場面は変わって地下へ。 引率係はトモハルからイワノフへとバトンタッチ。
マリカとマリー(ダブルM)は地下施設に入るのは初めてなので 喉が渇くほど緊張した。イワノフがエレベーターでB4を押すと、 いよいよ覚悟を決めないといけない。 A棟の地下に作られたこの施設は、重罪人の処罰に使われる。
旧会長だったアキラ、妹のアナスタシアはここで殺されたのは有名な話だ。 ダブルMは、今日ここで人の死を見学しないといけないのだ。 自分とは何の関りもない、そして全く無実に等しい囚人の死を。
イワノフがいつもの重苦しい声で問いかける。
「マリー殿は見慣れているとは思いますが、 マリカ殿は血を見たことはありますか?」
「ないに決まってるでしょ。 普通に日本で生きていれば流血沙汰なんて起きないもの」
「左様でございますか。では刑の執行中に気分が 悪くなったら遠慮なくおっしゃってください」
ガシャン。 エレベーターは不思議な音を立てて止まった。
スーと扉が開くと、薄暗い廊下がまっすぐ伸びていた。 廊下の左右にいくつもの牢屋が並んでいる。 全て鉄格子で覆われているので廊下越しに囚人が見える。
各牢屋には2ずつ囚人が入っていた。 ダブルMがそこを通過すると、無表情で囚人らが見上げてくる。 囚人は鉄の足かせをはめられて、石のベンチに座らされている。
(なに……この目つきは)
マリーは足の先から震えそうになった。 これから死を待つ者たちの雰囲気は異様だった。 ただ見学しに来ただけで殺人の経験のないマリー達が憎かったのか。 それとも助けてくれと言いたかったのか。考えても分からないことだ。
「本日の刑を執行するのは、そこにいる者たちです」
イワノフは、鉄の扉を開けた。
マリカが「うっ」と声を発した。 めったなことでは動揺しない彼女ですら、 そこの異常さには耐えられそうになかった。
横一文字に並べられた男女の囚人。 全部で6人もいた。同じ囚人服を着て、木製の手かせをはめられている。 足は自由なのだが、抵抗するそぶりは微塵もみられない。
おそらく生への希望を諦めているのだろうと思われた。 それなのに「目つき」だけはギラギラしていた。
真理華が驚いたのは彼らの目だ。
マリーも同様の反応を示している。言葉を交わしたわけでもない。 ただ視線を合わせただけで魂が持って行かれそうな気がした。
6人の内の一人に船越ヒトミがいる。もちろんマリーが来たことは 彼女も承知している。光彩を失いつつも強い眼力でマリーを睨む。
(ヒトミちゃん…)
誰だって死にたくない。死ぬのは嫌だ。死後の世界はあるのか。 残された家族も連帯責任で逮捕されるのか。 マリーがどう頑張っても友達を救うことはできない。
「立て」
イワノフが短く命じると、囚人達はぞろぞろと動き始める。 嫌がることも抵抗することもしない。本気で生への希望を 失った人間はこうなってしまうのだ。
部屋の外には、執行部員が3人待機していた。 大きなライフルを手にしている。
囚人達は廊下を曲がった先へ進んだ。 そこには死刑執行場があった。 他の部屋とは違い、床や壁に鮮血がしみこんでいて、 この時点でマリカは吐き気をこらえるので必死だった。
マリーの耳には、ぐおおおんと、低いうねり声が聞こえた。 だが気のせいだと思った。その証拠に他の人は何も気にしていない。 不思議な耳鳴りだった。まるで地下に残り続ける怨念や思念が マリーの肩に急にのしかかったかのようだった。
囚人6人は、壁に手を突いた。 横一列に並び、マリーたちには背中を見せている。
ガチャ、ガチャ、カチ、トントントン
銃殺隊が重機関銃を組み立てる。手慣れたもので、 すぐに三脚に銃身を固定した。 鉄製の弾薬箱から弾薬ベルトを取り出して装填。 銃をまず一番左にいる囚人の背中へ向けた。
Могу я? Друг с другом 「よろしいですか同士」
Хм. Не страдают от убийства 「うむ。苦しむことなく殺してやれ」
次に銃殺係は、マリーとマリカに露語で話しかけた。 彼は完全なロシア系で日本語を学んでいないのだ。 わざわざイワノフがマリーたちに同時通訳をしてくれる。
