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作品名:斎藤マリー ストーリー 作者:なおちー

第24回   「先輩。そろそろ脱走のことを真剣に考えようよ」
「先輩。そろそろ脱走のことを真剣に考えようよ」

マリーが指摘するのも無理はなかった。

「だって、まるまる二話分くらい戦争の話ばっかりしてるから。
 私達が保健室で話しているシーンから全然進んでないよ」

NHKの朝ドラのことを言っているのか。
あのドラマは登場人物たちが同じ場所で
会話しているシーンだけで尺のほとんどを使う。

いかにもスタジオ撮影している感がすごい。
それと会話の間が妙に長く、話しのテンポが悪い気がする。

私はスピード感のない作品は好まないので
自分の小説は店舗を意識して読みやすくしている。

「また誤字。店舗じゃなくてテンポ…」
「よせマリー。いつものことじゃないか」

おほん←咳払い

「政治批判をするための小説を書いたわけじゃないでしょ?
 ちょっと政治の話多すぎて頭痛くなるんだけど」

また筆者に対して言っているようだ。
確かになぜか政治の話が多くなってしまった。反省する。

「そもそも」

ん?

「高校生にとって年金なんて相当先の話だよ。
 私と太盛が真剣に考えられるわけないでしょ」

確かに。筆者も高校生の時はそんなこと意識してなかった。当然だ。

「あと、なんで途中からギャグっぽい展開になってるの?
 前半の、ものすごいシリアスな空気が消えてるんですけど。
 それと私が主人公なの忘れてないよね?」

あらすじを読み返してみると、確かに斎藤マリーが主人公になっている。
自分で書いたことなのに、うっかり忘れかけていた。

「ちゃんと書いてよ!!」

……うむ。それは分かっている。だが、それそろネタが…

「ネタなら3年生の論文の検閲とか、私とマリカお姉さまとの
 話とかたくさんあると思うんだけど。めんどくさいとか言って
 書かないのは作者として…」

マリーはここでいったん言葉を止め

「あるぇ?」と言った。

なんだ?

「太盛先輩が…」

太盛はぼけーっとしていた。いや、彼はもともと
ボケているような人だが、それにしても様子がおかしい。

「太盛先輩?」

マリーが彼の肩を揺さぶるが、何の反応もない。
太盛は、窓の外をじぃっと見つめたまま、動かない。
どこか一点を見つめるわけではなく、ただ顔をそっちに向けている感じだ。

なにより驚くのが、彼の目が白目をむいていることだ。
気絶しているわけではないのだろう。
マリーが彼の腕を取り、脈を図ると正常である。
普通に呼吸もしている。

「ん」

太盛は、何かに対して恐れを抱いたのか。首を横へ振った。
ボクサーが相手の拳を避ける動作のようだ。
そのあと、また窓の外をじっと見続ける状態に戻った。

「えっと…せんぱい?」

彼はいったいどうしてしまったのか。
一話前までマリーと政治の話をしていたはずなのに。
持病の発作でもあったのだろうか。

私は彼に持病があるという設定は作っていないため、
何が起きているのかさっぱり分からない。

「ねえ、どうにかしてよ!! なにこれ!! どうなってんの!!」

取り乱すのも分かるが、私にもどうしようもない。
話の視点を三人称から、太盛の視点に移すことで解決することにしよう。



※堀太盛の一人称

脱走、逃げるとか、逃避とか、そういう言葉は良くないんだよ。
他でもない、俺にとってはな。

俺は17歳の誕生日を迎えた健全な高校二年生。
自分が一時期ボリシェビキだったことはすっかり忘れ、
今はクリスチャンに戻った。熱心なキリスト教徒なのは堀家の影響だ。

俺に対しては威張るくせに、神に対しては僕となる親父殿の
影響が色濃い。うちの家では神を冒涜する人は、使用人だけでなく
肉親も含めて厳しく叱られる。

俺は脱走を真剣に考えた時、ふと保健室の窓の外を見た。
中庭が見える。特に何の変哲もない。昔あったはずの
マリア像は退廃的な宗教の象徴として撤去され、
手入れされた芝生とアーチを描く道があるだけだ。

