について評価するなど、
ソ連の財政政策を褒めることを忘れなかった。

論文はすでに20枚を超える分量になっている。
原稿用紙は学園で配布される400字詰めのものである。

問題点の分析、批評はボリシェビキ教育の基本である。
暴力革命を推奨する生徒会は、既存の制度の破壊に全力注ぐのだ。

「当然よ」

机から顔を上げて、マサヤを見た。

「私はボリシェビキを目指しているんだから」

(えっ) と思ったが、口にはしなかった。

マサヤは、エリカが珍しくやる気になっていることを
不思議に思ったが、それにしても迷いのない目で
ボリシェビキを自称するなど普通ではない。

「クラスのみんなには申し訳ないけど、
 私は生徒会に入ることにしたの」

「バカな…」

太盛に会うためかと、マサヤは察した。
これは大問題である。第五特別クラスはマリカ以下、
反ボリシェビキ、反生徒会で一致団結しており、
一部の乱れも許さない流れになっている。

過去に一名の離脱者が出た。担任の横田リエである。
授業態度などが囚人としてふさわしくないとして
3号室に送られた。クラス裁判の末にマリカも認めたうえでのことだ。

あれがこのクラスで開かれた唯一にして
最後のクラス裁判となるはずだった。

※クラス裁判
収容所と通常クラスを問わず、必要に応じて開かれる裁判である。
膨大な生徒を把握することが困難な生徒会に変わり、
各クラスの代表が判事となって反乱分子の摘発に努めるのだ。

「橘さん。考え直すことはできないの?」

井上マリカが重苦しい顔で訊いた。

放課後、第五特別クラスの代表の三名が残って
話し合いをすることになった。看守には説明済みである。
他の生徒達は授業が終わり次第速やかに帰宅させられる。

このクラスには、生徒会の命に応じて五人の代表が選ばれた。
クラス内の投票によって選ばれた五人の代表は、
マリカ、マサヤ、エリカ、太盛、担任の横田である。
現在まで残っているのは前半の三人のみだ。

「マリカさんのおっしゃる通りだぞ」

2年1組の時は男子のクラス委員だったマサヤが言う。

「太盛に会いたい気持ちは分かる。
 俺だって奴が収容所送りにされた時は心が痛んだものだ。
 だが今の奴は諜報部の所属だ。陰で俺たちを監視して
 くださっているみなさんのところで君の働くつもりのか?」

「悪い? 私はこれから兄さんたちのような
 立派なボリシェビキとして働こうと思っているのよ。
 こんなところでいつまでも勉強しているより
 よっぽど有意義だわ」

「橘さん」とマリカが指を唇に当てて注意した。

今ここにいるのは彼ら三人のみ。代表同士の会合は、
部外者を立ち入り禁止できる決まりになっているのだ。
しかし盗聴器がたくさん仕掛けられている。

正直マリカらも盗聴器の正確な数など把握していない。
壁や天井に巧妙に偽装されて設置されているそうだ。

「今さら盗聴されたって気にしないわよ。
 むしろどんどん私の情報を流してほしいわ。
 私の強い願望がすぐに諜報部の知るところになるわ」

「あのね、橘さん」

マリカは表情を険しくした。

「私たちが今日までミウの圧政に耐えてこられたのは
 みんなの団結力があってこそ。苦しい時はみんなで
 苦しみ、悲しい時は泣き、励まし合い、
 どんなに辛くても笑顔で頑張ってきた。
 あなたはそれを忘れて、私たちを
 取り締まる側の組織に入ろうとするの?」

まさしくその通りだと、マサヤは腕組しながら頷く。

エリカは頭痛をこらえるような顔で黙っていた。
瞳だけはマリカを強く見つめているが、
何も言い返せないのだ。

「たとえ百歩譲って私とマサヤ君が許したとしても、
 他のみんなは許してくれないよ。あなたが想像している以上に
 みんなの感情は強い。どんな感情かはあえて言わないけどね。
 脅すようで悪いけど、ここから反逆者を出すくらいなら、
 スパイ容疑者としてあなたが摘発されるかもしれないよ?」

