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作品名:やっぱり、男の子じゃ 作者:光宙(ぴかちゅう)

第6回   6
頭から被(かぶ)っていたブルーシートを除(の)けると、一瞬にして朝日に照らされた。眩(まぶ)しくて、目を細めて辺りを

見回した。トラックは、諫早の駅前に着いていた。

「おう、目が覚めたか」

と、荷台のすぐ側に立っていた運転手のおじさんが、顔を拭(ふ)いた手ぬぐいを首に掛け笑顔で言った。少し離れた場所で、

助手のおじさんが顔を洗っていた。

「腹減っただろう。わしらと一緒に飯食っていけ」

と、運転手のおじさんが言った。

 駅前の食堂で、1人100円の朝定食を食べた。運転手のおじさんが、僕らの分も払ってくれた。

「わしらはこれから仕事なので、ここで別れよう」

 と、言って、運転手のおじさんが財布から名刺を取り出した。

 名刺には、養豚業 金村辰男と書いてあった。

「金村さん、どうも有難う御座いました」

 走り去って行くトラックに向かって、口々に叫んだ。

 諫早から、雲仙、島原に向かった。島原からフェリーに乗って天草へ行った。天草で、遊覧船に乗った。遊覧船は小さな船

で、マイクを手にしたガイドが説明する案内を聞きながら、船上から点在する島々を眺めた。遊覧船は、まだ出来たばかりの

天草五橋を順に巡った。五つの橋の色がすべて違う、どれもきれいな橋だった。海はどこまでも穏やかだった。遊覧船が岸に

戻る頃、空が茜(あかね)色に染まって、南の海に夕日が沈む雄大な景色になっていた。天草から三角駅行きのバスに乗った。

車内で、今日はどこまで行こうかという話し合いをした結果、取り敢えず三角駅から熊本駅まで列車に乗って行き、熊本駅の

待合室で泊まろうということになった。熊本駅に着いてみると、立野行きの最終列車があることが分かり、少しでも先へ

進もうという意見に変わり、熊本で泊まる予定を変更して立野駅まで行った。立野駅に着いた時は、すっかり夜も更け、

辺(あた)りは静寂(せいじゃく)に包まれていた。駅は無人駅だった。誰もいない真っ暗な小さな待合室のベンチに横になった。

薄い雲を透して、ぼんやりした月の明かりが待合室に届いていた。待合室の壁に、大きな仏像のポスターが貼ってあった。

薄明かりの月の光に、ほんのり浮かび上がる仏像を見て、小学生の頃よく遊んだ近所の寺の五百羅漢(らかん)を思い出した。

幼馴染と連れ立って、肝試(きもだめ)しをしたことが、まるで昨日の出来事のように蘇(よみがえ)った。仏像が並んだ薄暗い

お堂の中に入るのが怖くて、尻込みした自分を懐(なつ)かしく思った。もう10年以上も前のことなんだと思い返している

うちに、いつしか眠りに就いていた。目が覚めると、雲一つない秋晴れだった。駅から歩いて暫くしてパン屋を見つけ、パンと

飲み物を買った。気が付くと僕らの前に、阿蘇山の美しい景色が広がっていた。パンを頬張りながら、壮大な山並みに心を奪わ

れた。食べ終わると、大きな通りを目指して歩き始めた。通りに出ると、道路標識に矢印と共に「別府」の文字が目に入った。

「別府へ出よう」

 と、有沢が道路標識を見ながら言った。

 歩きながら手を上げると、1台の真新しい乗用車が止まった。

「僕はこれから用事があって別府まで行くんだが、君たちはどこまで行きたいの?」

 洒落(しゃれ)たブレザーを着た、品のいい白髪交じりの紳士が窓を開けて言った。

「別府でいいです。お願いします」

 と、言って乗り込むと、すぐに新車の香りがした。

 僕らを乗せた新車のベンツは、間もなくして九州横断道路に入った。

「どこから来たの?」

 ハンドルを握りながら、隣に座った有沢に訊いた。

「大阪からです。ヒッチハイクは岡山からです」

「へぇ! 大阪から、岡山からヒッチハイクで!」

 と、驚いて、一段と高い声を上げ、

「若いということは素晴らしいなぁ。君らのような年の頃は、働き詰めで大変だった。僕には、青春時代というものがなかった

んだ。羨ましいよ。地位も名誉も財産も何もいらない。君たちのような若さが欲しいよ……」

 と、しみじみと言った。

 紳士は、僕の親父とよく似た年頃だった。病弱だった祖父に代わって、親父は若い頃から働き詰めで家計を支え、弟妹たちの

面倒を看(み)てきた。戦前から戦後に至る長い過酷な時代を、必死で生き抜いたと言っていた。親父もよく、「青春時代なんて

全くなかった」と、漏らしていた。この人も、親父と同じような境遇を生きてきた人なのだろう。親父の顔が思い浮かんだ。

親父は自分が叶(かな)えられなかったことを、今僕にやらせてくれている。戦争のない平和な時代に生まれ、親の脛(すね)を

齧(かじ)っていられる有難い身分の自分が親父のお陰だと思うと、急にいたたまれない気持ちになった。外は、見晴らしのいい

高原がどこまでも続いていた。初めて見る阿蘇の大地だった。苦労ばかり掛けている親父やお袋にもこんな景色を見せてやり

たいなと思いながら、申し訳ない気持ちで目の前を流れるように通り過ぎる高原を、ただじっと見続けていた。

 昼前に別府に着いた。礼を言って車を降り、高崎山に向かった。野生猿が、餌を奪い合いながら競って食べる光景が面白く、

暫くの間見入っていた。高崎山から下りて、道路の反対側にあるレストランに入った。入口に観光案内のパンフレットが置いて

あり、1部を手に取って席に着いた。

「今日は、どこまで行けるかな?」

 と言いながら、パンフレットに載っている九州の地図をテーブルの上に広げた。

「距離からすると、宮崎位までは行けそうだな」

 と、3人で地図を覗き込みながら言った。

 レストランの前の道路が国道10号線だった。南へ向かって走る車に手を上げ、数台の乗用車を乗り継いで延岡に着いた。


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