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作品名:斎藤マリー ストーリー 作者:なおちー

第26回   ※堀太盛の一人称
※堀太盛の一人称

「子供になったお父様も、これはこれで可愛いですわ。
 ほら、こっちにおいで。抱っこしてあげるわ」

俺はマリンちゃんの腕の中で抱かれていた。
成り行き身を任せているだけだから、特に何も感じることもない。

本当なら子供扱いされて恥ずかしいと
思う所なんだろうが、もうどうでもよくなってきた。

精神的に疲れ切っていて、今はこの夢が早く冷めることだけを願っている。

「マリンだけずるいよ。私にも抱っこさせて」

猫なで声のミウも俺を抱くのだった。
乱暴に俺の頭を撫でまくっている。

ミウの胸が俺に強く当たっているのに、
夢だとそういう気持ちにならないもんだな。

逃げたい。出来ることなら逃げたいが、どこへ逃げればいい。
俺はこの時初めてミウに、ここがモンゴル北西部の
ゴビ・アルタイ県だと知らされた。
そんなこと言われてもどこなのかさっぱり分からない。
ゴビ砂漠ってのは聞いたことがあるが。

俺はモンゴルの地理を知らない。
親父殿には夏休みのたびに海外旅行に連れて行ってもらったが、
後進国を旅したことは一度も無い。
モンゴルについては、住んでいる人種や国の大きさすら知らない。

俺たち三人は同じ部屋で休むことになった。
田舎の宿舎にしては広めの部屋なのだろう。
大きめのベッドが中央に二つ置かれ、
その他のスペースは広々としている。

「さて」

窓際の椅子に腰かけたミウが、俺を膝の上に乗せる。

「本当はいつまでも太盛君と一緒にいたんだけど、
 用事があるから行かないといけないの。
 ここで少しの間、待っててね」

ミウに呼ばれてマリンも廊下へ出て行った。
すでに日が暮れているのに買い物にでも行くのか?
女二人で町を歩くのは危険じゃないのか。
俺が護衛として着いていきたいが、幼児なので邪魔になるだけか。

俺はイスに座ったまま、時間を持て余すことになった。
飾り気のない壁掛け時計が、ゆっくりと時を刻んでいく。

今なら誰もいない。ここからこっそり抜け出すこともできる。
だがこの体でどうすればいい。鏡に映った俺の体は、おそらく
幼稚園児程度だろう。連続で1時間歩くだけでも辛いと思う。

「ただいまぁ」

なんだ。もう帰って来たのか?
ミウは俺の様子を一瞬だけ確認すると、すぐに扉を閉めて出て行った。

何しに来たんだ。それにしても嫌な予感がするな。
そのかんはすぐに当たることになる。

まもなくして扉を強引にノックする音がした。

「お父様!!」

マリンちゃんだ。すごい力で扉を叩いている。

「お父様。助けてください!! お父様!!」

なんだ…? なんで扉を開けて入ってこないんだ。
内側からカギがかけられているのか?

「このままでは殺されてしまいますわ!! お父様!!
 早くそこから逃げて下さ…」

ゴトンと人が倒れる音がした。間違いなくマリンちゃんが
倒れたのだろう。何て光景だ。閉められた扉越しに、
こちら側の床へとじわっと真っ赤な血が広がっていく。
血の海ってのはこんな感じなのか。

う、やばい。また吐き気がこみ上げてくる。

マリンちゃんは死んだのだろう。
この非常事態では悲しむ暇すらない。

早く逃げないといけない。この窓ガラスをぶち割って
外へ逃げたいが、ここは二階だぞ。
俺の小さな体じゃ、どうにもならないじゃないか。
まずガラスすら割ることができない。

「副会長閣下。堀太盛殿を確保いたしました」

また信じられない光景が広がっていた。
生徒会のミウの護衛どもがいきなり入ってきて、俺を囲みやがった。
武装するだけ無駄だよ。俺には初めから抵抗する手段などない。
いちいち俺にアサルトライフルを向けるんじゃねえ。