※スパイ容疑者の摘発
(てきはつ)=悪事を暴いて世間に公表すること

いわゆる通報システムのことである。
クラス裁判を通じて十分な証拠調べの末に罪を
立証した場合は、スパイとして諜報部へ突き出すことができる。

クラス裁判を通じて送られた人間は
高い確率で重罪人として処罰される。
判決後、直ちに保安委員部へ身柄を引き渡され、
尋問と拷問の末に収容所2号室へ送られることが多い。

「逆に私をスパイだと立証できなければ
 クラスメイト全員が連帯責任で処罰されるけどね」

そこも痛いところであった。この時点でエリカが
反体制的な言動をしたわけではない。
純粋に太盛を手伝う目的で生徒会に参入するのなら、
少々不純な動機ではあるが、生徒会に認められる可能性はある。

※証拠不十分の場合の連帯責任
エリカの兄アキラの時代に作られた制度である。
恣意的(しいてき)なスパイの摘発を防ぐのが目的。
ミウ副会長はこの規則を進んで破ったため、反感が高まった。

「橘さんのお姉さんは反逆者として処罰されたよね。
 お兄さんはミウ派によって粛清された。あなたは生徒会に
 入ったとしても相当やりづらい立場になると思うよ?」

「そ、それでもかまわないわ。
 彼のそばで力になれるんだったらそれで」

「じゃあ私の個人的な意見を言わせてもらうね。
 あなたの申し出を認めません。このクラスの代表は
 私たち三人になっているけど、実質的な
 指導者は私だとみんなが認めてくれている。
 あなたの申し出は、第五特別クラスの代表の
 井上マリカが正式に却下します」

重い沈黙が、三者の間に訪れた。

マリカはこの時初めて『代表』の権利を強調(行使)したといっていい。
このクラスの民主的独裁者になっても尚、謙虚さを維持し続けた
彼女が、エリカの前では厳しい言い方をしたのだ。
マサヤは衝撃のあまり算数パズルを解いている時の
チンパンジーの顔をしてしまった。

エリカはバカではないから、
この状況を予想しなかったわけではない。
マリカが組織を第一に考えることは知っている。

エリカの意志が他の生徒達に知られたら、クラスは
大混乱に陥り、最悪一日中議論や裁判を続けることに
なりかねない。このクラスは特別話し合いや議論が好きな人材が
揃っているから、大事になることは容易に想像できる

「私はたとえクラス全員を敵に回して諦めないわ」

エリカ悔しそうに目に涙をためながら言った。

「ミウが出しゃばる前は、私が太盛君の彼女だったのよ
 ここでの生活はみんなと一緒だからもう辛くはないわ。
 でも彼に会えないのは耐えられないの。今彼に会えなかったら、
 たぶん卒業するまで会えない。いいえ。多分一生会えない。
 卒業したらみんなバラバラになりそうな気がする」

「卒業後の進路は確かに分からないね。
 私達は貿易や軍事とか国際関係の仕事に就くことになりそう。
 有力な進学先がサンクト ペテル ブルク大学だし」

※サンクト ペテル ブルク大学
ロシア最古の歴史を誇る大学である
ピョートル大帝の命により1724年に創立された。
学力のレベルは日本で例えると京大のようなもの。

サンクト ペテル ブルクはロシア帝国の首都であった。
同大学はロシアで最初に作られた初の高等教育機関であり、
科学研究のメッカとしても有名である。

ソ連の建国の父・レーニンはこの大学の法学部出身。
在外学生として入試試験を受け、全教科満点を獲得。
試験官は、彼に修了証明書を与えるよう推薦した。

聖なるペテロ = 露サンクト・ペテル
英セント・ピーター
キリスト教に登場する聖人のことである。
語末のブルクは『町』を意味する

マリカたちのいる学園が国際スパイやテロリストを
養成するための組織なのは今更説明するまでもない。
国際スパイになる者は、まず名前を捨て、
家族や故郷を捨て、身分を偽って
敵対国に潜入して防諜活動に専念することになる。

