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作品名:斎藤マリー ストーリー 作者:なおちー

第13回   12/26 冬休み初日
12/26 冬休み初日

「私は見回りに行くだけでいいの? 
 しかも旧組織委員部の部屋を?」

「そうだ。意外と思うかもしれないけど緊急の仕事なんだ」

朝の8時半。少し遅めの朝食をとっていたマリーとナツキ。
副会長室のテーブルで向かい合って座っている。
マリーはトーストにたっぷりとブルーベリージャムを塗り、
ぱくぱくと食べていた。

「まさか一人で行けとは言わないよね?」
「もちろんペアを組ませる」
「誰と?」
「あいにく空いている人間が二人しかいなくてね。
 臨時の諜報委員の井上マリカとマサヤの
 どちらかを選んでほしい」
「えー」

どちらも赤の他人である。マリーが一年生であること以上に、
マサヤとは面識がない上に、マリカには冷たい態度を取られたばかりだ。
(すれ違いざまに話しかけた時に無視された)

「井上さんたちは多忙だと思うけど、なんで?」

「感想文の検閲なら彼らの部下(クラスメイト)にやらせるから、
 立場上そんなに忙しくはないんだよ。
 第五特別クラスの連中は血相を変えて共産主義の勉強をしているよ」

「あっそ」

マリーはティーカップを乱暴につかみ、
紅茶を一気に飲み干した。

「で、見回りは何時に行けばいいの?」
「時間は三回に分ける。最初は10時、次に18時、最後は22時」
「22時!?」

完全に夜の時間帯である。
跡地にすぎない施設をなんのために見に行くのか。

「マリーは幽霊の存在を信じるか?」
「いえ、あんまり」
「だろうな。実は僕も心からは信じていない。だがね」

ナツキは、以前クロエが太盛にしたのと同様の怪談話をした。
この学園ではあらゆる場所に人の怨念がこもっている。
ミウの死後、恐るべきことに旧組織委員部の事務所から
笑い声や歌声が聞こえてくるという。しかも夕方から夜にかけて。

「ちょ、ちょっと待ってよ。私に幽霊退治でも
 頼みたいんだろうけど、私は霊能力者じゃないわ」

「もちろん分かっている。
 君たちには報告書を一枚書いてもらえばそれでいい」

「報告書?」

「幽霊が本当にいるのか確かめてもらいたいんだ」

「幽霊って言われてもね…。
 ほとんどの人には目に見えないらしいよ。
 霊感のある人以外は」

「感じただけで構わない。何かがいるかもしれないとか、
 変な物音が聞こえるとかしたら、ほぼ100%霊は存在する」

「こわ…」

ナツキに真顔で言われると信憑性が増してしまう。
得体の知れない何かに出会う恐怖。
革命的ニートだったマリーには色々な意味で険しい。

「一回ごとの見回りは、せいぜい10分もあれば終わるだろう。
 その間、君は暇だ」

「うん。7号室を手伝えばいいんでしょ?」

「いや。やっぱり7号室はやめだ」

「はい?」

「あそこは君には危険すぎる」

「この前はぜひ参加してほしいって…」

「先日の夜勤で橘エリカさんが倒れた。
 今朝早く総合病院へ運ばれたが、
 相当な高熱が続いているらしい」

「ふーん」

「……興味なさそうだね?」

「あんな奴、私にはどうでもいいよ」

「そうも言っていられなくなるぞ。
 イワノフの報告によると心霊の仕業の可能性が
 あるという。臨時派遣委員のクロエ君からも
 同様の報告があがっている」

「寒い時期だから風邪ひいただけじゃないの?」

「勤務初日から高熱を出して倒れる人は、今までにたくさんいた。
 もちろん季節に関係なくね。
 執行部が人手不足なのはそういう理由なんだよ。マリー」

(真顔で言わないでよ)

