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作品名:フランソワーズ・ドルレアック 作者:鷺町一平

最終回   1
トラックドライバー、ファビアンの話

へえぇ、あんた、わざわざ日本からやってきたのかい。それはご苦労なこった。事故の話を聞きたいって? 忘れようったって忘れられるものじゃないよ、ありゃあ。あの日は朝から雨が降っていた。ニースに向かうコートダジュールの高速道路だった。俺はトラックに野菜を満載して走ってた。
サイドミラーで確認すると後ろから、ルノー10がすごい勢いで迫ってくるのが見えたんだ。みるみる近づいてきたルノー10は左側の追い越し車線に出るとあっという間に加速して、俺のトラックの前に入った。追い越すときに高速道路に溜まった水しぶきが派手に俺のトラックにかかった。
「なんちゅう運転しやがる! 何、そんなに急いでやがんだ?」
 追い越されるとき、水しぶき越しにちらっと見えた運転席の横顔は美しい女だった。一瞬どこかで見た顔だなぁとは思ったけど、その時はどこで見たのかは思い出せなかった。ちょっと頭に来ていた俺は追っかけて煽ってやろうかと思ったけど、所詮は野菜満載の重いトラック、乗用車の加速に追いつけるはずもなかったさ。ルノー10はあっという間に見えなくなった。
 しばらく走ると、ニース空港に向かうインターチェンジで、横倒しになった乗用車が激しく燃えているのが見えた。そりゃあ、焦ったなんてもんじゃねーよ! なんしろそれはさっき追い越して行ったあのルノー10だったんだからな!
 俺は、路肩にトラックを停めてそこに設置されてる緊急電話から警察に通報した。それから激しく燃えているルノー10に近づこうとしたけど、火の勢いが強すぎて熱くて近づくことなんか到底無理だった。
「まだ、消防車は来ないのか!」
 次々と後続車が停まる。中には車両備付けの消火器を持ち出して消火活動にあたる猛者もいたが、所詮焼け石に水だった。地上三メートルもの火柱をあげもうもうとした黒い煙を出しながら燃え続けるルノー10を、俺を含めた大勢の野次馬たちは遠巻きにしてなすすべもなく見ているほかはなかったんだ。ようやく遠くに消防車のサイレンが聞こえてきた……。

女優 ネリー・ベネッティの話

なに? あなた日本からやってきたの? それは遠いところからわざわざご苦労さま。私も日本の浮世絵は好きよ。ホクサイのカナガワオキナミウラ、あれは傑作だわね! えっ、そんなに浮世絵には詳しくない? それは残念ねぇ。それで何が訊きたいっていうの? ああ、彼女の事……。
 酷い事故だったわね。あれから二年も経ったのね。そう、あれは一九六七年六月二十六日の雨の月曜日だった……。私と彼女はその三年前の「柔らかい肌」で共演しているわ。そう、監督はフランソワ・トリュフォーよ。私は著名な評論家の妻役で、彼女は私の夫を誘惑するスチュワーデス役だったのよ。
 みんなは事故だっていうけど、私はあれは自殺ではないかと考えているのよ。彼女は悩んでいたの。フランソワーズには婚約者(フィアンセ)がいたの。同じ俳優のジャン=ピエール・カッセルよ。あなた、ご存知? 彼女が亡くなる直前に、ジャン=ピエールは彼女との婚約を解消して別の女と結婚したのよ。
 もちろん、彼女にとってはショックだったでしょうね。「柔らかい肌」で共演して以降は、そんなに頻繁ではなかったけれど定期的に連絡を取り合っていたのよ、私たち。事故の一か月程前にも電話があったわ。彼女すごく怒っていた。そして落ち込んでいた。一体、私の何が悪いの? って、電話口で泣くの。ええ、ちょっと情緒不安定なところがあるのよ、フランソワーズには……。
 「柔らかい肌」の撮影中、私たちはしょっちゅう会っていたわ。ええ、その通りね。あの映画の中で私たちが直接絡む場面っていうのは確かにないわね。でも私たちは、お互いの出番の時には撮影現場にいたのよ。カメラの後ろから声援を送っていたの。そういう意味では、彼女を失ってとても寂しいのよ、私……。