少し話がそれてしまうが、
第二次大戦前に日本に潜入していたKGBのスパイに
『ゾルゲ』という男がいた。内務省に通じた
日本の共産主義者から情報を集め、太平洋戦争開戦日の
情報までスターリンに流していた。

※KGB(かーげーべー。ソ連国家保安委員会の略)

つまり、ソビエト連邦政府は事前に真珠湾奇襲攻撃の
日程を知っていたのだ。ソ連は対日戦に備えてシベリア
満州国境に張り付けていた『100万を超える訓練された陸軍』を
欧州へ送り、ドイツ軍のモスクワ攻略を防ぐことに成功する。

「あのドイツ軍を首都から遠ざけた。
 奴らは無敵じゃない。俺たちでも勝てるんだ」
 一億を超えるソ連国民は熱狂し、士気を高めた。

リヒャルト・ゾルゲのように
専門機関で訓練された『知的エリート』は、
世界大戦の行方さえ左右してしまうのだ。

恐るべきことにゾルゲは、ドイツ軍の将校からも
情報を収集して「ドイツの対ソ侵攻作戦」
バルバロッサ作戦の具体的な日程まで
把握していたから驚きである。

ドイツ軍部と外務省が保有していた
最大レベルの機密情報まで知っていたことになる。

1941年6月22日
ゾルゲの忠告を無視したスターリンの愚策により
ソ連が『ドイツ軍を主力とした枢軸国300万の戦力』の
奇襲攻撃を受けた際、日本にいたゾルゲは、終夜泣き続け、
「何もかも終わった。ついに祖国が滅びてしまう」と嘆いたという。

訓練されたスパイの彼でさえ、涙を禁じえなかったのは、
ドイツに勝てる見込みなど万に一つもないと考えていたからだ。
ソ連人のドイツに対する恐怖が良く伝わるエピソードだ。

『1941年のドイツは世界で最も訓練された軍隊を保有していた』
これが連合国(戦勝した側の国)の共通認識である。

ドイツが最強国だったのは第一次大戦時も変わらない。
近代史において『欧州最強』を名乗れるのはドイツのである。
(物量に勝るアメリカを常に敵に回したために
 最後は敗れることになるのだが)

この辺りは我が国の国民には想像しにくいところであろう。
日本国の教育では負けたことばかりが強調され、
世界大戦の本質が分からないようになっている。

ずいぶんと話が脱線したので
エリカたちの話し合いの場面に戻すとしよう。

「お願いよ。マリカさん」

エリカはマリカの手を優しく握った。

「あなたが許可をしてくれたら、私は明日からでも
 生徒会のみなさんの一員になれる。
 誓ってみんなの敵にはならないと誓うわ。
 太盛君はデータ入力の仕事をしているんでしょ?
 なら私もその隣でタイピングでもしているわ」

「ちょっと考えさせて」

そう言い、マリカは目を閉じたまま数分間沈黙した。
エリカは祈る気持ちでマリカの返答を待つことにした。

(おいおい、まさか許可するわけじゃないだろうな?)

マサヤは生徒会に関わりたくないと思っていた。
彼は権力者に媚を売って生き伸びてきたのだ。

ミウが生きていれば女神と仰ぎ、死ねば平気で売女と呼ぶ。
彼はプライドを捨ててでも自分の立場を守ってきた。
もちろん自分が無事なら収容所生活のまま卒業してもいいと
思っていたから、エリカの離脱による混乱は絶対に阻止したかった。

「うーん」

マリッカは頬図絵をつき、明後日の方向を見ている。
彼女がテスト中など、本気で考え事をしている時の仕草だった。

マリカ……長考!!
まさかの……長考!!

これにはマサヤもエリカも焦りを隠せない!!!!!

マサヤは冬なのにハンカチを取り出し、顔の脂汗を拭く。
エリカは先生に怒られている生徒の心境になり、
答えを聞くのがだんだんと怖くなってきた。

実に5分に及ぶ静寂の後、
ついに真理華(漢字ver)が口を開いた!!!!