「ええ。ご苦労様。それより太盛君に銃は
 向けないでって言ったの、忘れたの?」

護衛の男どもに緊張が走る。
いつものくせで銃を向けてしまったのだろう。
ミウの性格なら、俺を傷つけようとする奴は
制裁の対象とするのも無理はない。

副会長姿のミウは、リーダーの男に平手打ちをした。
他の護衛達は萎縮し、下を向いて殴られるのを待っている。
だがミウはにらむだけで手を上げることはなかった。

生徒会副会長として俺の前に突如現れたミウは、
俺の前に片膝をつき、目線の高さを合わせて言った。

「私もずっと忘れてたんだ。君に言いたいことがあったの」
「なにを……?」
「ごめん」

うなだれたミウ。たった一言の謝罪は、
深い意味が込められているようだった。
何に対してのごめん? 俺は訊くことができないでいた。

護衛は黙って立っている。わら人形みたいだな。
開け放たれた扉の先には、背中から刺殺されたのであろう
マリンちゃんがいる。

ぷるぷると指先が震えているが、まさかまだ息があるのか?
大量出血していたのに信じられん。

「君を拷問するつもりはなかったの。ついカッとなっちゃって
 後先見えなくなっちゃってね。短気は悪い癖だから
 直すようにって、ナツキ君からよく言われてたのに、
 私はほんとダメな人間だよね。副会長失格だ」

俺はミウに拷問されたのか? 分からん。
そのあたりの記憶はあいまいだ。拷問されたと言わたら
何かされたのかもしれないが、ふと思い出す光景は具体的ではない。
もしかしたらそれこそ夢だったのかもしれない。

「ご党首様ぁ。私の罪は、貴女のご子息を傷つけたのことです。
 私は自らの罪を認め、悔い改めることを誓います」

ご党首? すると何者かが現れ、
マリンちゃんの足をずるずると引きずり始めた。
マリンちゃんは廊下へ出され、俺の視界から消えた。

入れ替わりで俺のお父さんが入って来た。

親父殿は、なぜかカーキ色の軍服を着ている。
上から下まで完璧に軍服を着こなしている。

短く切られた白髪交じりの髪。鷹のように引き締まった、
相手を威圧する顔つき。深くかぶっていた帽子を外し、
俺を見た。いや、見下した。

親父殿は斜視なので、俺と両眼が合うことは決しない。
(※斜視。両目がそれぞれ別方向を向いている人のこと)

「ミウ君から話は聞いたぞ」

いつもの威厳のある声で、

「この、バカ者が」

と言った。

俺は親父に逆らうことはできない。
親父殿は偉大だ。うちの家の最高権力者だ。
我が家の全ての財産を管理しているのは親父殿だ。

俺は学校の先生には反抗できても家では縮こまって生きて来た。
そういう生き方を、幼稚園の頃から徹底されてきたから。

「私はお前にたっぷりと時間をかけて、堀家にふさわしい人間に
 なれるように教育を続けてきたつもりだ。それなのに
 お前と言う奴はいつもいつも…」

長い説教は慣れている。俺が一番気になったのは、親父殿が
ミウを知っていることだ。親父が君付けで呼ぶのは心を許した
使用人に対してだけだ。

職場の人間に対しては冷徹で、決して心を開こうとしない。
外国の取引先と親しくなっても絶対にファーストネームで
呼び合わないことで有名だったらしい。

理由はあくまで仕事上の関係だからということだが、
本音は人を信用できないのだろう。

そして自分にも相手にも厳しい。
家にいる時も頑固で、気難しいが、酒が大好きだ、
日本人を絵に描いたような昭和の親父だ。だが偉大だ。

俺は今まで家で優雅な生活をさせてもらった恩を忘れたことはない。
高校生になってますますそう思うようになった。

「悪いのはお前だ。ミウ君は謝っているが、
 そもそもの原因はおまえだ。お前が全部悪い」

もはや言葉ではなく、雷鳴だ。
俺は頭上に降ろされた言葉をしっかりと受け止めていた。
親父の説教は長いし胃が痛くなる。
なにせ一つも言い返すこともできないのだから。 
 
「まあまあ。あなた。太盛も反省しているようだから
 その辺で終わりにしてあげましょう」

漆黒のドレスを着た貴婦人は、なんと俺の母親だった。
何で気取った格好を? 薄手のハイウエストのドレス姿。
足のラインがずいぶんと長く見える。肩にはショールをしている。