マリア像の土台となった大理石は残されている。
白い大理石は聖母様の純潔の象徴となる。
絵画で描かれるマリア様のアトリビュート(象徴)は、白い百合。

…白。白か。ミウもこの色を好んでいた。
英国は白を正義の色として考えるそうだ。


俺はそこに、人の霊を見た。

10歳くらいの女の子だ。
腰のあたりまで伸びた亜麻色の髪。
大きくてくりくりした瞳をした可愛い女の子。
俺は別にロリコンってわけじゃないが、思わず見惚れてしまいそうだ。

その少女をなぜ霊と思ったのかはわからない。
足元がうっすらと消えかかっていたからそう思ったのかもしれない。

俺はオカルトマニアではないが、深い信仰心から
聖書の物語は全て事実だと信じている。

日本的な表現でいう霊界とか、死後の世界も当然あると思う。
人は死んでも魂になり、復活の時を待つだけだ。
昔絵画で見たことがあるけど、天へ登る前の聖者は頭の上に
光輪が描かれていた。その少女の頭の上には何もない。

「ふふ」

気取った、ませたほほ笑み。長い髪を肩の前にまとめて垂らして、
手でもてあそんでいる。ああ、なぜだろう。
俺はあの髪の毛の感触を知っている気がする。
潤っていて、みずみずしくて、触り心地が良かった。

「うふふふ」

あの少女は、きっと俺に近くに寄ってほしかったのだろう。
手招きこそはしなかったが、俺に保健室の外へ出ろと言っているようだった。

パイ…

セン……パイ!!

別の次元からの叫び声。悲鳴かもしれない。

俺は気になったのですぐ横にいるはずのマリーを見たが、
そこには壁しかなかった。俺は信じられないことに、
真四角に区切られた、狭い白い壁の中にいた。
ちょうど人間一人がなんとか入れるくらいの広さだ。

もちろん、あのウズベキスタン系のソ連人もいない。

突如出現した圧迫感のある空間には、
なぜか窓だけは存在して、その先にあのかわいい女の子がいた。

……ああ、愛おしい。抱きしめたい。ああ、抱きたい。
やらしい意味じゃなくて、あの子の近くに行って話しかけたい。
何を話す? それは何でもいい。名前でも住んでいる場所でも。

「そんなこと考えちゃ、だめ」

今度は違う人の声だ。少し大人っぽいけど、俺と同い年の女の子?
どう考えてもマリーの声だろ。だが、姿が見えない。
おいマリー。俺を止めたいならせめて顔食らい見せてくれよ。

にゅるんと、異常に細長い手が伸びてきて、俺の肩をがっしりとつかんだ。
その手は、何もない空間から突然現れたので、心臓が飛び出るかと思った。

「ああああああああああああああああああああああ
        あああああああああああああああああああああ」

たまらず発狂ししまう。

「そこで待っていてください。今行きますわ」

女の子はすーっと、地面の上を滑って移動してきた。
俺は怖くなったので急いで逃げようとするが、ここで
自分がベッドの上にいることに気が付いた。
足元のふとんをはいで、急いで立ち上がろうとするが、
足が硬くなってしまい、動いてくれない。

……はは。悪夢を見ている時のお決まりパターンじゃないか。

ぶおおん

空気が流れる音がしたかと思うと、女の子は窓をすりぬけてきた。
俺の目の前に現れたその子は、さっきまであったはずの顔がなかった。
長い前髪に隠されていた、長いまつ毛も、魅力的な瞳と唇もない。