マリーにとってエリカなど本気で死んでくれて構わなかったが、
心霊のことは素直に怖いと思っていた。
ナツキの話を聞いていると自然とオカルトを
信じてしまいそうになるから不思議だった。

「マリーの配属は諜報広報委員部が適当かと思ったが、
 あえて特定の部署に属さない方法を取ろうと思う。
 君は今日から各部署へ派遣される身となってくれ」

「太盛先輩のような臨時派遣委員になれってことね」

「そういうことだ」

ナツキはテーブルに置いていたIPADを手に取った。
電子メール欄にナージャが作成した
スケジュール表が送られてあるのだ。

「本日の日程だが、まず朝の10時の見回りまでは好きにしていい。
 見回り後は、諜報部と合同でトレーニングに参加してもらう。
 いわゆる体育だな。午後以降は、地下施設の見学、研修。
 本日行われる死刑執行にも参加してくれ。最初だから
 見ているだけで構わない」

「今物騒な単語が聞こえたんだけど。死刑執行って」

「先日7号室から女子の囚人が脱走しようとして捕まった。
 彼女の刑を執行するんだ。略式裁判により銃殺刑だ。 
 ちなみに捕らえたのは臨時派遣委員の堀太盛君とクロエさん」

※略式裁判

午前中の間に拷問を含める尋問を実施し、罪を告白させる。
その後、裁判を省略し、その日の夕方に死刑執行の流れ。
尋問中に他の協力者の名前を告白した場合は、
連帯責任によりその者たちも銃殺刑にする

「先輩たちもちゃんと仕事してるのね。
 それにしても最近は粛清の数が
 多くなっている気がするけど」

「会議で話し合った結果だ。
 執行部の人手不足の折、逆に生徒の数を減らすことで
 対応することになっているんだよ」

「なるほど。粛清される囚人の名前を教えてよ。
 7号室の人なら私も知っているかもしれないから」

「囚人の名前か? 報告書によると…船越ヒトミ」

「ひとみちゃんが!!」

船越はマリーの仲良しグループの一人だった。
ヒトミは空気を読むのがうまいタイプで、人当たりがよく、
小柄で顔も可愛いので男子から人気があった。

彼女はマリーが失語症になって苦しんでいた時期に
優しくしてくれた女子の一人だ。あの夏の思い出を忘れたことはない。
爆破テロのための、茨城県との県境で行われた集団キャンプ。

最初は爆破テロ反対派だったマリーも、周囲の熱に感化されて
次第に生徒会への殺意を蓄えていった。
全ては堀太盛先輩を3号室から救出するため。

(ちなみにリーダーだったナコは、すでに粛清されている)

ヒトミはよく言っていた。人が自由に生きる権利を
踏みにじるボリシェビキが許せないと。

彼女が爆破テロに参加する一番のきっかけになった事件があった。
ヒトミの友達の女子が連帯責任で逮捕されたことだ。

事の発端は少々複雑だ。
まず、友達の彼氏が逮捕された。
逮捕理由は、彼が下校中に最寄り駅のごみ箱に
ビラを捨てたのが発覚したからだ。

ビラは、広報部が作成した共産主義系の新聞のようなものである。
全校生徒が大切に保管するように厳命されていたにも関わらず、
無謀な行動をしたものだ。

彼の暴挙はしっかりと駅の監視カメラに写っていた。
彼の逮捕を進言したのは、駅の係員(43歳、妻子持ち)だ。

諜報部の人員が、彼の自宅を家宅捜査したところ、
ドイツ製の銃のコレクションが見つかってしまった。
もちろんモデルガンやエアガンであるが、ソビエトにとって
最大の敵国だったドイツ製の銃だったのは致命的だった。