「やっぱり裁判だね」

エリカ、驚愕!! この学校は共学!!
マサヤは思わずガッツポーズ!!!!
握りしめた拳は天へ向けて高く伸ばされていた。

「私の一存で決めてしまったら、やっぱりみんなに悪いし、
 学園の規則に従ってクラス裁判を開催しようか。
 判事は私がやるから、弁護人と検察役はあとで
 話し合って選出しよう」

エリカは激しく落胆した。
クラス内でエリカの身勝手な考えを支持する人など
存在するわけがない。きっと女のわがままと言われておしまいだ。
そう考えていたのだが。

裁判当日になった。

「投票の結果は半々ですか」

判事の席に座ったマリカが首をかしげる。

検察役はマサヤが。
弁護士約はエリカのお付きだった女子が勤めてくれた。

「みなさん、よく聞いてください。
 エリカ様の一人の男性を想う心は尊いものですわ。
 もはや政治思想の違いなど、ささいなことだと
 言わざるを得ませんわ!!」

この女子も相当なお嬢様であり、かなりの雄弁家だった。
彼女の弁護が聴衆役(裁判員裁判)のクラスメイトらを
感動させ、エリカに対する同情が集まった。

判事のマリカは、被告席に座るエリカへ発言を求めた。

「私はこのクラスに対して一切敵対しないと誓います。
 なぜなら皆さんが立派なボリシェビキ候補として
 高度な教育を受けていることを知っているからです。
 私とて、みんなと離れ離れになることを悲しく思っています。
 それでも尚、私の心はすでに固く……」

エリカの演説も見事だった。
私のいずれかの過去作で述べた気がするが、彼女は外人である。
ソビエトの北アジア部・カフカース山脈の
グルジアという国の出身である。

母が日本人なのでエリカはハーフだが、
先祖代々の外国の血がすごく強くでている。
彼女の大きな瞳で涙ながらに訴える様子は、
聴衆の心を動かした。

その日の投票の結果は、ちょうど半々。
賛成派13否定派13である。
第五特別クラス内でインフルエンザが
流行しているので定員の34名を下回っていた。

(大切な時期にインフルなんて運が悪いなぁ。
 みんなが回復してからもう一度裁判をやり直そうかな)

マリカはそう思ったが、裁判を長続きさせると
生徒会から目を付けられる恐れがある。
クラス裁判は即決裁判が理想とされていた。

インフルの回復には個人差があるし、
14日程度の自宅謹慎が医師から推奨されている。

しかしながらマリカは、欠席者たちの
意見を聞いてから判断したいと思っている。
法と正義を愛する彼女ならではの発想だ。

今次裁判の争点となったのは、エリカの自由意思が
クラスに対する反逆行為に該当するか否かである。

反対派の意見。
エリカはアキラやアナスタシアの妹だから
潜在的残虐性を秘めている。現に太盛を束縛していた。
さらに太盛当人が記憶喪失なのはトモハル委員から聞いている。
再開する意味があるのか。恋に発展するのか。

賛成派の意見。
エリカは成績優秀者だから生徒会への加入は
歓迎される可能性が高い。
恋愛は前会長時代から学内で推奨されているから、
必ずしも身勝手な判断とはいえない。
エリカの目的は太盛への再開であり、
このクラスの生徒を虐待するなど悪意があるとは思えない。

マリカが判断に迷うのは、どちらの言うことも一理あるからである。
だからこそ投票をしたのだが、それでも決着はつかない。

こうなってしまってはマリカのカリスマに頼るしかない。
全員の視線がマリカのもとへ集まっていた。

「判事である私の意見を率直に述べます。
 橘エリカさんの申し出を認めたいと思います。
 反対派のみなさんもどうか
 私の考えを支持してほしい」

どわっとクラス中が拍手喝采に包まれた。

「その一言を待っていたぜ!!」「マリッカさん最高!!」
「マリッカさま、判事役でも素敵―!!」
「マリカちゃんが言うなら、しょうがねえな!!」

(あれ? 反対派の人も拍手してるのはなぜ?)