女の子の顔は、肌色絵の具でのっぺりと塗りつぶしたかのように、
「目鼻口」が消えていた。これほどの恐怖があるだろうか。ば、化物だ…

「来るなよおおおおおおおお!!」

俺は唯一自由に動かせる手でまくらをつかむ。
まくらで自らの顔を守った。
女の子の気配がすぐ目の前まで迫ってくるのだ。

殺される。本能でそう悟った時には、全身の毛が逆立った気がした。

「太盛君」

そ、その声は…

そいつは俺の枕を優しくどかして、改めて顔を見せてくれた。

「脱走なんて考えたらだめ。逃げたら意味ないじゃない」

嘘だろ。見知らぬ女の子だと思っていたのに別人に変わっていた。
俺が一生忘れられるわけもない、「高野ミウ」がそこにいた。

夏休みに見た、ノースリーブのワンピースにショートパンツの姿。
あり得ない。真冬なのにこんな姿をしているなんて。

俺の記憶の中にいる彼女が、そのままそこに現れてしまったってことなのか?

ミウの夢を見るのは、実は生徒会の中では結構な噂になっていた。
あのトモハルもイワノフさんも見たことがあるという。
ナツキ会長はミウの夢を見るのを楽しみにしていたそうだが、
こんな危機的状況のどこに楽しむ要素があるんだ?

幽霊を見るのが趣味な、極度のオカルトマニアでもないとあり得ねえよ。

「せーまるくん」

なんだ? 今度は後ろから…

「ほあああああああああああああああああああああああああああああああああ」

もう一人のミウが、俺に抱き着いていた。
がっちりと、俺を絶対に離さないと言いたげに力がこもっている。

こ、この腕の感触。細さ。肌の色。
ミウはどちらかというと小柄で、色素の薄いタイプの色白で
手足はほっそりとしていた。エリカとは違い、スタイルは決して良い方ではない。
この暖かさ、感触は間違いなく高野ミウだ。幽霊のくせに現実的すぎる。

「エリカ?」

低い声。俺を抱きしめる手に力がこもった。

「こんな時にまで他の女の話? だめじゃない太盛君。
 私を悲しませることしたら、ダメ。ダメだよ。ダメ」

俺の思考が読まれてる……?
エリカのことは口にしていないはずなのに…。

目の前にいるほうのミウが、少しムッとした顔で俺を見た。
俺は馬鹿なんだろう。こんな時なのに、すねているミウの
顔が可愛いと思ってしまった。

そうだ。ミウは可愛い女の子だったはずだ。
はっきり言ってうちの学年で一番かわいい女の子だった。
美少女であり、美女だ。俺には到底釣り合わない。

「そんなことないよ」

また俺の思考が…

「太盛君は本当に学園から脱走したいと思っているの?」

「あ、ああ。思っているよ。なぜそんなことを聞くんだ?」

「冗談だったら良かったのになって思っただけ。
 太盛君はこの敷地内で死ぬ運命だったのになぁ。
 君が勝手なこと考えたら神様の予定が狂っちゃうじゃない」

神様の予定だと……? 
真顔で変なことを言うなよ。本気で怖くなるだろうが。

「太盛君に質問。人とは何でしょう?」
「え…? 人は、人だろ」
「うん。人だね」
「あ、ああ」
「今度は別の角度からの質問ね。神様と人はどっちが偉い?」

この質問の仕方は、まるっきりクリスチャンのそれだ。
この女は徹頭徹尾ボリシェビキだったはずなのに、
どういうつもりなんだ。死んでから改宗したのか?
ミウは英国国教会の影響下で育ったのは知っているが。

「神様に決まっているだろ」
「ぴんぽーん。じゃあ運命は誰が決める?」

これ以上ないほどの愚問だ。
人は神様によって創造された生き物にすぎない。
俺は神様だと即答しようと思った。

だができなかった。ざわざわと、あるはずもない雑踏が聞こえてくる。
最初は耳をすませば聞こえるほどだったが、すぐにうるさくなる。

四方を囲んでいた白い壁は消えてしまい、見慣れたショッピングモールの
映像が浮かび始めた。ゲームの一場面を思わせる。
今あった光景がうっすらと消えていき、また新しい光景が生まれる。
そのように自然と場所が入れ替わっていた。

俺は、レストラン街にいた。フードコートの中で
適当な椅子に腰かけていた。自分もミウと同じく夏服を着ている。
そして自分の隣には、失語症だった時の斎藤マリーがいた。
向かい側の席には、不機嫌そうなミウ。

周囲にはあふれんばかりの客で埋め尽くされている。

小さな子供のいる家族連れ。家で暇を持て余した老人。
ボディバッグを下げて早足で通り過ぎていく若者。
人よりもゆっくりとしたペースで歩く、学生らしいカップル。

うざってぇ人ごみだ。何より騒がしい。俺はこういう場所を好まない。
不愉快だ。なあ、ミウもそう思うだろ?

