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作品名:邪宗門あれから 作者:村瀬"Happy"明弘

第5回   灌頂の儀式
(灌頂の儀式)
 
 私の甥も驚きを隠せない容子でこう申したのでございます。
 「私はその方と御遇いした事はありませんが、叔父さんが云うように殿様に御意見なさる程立派な方ですからあの摩利信乃法師と同じ者とは思えません。」
「御主もそう思うであろう。ただ中御門の姫君が平太夫から幼馴染みの方が御遇いしたいと申す者が摩利信乃法師だったと仰有っては居ったが。兎に角あの沙門の素性を探り如何にしようとも殿様に近づけてはならぬ。明日は怪しげな儀式を施すのであろう。御主も余程の覚悟が必要となるぞよ。」私は勿論明日も甥の跡をつけて一部始終を見届ける心算で居りました。
 いよいよ次の日の夜明け前に私の甥は御屋形を出て四条河原に向かい私は昨日と同じように距離を置いて跡をつけて参ったのでございます。そしてこれもまた同じく真中の非人小屋の前で甥は黙(もだ)して跪きました。しばらくの間は物音一つございませんでしたが、急に「しゃんしゃん」という音が聞こえますと共に長尾の律師様の阿弥陀堂供養の時に嗅いだ刺激が強い香がもくもくと煙る鎖に吊るされくすんだ金色(こんじき)の小さな平たい鐘を貝のように重ね合わせた器物(うつわもの)を右手に持ち前後左右に振りながら例の墨染の法衣で十文字の護符を胸に燦かせて左手には女菩薩の幢を掲げた摩利信乃法師が姿を見せたのでございます。
 距離を置き河原蓬に身を隠して容子を窺う私でさえ煙たく感じたのでございますからその間近に跪く甥は相当なものだった事でございましょう。思わず袖で目鼻を覆って居りました。すると他の小屋から怪しげな歌を唄いぞろぞろと人が這い出て来たのでございます。そして東山から昇り始めた光に射し照らされたその者どもは私と甥が沙門を闇討ちした時には芥火の光を浴びた白癩だったはずが今見ますとそうは思われません。
「その方、こちらまで参れ」
沙門が加茂川の縁に立ち、金色の香の器物と女菩薩の幢は非人どもに預けて甥に申したのでございます。そして朝早くとは云え、おそらく「しゃんしゃん」という音と刺激が強い香のためでございましょう。二三十人の人だかりが四条の大橋に集まって居りました。何とその中にあの平太夫の姿もあったのでございます。
 その後、摩利信乃法師は徐に加茂川へずんずんと入って行き、このところ幾日も雨が降っていなかったためでございましょう。川中に行きましても太腿当たりまでしか水嵩(みかさ)はございません。そこで摩利信乃法師は私の甥に手招き致しました。川中まで入った甥に沙門は合掌させて肩をぐいっと押し首まで水に浸からせてから咒文らしき言葉を発して今度は甥の頭を押して身体を沈めたのでございます。そして直ぐに水から引き上げ二人して川から出てまいりました。
 それから沙門と甥は川岸でしばらく話をしていたかと思いますと沙門が小屋から太刀を持ち出して甥に渡した後また小屋に戻り、甥は御屋形の方へ歩き出したのでございます。それと共に非人どもも其々(それぞれ)の小屋へ、見物人は散り散りに、平太夫だけは一人ぽつんと橋の上に佇んでおりましたがやがて元来たであろう道に戻って行きました。
 ただ私はまだ河原蓬に身を隠し人影が消えるのを確かめてから御屋形に帰ったのでございます。
 私が御屋形に戻ると直垂(ひたたれ)姿の甥が待って居りました。
 「御主。してどうじゃった。灌頂の儀式とやらは。」私は偸み偸み見ていただけで何が施され何を話していたのか気になって仕方がなかったのでございます。
「そうですね。何と云えばいいのか。とても爽快な心もちと云いますか。」
私は甥の晴れやかな面を見ますと爽快と申すのも解からなくもございませんでしたが、もう少し具体的な何かを聞きたかったに相違ございません。
「御主はいつもそうじゃ。わしには話が解し兼ねるのじゃ。」
「叔父さん。そう事を焦ってはいけません。今からしかと御話しますから。爽快と云ったのは間違いありません。叔父さんも見て、また嗅いだことでしょう。あの強い香の煙を。私は始め煙くて仕方ありませんでしたが段々と気にならなくなったのです。その後、川中であの沙門が何やら咒文を云いましたが、怪しげにも思いませんでしたし、身体を水に沈められた時に正しく爽やかな気持ちになったのです。」
「全く解せんのじゃ。御主の話は。その後はどうじゃった。太刀を返してもらい何か話をして居ったであろう。」私は年寄りのせいか甥の話が推量出来なかったのです。
「あの時沙門はこう申したのです。その方にはまだ摩利の御教えを施して居らぬよって明日からはこの太刀を捨てここに小屋を建て住まわるのじゃ。教化を施す時には他の者ども同様その方もついて参れ。」
 こうして次の日から私の甥は非人小屋の十二番目の住人になったのでございます。


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