押収されてたハンドガンやライフルなど7点の銃の他に、
アメリカ軍の軍服(レプリカ)まで所持していたことが判明。

生徒会にとってアメリカ製のあらゆる製品を
所持することは敵対的とされていた。

そのため、彼はいわゆるミリオタだっただけなのだが、
反共産主義者と断定されてしまう。

逮捕された翌日に銃殺刑となり、帰らぬ人となった。
連帯責任として彼女(ヒトミの友達)も逮捕され、拷問の末に
地下に送られたという。具体的な処分は生徒達に
公表されなかったが、死んだと考えて間違いない。

この連帯責任だが、つまり彼氏が逮捕されたら必然的に
彼女も生徒会を恨むだろうから、その前に粛清するという考えである。

「君は友達の死をしっかりと見届けるんだ。
 生徒会の側に属している君にはその義務がある」

「きょ、拒否権は…」

「ない。生徒会の仕事を手伝うと言ったのは君だ。
 ボリシェビキは有言実行がモットーなのだ。
 違うかね? 同志・斎藤マリエ」

まるで人が変わったような眼をするナツキ。
終業式の演説の時と同じ顔だったので、
マリーは背筋が冷たくなった。

ここ数日でナツキは氷のように冷たい目つきをすることが
増えてきた。和やかな雰囲気で食事をしていても、
彼の携帯には着信が鳴るため、そのたびに会話が中断する。

最近は電話でなくメールが頻繁に送られているようだが、
どうやら保安委員部や諜報委員部から生徒の取り締まりの件で
様々な報告を受けているらしい。

ナツキはメールを読みながら数秒間黙りこんだり、
かと思うと大きな口を開けて笑ったりと、
精神的な落差が激しくなってきた。

彼がいつも優しいのでつい勘違いしてしまうが、
ナツキは曲がりなりにもボリシェビキの最高権力者。
わがままが過ぎて彼を本気で怒らせでもしたら、
明日から収容所に戻されてもおかしくはないのだ。

「同志マリー。君は10時の見回りの時間まで部屋で待機していろ。
 部屋では何をしていても構わない。ただ部屋からは出てはいけない。
 時間になったら部下が呼び出しに行く。分かったね?」

「はい……。会長閣下」

朝食後、マリーは生徒会に配布されている就業規則を
熟読していた。マリーに渡されたのは日本語版だ。
ボリシェビキは多国籍組織なので就業規則は
露語の他21か国語で翻訳されている。

・日本国の憲法、法律、制度に対して反対の姿勢を取ること
・革命の防衛のためにあらゆる力を尽くすこと
・資本主義・民主主義に対し妥協しないこと
・真のボリシェビキたるもの、読書を欠かさないこと

このような内容は以前も書かれていた。
マリーに渡されたのは、まだ他の委員達には配布されていない改編版だった。
下記の内容が追加されている。

・精神的労働者(デスクワーク)にも肉体の鍛錬を義務とすること。
・肉体的訓練のためのトレーニング設備は、各自が自由に使うこと。

ナツキは冬休み期間を
ボリシェビキ再組織のための準備期間に当てることにした。
今までに保安委員部(執行部含む)以外に肉体トレーニングは
実施されていなかった。

会社の事務職の人間が現場仕事をしないのと同じ理由である。
しかしながら、多数の脱走者によって太盛達のような臨時派遣委員が
組織されている現状、全てのボリシェビキが取り締まりに参加できるよう
最低限の訓練を行うことを義務化することになった。

そのことを各委員の代表が参加する本会議で話し合った際に、

「確かに合理的な鍛錬ではありますな。
 しかし、一部の委員が反対する恐れがあります。
 特に中央委員部の人間はエリート意識が高く、
 肉体トレーニングを嫌うかと思いますが」

控えめに反論するイワノフに対し、ナツキは冷静に説く。

「もちろん分かっている。アナトーリー・クワッシニーの失敗を
 繰り返すつもりはない。僕の案は、一般生徒でも
 無理なく体力強化できる基礎的なトレーニングに過ぎない。
 体育の授業程度の負荷だから問題ないと思われるが、
 元野球部のエースだったトモハル委員はどう思う?」