後で分かったことだが、このクラスは初めから
マリカの判断に従うつもりだった。

裁判をするように言われたから激論を交わす。
そして判決を真理華が下すのなら、誰も逆らわない。
後で分かったことだが、裁判をせずに
マリカが独断で決めたとしても誰も反対しなかったという。

本当はいくらでも威張ることのできる立場なのに、
あくまで民主的な方法を求めるマリカの姿勢が
ますます評価されているのだ。

このクラスはどこまでも単純明快なのである。
そのキーパーソンは「井上マリカ」

「橘エリカさん。これから正反対の立場に
 なるけど、いつまでもお元気で」

「ありがとうございます。マリカさん。
 あなたの優しさは一生忘れない」

マリカは直ちに裁判の結果を(規則通り)中央委員会へ報告した。
その翌日、橘エリカは中央委員会に出頭を求められた。




エリカが中央委員部の職場に来て最初に思ったのは、
みんなが殺伐と仕事に励んでいること。

校長は固定電話の受話器を耳に当て、
大きな声で話をしていた。仕事の会話なので
エリカには内容などさっぱり分からない。

机に山のように積まれたA4ファイルの書類を
仕分けている眼鏡の少女。その近くで濃い茶髪の
髪の少年が議事録と思われる内容をPCに入力している。
とある生徒は会計ソフトを使って経費の計算をしていた。

