第30話 なんの変哲もない建物
ランの黒い高級自動車が静かに本部らしい入口の階段の前に停まった。あまりに静かに停まったので誠は何が起きたのか分からないほどだった。
「出来損ない、降りな。気を利かせてトランクは開けといたかんな。出来た上司だろ?」
そうランが言うと同時に、後部座席の左側のドアが自然と開いた。ランは誠を一瞥すると、シートベルトを外して運転席のドアを開けた。
「お世話になりました……」
誠はそう言いながらちっちゃな背中に一礼する。そして高級感漂うセダンの後部座席を這うようにして車の外に出た。熱気、湿気、そしてそれらのもたらす不快感。誠は急いでトランクに向かって歩いた。そこにはすでに開いたトランクから誠のバッグに手を伸ばそうとしているランの姿があった。
「いいです!僕が持ちます!」
さすがに上官に荷物を持たせるのは気が引けた。それにどう見ても小学生低学年である。さすがに体格のいい誠にしてはそんなか弱い子供に重いものは持たせられない。
「そーか。多少は気が回るんだな。役立たずの割には大したもんだ。じゃーアタシは車を駐車場に置いてくるわ」
ランはそう言って小走りで運転席に行った。いかにもちんちくりんなその姿が運転席に消えると、すぐに車は動き出し、建物の後ろに消えた。誠はズボンのポケットからハンカチを取り出して汗をぬぐいながら、まるで学校のような作りの本部とやらを見上げた。
「タオルか何かもっとしっかりとした拭けるものを用意しとくんだったな。まあ、中は空調効いてるからいいかな」
すぐにハンカチは汗を含んで絞れば水分が取れるほどに濡れてしまった。目の前の建物、学校と言うのが一番誠にはしっくりいった。しかも、公立の金の無いところの学校を思わせる雰囲気だった。他にも田舎の役所や警察署に似ているともいえた。
「おい!下手っぴ!何ぼんやり見上げてんだ?」
ランが毒舌を吐きながら歩いてくる。彼女に汗を拭く様子はない。近づくと確かに汗ばんでいるが、ちょっとハンカチで拭えばどうにかなる程度だった。もう汗が流れてどうしようもなくなった誠とは大違いだった。
「中佐殿、暑くないんですか?」
誠は珍妙な可愛らしい生命体であるランをしみじみ見つめながら尋ねた。ランは誠の顔を見上げた。そしてそのちいさな手にはハンカチが握られていた。軽く汗をぬぐう。そしてその理解不能なチビ助はそのまま手を元に戻す。
「汗はかいてるよ。だからこうして拭いてんだ。水ばっか飲んでだらだら汗かいてるテメーとは鍛え方が違うんだよ」
そう言ってランは本部の玄関に向かう。
「これからは楽しくなるぜ……特にオメーは気が弱そうだから連中のパワハラにどこまで耐えらるか……見ものだな」
ランは振り返ってそう言って笑う。そしてそのまま誠を先導するように本部の自動ドアの前に立った。
ランに続いて誠は本部の正面玄関の階段を昇る。
「南向きって、暑いだけだぜ、まったく」
ランは愚痴りながら自動ドアの前に立つ。静かに開いた自動ドア。誠はちっちゃな背中を追いながら大きめのカバンを抱えてランの後ろに続いた。
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