「この程度なら全く問題にならないでしょう。
 男女別に筋トレの項目もしっかり分けられている。
 私は賛成しますよ。同士ナツキ」

トモハルは書面に目を通しながら続けた。

「それにしても、アナトーリー・クワッシニーの軍事キャンプは
 異常でしたな。雨の日もテントでの寝泊まりを強要するだけでなく、
 自重トレーニングではスクワット最低300回など、
 軍人でもない者に到底耐えられるものではありませんでした」

「その通りだ」ナツキがうなずく。

「まあ何事もやってみなければ分からないものですから、
 とりあえず可決の方向でよろしいですか?」←イワノフ

「そうしよう。ナージャも賛成してくれるね?」

「もちろんですわ」

ちなみにナージャがナツキ案に反対したことは一度も無い。
周りからは好色女、ナツキの太鼓持ちだと噂されていたが、
実際は逆だ。ナツキが大胆な政策に出る時は、
夜のうちにナージャとの話し合いの末に決まることが多い。

今回のトレーニング案も発案者はナージャだった。
ナツキがにわかに冷酷な政策を好むようになったのも、
ナージャがその方向へ口説き続けた結果であった。

「校長閣下。先ほどから発言しておられないようですが」

イワノフが嫌味を含ませて言う。

「もちろん納得していただけるんでしょうな?」

「むむう…」とハゲ。たじたじだ。
 彼は多くの中年の男性と同様に運動が大嫌いだった。

「すでに過半数の支持を得ているので可決したも同然ですが、
 まさか反対派のまま会議を終わらせるつもりではないでしょうな?」

ボリシェビキでは何を決めるにしても反対派は後味が悪い。
満場一致で可決する体を取るのが恒例となっていた。

「ふ、ふん、たまには筋トレも悪くないな。
 最近腹が出て来たと家内からもよく言われているのだよ」

校長(本名は明らかにされていない)
来月の誕生日で55歳。163センチ85キロ。
なかなかの肥満体型である。要は小柄で横に大きいのだ。

好きなものはビールとワインとウイスキー。
休みの日は奥さんに家事を任せっきりで体を動かすことはしない。
典型的な昭和の日本人親父だった。

このような過程で生徒会ではGTG方式のトレーニングが採用された。

(GTGってなんだろう?)

マリーは首をひねった。生徒会の就業規則は
元資本主義者には不明な点が多い。

詳しい内容は別紙のプリントに書かれている。

※GTG方式の筋肉トレーニング

ソビエトのスポーツ科学者が考案した、
アメリカ式トレーニングの対比に当たる訓練方法である。

GTGは『Grease the Groove』の略。
直訳で『溝を埋める』という意味になる。

1日通してトレーニングすることを指す。
提唱者は「パベル・ツァツーリン」
かつてソ連の特殊部隊の教官だった人物なのである。

彼の著書で紹介されている内容を抜粋する。

「代表的なトレーニング種目は懸垂(けんすい)」

自宅の地下室へ行く途中に懸垂台があり、
その前を通過する都度「1セット最大5回」懸垂を必ず行う。

1セットは5回と少ないが、1日を通して何度も懸垂台の前を通過するので、
1日あたりの合計は25回〜100回になる。
これを継続したところ、それまでを上回る連続回数記録を更新した。

これは明らかに米国式トレーニングとは異なる。
日本で一般的に流行しているのは、米国式なのである。

相違点はいくつもあるが、例えば

米国式 限界ギリギリまで筋肉を鍛える(損傷させる)
    その後、二、三日休んでから繰り返す(筋肉の超回復理論)