映画監督 フランソワ・トリュフォーの話

ええっ? 彼女が自殺? そんなこと誰が言ったんだい? そんなことはあり得ない! だってそうでしょう。フランソワーズはあとほんの少しで、世界的大女優への足がかりを掴むところだったんだよ。まさに扉に手がかかっていたんだ。あとはその扉を開けるだけだった。彼女の栄光は約束されたも同然だったんだ。そんな成功を目前にして、自殺する人間がいると思うかね? バカバカしい。
 女優なら誰でも成功を夢見る。例え、肉親の死に目に会えなくたって自分の作品を世に出したいと願うのが、女優という人種だ。自己顕示欲のかたまりだよ。自分が有名になるためならなんでもする。それが女優。またそういう覚悟がなければ、演技なんて出来やしない。
 えっ、私? ああ、確かに「柔らかい肌」撮影後に妻を捨てて、フランソワーズに走ったよ! それ程、魅力のある女性だということさ。開き直るわけじゃないが、監督と主演女優というのはそれくらい惹かれ合っていなくては、いい作品なんて作れるはずもないだろう? 違うかい?

F1ドライバー ジム・クラークの話

ああ、確かに僕らはつき合っていたよ。一年ちょっとだけどね。
「あなたのレースは、観客としてみるぶんには面白くてたまらないけれど、あなたの彼女としては心配でみていられない」
 とフランソワーズは言ったんだ。あなたのレースがある日は、まるで仕事が手につかない。無事にあなたが、マシンからおりてくるのを確認するまでは、口から心臓が飛び出すんじゃないかと思うくらいに、夜も寝られないくらいに心配でたまらない……って彼女は泣いたことさえある。
 それ程までに、僕を愛してくれていた。だからこそ僕たちは別れてしまったんだ。もうこれ以上あなたの無事を祈り続けることに疲れてしまった、と言い残して彼女は僕の元を去っていった……。皮肉なものだよね、そんな彼女が事故死してしまったなんて。雨の日だったんだろう? ハイドロプレーニングの危険性は、僕とつき合ってるときにも何回も話をしてるんだよ。だから、彼女が知らなかったはずはないと思うんだがなぁ……。
 ああ、間違いなくハイドロプレーニングだと思うよ。あれ程、雨の日の急ハンドルは危険だと言ってきかせていたのになぁ……。魔が差したのかなぁ。考え事をしていて、高速の降り口を過ぎてしまいそうになりあわてて雨の中にもかかわらず、急ハンドルを切ってしまったのかもしれない。彼女はよく夢想することがあったからねぇ。それにしても残念でならないなぁ。彼女の事を思うと今でもたまらない気持ちになるよ。お互い、嫌いになって別れたわけじゃないからね……。
 ありがとう、頑張るよ! 今日のレースは見ていってくれよ。ポール・ポジション獲ったから、必ず勝ってみせるよ。レースに勝ち続けることが、彼女へのなによりのはなむけになるような気がしてるんだ。

レネ・シモント(母)の話

あら、わざわざ日本からいらっしゃったの? フランソワーズの為に? それはありがたいことだわ。えっ、カトリーヌにインタビューを申し込んだら断られた? 無理もないわ。あの娘にはショックが大きすぎたのよ……。二年経った今でも、傷は全く癒えていないのよ。きっと、これからも長い長い時間がかかるでしょうね。
 フランソワーズには絶えずコンプレックスがあったんです。一歳半、年下のカトリーヌといつも比較されて、妹のほうが奇麗だと言われ続けてきましたから……。出産も結婚も妹に先を越された。
 カトリーヌはいつも男性の噂が絶えませんでしたが、フランソワーズはそれほど社交的とはいえなかった。一人の男性と長く付き合うタイプでした。カトリーヌが広く浅くならば、フランソワーズはその逆だったのよ。
 カトリーヌは、ロジェ・バディムと家を出て暮らし始めて、すぐにクリスチャンが生まれて、シングルマザーになったわ。ええ、あの娘は「結婚」という形態を嫌っていたんです。ところがフランソワーズの夢は、結婚して私たちの家を出て、愛する人と結ばれることでした。だからフランソワーズは、結婚するまでは、両親と暮らしたいと願っていたの。
 でも、日本ではどうかわからないけど、フランスでは、仕事を持っている女性が独立せずに、ずっと両親の家で暮らすっていうのは一般的ではないの。とても奇異なことなのね。そういう意味でも、フランソワーズは変わった娘だったわ。
 フランソワーズとカトリーヌは、正反対の性格だったの。でもだからといって、二人のそりが合わないなんてことは全くなかったわ。お互いがお互いを必要としていたのよ。
 ええ、私も夫も舞台役者でしたの。夫はモーリス・ドルレアック。ドヌーブは私の旧姓ですの。カトリーヌは私の旧姓を芸名にしたんですよ。夫は娘の舞台デビューの際にチケットをたくさん買って、ご近所に配ったくらいの子煩悩ぶりを発揮していました。ですから、フランソワーズが亡くなったとき、夫は大ショックを受けてしまって、それ以来、人嫌いになってしまいました……。ですから今回インタビューは受けられません。そういう意味ではカトリーヌと似ているんですよ、夫モーリスは。私たちはとても仲のよい家族だったんですが、その団欒は、あの日以来永遠に失われてしまったのかもしれません……。

