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作品名:戦国のマジシャン 作者:光宙(ぴかちゅう)

最終回   2
 訴えかけるように話す男の話に、お師匠様はじっと耳を傾けていた。誰もが当たり前に望む出生(しゅっせい)の真実を知り

たいという切実な思いは、お師匠様の心に深く響いた。遠路遥々やって来た、天涯孤独の男の願いを、何とか叶えてやりたい

と思った。

「承知した。では、こちらへ参られよ」

 と、やさしく言って、男を風呂場へ案内した。

 母屋から離れた風呂場に着くと、風呂の前に1人の若者が立っていた。若者は、お師匠様と男に気が付くと駆け寄り、

丁寧なお辞儀をした。若者が、入口の引き戸を開けると、天井、床に別段変わった所はなく、3方は板塀に囲まれていて、

誰の目から見ても入口以外は出入り出来そうになかった。

「お師匠様は、あの世に行くために風呂に入られます」

 と、若者が言った。

 若者の言葉に促されるように、お師匠様は静々と風呂に入った。

 若者が戸を閉めると、男の視線は戸を押さえている若者の両手に釘付けになった。暫くして、若者が戸を開け、

「お師匠様が、あの世に行かれました」

 と、うやうやしく言った。

  風呂の中は、もぬけの殻だった。

「えっ!」

 と、男は目の前の不思議な出来事に思わず驚きの声を上げ、半信半疑で風呂に入って、きょろきょろと見回した。

薄暗い風呂の中でも、誰もいないことは明らかだった。驚きから冷めやらぬまま男が風呂から出ると、若者は

「お師匠様が、あの世から戻って来られます」

 と、言い、静かに戸を閉めた。

 男の視線は、再び若者の両手に釘付けになった。わずかの間をおいて、若者が戸を開けた。

「何ということだ!」

 風呂の真ん中に立っているお師匠様の姿に驚き、男は又しても大きな声を上げた。呆気(あっけ)に取られている男を後目

(しりめ)に、お師匠様は何事もなかったかのように、ゆっくりと風呂から出てきた。

「今あの世に行って、其の方のお父っつあんとおっ母さんに会って来た。其の方が五十路にもなって、まだそんなことを

疑っているのかと、2人共呆(あき)れていたぞ。心配しなくても、お父っつあんもおっ母さんも、間違いなく自分の子だと

言っていた。其の方は優しい両親に、大事に育てられたのだ。良かったではないか」

 お師匠様は、静かに笑顔で言った。

「そうでしたか……お父っつあんもおっ母さんも……間違いないと言っていましたか……長い間のもやもやが晴れて本当に

嬉しいです。すっきりしました。有難うございました」

 男は、噛み締めるように言って、日に焼けた顔に晴れ晴れとした笑顔を浮かべた。

 礼はいらないと言うお師匠様に、男はそれでは自分の気が済まないと言い張って、懐(ふところ)から取り出した何枚もの

小判の入った紙包みを、半ば押し切るように手渡し、何度も礼を言って帰って行った。

 村人から慕われたお師匠様は、武田家が滅びた頃に、1人でふらりとやって来たという。村人たちの間で、お師匠様の

生まれが甲州だという噂があったが、長吉という名前であったかどうかは知る由もない。(了)


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