ソ連式 軽い負荷を、一日の内に分散させる。適度にやる。

自重トレーニング(自らの体重を使うこと)の例では↓

・米の腕立て ワンセット50回まで行う。少し休憩し、もうワンセット行う
・ソの腕立て ワンセット15~20回まで行う。数時間後にまた行う

このようにGTG方式は体への負荷が少なく、
日常生活を送るのに疲労がたまらない。さらに「嫌にならない」

『日常生活に何気なく訓練を取り入れる』

かつて世界第二位の超大国であった
ソビエト国民に推奨された訓練方法であった。

西洋諸国からは、我々がコーヒーブレイクをしている間に
敵は訓練をしていると恐れられたそうだ。

違いはまだある。一度のトレーニングで…

米 ・体の部位ごとに鍛える
ソ ・体全体をくまなく鍛える ←☆これ重要☆

例  ・ダンベル、バーベルで腕を上下させる
   →腕を中心に上半身の筋肉のみ。過酷なので長時間行えない
    器具を使用するため、特定の場所でしか行えない

  ・一日に最低三回、体操を行う
   →体操は全身の動的ストレッチ。脂肪燃焼、筋肉増強効果もある。
    職場、学校、公園、自宅などで毎日できる

ソビエトは体操大国だった。

工場で、オフィスで、学校で、休日の公園で、あらゆる場所で
人々が体操を実施した。国民体操、生産体操など呼び名は様々あるが、
「体操」が国民の体力作りに最適だとされていた。

ソ連では☆元気の出る五分間☆と呼ばれたのだった。
眠気解消、気分転換、集中力の増加。
体の凝りをほぐし、「疲労回復」のための体操と考えられていた。
これは日本人など西側諸国の人間にはない発想であったことだろう。

日本国にはラジオ体操がある。歴史は古く明治時代に制定された。
これも国民の基礎体力向上のために制定されたものであり、
例えば日露戦争に従軍した日本帝国陸軍の兵士は
日々のラジオ体操を欠かさなかったという。

(日露戦争の陸軍兵士の勇猛さ、戦いぶりは、まさに鬼人のごとしであった)

ラジオ体操は第一(全国民向け)第二(成人向け)に分けられている。
第二まで踊ると良い運動になる。
興味のある人はラジオ体操のダイエット効果について調べてみるといい。

ちなみに筆者は筋トレ好きである。
今までに色々な運動器具を試してきたが、
体操ほど合理的なダイエット、トレーニング法は他にないと思っている。
ラジオ体操第二までを「正しく」行うと65カロリー減るといわれている。

「正しく」やるには練習が必要だ。中途半端な運動は無意味なのだ。

ソビエトで実施された「全身トレーニング」の内、
学園の生徒会で適用することになったのは下記である。

・体操    (ラジオ体操、生産体操、エアロビクス)
・腕立て、腹筋、スクワット
・ケトルベル (和風に例えると、取っ手付き漬物石のようなもの)
・懸垂
・縄跳び
・チューブ  (足と手にわっかを引っ掛けて、びよーんと伸ばす物)
・フラフープ (女性に人気。全身を使うので発汗作用が高い)
・ダンベル  (コサック・スクワットの際などに使用する)
・ボクシング (シャドーボクシングも含める。下半身が重要)