シルビィ・ドルレアック(妹)の話

 フランソワーズとの思い出は尽きないわ。私とフランソワーズとは四つ違いなのよ。姉たち、フランソワーズとカトリーヌはいつも私をいじめていたわ。それに対して私はことあるごとに姉たち二人を編み棒をもって追っかけまわしていたわ。もう覚えていないんだけど、姉たちによるとそのとき私は、姉さんたちの鼓膜を破ってやる! と、叫んでいたそうよ。姉たち二人は年が近いから、共謀して私にいたずらを仕掛けてくるのよ。私がすぐに顔を真っ赤にして怒るのが面白かったみたい。
 フランソワーズは、本当に動物が好きでたくさん飼っていたわ。ハツカネズミ、リス、ウサギ、猫と犬……。寝るときは、いつも動物たちと一緒。ベッドの中は年がら年中毛だらけだった。母はそれをとても嫌がっていたわ、不潔だって。ずっと両親と住んでいたかったフランソワーズを、早く独立させたがっていたのは、それも理由じゃないかと私は思っているの。母はあまり動物が好きじゃないのよ。
 そして、フランソワーズは家を出たのはいいけれど、なんと実家のすぐ前にアパートを借りたのよ。笑っちゃうでしょ、どれ程、両親と離れたくなかったかってことだもの。というか、特に父のモーリスとね。二人はとてもウマが合うのよ。父は長女であるフランソワーズが四人姉妹の中でいちばんのお気に入りだったし、フランソワーズも父が大好きだった。二人はとても似ているの。例えば、神経質なところとかが。
 えっ、私? 姉たち二人の影響を受けて、少女時代に三本の映画に出たわ。でも、才能の限界を感じて見切りをつけたわ。とても姉たちにはかなわないって……。今は、カトリーヌの秘書をしているわ。
 フランソワーズは、教師との意見の相違からリセを退学した後、コンセルヴァトワールに入学しました。彼女には演劇が全てでした。かたや信仰心がとても強くて教会関係の仕事につきたいと話していたこともあったわ。フランソワーズはあれ程,綺麗だったのに自分の容姿に自信がもてないでいました。いつも化粧をし過ぎてたの。濃すぎるんです。クレオパトラのようになってしまって。いつも自分の顔は、カトリーヌのように均整がとれてないと言い出すんです。カトリーヌはあんなに綺麗なのにって……。
 今でも鮮明に覚えているのは、とあるパーティーに出るのを直前に止めたことね。こんな顔じゃあ、人前に出られないわって、わめいて大泣きするんです。わたしもカトリーヌも呆れてものが言えませんでした。あなたも知ってるでしょうけど、フランソワーズはちょっと骨太でカトリーヌのような繊細さはなかったけれど、より個性的で物憂げなな顔立ちで、「柔らかい肌」の美しさは際立っていました。
 一九六四年のカンヌは、フランソワーズとカトリーヌにとって、対照的な結果になったことはご存知? あの年、フランソワーズは「柔らかい肌」を、カトリーヌは「シェルブールの雨傘」を持って行ったんです。「シェルブールの雨傘」はパルムドールを獲り、人々は熱狂し、カトリーヌは一気にスターダムにのし上がった。
 ところが、「柔らかい肌」は酷評されました。あの時まで、カトリーヌは本気で女優をやる気があまりなかったのよ。ところが片手間で出たカトリーヌのほうが評価されて、全力で女優という仕事に打ち込んでいたフランソワーズはクソミソだった。フランソワーズにしてみれば、自分の作品がこき下ろされたことは相当にショックだったはずよね。その落ち込み様ったら見ていられませんでした。
 それから、二人の関係は少しぎくしゃくしたかな。険悪とまではいかないけれど、疎遠になったことは確かね。フランソワーズは、カトリーヌの男性関係にも、とやかく言ってましたね。カトリーヌは一九歳でロジェ・バディムの子供を産んだんです。ええ、クリスチャンです。よくご存じだわね。フランソワーズは、クリスチャンはとても可愛がっていましたが、ロジェ・バディムの事は、あまりよく思っていなかったのよ。
 そんなこんなで、少し距離をとっていた姉たちが、あの「ロシュフォールの恋人たち」でついに姉妹共演が実現したんです! それも双子役! 二人は本当にあの映画の撮影を楽しんでいました。出来上がった作品も素晴らしいものだったわ! 映画も大評判になった。だから、あの映画公開後、わずか三ヵ月で、フランソワーズがあんな事になろうとは誰も予想すらしていませんでした。神様はなんて残酷なことをなさるんでしょう……。フランソワーズが生きていれば、カトリーヌと共にフランスを代表する女優になっていたことは間違いなかったのに……。
 カトリーヌは、いまだにフランソワーズを失ったショックから立ち直っていません。事故の前日、カトリーヌの家族と私とフランソワーズはピクニックに行ったんです。いろんな話をしました。その中で私ははじめてフランソワーズが足の悪い貧しい絵描きの支援をしていることを知りました。カトリーヌは前から知っていたみたいです。その時、私はクリスチャンと遊んでいたのでよく経緯が分からないんですが、二人は言い争いになったんです。気分を害したようでフランソワーズはそのまま帰ってしまいました。
そして翌日の事故でしょう。カトリーヌは仲直りの機会を永遠に失ってしまったのです。事故は自分のせいではないかと日々悔やんでいます。毎日、夢遊病者のようです。もちろん私にとっても、大好きだった姉を失った悲しみは癒えることがありません。あれ以来、ドルレアック家は灯が消えたようになってしまいました……。