とにかく彼らは時間が惜しい。
人手不足の職場特有の緊張した空気にエリカは圧倒された。

エリカは今日朝一で中央委員部に顔を出すように言われたのだ。

エリカがノックの末に部屋に入っても、校長に
少し待っていてくれと言われ、もう15分も経過した。
いつまで部屋の隅に立っていればいいのか。

「それはさっきも説明しただろ、君ぃ。
 こちらも時間がないのは同じなのだ。
 時間がないのを言い訳にするのはよしたまえ」

校長の長電話はまだまだ続きそうだ。

「あそこに綺麗に女性が立ってるじゃねえっすか」
「こらっ。仕事に集中しなさい。あなたが入力した
 議事録は会長があとでお読みになるんだからね」

茶髪の男と眼鏡の少女。モッチーとサヤカである。

モッチーはタイピングの合間にエリカに手を振ったが、
エリカは返答に困ってしまった。エリカは元囚人だから、
いきなり慣れ慣れしくするわけにいかない。

「そこの方、手が空いているなら少し手伝ってもらえない?
 手間だけど、誰でも出来る簡単な仕事だから」

サヤカに書類の束を一部渡された。
三年生の詳細なプロフィールのデータだった。
一人一枚だから、なんと一千枚以上あるという。

諜報広報部が、保安委員部と共同で在校生の思想や能力を
チェックし、その結果をこちらに送って来たのだ。
冬休み前に反ボリシェビキ的な生徒を一掃しなければならい。

「反逆者と思われる人は左の箱に。
 正しい生徒は右へ分けてください」

サヤカに言われた通り仕分け作業をするが、
『反逆者と思われる人』とは、あいまいな定義である。

用紙には生徒の生活態度や成績、
政治思想を書いた論文の要約、
学内の交友関係が記載されている。

生徒の中には、恋人や友達が収容所送りになった人もいる。
その場合は連帯責任でスパイ容疑がかかる。
おそらく将来的に生徒会を恨むと思われるからだ。

エリカは昔兄や姉から教わった通りに
怪しいと思われる人は全て左の箱に入れていった。

「どれどれ」

ある程度仕分けたら、サヤカがチェックしに来た。
エリカはぞっとした。書類を見ている彼女の目が、
あまりにも冷たかったから。

このボリシェビキの目は、昔アキラ兄さんが
仕事の時に見せる目と全く同じだった。
幼いころからアキラはアナスタシアのことばかり
可愛がって、エリカには無関心だった

残虐で無慈悲と恐れられたボリシェビキの兄は、
正直かなり苦手だった。家で話す時も敬語を使い続けた。
父は厳しい人だったけど、兄はもっとだった。

「うん。特に問題なし」

サヤカが優しくほほ笑んだ。

「橘さんはしっかり反ボリシェビキを見分けられているね。
 教える前からできるなんてすごいことだよ。
 校長閣下にも報告しておくからね」

「あ、ありがとうございます」

「そんなに脅えなくても大丈夫よぉ。
 橘さんも二年生でしょ?」

近藤サヤカが自己紹介をかねて握手を求めて
きたので、エリカは笑顔で応じた。

「俺はモチオっす。おれ、生徒会ではけっこう
 チャラい方とか言われてるんすけど、
 もともとこんなしゃべり方なんでww
 うざかったらマジさーせんwww」

山本モチオにも自己紹介された。

(こんな人がよく生徒会に入れたものね……。
 全然ボリシェビキにみえない)

当然の疑問である。エリカは引きつった顔で握手したら、
痛いくらいに握られ、上下に元気に振られた。
上流階級の社交の場ではありえない行為だった。

「やめなさいよバカ。うちがあんたみたいの
 ばっかだと思われたらどうすんのよ」

「あっ、わりぃ。久しぶりに美人を見たから
 テンション上がっちまったんだwww」

「もう。あんたはいっつもそんな調子なんだから。
 あんたの言動がぶっ飛びすぎて囚人まで
 ドン引きしてるわよ」

「それよりサヤカ。今日仕事終わったら
 飯でも食いにいこーぜwww」

「あー、行きたいけど、今月お金がないんだよね」

「もちろん俺がおごるっすよwww
こういう時は男にまかせろよ!!」

「ふふ。調子いいこと言って。
 じゃあ甘えようかな」

「おkwww」

二人はエリカのことなど忘れてしまったのか、
すっかり二人だけの雰囲気である。

「仕事は山ほど残ってるんだからね?」
「わーってるっすよwwwやる気でて来たぜー」

仕事をしている姿からも親しさが伝わる。
付き合っているのかなと思って
後で聞いてみたら、本当に付き合っていた。

生徒会では有名なカップルなのである(モチ・サヤ)
サヤカは眼鏡をはずして三つ編みをほどくと
見違えるほどの美人になるらしい。
もっとも仕事中はその姿を見せることはないが。

中央員の人達は慣れたもので、
モチオ達がイチャついても誰も気にしていない。

「橘君。待たせてしまって済まないね」

校長が受話器を置き、椅子を回転させて
エリカの方を向いた。

「騒がしい職場ですまないね。別室で面談したいところだが、
あいにく保安委員部が尋問に使っている最中でね。
面談はここでしようじゃないか」

「は、はい」

校長は早口で話す皮肉屋である。
よく肥えた不細工。しかもM時ハゲ。
あだ名は、なんと公認会計士だった。

校長はエリカのプロフィール書に目を通した。

「ふむふむ。君の上のご兄妹については、お気の毒だったね。
 私もアキラ君とは親しくさせてもらっていたよ。
 悪いがアナスタシア君についてはノーコメントだ」

エリカは兄が夕食の席で校長の話をしていたことを
思い出した。親しかったのは嘘ではないのだろう。

「君は成績が大変に優秀だね。特に語学が素晴らしい。
 英語もロシア語もほぼ満点。女子が苦手な
 政治外交軍事の理解も深い。さすがは橘家の令嬢だねぇ。
 立ち振る舞いからも育ちの良さが伝わるよ」

「ありがとうございます。お褒めいただいて光栄ですわ」

「うんうん。実に良いね」

校長の視線がいやらしくなった。
エリカの頭からつま先まで
舐めるように見回しているのだ。

「それに美人さんだ。ミウのようなエセ外人と違って
 君は本物のハーフだねぇ。コーカサス系の女生とは
 こんなに美しいのかね。君のお姉さんも相当な美女だったが、
 君も全然負けていない。私は君の方が好みだね」