これらのうちのどれかを選び、
毎日仕事の合間の休み時間、昼休みなどに行う。

一回がせいぜい5分で構わないのだ。
「繰り返しが重要」
気が付いたら引き締まった筋肉が付くようになっている。

他には休日のジョギング、ウォーキングやサイクリングも推奨された。

ちなみに、米式トレーニングとの一番の違いは、

『持続力の違い』である

ソビエト社会主義共和国は、「労働者と農民」のための国家である。
GTG方式の訓練は、労働と軍隊で生かすことを前提としている。

有事の際に徴兵される軍人は主に「労働者と農民」であるため、
国防人民委員のトロツキーが創設した当初は「ソビエト労農赤軍」と呼ばれた。

国土と社会主義革命を敵対国(西側諸国)から防衛することが使命だった。

すなわち「GTGは戦闘でも使える実践的なトレーニング」である。
そのため筋肉マッチョとは違い、無駄のない体になる。

ソ連の科学者は、ボディビルダーが好むような太くて
大きい筋肉を「見た目だけの無意味な重り」と称した。
プロテインなどサプリを飲むことも無意味とした。

鏡の前でポーズをとって得意げな顔をするのは
ソ連人にはふさわしくないとした。

そのような筋肉には持続力がないからだ。
さらに筋肉維持のために食料も多く食べないといけない。

日本ではこんな事例がある。
米国式に筋肉をムキムキにした若者と、
70代の農家のおじいさんが、
農具を持って畑仕事をしたところ…

→なんと若者の方が早くばてた。

なぜなら、彼の筋肉は6〜8時間にも及ぶ作業をする際の
継続性、持続性に欠けていたからだ。農家のおじいさんは、
農具を使用する際の「反発」「連動」を無意識のうちに習得している。

人の体の動きには「力を入れる」「抜く」部分に別れている。
押す力と引く力と言い換えても良い。
米国式筋トレのような瞬発的なエネルギーとは違う。

この連動性を身に着けていないものは、瞬発的な力はあっても、
体力がまるで続かず、工場の現場作業でも軍隊でも使い物にならない。

日本人の例で言えば、「私は週末に一時間ジムに通っている」と
言ってどや顔する者がいるが、上の農家のおじいさんは
「太陽の日差しの元で」畑仕事を続けている。

冷暖房が完備されたジム内と、夏は強烈な日差しと湿気、
冬は乾いた寒風が吹き荒れる屋外での作業では
「体力の消耗が全然違う」のである。

「昔は運動部だった」と言い、現在は運動を継続していない大人も
同様である。「運動は継続性が大切」なのは説明するまでもない。

分かりやすい例(筆者が昔テレビで見たことがる)

・民法の男性アナウンサー(30歳。元バレー部。六年以上経験。高身長)

「体力には自信がある」と自信満々に言い、
広島湾の漁港で牡蠣(カキ)の引き上げに参加。

→まず船酔いに悩まされる(海を舐めている)
→カキの人力での網の引き上げで苦戦 (スポーツにない動作)
→カキを満載した箱(20キロ)が胸元まで持ち上がらない(腕力の不足)

「都会の人には辛いだろうから、しばらく休んでなさい」

と60代のおじいさんに言われ、男アナは最後まで船に横になっていた。

筆者の勝手な考えだが、遊牧を続けている蒙古人の体力は
一般的な日本人の3〜4倍は優にあると思っている。


※筆者の例

私はGTG方式でトレーニングを続けている。
今までに事務(IT、2交代)、現場(工場と倉庫)、農作業(実家)など
幅広い仕事を経験しているが、腰を壊したことは一度も無い。

28歳の時に世間からブラックと恐れられる倉庫で一年ほど
働いたことがある。主な仕事内容は重量物の仕分けや梱包である。
悪名高いデジタル・ピッキング作業では、
エアロビクスを8時間連続で踊り続けるほどの体力の持続性が求められた。

入社したばかりの者は、上記のピッキング作業を
一日8時間から10時間継続しなければならない。
その後は重量物の梱包作業に回される。
ゆとり世代で運動部出身でもない私にはきつい仕事だった。

従業員は20代から40代がメインだったが
次々にヘルニア、慢性腰痛、ぎっくり腰などを発症していた。
職場では腰痛のルーティンと呼ばれ、従業員らは戦慄していた。
ほとんどの人が半年以内に退職した(半日以内に脱走するなど多数)

定期的な病院通いを続けながら勤務を
継続していた猛者もいたが、筆者は特に異常もなく平然としていた。

驚くべきことに50代半ばの女性で怪我をしていない人もいた。
彼女は筆者の先輩従業員だ。
学生時代に新体操部の経験があり、体が異常に柔らかい人だった。
あの会社で「完璧なラジオ体操」ができたのは彼女だけだった。