癖のかかった長い黒髪を後ろでまとめてアップにしている。
指先をスカートの前で重ねて、背筋を伸ばして歩いている。

ハイヒール。この独特の足取り、この人は間違いなく俺の母だ。
俺は中学三年以来、母に会ったことがない。
なつかしさで涙さえこぼれそうになった。

思春期の頃、母が無性に恋しくて仕方なかった。
あの年頃の男の子は親を避けたりするものだが、
本音は構ってほしくてたまらないのだ。

親がいるからこそ、親を毛嫌いして避けるのだ。
好きだから避けるのだ。
俺は、当たり前のように母親がいる同級生が羨ましかった。

中学最後の授業参観の時、もしかしたら俺の母親が
来るかもしれないと、無意味に教室の後ろを振り返っては
友達にからかわれた。俺にとっては大まじめだ。

俺の母は当然最後まで来ることはなかった。
あの時にはあの人は堀家を去っていたのだから、当然だった。

マサヤの奴が、はにかみながらあいつの母親と話しているのを
見た時、とんでもなくみじめな気持ちなった。

「ここは血の匂いがひどいわねぇ。
 太盛。こっちにいらっしゃい。
 後藤にお茶の用意をさせたわ」

気が付いたら俺と母以外の人間は消えていた。
よく見ると母はすごく若くて、俺が幼稚園くらいの時に戻っていた。
今の俺は幼稚園生。すると今の俺と母は過去に戻ったことになる。

扉を開けるとそこには、堀家の大食堂が広がっていた。
俺は母の向かいの席、ちょうど真ん中の席に座った。
座る時に見たこともない男性の使用人の人が椅子を引いてくれた。

この男性は誰なんだろう。長身で年齢は30手前といったところか。
ワックスで固めた短髪。広いおでこ。
知性を帯びた瞳。良い育ちなのは雰囲気で伝わる。
目鼻立ちはハリウッドスター並みに整っている。

「それでは、奥様。何か御用がありましたらお呼びください」

「ご苦労様。エドゥアール。もうすぐ休憩の時間でしょう?
 お皿の片づけは私がやるから、少し休んでいなさい」

「かしこましました」

深く腰を曲げてお辞儀し、音もなく扉を開けて去って行く。
上等な教育を受けてきたのだろう。
生徒会のボリシェビキどもともは品が全然違う。

エドゥアールってことは、フランス人なのか。
俺の知らない使用人が登場するとは思わなかったな。

アールグレイとチーズケーキがテーブルに並んでいる。
シンプルだが、昼前のおやつにはちょうどいい。
時計を見ると10時過ぎとなっていたのだ。
もう時間なんてどうでもいいが。

母は幼いころからチーズケーキを好んでいて、よく後藤さんに
作らせていた。これを作った張本人の後藤さんはどこだ?

厨房にいるのだろうか。てっきり彼が自分で運んでくると思ったのに、
給仕をしたのはイケメンのエドゥアールだった。
あっ、後藤さんはお昼ご飯の支度で忙しいに決まっているよな。

「さあ、いただきましょう」

俺はフォークを適当に差して、チーズケーキを食べていた。
下品だと親父殿ならすぐに叱られるところだが、母は何も言わない。

この人は不思議な人で、親父殿と違い、
俺に対し礼儀作法について口うるさくないのだ。
放任主義とでも言おうか、俺に対して明確な教育方針はないようだ。

俺を愛していないというわけではない。こうして10時と3時の
お茶の時間は必ず一緒に過ごしてくれる。俺は母に呼ばれると
絵本を声に出して読んでいても途中で止め、必ず食堂へ足を運ぶのだった。

これが俺の幼少期の思い出だ。

俺は5歳になるまで母の名を知らなかった。
父からは君と呼ばれ、使用人は奥様と呼ぶ。
母の名はチアキだ。
当時の俺にはその名が母の名前だとすぐには思えなかった。

母は時間通りきっちり生きることだけは徹底して、朝起きる時間から
寝る時間までスケジュール通りに生きることを美徳としているらしい。
とあるフランス貴族の風習をまねしているそうだが、精神的に疲れないのかね。

お茶を飲む時間をすごく大切にしていて、俺を毎日誘ってくれた。
その時間になると後藤さんはあれこれとお菓子のメニューを考えてくれる。

「お、お母さま」
「なにかしら?」

俺はとっさに言葉が思い浮かばなかった。
母は寡黙な人で、自分から話題を振ることがめったにない。

空気と共に時間を過ごしているような人だ。
大変な音楽好きでもあり、ピアノ、ヴィオラ、ハープが弾けるという。
食道備え付けのスピーカーからは、いつもバッハが流れている。

