(平太夫の算段) さて庚申待の夜がやって来て私は若殿様と甥が姿を現すのを今か今かと待って居りましたが、現れる気色が一向にございません。私は若殿様に御酒を御注ぎしたり、大殿油の燈心を掻立てたり、暑い訳ではないにもかかわらず扇を強くあおいだりとせわしなく致して居りましたからでございましょう。それを見兼ねた若殿様が仰有いました。 「爺、そう心を乱さずともよい。夜はまだこれからじゃ。夜明けまで随分時があるではないか。そのうち必ず爺の甥も姿を見せるであろう。」 若殿様はそう仰有って御酒を注いで頂いた私は若殿様に心を見透かされ恥ずかしい心もちになったのでございます。 それから随分と時が経ったように私には感ぜられましたが、ようやく甥が姿を見せました。 「御主は如何にして居ったのじゃ。投げ文を読んで居らぬのか。」私は苛立ちのために若殿様が居られるにもかかわらず声を荒げてしまったのでございます。 「叔父さん。そう大きな声を出さないで下さい。」 「確かにそうじゃな。殿様、申し訳ございませぬ。してどうなのじゃ。」若殿様は私を微笑んで見ながら頷いて居られました。 「殿様。叔父さん。今宵あの沙門に椿客(ちんかく)が現れたのです。何とあの平太夫です。」 「何。平太夫が来たとな。爺が申して居った通りじゃな。」 甥の話を聞いて若殿様はたいそう驚いた御容子でございました。 「そうなのです。庚申待の夜ですから私はそろそろ小屋を抜け出そうとした矢先にひそひそと話声が聞こえましたのでおかしく思い小屋を静かに出て耳を傾けて居りましたら、どうやら真中辺りの小屋から聞こえて来たのです。そう、沙門の小屋です。他の者どもは睡入っているはずですから近くまで行ってみたのです。」 私も驚いて聞き入って居りましたが喉が渇いていたせいか唾を呑み込む事すら出来なかったのでございます。 「して。」 若殿様も一言しか仰有いませんでした。 「はい。私は気付かれぬように沙門の小屋の直ぐ傍まで行きましたが、声が小さく全ては聞き取れませんでした。ただ平太夫が灌頂の儀式を受けたいと申した事ともう一度姫君に逢う算段を立てるという事だけは解かりました。それから私は自分の小屋に戻り平太夫が帰るのをじっと待っていたのです。そういう次第で御屋形に来るのが遅くなったのです。」 「おう何という事じゃ。」私はまた大きな声で嘆いてしまいました。 「ですから私はあの沙門を姫君の御目にかかれないようにしようと思うのです。」 甥は直ぐにこう申しましたが、沙門に姫君と逢わせない法が簡単に見付かると私には思えなかったに存じます。 「御主は如何にしようと云うのじゃ。平太夫がもう一度姫君に逢う算段をすると申して居ったのじゃろ。」 甥が軽く発した言葉に苛立ちとその法を聞きたい心もちが私の中で犇(ひし)めいて居りました。 「叔父さん。それは造作も無い事です。前のように沙門を襲う事は難しいでしょう。ですから平太夫が殿様に致した逆の事をするまでです。」 「何と。御主は平太夫を殺めようと申すのか。確かに殿様を襲った罪はあるにはある。しかしそれを機会(しお)に殿様は中御門の姫君に御逢いする事が出来たのじゃ。わしはそこまでしようとは思わぬぞ。」 その遣り取りを御聞きになった若殿様が仰有いました。 「まあ待て。予はあの沙門も平太夫もどうこうしようとは思うては居らぬ。やはり、ここは予が沙門と正対(せいたい)せねばなるまい。今宵にも予が四条河原の小屋に出向くまでじゃ。よいな。爺。」 若殿様の御顔を御窺い致しますと亡き大殿様の御威光の俤(おもかげ)が見受けられ、もはや御止めする事は出来ないと私は御供する覚悟を致したのでございます。
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