汗かきで異常に代謝がよく、四六時中お腹がすくと言っていた。
細身だったが、かなり筋肉質な体をしていたのだと思われる。
体操が彼女の強力な肉体を作り出したのは間違いない。

倉庫の名前はさすがに公表できないが、警察や消防に
入隊するくらいの覚悟と根性がないと続かないところだった。
筆者が辞めるまでに一年以内の離職率を計算したところ、
綺麗に80%であった。あんな地獄になぜ自分がいたのか。
今では不思議でならない。

私の腰痛対策に最も効いたのは、趣味のウォーキングと
ラジオ体操であったと思っている。
ウォーキングは休日に5キロ〜10キロ歩くようにしている。
(もちろん涼しい時期に限る……。夏は地獄だ)

ウォーキングはただ歩くだけなので
お金もかからない上に気楽である。
怪我のリスクも皆無であり、気分転換に最適な全身運動である。
20歳の時にダイエットで初めてもう11年間継続している。

私が小説ネタを思い浮かぶのは、
決まって自宅の周りを歩いている時である。
田舎に住んでいるので自然が豊富だ。
不思議と自然を見ているとネタが浮かぶ。

あのベートーベンも日課としていた早朝の
森の散歩中に作曲のネタが思い浮かんでいたという。

さて。全盛期のソ連のオリンピックでの金メダル
獲得数はすさまじかった。
軍事力だけでなく競技の面でも「超大国」だったのだ。

ウィキペディアの文章を引用しよう↓

ソビエト連邦選手団が最も多くのメダルを獲得した
夏季オリンピック競技は陸上競技の195個であった。

また、体操競技で獲得した「金72個」「銀67個」「銅4個」
合計「182個」のメダル数は、
ソ連崩壊後の現在でもいずれも最多であり、かつ金メダル数では
「2位アメリカの31個」や「3位日本の29個」を大きく引き離している。

(一方で最近のロシアはドーピングが
 ばれて選手の国籍はく奪など悪評が続いている……。
 ソ連時代もドーピングの事例多数。元選手らが記者に
 告白したそうだ。やはりとんでもない国である)

読者の中でソビエト式訓練に興味のある人は、
ニコニコ動画などで
「ソ連兵による革命的コサックダンス」を検索してほしい。

古い動画であるが、「人類の運動技術の極致」と称しても過言ではないだろう。
現在の五輪選手ですら到達できないほどの身体能力だと思われる。

私が強調したいのは
「動画の中のソ連兵は、決して筋肉マッチョではない」ことだ

※コサックダンスとは何か。

ウクライナを起源にした、ウクライナ・コサックの集団による舞踊。
正式名称はウ語で「ホパーク」
誤解されることが多いが、ロシア起源ではない。

その原型は13世紀半ばにキエフ大公国(ウクライナ含む領土)を
滅ぼした「モンゴル人」によって持ち込まれた東洋武術だった

つまりソ連人の運動の遺伝子に、しっかりとモンゴルの伝統が
受け継がれているのだ。蒙古とソ連は共に歴史上世界の
覇権国家だったわけだが、決して無関係ではないのだ。

ところで。

……旧帝国陸軍では「筋トレ」は効率が悪いとして
実際されていなかったと聞いたことがある。

1000キロを超える中国の大陸打通作戦を
初め、「超人的体力」を誇ったご先祖様達は、
決して米国式マッチョではなかったことを忘れてはならない。

ここまで読んでくれれば察してくれると思うが、
この小説を書いている私は米国が大嫌いである。
例えばミウのアメリカ英語嫌いの設定は、私が元になっている。

アメリカ好きな人には不愉快な内容を
書いているのは自覚しているので許してほしい。

「雑談ばっかりでまったく物語が進まなかったね」

斉藤マリエが愚痴る。時計を見ると、
すでに10時に差し掛かろうとしていた。

まもなくマリカと会う時間である。


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