「も、もったいないお言葉ですわ」

「ふむふむ。こんなところで面談をするのはあれだね。
 本部でお昼ご飯でも一緒に取りながら
 君の今後について話し合おうじゃないか」

「おほほ……。楽しみですわね」

こんなハゲと食事をするなどごめんだが、
6号室を出たエリカにはもう居場所がない。
ここで校長に媚でも売っておかなければ
生き残れない立場なのだ。

「おいハゲ」と女子の一人が言った。

「その人困ってるじゃん。セクハラはやめろよ」

「何を言ってるんだきみぃ。
 私は橘君に触れてさえいないじゃないか」

「あんたの発言内容が完全にアウトなんだよ。
 教員のくせに生徒をやらしい目で見てんじゃないよ」

エリカはその女子の見た目と口調のギャップに驚かされた。
日本人形を思わせる黒髪のストレートヘアを
腰まで達するほど伸ばしている。
前髪が綺麗に切り揃えられていて、エリカと被る。
(エリカはショートヘア)

「橘さんだっけ? いきなり不愉快な思いさせてごめんね。
 うちのハゲ。いっつもこんな感じだから」

「ハゲとは何だね君ぃ!! 失礼だぞ」

「でも、みんなに呼ばれてるからハゲでいいじゃん」

男子たちが盛大に笑い、にぎやかな雰囲気になった。
顔を真っ赤にして怒る校長の顔はタコのようだ。
エリカも吹きだしそうになったが、頑張って耐えた。

「ちょっと待っててね。今ナツキさんにアポ取るから」

「な、何を勝手なことをしてるだね? 彼は忙しいんだぞ」

校長に構わず、電話をかける少女。
ナツキと短い会話した後、笑顔でエリカに伝えた。

「ナツキさんが代わりに面談してくれるってさ。
 11時以降なら空いてるそうだから、
 あとで会長室に行ってみて。
場所は私が案内してあげるから」

「あ、ありがとうございます」

「そんなに腰を折ってお辞儀しなくていいって。
 私もサヤカと同じ二年生だよ。
 普通の職場では先輩後輩かもしれないけど、
ボリシェビキに上下の差はないから、安心して」

ほっとしたエリカとは対照的に校長は不満だった。

「クロエ君はいつも規則を無視して
勝手なことをしてくれるじゃないか!!
 新人の面談は中央委員部が担当することになってるだぞ!!」

「あんたみたいなスケベ親父じゃ
 面談にならないでしょうが」

「スケベ親父とは何だ!!
 君からは年上に対する敬意というものがだね…」

「あーはいはい。親父の頑固頭はこれだから困るよ。
 規則規則ってさ。会長が特例で面談を担当して
 くれるんだから大人しく認めなよ。
 せっかく優秀そうな人が入ってくれるんだからさ」

「うむ。確かに貴重な人材ではある」

「うちはガチで人が足らないんだ。
 内勤で忙しくて収容所の見回りまで手が回らないよ。
 午後の見回り面倒くさいから校長が代わりに行ってきてよ」

「断固断らせてもらうよ。最近の囚人は殺伐としてるから
 正直怖い。そもそも見回りは諜報の奴らにやらせればよいのだ。
 なんで人手不足の我々がわざわざ…」

「そうそう。あっちの部は人が足りてるくせに
 書類をガンガンこっちに送ってくるからうざいよねー」

最初は喧嘩していたのに、仲良く愚痴の言い合いをしていた。
喧嘩するほど仲が良いとはよく言ったものである。

「校長閣下。保安部のイワノフさんからお電話ですが」
「あの石頭か。すまないが、石谷君。
 折り返しにしておいてくれ。トイレ休憩に行ってくる」

最初は地味な職場なのかと思ったら、意外と明るかった。
特に女子が。男子は、モチオ以外は紳士ばかりで、
エリカと目が合うと軽く会釈をしてくれた。

(あの優しい人はクロエさんというのね。
 フランス系に多い名前だけど、
 日本語ペラペラだから移民なのかしら?)

エリカは書類の整理や電話の一次受けなどを
して、ナツキとの面談の時間を待つのだった。


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