「Теперь в момент buchiВстроенныйmimasu пули на заключенных. Действительно момент, так что вы можете держать глаза на нет Пожалуйста, посмотрите. Друг с другом (これから一瞬で囚人達に銃弾をぶち込む。 本当に一瞬だから、目を離すことなく見守れよ。同志)」
男が笑うと口元が見える。前歯が一本だけ折れていた。 目がギョロっとしていて怖い。 相当に訓練されているのか、銃を構える腕は たくましく、いくつもの血管が浮かび上がっている。
彼にとって殺しが日常なのは雰囲気からよく伝わった。
「だー」マリーが短く肯定すると、ついに引き金が引かれる。
連射音。耳を塞ぎたくなるほどの轟音が鳴り響いたが、 それも一瞬のことだった。
糸が切れた人形のように囚人たちは次々に倒れた。 手足をだらりと伸ばして文字通りハチの巣になってしまった。
(血の色って、黒いんだ……)
マリーにはそうとしか思えないほど、どす黒かった。 非業の死をとげた死体からは、 絶え間なく血が流れ続けて床に染みを作っている。
「ぐ…ぐぅ」
まだ生きている男がいた。細身でメガネをかけた囚人だった。 その場から逃げ出したいのか、張って腕を天へ伸ばしている。
ダダダダ
短い連射音が鳴り、彼の頭部を弾丸が貫いた。 彼はついに絶命した。
顔が横向きに倒れたので、死に顔が見えてしまう。 恐ろしいことに左目だった所を銃が貫通していた。 苦悶に満ちた表情。口を限界まで開けている。 まさに夢に出てくるほどの迫力である。
鉄臭い血の匂いと弾薬の匂いが混じって部屋に充満する。
マリカはおえっと口元を抑えたが、吐くまでには至らかった。 これは彼女の精神的な強さを表していた。
こんなに簡単に人が死んでいいのか。 彼らの生きてきた10数年間の人生とは何だったのか。 マリカはむしろ哲学的な視点で考えていた。
そしてそれはマリーも同じだった。 今回の銃殺には友達だったヒトミが含まれている。 彼女は背中に集中的に貫通弾を受けて死んだ。
辺に倒れたせいか、左腕が明後日の方向に折れてしまっている。 床に広がる血が、彼女の髪の毛に染み込んでいったのだった。
ヒトミの二度と動かなくなった姿を見せつけられると、 感情が爆発してしまう。
マリーは床に両手をつき、激しく嗚咽した。 ヒトミの死が彼女に与えた影響はあまりにも大きかった。
イワノフは、あえてマリーに声を掛けない。 銃殺を実施した外国人の男性(成人)も同様だ。 彼ら二人はマリーが泣き止むまで待ってあげるつもりだった。
今回の地下見学の目的は、ダブルMにボリシェビキの 一番の闇を知ってもらうための訓練のようなものだった。 人の死にはなれる。最初は心が折れても、やがて犬の死体を 見るのと同じくらいの感覚へと変わる。
真の共産主義者は、革命の防衛のためならなんでもする。 スパイ容疑者は友達でも家族でも親戚でも突き出すことが求められる。 ソ連ではスターリンの時代にそれが最も深刻化していた。
「うっ。うっ。うっ。……うっ。うっ。うっ」
マリーの嗚咽は止まらない。
自分が死んだわけでもないのに、 今までの思い出が走馬灯のように脳裏に浮かんでいた。 太盛やミウとの出会い、エリカとの確執、 失語症、そして強制収容所送り。
普通に生きたい。普通に学園生活を送りたい。卒業したい。 そんな夢は、ついに叶うことはなかった。
『卒業までの辛抱だよ』 7号室では決まり文句だった。 一番元気の出る言葉だった。マリーとヒトミは違うバラックに収容されていた。 だが合同での食事の際にすれ違うことはあった。その時に挨拶はしていた。
あの子のゴールはここだった。 もう何を話しかけても答えてくれることはない。 彼女は死を前にして、マリーを見て何を思ったのだろうか。
「マリー」
マリカがそっとマリーの背中に手を置いた。
ただそれだけなのだが、マリーはこの世の全てから 救われた気がした。マリーは泣き顔を見られたくなかったので ずっとうつむいていた。マリカはマリーが泣き止むまで 辛抱強く待ち、背中に手を置き続けてくれた。