なぜバッハなのかと訊くと、バッハの作品は美しいだけでなく、
この時代に確立した古典技法が、現代に通じる全ての
音楽の基礎になっているからと力説されたことがある。

俺の教養のために聴かせてくれているようだったが、
当時7歳の俺にはさっぱり分からない内容だった。

途中で熱く語っていたことに気づいたのか、
母は恥ずかしそうに咳ばらいをしたのを覚えている。

「何か言いたいことがあるのでしょう。遠慮なく言いなさい」

思い出したぞ。この雰囲気、しゃべり方はエリカじゃないか。
俺が高1の時エリカに会って惹かれたのも偶然じゃなかったんだ。
逆になんであいつが俺に執着するのか気になるけどな。

母はクスクスと笑った。
俺が困った顔をしているのがおかしかったのだろう。
俺の顔は母親似だとよく言われる。たぶん
今鏡で見たらそっくりなのが自分でもわかるんだろうな。

「俺は、お母さんと」

別にお母さんでもママでもお母さまでも呼び方は自由だ。
この人は呼び方についても注意はしてこない。

「離れ離れになって寂しかったです。俺は堀家の長男に
 だからこの家に残らないといけませんでした。
 でも本音ではお母さんに着いて行きたかった。
 もっとお母さんと一緒にいる時間が作りたかった」

拳が震えていた。その上に熱い涙がぽろぽろとこぼれている。
時間軸を考えたらめちゃくちゃだな。俺は幼児。母は離婚前の若い姿。
俺はこの時空からして未来の話をしているのだから、通じるわけがない。

母はまたクスクスと笑った。そして優しく言った。

「何を言っているのよ」

ああ、そうだよな。笑われても仕方がない。
嫌な感じは全くしないが。

俺は一つの可能性を話しているんだよ。
俺が生きた現実に存在した、確かなことを。

離婚の一年前くらいから。母はよくしゃべるようになった。
話題は決まって親父に対する愚痴だ。
寡黙だったはずの母が、父の悪口を永遠と言い続ける姿は
子供心に恐ろしく感じたものだ。

この人が人の悪口を言う時は、本気で恨んでいる証拠なのだ。
そういう日は、夜遅くまで使用人の人を突き合せて
ワインを飲み続けていたそうだ。

---私は知っているのです。
苦難が忍耐を、忍耐が練達を、練達が希望を生むことを。

---アガペー。神の人間に対する無限の愛。
---あなた自身を愛するように、他人を愛しなさい。

母に読み聞かされた聖書の一説は今も覚えている。
あの優しくて忍耐強かった母が、なぜ父と深刻な確執を起こしたのか。

俺が、最後の紅茶の最後の一口を飲み終えるのを待ってから、
母はゆっくりと席を立った。

「そろそろ行くわ。ママはね、午後から予定が入っているの。
 夕方までには戻るから、あなたは家で良い子にしているのよ?」

俺の頭を名残惜しそうに撫でてから、去って行く。
だが途中で何かを思い出したのか、また俺のとこへ戻って来た。

「あらいけない。これを忘れるところだったわ」

手にした二枚のカードをテーブルへ置いた。
トランプやポーカーと思ったけど違うようだ。
裏返してあるから、こちら側からは何が書かれているのかわからない。

「ママが出て行った後に、このどちらかを表にしなさい。
 大丈夫。その間は誰も入ってくることがないわ。
 いい? よく考えてから決めるのよ」

「あの……。そんなこと急に言われても意味が…」

「今は分からなくても良いわ。今はね。でもそのうち
 必ずわかるようになるから、必ずどちらかを選びなさい。
 これは母との約束よ。きちんと守りなさいね?」

語尾が強かった。母にしては珍しい。
これは約束を守らなかったら本気で叱られるかもしれない。

母が去ってから、俺はカードをよく見た。

バッハの演奏は終わっていた。
振り子時計の音以外は何も響かない。食堂の雰囲気は重い。

俺はもしかしたらこの広い家に一人ぼっちで
残されているんじゃないかとさえ思った。

そして直感で分かるのだが、俺はどちらかのカードを選んだら
この夢から覚めることになる。これが、運命の分岐点なのか。

右か左か。どちらも真っ黒なカードだ。目立つ特徴はない。
どっちにするべきか。

英語のRightの語源は、イエスに起因する。
神の子イエス・キリストは、神の右手側にいる人が正しき人、
天へ昇る権利を持つ人とした。

ライトが正しいと訳されるのはそのためだ。
右が正しいのは、ドイツ語やスペイン語でも同じらしい。

俺は右手をそっと伸ばし、右側のカードを表にした。
カードの表面は光り輝いていて、何も見ることができない。

俺はその光に体全体が包まれるのかと思った。
意識も光の中へ吸い込まれていくかのようだ。
俺の夢は、思った通りそこで終わることとなった。


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