大衆に囲まれているとミウの美貌が余計に目立ってしまうから、
人の視線を気にして不機嫌になることが多かった。
ミウは愚かにも自分が変だから人に注目されると勘違いしていたが。

(ミウ。しかめっ面をしていたら美人が台無しだぞ)

いつもの軽口のつもりだったが、なぜか声にならなかった。
だが俺の気持ちが通じたのか、ミウが急に手鏡を出して
自分の目元や髪型などを確認していた。

「さあ。ここならいいよ。太盛君から話してよ。
 太盛君の口から直接聞きたいから」

なにをだ?

「太盛君が夏休み、エリカの別荘で何をしていたかをだよ」

ああ、そんなこともあった気がする。
俺とミウは毎日、入院中のマリーのお見舞いに行っていた。
お見舞いに行くのがデートも兼ねていた。
主治医にかなり深刻な病状の説明もされた時は、
俺たちがマリーの両親の代わりを演じている気分にもなった。

しかしな。ミウ。
どうして今になってそんなことを聞くのか理解に苦しむよ。

「俺はミウと一緒にいたかったんだよ。
 こんなこと今言っても信じてもらえないのはわかっているけど」

「太盛君がいなくてさみしかったんだよ?
 マリーの退院日だから絶対に来てくれると思っていたのに」

「ごめん。君を一人にさせるつもりはなかった」

「なんで今日は彼氏さんがいないのって、
看護師の人からも心配されてすごく嫌な思いした。
 太盛君は毎日病院に来てくれたのに、なんで最後の日だけ来ないの!!」

雑踏の中でもミウの声は響く。
かなり怒っているようだ。
そんなに気にすることだったのか?
俺は鈍感野郎だから女心なんて一生分からないけど。

「しかも、よりによってエリカのところへ!!」

この子はエリカのことを口にするだけで烈火のごとく怒る傾向にある。
そんなに恨んでいるのか。君はクラスでもエリカとほとんど
接点がなかったと思うけど

「悪かったとは思ってるって。だったらこうしよう。
 今度埋め合わせのためにどこかへ一緒に出掛けないか?」

マリーが、ぎゅっと俺の袖を強く引っ張った。
それ以上誘うのを止めてと言わんばかりに。

この子は言葉が不自由になった代わりにボディタッチが
過剰になってきている気がする。

「のう。ヨう、カント」(あかんで)

No.you c‛antって言いたいのか? 
ひらがなすぎてファニー発音だが、普通に通じるから不思議だ。

この子が嫌がることはしたくない。
この子に頼まれたら何でも聞きたくなってしまう。
この子の顔を見ていると優しい気持ちなってしまう。なぜなのだろう。

「太盛君はマリーといるほうが楽しいだ。
 太盛君はマリーのことだけが好きなんだ。
 私なんて捨てられちゃうんだ」

そんな悲しそうな顔をするなよ。

「ミウを捨てるなんて考えたこともないよ。
 そんなひどいこと、俺がするわけないだろ?」

俺は精一杯の笑みを浮かべるが、下手くそだったのか、
ミウには通じない。ミウの硬い表情は変わらなかった。

「やっぱり無駄だ。私はブスだから最初からマリーに勝てるわけ
 なかったんだ。いっそ私の方から消えたほうが楽になれるよね。
 さようなら。太盛君。さようなら。短い間だったけど楽しかったよ」

