午後10時に家を出た。有沢の家の前の宇品御幸通りから、国道沿いの停留所までバスに乗った。国道沿いの停留所で降りて、
一路西へ向かって歩いて行った。歩きながらも、振り向いて走って来るトラックに手を上げ続けたが、止まってくれる車は一向
に現れなかった。仕方なく「井口(いのくち)」から「宮島口」まで広島電鉄に乗った。宮島口から再び西へ進んだ。
やっと1台のトラックが、僕らの上げた手を見て止まった。
「わしらは、長崎県の諫早(いさはや)というところに帰るところだ」
と、助手席に座っているおじさんが窓を開けて言った。
「諫早でいいです。お願いします」
「豚を積んで運んだ後だから臭いぞ」
と、言いながら、運転手のおじさんが降りてきた。
「いいです。有難う御座います」
と、言いながらトラックの後ろに回り、喜び勇んで荷台に飛び乗った。元より僕らに選択の余地などなかった。乗せて貰える
車なら、どんな車でもよかった。しかも、いきなり九州まで行くという車で、願ったり叶ったりだった。だが実際に荷台に
上がってみると、いきなりツーンと鼻を衝く悪臭に襲われた。未だ嘗(かつ)て嗅(か)いだことのない、堪(たま)らなく酷
(ひど)い匂いだった。僕らが顔を歪(ゆが)めているのを見て、
「途中で新しい藁(わら)を乗せてあげるから、しばらく辛抱しな。それまで、このブルーシートの上で座っていると
いいぞ」
と、言って、運転手のおじさんが、折り畳んだブルーシートを手渡した。ブルーシートは2枚あった。1枚を広げると、
荷台一杯に広がる大きさだった。広げたブルーシートの上に座ると、匂いはそれほど気にならなくなった。トラックは、
途中でガソリンスタンドに立ち寄った後、国道から大きく外れ、暫く走った後真っ暗な道で止まった。こんな所で止まって
どうしたんだろうと、荷台から暗闇に目を凝らすと、そこは収穫の終わった畑のど真ん中だった。運転手と助手の2人の
おじさんが、懐中電灯を手に傍(かたわ)らの畑に入って行くのが分かった。畑に積んであった藁を抱えて、車に戻ってきた。
「早くブルーシートを畳(たた)め」
と、荷台にいる僕らに、運転手のおじさんが大声で怒鳴った。
急いでブルーシートを畳むと、素早く藁を積み込んだ。僕らもトラックから降りて、おじさんたちの手伝いをした。
「ここの農家と契約している、うちの畑だからな。何も心配しなくていいんだぞ」
と、運転手のおじさんが言った。
僕らが、藁を抱えてトラックへ向かうと、再び畑へ藁を取りに戻る運転手のおじさんがすれ違い様に、
「ここは、契約しているうちの畑なんだからな。何も問題ないからな」
と、念を押すように言った。
何度か運んだ後で、僕らは荷台に上がって、藁が満遍なく平らになるように均(なら)した。
「どうだ、足りるか? もっと持ってくるか? 足りなければもっと持ってくるぞ。ここはうちの畑なんだからな。
遠慮しないでいいんだぞ」
と、運転手のおじさんが言った。
おじさんは、自分たちの畑だと繰り返し言う割には、どこか落ち着かない様子だった。それに、やけにうちの畑だと強調
するところが怪しかった。諫早までの遠い道のり、僕らを臭い荷台に乗せるのは可哀そうだと思い、他人の畑の藁を運んだに
違いなかった。
「充分です」
と、答えると、トラックは急いで走り出した。
運び込まれた藁の上で仰向(あおむ)けになると、ふわふわしていて暖かく、とても気持ちのいいものだった。嫌な臭いは
全く感じなかった。僕の家は農家ではなかったので藁の上で寝たことがなく、生まれて初めての経験だった。荷台には遮る
ものが何ひとつなく、目の前に広がる満天の星がとてもきれいだった。夜空の星を、仰向けになって見るのも初めての経験
だった。真っ暗な中できらきら輝く星に、思わず見惚(みと)れた。おじさんたちにしてみれば往(い)きは生きた豚を乗せて
運び、復(かえ)りは偶然出会った僕らを乗せて諫早に戻ることになり、家族や仲間に「復りは、豚の代わりに人間を乗せて
やったぞ」と、土産話のひとつにしたかっただけなのかも知れないが、初対面の僕らに言い繕(つくろ)ってまで、他人の畑
から藁を持って来たのは、乗せてやるからには、出来るだけ居心地良く過ごさせてやろうという、思い遣りだったのだろう。
お陰で僕らは、諫早までの長い道のりを、豚が踏み固めて全く弾力がなくなった、しかも糞尿で悪臭を放つ藁の上で寝転がらず
に済んだ。柔らかい藁の上で、遠くで瞬く無数の星を眺めているうちに、僕らの為に一肌脱いでくれたおじさんたちの優しい
心遣いが身に沁(し)みた。このトラックで運ばれた豚も、僕らと同じように心地よく過ごしたに違いない。新しい藁に包(くる)
まれながら、豚の気持ちが少し分かる気がした。使わなかった方のブルーシートを広げ頭から被(かぶ)ると、いつしか深い
眠りに落ちた。揺れる荷台でふと目が覚めた。天井に明かりの列が続いているのが、ブルーシートの隙間越しに分かった。
長いトンネルだなと思いながら、少し体を捻(ね)じった。
「関門トンネルに入っているんだ」
と、僕の後ろで寝ていた有沢が、僕が目を覚ましたことに気付いて言った。
長く続く天井の明かりの列は、僕にとって初めて行く九州への誘導灯のようだった。その明かりがだんだんと遠退いて、
知らぬ間に再び眠りに就いていた。
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