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作品名:彼岸花 作者:悠々

第9回   1967年初冬
 僕らはサークル機関誌の原稿作りの為、ツルン先輩の下宿へいった。先輩は鶴見が姓、ノッポで讃岐出身、三回生だ。讃岐うどんをツルンと食べるからツルン。鶴見やからツルン。髪が薄いからツルン。ツルン先輩はいつもどこ吹く風と闊歩していた。彼は製本のバイトをやっていた。本を作り終えたとき、記念にその本を一冊貰ったツルン先輩、何んとそれをそのまま古本屋へ売りにいった。古本屋の主人いわく、                 
「まだ発売してまへんがな、困りまっせ、こんなん持って来てもうたら」
「古うなるまで預かっといて」ツルン先輩はそんな人だった。ホットでもなく、クールでもなく、いつもマイルドに笑っていた。
 彼の下宿には雑誌、文庫本、小説、哲学書、エロ本、漫画本、それに笑い本やら、ナンセンス本やら、漫才誌やらが秩序なく雑多に積まれていた。そんな中で、僕らは原稿ネタを拾い集めていく。美沙は編集委員だった。先輩はいなかったが、彼の下宿は出入り自由、僕らは夜を徹して原稿作りをした。テーマは〈ナンセンスの可能性〉だ。その帰り道、
「おっ、寒い! 」神尾が震えた。冷気が走っていく。
「そうや、そうや、宗谷岬」そして、僕も震えた。
「何? この透明感? 」美沙は深呼吸をした。
冬晴れの空は何処までも青く澄みわたり、それは高貴な姿に見えた。僕は眠気、疲労もあってか、不思議な感覚におちいり、
「こんな透明感のあるところから人は生まれて来たんやろなぁ」と美沙に答えた。
「胎内では純粋培養だったのに、おぎゃあと産声をあげた瞬間から、浮世の風やしがらみに毒され汚れていく」神尾が役者のようなセリフ回しで続けた。そして僕も彼を真似てセリフを続けていく。
「あげく、人は下賎の成り上がり者になってしもた。進化は退化を従える」僕は皮肉っぽく言った。
「この透明感は母親の胎内なの? 」美沙が懐かしそうに言う。
「胎内願望だ」神尾が言い、
「そうだ、そうだ。ソーダ会社の早田(そうだ)さんがソーダを飲んで死んだそうだ。葬式饅頭うまかったそうだ」僕は歌う。美沙は、
「ウッソーだーー 、って」と笑う。
「美沙は胎内にいるとき、前世の記憶や、先祖の記憶や、いろんなものを受け取った。それがデジャブとなって現れ、不思議な感覚に陥る」神尾が言う。
「じゃ、ジャメヴユは? 」
「それは美沙の錯誤、心の佇まいによる錯誤かな、いや忘却の記憶障害かな」
「そうか、錯誤によって人は都合よくバランスをとってきたのか」僕は頷いた。
「胎内に戻ってもう一度やり直したいワ」美沙が言う。
「う〜んーー やり直すか」神尾が空を見上げながらポツリと呟いた。
 それから美沙が神妙な顔で、
「ソーダ会社の早田さん、三十三間堂に行かない」と僕らを誘った。
 眼の前に三十三間堂があったのだ。美沙はいつもいきなりだ。いきなりのなりゆきだ。
「会いたい人に会えるってーー 、1001体の千手観音立像のなかに会いたい人が必ずいるってーー 」美沙が言う。
「行く、行く」
「来る、来る」
「来るって、おかしくない?」と美沙。
「博多弁で行くことを来るという」
「博多女はくる、くるぅ〜とベッドで言う」
「馬鹿じゃないの、クルクルパーみたい」
神尾と僕のナンセンスなやりとりに美沙がかぶせた。
          ☆
 三十三間堂内は荘厳だった。寒さ、眠気が吹っ飛んだ。彼方の人の魂を慈しむように読経が流れ、線香の糸筋の匂いが漂っている。1001体の千手観音立像は壮観だ。ガシャ、ガシャとした観音様の騒めきが聞こえそうな黄金色の錯覚におちいる。其処に無限の魂が在る。
「私は私を探す」
「俺は前世の俺に会う」
「じゃ、俺は来世の俺だ」
美沙、僕が言い、神尾が呟いた。
人々は訝しげに僕らの風体を見る。僕らは間違いなく彼らの蚊帳の内ではなく外にいるのだろう。でも観音様に向き合えばそんな事はどうでもよくなる。人は、寡黙な時間にしばし呆け、時間を超えた処に饒舌な空間を見る。そして空間を超えた処で、ひとつ、またひとつ、と観音立像を見る。会いたい人を探していく。
「舞台は整った」神尾の言葉だ。観音立像を前に拝観者の心が波打つ。
「さぁ合体だ、合体だ」なお神尾が言う。
 人々は神妙な顔で千手観音立像を見詰めている。彼方の人の魂が大河の流れのように迸る(ほとばしる)。此方の人のミトコンドリア遺伝子が荒ぶるように逆流していき、奔流になり、ミトコンドリアイブまで辿り着く。僕は不可思議な青銅色の感覚に陥る。拝観者は犇めく千手観音立像を確かに見詰めていく。
混沌、混沌、混沌の最中、会いたい人を探す、彼方の人、此方の人、まだ見ぬ人を探す。会いたい人は優しくたわやかに笑っている。やがて静かな本流の内、彼岸の人の魂と此岸の人の心が合体しながら1001体の千手観音立像に宿る。一条の光のような意思で彼方の人と僕ら、繋がれていく。
あの顔、 この顔、その顔、会いたい人に必ず会える。会いたい人は確かにいる。宇宙からの意思が時空を超えた処で働く、人は人と繋がり合っていく。それはミトコンドリアの起源から約束された厳粛な儀式のようだ。僕は人生をなぞらえるように立像を凝視めていく。会いたい人の魂と僕の心が合体して像を結ぶ。
「あっ、いた、いた」
「いる、いる」
「ちゃ、まだ見ぬ俺のおる」
美沙、僕が言い、神尾が呟いた。
 僕らは静寂に喧噪を放った。犇めく観音立像のなかに、美沙がいた、僕がいる、そして神尾がーー 。僕は軽い昂奮を覚えた。多分、美沙、神尾も。
僕らは堂内にあった≺自由にお書きください≻というノートを手に取った。

春が立つ
冗談みたいに立つ
私の佇まいは
行きつ戻りつしながら
冗談からリアルまで   
           美沙
 
ミトコンドリアイブの起源から
天文学的な数の人が彼方へ逝った
彼方の人、一堂に在る
            悠
 
世界には自分のそっくりさんが三人いる
前世の俺、現世の俺、そして、来世の俺だ
此処にいる、いた、皆おる
            神尾

僕らがそのノートに殴り書きした言葉だ。


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