そうして、逮捕されたヨハネは早速、尋問を受けることになったのだが、その尋問に当たってはエルサレム神殿の僧侶達と、神殿で“ LMLK ”(王=神に属するもの)という御印みしるしを与える役目を言いつかっているレビ族の者達が急きょ、派遣されることに決まった。
もちろん、宗教律法を専門とするファリサイ派からも何名かが選出され、神殿の僧侶らと共に事件を担当することに決まった。
こうして、国の中でも最も選び抜かれたユダヤのトップエリート達を前にして引き出されてきた当のヨハネはと言うと、そんな権威など全く気にする様子もなく、彼らの質問には何でも包み隠さずはっきりと答えた。
まず、最初に尋問したのはエルサレム神殿の僧侶だった。
「お前は一体、何者だ? お前はメシア(救い主)なのか?」と、彼は居丈高いたけだかにヨハネにそう聞いた。
すると、ヨハネは大きく首を横に振って、
「違う。わたしはメシアではない」と正直にそう答えた。
「では、誰だと言うのだ? 神の怒りを告げにやって来る預言者エリヤの生まれ変わりなのか?」
重々しい様子のレビ族の一人が、これまたもったいぶった様子で彼に尋ねた。
だが、ヨハネは彼らの質問がいかにも馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに、
「いいや、わたしは生まれ変わりなどではない」と鼻をフンと鳴らしただけだった。
それを聞いた別の僧侶はすかさず、
「では、神から遣わされた別の預言者なのか?」と畳み掛けるように質問したが、
やはりヨハネは動揺することなく、
「いいや、それも違うな」と気楽に答えた。
そこで彼らは、ヨハネが彼らの権威にひるむ様子もなく、しかも、初めに想定していた偽称の言葉を口にしないので、これ以上、どう尋問していいのか分からず少しまごつき出した。
「では、預言者でもなく、メシアでもないお前は一体、何者だと言うのだ?
いい加減、そろそろ私達にそれを答えてくれないか?
このままだと上の者に何の報告もできなくなるではないか。
さぁ、お前は一体、自分では何者だと思っているのだ?」
とうとう箸はしにも棒にもかからないヨハネの態度にしびれを切らしたのか、レビ族の一人はそう言ってなだめるように尋問した。
すると、ヨハネはちょっと間を置いてからおもむろにゆっくりと口を開いて答えた。
「わたしは砂漠で叫ぶ一つの“ 声 ”である。
『主の道をまっすぐに整えよ』と叫ぶ“ 声 ”なのだ。
これまで低かった全ての谷々は持ち上げられ、
逆にこれまで高かった全ての山々はその高さを低められる。
そして、主の栄光が顕あらわされ、全ての人類がそれを見る。
なぜなら、主の御口が話しているのだから」(イザヤ40章3−5節)
ヨハネはただ、旧約聖書に登場する預言者イザヤの句をそっくりそのまま引用しただけだった。
だが、それを聞いて僧侶もレビ族の者達も急に押し黙ってしまった。
部屋の空気は一瞬にしてシンとなり、ヨハネの太く低い“ 声 ”がいつまでも荘厳に響いているかのようだった。
そのシンとなった部屋の空気をいきなり打ち破ったのは、ファリサイ派のメンバーの一人だった。
「では、メシアでもなくエリヤでもなく、さらにどんな預言者でもないのなら、どうしてお前は勝手に洗礼を行っているのだ?」
その核心を突いた言葉を聞くと、ヨハネはそれまでとは打って変わり、急に鋭い目をファリサイ派のメンバー達に向けると強い口調でこう言った。
「わたしはヨルダン川の水で洗礼を行っただけだ。お前達の寺でやったわけではない。
だが、今にお前達の知らない別の一人がお前達の足元で立ち上がることだろう。
その男はわたしの後にやって来るが、わたしなどその男のサンダルの紐さえ結ぶ価値はない。
その男が現れた時、お前達は一体、どうなることやら・・・」
そう言い終わると、ヨハネはすぐに彼らから顔を背けて遠くをじっと見つめ、もはや誰にもその目を向けようとしなかった。
そして、さっきと同じ静寂が再び訪れた。
しかし、すぐさま別のファリサイ派のメンバーがヨハネの肩をぐいっと引っ張り、その顔を無理やり自分達の方へと向けさせた。
「一体、何のことを言っているのだ?
私たちはさっきからお前に洗礼を施ほどこす資格があるのか?と聞いているのだ!
本当はそんな資格など何もないのだろう、えっ?
にも関わらず、民衆を偽りで持って幻惑し、やってもいない罪をお前の前で告白させて、私達の教義を愚弄するとはなんと罰当たりなっ!