見学後、ダブルMは自由時間となった。 マリーは副会長室へ直行し、ベッドで横になることにした。
マリカは収容所7号室の仮眠室を借りて休むことにした。 もっともあの場面を見たあとで寝られるわけがないのだが。 心臓がショックのあまりドキドキして落ち着かない。
目を閉じると死んだ人の後姿が浮かぶようだったので、 お酒を飲みたいと心から願った。 今は誰にも会いたくなく、一人で気持ちを整理したかった。
本当はマサヤに任せているクラスメイト達のことも心配だったが、 銃殺刑の後に細かい仕事など考える気にならない。
そして18時。約束の見回りの時間である。 切り替えの早いマリカはすでに仕事モードになっていたが、 大泣きしたマリーは目元が赤くはれ上がっており、 憔悴(しょうすい)しきっている。とても仕事ができる精神状態ではない。
「私がナツキに頼んであげるから、休んでなよ。 見回りは私一人でやっておく」
「いえ。気持ちだけもらっておきます。先輩」
マリーは照れ臭くて言えなかったが、本当はマリカが 背中に手を置いてくれたことの礼が言いたかった。 一方のマリカは、急に敬語を使われたので不思議に思っていた。
跡地に入り、マリカがPCMレコーダー、マリーが ハンディカムを構える。やはり何の変化もない。 ここでマリカが口を開いた。
「あの時はごめん」
「え?」
「マリーさんのこと悪く言いすぎた。冷静に考えれば あなたの置かれた状況だって相当辛いと思う。 もしかしたら私以上にね。私はあなたの辛さを 全然分かってあげられなかった。分かろうとしなかった。 あなたの親友の瞳さんのご冥福を心からお祈りするわ」
マリーは素直にうれしかったが、 いきなりだったのでどう反応していいか分からない。
「私も先輩に失礼なことばっかり言っちゃったから、お互い様ですよ。 それに私も先輩が優しい人なんだってこと、分かっちゃいました」
マリカは西洋風にハグをしてきた。マリーも快く応じる。 言葉以上に動作で心情が伝わる良い例だ。
「ありがとうマリー。愚かな私のことをどうか許してね」 「私は根に持たないから大丈夫ですよ」 「同志。敬語は不要よ。あと私の名前は呼び捨てで構わないわ」 「分かったよ。じゃあマリカって呼ぶ」
両者の冷え切った心に暖かい感情が生まれた。 仲銃殺刑の後味の悪さえ、かき消してくれる魔法のようだった。
だが、頭の良いマリカはつい勘ぐってしまう。 まさかナツキが自分たちに地下見学をさせたのは これが目的だったのではないかと。 でも、さすがにそれはないと思った。みんなが考えるほど ナツキが聡明ではないことをマリカは知っていたからだ。
今日は冬休み初日である。最終的にこの日の内容は濃かったと言えるだろう。
マリー達がちょうど跡地を出ようとしたところで、たまたま 近くの見回りをしていた、太盛とクロエのペアに遭遇したのだから。
「勤務お疲れ様です。同志たちも見回りの当番ですか? 襟のバッチをみたところ諜報部の方のようですが」
気さくに挨拶するのは堀太盛。かつてのマリーの想い人だった。 太盛に見知らぬ外人の女が付き添っていることが、 マリーにはショックだった。どう見ても二人は親しそうだ。
太盛のことはどうでもいいはずなのに、自分の知らないところで 別の女を作ったのかと思うとイライラしてしまう。
(生徒会に入ってすぐに新しい女が……)
「ケ・ス・ク・セ?…… もしかして私、にらまれてる?」
たじたじになるクロエ。もちろん有名人のマリーがかつて 太盛に気が合ったのは知っているが、今はナツキのお気に入りだから こちら側に干渉してくるとは思ってなかった。
「太盛先輩のバカ!!」 「な、なんだ君はいきなり!!」 「女たらし!! 最低!! すぐ外人の女に鼻の下を伸ばすんだから!!」
太盛は10秒間考えてから、
「……え? 何を勘違いしてるのか知らないが、黒江は仕事仲間だよ。 同僚。今の俺は臨時派委員。執行部のな。 こっちはペアを組まないと仕事できないんだよ」
「どうせ女なら誰でもいいんでしょ!! その女も飽きたら捨てて、また別の女に乗り換えるんでしょ!! そう。まるで物みたいにね!!」