ミウはハンドバッグを肩にかけ、席を立ちあがった。
まずい。このままミウを行かせてしまったら絶交されてしまう。
どうしたら気持ちが通じる? 俺がミウのことを嫌いになってないのは本当だ。

そもそも嫌う理由なんて初めからないのに。

「すてい ウィズ・ミー。ぷりぃず」(私と一緒にいようや)

こんな時に下手くそな英語やめろよ。和製英語専門の芸人でも目指してるのか。
俺はマリーの発音にイラついたこともあり、ついカッとなってしまった。

「止めるなよ!! さっきからよぉ!!」

マリーは呆然とし、俺のTシャツから手を離した。
あ……。なぜ俺はこんなにも大切な子に怒鳴ってしまったんだ。
俺は世界一の大馬鹿野郎じゃないか。

俺は彼女が泣きだす前に、抱きしめてやりたい衝動に駆られるが、
今この瞬間も人ごみの中へ消えようとしているミウの方が心配だった。

歯を食いしばり、駆けだした。
ミウは怒り肩でどんどん先へ進んでいくが、早足で
歩いているだけなので、全力疾走している俺なら余裕で追いつける。

くそ。人ごみを交わしながら走るのは意外と手間だな。
どいつもこいつも邪魔だよ。どけええ!!

「さあ!! 捕まえたぞミウ!! 話を聞いてくれ!!」

ミウの腕をつかみ、いよいよ彼女が振り返ろうとしたその次の瞬間。
また景色が飛んで、次の世界が現れた。

〜まもなく、下り電車がまいります。白線の内側まで下がってお待ちください…〜

男性の声のアナウンス。聞きなれた声だ。

俺はローカル駅のホームの前に立っていた。
ねっとりした蒸し暑さ、雲の間に隠れている太陽が、
うっすらと顔を出そうとしている。遠くの方に雨雲らしきものも見える。

「あ…」

俺が思わず声を出したのは、隣にいる高野ミウと手を繋いでいたからだ。
俺達は夏服の制服姿で、白線の内側で仲よく電車を待っていた。

人前でいちゃつくのは日本では恥ずかしいことだとされている。
男女の恋愛をいちいち隠そうとするのは日本人の悪徳だと
親父殿がよく言っていたよ。

周囲のおっさんや男子学生たちの視線が痛い。おれ、にらまれている?
美人のミウといるのが同性の嫉妬を買ったのか。

俺もミウの手も汗ばんでいる。正直手を離したかったが、
そうしようとするとミウが余計に力を込めてくるのだった。

「おお、おお。若いってのは良いねぇ。太盛のくせに」

あいつは……マサヤ? 奴はなんで反対側のホームにいるんだ?
そもそも今はどういう状況なんだ。学校帰りなのか?
それにしては朝っぽいな。新鮮ながらも緊張感に包まれた空気だぞ。

「私たちはね」

ミウ……。今日は眼鏡なんてしているのか。
時代遅れ感のある丸眼鏡だけど、むしろ流行を先取りしているのか。

「マサヤ君たちとは別のホームにいるんだよ。
 あっち側は学校方面。こっちは別の方面だよ」

ミウの指先が差した方向を、俺はつい目で追ってしまう。
彼女の指には神秘的な魅力があり、吸い込まれてしまいそうになる。

「なんで別の方面の電車を俺たちは待っているだ?」

「だって」

ミウは真顔で言う。

「太盛君は脱走したいんでしょ?」

俺が返答に困り黙り込んでしまうと、ミウが話を続けた。

「逃げるのって、本人は楽だよね。
 でも置いて行かれた人たちはどうなるんだろうね。
 自分の家族のこととかさ、そういうのを君は真剣に考えたことあるの?
 ねえ、どうなの太盛君。逃げないでちゃんと答えてね」

怖いくらいに真剣な表情だ。
俺はミウに質問されると妙に不安になってしまう。
俺の深層心理が見透かされているような気がした。

「俺の家族って言ったって。俺は兄弟もいないし、母親は離婚して
 家を出て行った。親父殿とは家でもめったに会わない。
 使用人のみんなはもちろん家族だとは思っているけどさ」