お前はそれがこのユダヤの聖地で許されるとでも思っているのか? 大体、お前に洗礼を行う資格など一つもあるものか。
だって、お前は自分の口でそう言ったではないか、自分は“ 何者でもない ”と。
何者でもない、どこから生まれたのかも分からないようなお前を神がどうして選ぶだろう?」
勝ち誇ったように、そのファリサイ派の一人がヨハネの鼻先でつばを吐きながらそう言い放った。
すると、他のメンバー達も急に力を得たかのように、そうだ、そうだとうなずき始めた。
「では、お前達の方こそ一体、どんな資格があると言うのだ?」
ヨハネは再び鋭い目をそのメンバーの方に向けた。
「私達は神によって選ばれたアブラハムの正統な子孫だ。お前のような異教徒との間に生まれた“ 混血 ”ではない。
言うまでもなく、ここにいる僧侶達も、レビ族の者達もみんな、あの偉大な聖者であるモーゼやアーロンの血筋を汲んでおり、だからこそ子々孫々と受け継がれてきた聖職を“ 生まれながらにして神から授けられた者達 ”なのだ。
ゆえに、私達だけが神への洗礼、儀式、そして司法を預かることになっている。
そのことは律法書にもちゃんと書かれているのだ。お前が知らなくてもな」
さっきと同じファリサイ派のメンバーはいかにもヨハネが無知だと言わんばかりにヨハネの質問にそう答えた。
しかし、ヨハネはその辛らつな言葉に気にする様子もなく、そのファリサイ派の一人をしばらく見つめた後、いかにもあきれたように首を横に振った。
「お前達は何も分かっちゃいない。
大体、神に選ばれし者というのは“ 人の血から ”生まれるものではない。
まして、人が決めるものでもない。
神を知り、神の御名おんなを信じる者だけが、神の子としての権利を持つのだ。
そして、その選ばれし者は神の精神を持って生まれてくるものなのだ。
律法はモーゼの口から授けられたかもしれんが、“ 真実 ”はわたしの後から来る者の“ 口 ”によってもたらされる。
誰も神を見たことはない。
だが、神はただお一方であり、そして人知を超えた大いなる存在なのだ。
その神の側がわに立ち、神の味方をする者だけが、神と言うものを私達に教えてくれる」
ヨハネは彼らを正面からまっすぐに見据えると、彼らに向かってきっぱりとそう言い返した。
すると、さっきまで勝ち誇っていたファリサイ派のメンバー達は、ヨハネから思わぬ反撃を食らってひるみ、怒りで顔を真っ赤にさせたままそれ以上、何も言えなくなってしまった。
こうして、彼らはこれ以上、ヨハネを尋問するのをあきらめ、とりあえず審議不十分との理由をこじつけてヨハネの釈放を先延ばしにし、結局、そのまま彼を牢に投獄したのである。
そして、そのヨハネが投獄されてしばらく後、彼の牢の上にそびえ立つガリレーのテトラーク(属州知事)であるヘロデ・アンティパスの住む宮殿内にて、“ あの事件 ”は起きたのだった。
ヨハネが投獄される前に、彼が逮捕されたことはすぐさま巷ちまたの噂になり、その知らせは宮殿にも既に届いていた。
ヘロデの妻ヘロディアスはヨハネが逮捕されたことを知ると、すぐさまうれしそうにヘロデの元へとやって来た。
「あなた、聞きましたわ。あのヨハネがようやく捕えられたんですってね。本当によかったこと。
これでようやく、わたくしの胸のつかえが下りるというものですわ。
それでいつ、あの男は処刑されるのでしょう?」
ヘロディアスはその美しい顔をちょっと意地悪そうに歪めて猫なで声でヘロデに尋ねた。
ヘロデの妻ヘロディアスは、ユダヤにおいては名門中の名門、ハスモン朝の血を引く姫君で、美男だった父アリストブロス3世の面影をそっくりそのまま受け継いだまさに絶世の美女だった。
ハスモン朝は、ギリシャのアレクサンダー大王没後、ユダヤを支配していたギリシャ系新興王国セレウコス朝シリアをユダヤ教の祭司一家が倒して開いたと言われる王朝で、ユダヤのクリスマスと呼ばれ、現代においても行われている“ ハヌカ ”(奉献の祭り)の祭りは、実はこのハスモン朝の創始者ユダ・マカバイがセレウコス朝シリアを打ち破った際に神殿で行った清めの儀式にちなんで毎年、ユダヤの勝利とエルサレム神殿の奪回を祝うものである。
このようにハスモン朝は一時、ユダヤの独立を勝ち取ったこともあり、ユダヤ民族とその宗教に多大な影響を与えてきたが、その後は親兄弟が陰謀と血みどろの争いを繰り返すだけで王家はひたすら没落する一方だった。