「なんで君にそこまで言われなくちゃいけないのか理解に苦しむよ。 悪いが俺には過去の記憶がないんだ。昔の俺を最低だと 言う人は君の他にもいるけど、俺は今の人生を生きているんだよ」
太盛は、これ以上構っていられないと言った感じで 歩き出そうとすると、マリーに腕を握られてしまう。
マリーは一番大切なことを思い出したのだ。
「人殺し!!」 「あ?」 「私の友達を通報したのは太盛とそこの女でしょ!!」
(そこの女…?)クロエは少しだけショックを受けた。
「何の罪もない子を通報して死なせて楽しい!? ヒトミの爪が全部はがされて肉が見えていたよ!! あんたたちのせいで拷問されたんだ!! あんなボロボロになってかわいそうだと思わないの!?」
「ん? その口ぶりだとあの女囚人と会ったのか? 多分もう死んだんだろうけど、だからどうした? 俺とクロエは仕事をしただけだ。 ボリシェビキとして当然のことをしただけだ」 「罪悪感とかないの!? 人としての感情さえ失ってしまったの?」
「罪悪感だって? そんなもの、諜報広報委員に なった瞬間に捨て去ったよ。バカみたいなこと聞くな」 「太盛先輩は……どうしてこんな人になっちゃったのよ!! あなた本当に堀太盛なの!?」
「ジュ・マペル・セマル・ホリ。どうだ。 クロエに教わったフランス語で名乗ったぞ。ふはは」
致命的につまらないギャグだったので会話が止まってしまった。
マリーが腕組し、殺気を放っている。 小柄な割に猛獣を思わせるほどの殺気である。 あまりの迫力に太盛とクロエは後ずさりするほどだった。
とにかく太盛としては仕事中にもめ事は起こしたくない。 彼は夜勤なのでこのあと朝まで働かないといけないのだ。
さらに寝起き(16時半起床)からオロナミンCを飲んでいることもあり、 無駄にテンションが高い。彼の頭は仕事のことばかりだ。 マリーと口論することで体力を消耗するのは避けたかった。
「だったら好きに生きればいいじゃない」 「ああ、そうさせてもらうよ」
太盛が去ろうとすると、クロエが小声で「ヒス女こわっ」 と言ったのがマリエの耳に届いてしまった。
「なんだと。もう一度言ってみろ!!」
マリーはカッとなって駆け出し、クロエのわき腹にフックを放った。 今日トモハルに教えてもらったばかりなので足元がおぼつかないが、 それでもかなりの威力があったようで、クロエがわきを押さえてしゃがみこんだ。
「なんてことするんだ君は!!」「落ち着きなさいマリー!!」
太盛とマリカが急いで止めにかかる。 完全に頭に血が上ったマリーはまだ殴り足りないようだったが、 マリカが優しく説得してなんとか収まった。
収まらないのは黒江の方だった。
「あーいて。不意打ちとかやめてよね。 どんな事情であれ、一発は一発だからやり返す」
止めようとした太盛をステップで交わし、 たやすくインファイトの間合いまで詰め寄ったクロエ。 がら空きのマリエの腹に、左のボディブローを放った
「か……は‥…」
みぞおちに入ったため、なさけなく地面に転がって 口をパクパクさせるしかなかったマリー。 呼吸困難になる恐怖と辛さは味わったものにしか分からない。
「堀君。もう話すことはないわ。さっさと消えてよ」 「分かってるって。てかなんで君は俺の名前を知ってるんだ?」
マリカに言われた通りにクロエの手を引っ張るようにして その場を去った太盛。やはり彼はクラスメイトにして 学園有数の有名人のマリカのことも忘れていた。
見回りの結果がとんでもないことになってしまい、 マリーは悔し涙を流した。 ぽたぽたと地面へと大粒の涙が零れ落ちる。
1日で二度も泣くことになるとは思わなかった。
実際に会って話してみると、太盛への未練が完全に 消えたわけではないのが分かってしまった。できることなら、 彼を正気に戻してあげたいが、そのための方法がマリーには思いつかない。 仲良さそうに隣を歩く外人の女にも嫉妬した。
「かわいそうなマリー。気が済むまで泣いていいのよ」
優しいマリカは長い間抱きしめてくれた。 ぽんぽんと背中を優しく叩いてくれる。 マリーには彼女の肌のぬくもりが、どこまでも心地よかった
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