「ほら。あそこに家族がいるよ」

ミウの人差し指が、ある方向を指した。
マサヤと同じ側のホームに、電車がやってきたところだった。
その電車は快速電車でこの駅を通過するのだ。
そのタイミングで無謀にも線路上に飛び降りた少女がいた。

眼鏡をかけたショートカットの地味な女の子だった。
短いスカートを履いた、小学生の女の子。

電車の行方を妨害するかの如く立ち尽くしている。
脅えたりする様子はなく、超然として線路上に立っている。
電車は緊急停止ボタンを押したのか、急な減速を始めたが間に合わなかった。

「カリン様が死んじゃった」

ミウが感情のこもらぬ声で言う。

女の子のちぎれた親指が飛んできて、俺の顔に当たった。
痛い。最初は石が飛んできたのかと思ったぞ。
電車は俺たちに自殺現場を見せつけるように目の前で止まっている。

電車の車輪部に巻き込まれた女の子の四肢がめちゃくちゃになっている。
複雑に折れた手と足が、それぞれ変な方向を向いている。
首も変な折れ方をしたのか、背中から顔が生えているようだった。

肉片を辺りにまき散らしながらも、胴体部分だけは
しっかりと車輪と電車の間にはさまっている。
あの死体、どうやって取り除くつもりなんだろう。

女の子が途中まで読んでいた文庫本も血の色で染まっている。
女の子の体からは、今も尚大量の血液が流れている。
あたかも、全身をミキサーの中で残酷にかき回しているかの如く。

ふーん。飛び降り自殺ってこんな感じなのか。
冷静に考えて逃避したかったが、だめだ。
暖かくてどろどろした腸みたいなのが
線路上に飛び散っているのをみると…
俺は胃の中が空になるまで吐き続けた。

汚物が足元ではねまくって、隣にいるミウの靴下まで
汚してしまっているのに、ミウは顔色一つ変えない。


「ね。だから言ったでしょ?」

ま、待て。いろいろつっこみたいが、今は言葉にならない。
カリンって誰だよ。ミウの知り合いか友達か?

「言っておくけど、太盛君も死ぬ運命だから」

何を言っているんだこいつは?

「太盛君っていつも自分に損になる選択しかしてないよね。
 自分で気づいたことないでしょ。あなたの選択って
 最終的に自分を不幸にするだけで誰も幸せにできない」

「待て。気持ちの整理をする時間を…」

「待たない。ちゃんと現実を見て」

俺はミウに対し怒りさえ沸いたが、
吐きすぎて気持ちがだいぶ楽になってきあぞ。

「俺は君が何の話をしているのか、さっぱりわからない。
 こっちはいきなり人の死にざまを見せられて気持ち悪いんだ。
 そういう変な話はあとにしてくれないか」

「だめ。逃げちゃダメ」

「……脱走のことを言っているのか?」

「それもあるけど、私の話からも逃げちゃだめだよ」

「話して何になる? 君はもう死んでいるだろ。
 俺はこの世界が普通じゃないことに気づいているぞ」

「うん。私は死んだ。それは間違いない」

「そろそろ本当のことを教えてくれ。ここはどこだ?」

「さあ、どこだろうね」

「俺は今死んでいるのか? 霊や魂の状態か?」

「これから魂になればいいんじゃない?」

ミウは俺を突き飛ばして線路に転ばせた。
ろくに受け身も取る間もなかったので、
着地の際に左手を強く打ってしまった。

おいおい。ここからホームに上がるのは簡単じゃないぞ。
線路上から見上げるホームはとんでもなく高く感じるぞ。
俺の胸以上の高さがある。

まもなくして電車が走る音が聞こえて来た。
時速80キロを超すであろうそのスピードのままに、
俺をひき殺そうとしていた。

あと3秒もすれば俺も肉片へと変わるのか。

俺は不思議と落ち着いていた。
どうせ夢の世界なんだから。死んだって目が覚めるだけだ。

そう思っていたが甘かった。


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