しかも、ヘロディアスの祖父アンティゴノスは、隣国パルティアの支援の下、一時はユダヤの大祭司と王位の両方を掌握するのに成功したが、これとは別にローマの支援を受けたヘロディアスの義父ヘロデ大王に負けてしまって結局、その王位を剥奪されてしまった。
また、ヘロディアスの叔母マリアンヌ1世はハスモン朝存続のためヘロデ大王の2番目の妻となったが、ヘロデ大王の策謀によって不覚にも姦淫の罪を着せられて処刑されていた。
その上、ヘロディアスの父アリストブロス3世も、そのハンサム振りと高貴な血筋ゆえにユダヤでの人気は高かったが、そのことがヘロデ大王の嫉妬を買うこととなり、さらにヘロデ大王に対抗する形でエジプトの女王クレオパトラに取り入ったことが災いして(恐らくこれもヘロデ大王の策謀かと思われるが)ジェリコ(現ヨルダン川西岸)の浴場で謎の溺死を遂げていた。
こうして、ハスモン朝は様々な手段を講じてその王権を維持しようとはしたものの、ヘロディアスの父を最後にその王朝に幕を閉じ、実質上は滅びてしまったのだった。
だから、遺されたヘロディアスにとってハスモン朝の復興こそがまさに悲願となっていたのである。
しかし、そうなるとヘロディアスの立場からすれば、ある意味、夫ヘロデ・アンティパスは憎い仇の息子とも言えるのだが、これまでの歴史でもそうだったように政略と陰謀の渦の中で育ってきた彼女にとっては、そんな過去の怨念や敵討ちよりもその王家の血筋を絶やさぬことと、自身がハスモン朝の女王として再び返り咲くことの方がよっぽど大事だった。
それゆえ、現在の夫の異母弟ヘロデ・フィリップに最初は嫁いだものの、最初の夫はヘロデ大王が5番目の妻との間に設けた子であり、王位継承権の順番からしても、また、性格的な面からしてもとても彼女の目的に適うような人物ではなかった。
一方、ヘロデ・アンティパスはヘロデ大王とその4番目の妻との間にできた息子だったが、1番目から3番目までの妻達が生んだ息子達はみんな、王位を巡る争いでヘロデ大王自身によってことごとく処刑されていて、実質的にはヘロデ・アンティパスが第一王位継承権を持つ立場にあった。
しかも、ヘロディアスの美貌に目が眩くらんだ彼は、自分の妻だったアラビアの姫ファセリスをさっさと追い払って、異母弟フィリップにヘロディアスをよこせと迫るほど押しの強い、強引な性格だった。
それに、時のローマ皇帝ティベリウスとも親交が厚く、ローマの支援にも信頼が置けることから、ヘロディアスにとって彼はまさに願ってもない運命の人だったのである。
だから、そのヘロデから愛を打ち明けられた時も彼女は多少、躊躇したものの、自分の悲願が神に通じたものと思い込み、喜びいさんでフィリップからヘロデの元へと嫁いで行った。
しかし、その彼女の再婚に待ったをかけたのは、敬虔なユダヤ教徒を自負する同じ民族のユダヤ人達だった。
元をただせば、ハスモン朝がそれまでに散々、その王家を存続させるためにユダヤ教の戒律を無理に捻じ曲げてきたことがユダヤの人々の反感を買っていたのだが、その火に油を注ぐような出来事がヘロデとヘロディアスの結婚だったのである。
さらに、ヘロデ・アンティパスにはフィリップ以外にもアルケラウスという同じ母を持つ実の兄がいたのだが、アルケラウスは第一王位継承者となって間もなくファリサイ派と戒律を巡って争い、ファリサイ派の扇動家を含めた3000人もの民衆をことごとく虐殺してしまった。
しかも、アルケラウスも既婚者の身でありながら北アフリカのマウレタニア王国の女王グラフィラと恋に落ち、お互い離婚してグラフィラは駆け落ち同然でアルケラウスと結婚した。
そのため、これに憤ったユダヤの民達は、直接、ローマ皇帝アウグストゥスに彼の排斥を訴え、これが認められて、アルケラウスは王位を目前にしながらたった6年のユダヤ統治で辺境の地ガリアへと追放されてしまっていた。
だから、その経緯もあって、ヘロデもヘロディアスも、ことさら自分達の評判がユダヤ人達の口からローマに悪く伝わり、そのまま自分達の立場や身分を奪われまいかと気にしていたのだった。
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