教会の司祭 ガブリエルの話

 はい、彼女が初めてこの教会に来たのは……、確か一九六六年の夏ごろでした。信仰心のとても厚い方で、忙しい撮影の合間をぬっては日曜のミサには欠かさずみえて、熱心に祈りを捧げていらっしゃいましたよ。たくさんの献金もしてくださったのでとても助かりました。
 えっ? 足の悪い若い画家ですか? ああ、クロードの事ですか。ええ、この教会でクロードとドルレアックさんは出会いました。クロードは、足が悪いでしょう……、なんというか、人を信用しないというか、ちょっと拗ねたところがあって、確か最初は彼女のほうから話しかけたんじゃないかと思うのですが、ずっと無視していましてねぇ。
 それでもドルレアックさんはあきらめずに、彼にいろいろ話しかけるわけですが、彼は怒って「同情は嫌いだっ!」とか言って、彼女にテレピン油とか絵具を投げつけたりしていました。見かねて私が仲裁に入るような有様で……。
 クロードは一心不乱に、十字架にかけられたイエス・キリストの絵を描いていました。クロードの描くイエスの苦悶の表情は、たいそう彼女の心を捉えたようでした。私の仲裁の後に、二人はだんだんと言葉を交わすようになり、打ち解けていきました。気づくと、それまではずっと不機嫌そうに絵を描いていたクロードがずいぶんと明るくなり、彼女と談笑するようになっていました。
 今まで、ミサの祈りや賛美歌さえもまともに歌ったことのなかったクロードが、まじめに使徒信条(クリード)をとなえることもなかったのに、ドルレアックさんと話すようになってからは、全部キチンとこなすようになったのです! この変化には本当に驚きました。クロードは、初めて彼の絵の理解者を得たのです。彼は幸せだったと思います。
 でもそれに反比例するかのように、彼の健康は損なわれていきました。肺を病んでいたのです……。間もなく、クロードはミサに来なくなってしまいました。ミサに来られるだけの体力がなくなってしまったのです。もちろんドルレアックさんは、とても気に病み、心配していました。彼女がどうしてもお見舞いに行きたいというので、私は彼のアパートの住所を教えました。
 えっ、クロードが住んでいたアパートが知りたい? 本当は教えることは出来ないんですが、特別ですよ。わざわざ日本から来てくださった方だから……。

アパートの大家、サビーヌの話

 へぇ〜、よく来たねぇ。こんな汚いボロアパートに……。それもわざわざ日本からだって? ご苦労なこった。アンタもこのアパートに入居しないかね? いや、本気にしなくてもいいよ、冗談さ。
 それにしても、もうクロードが亡くなってから、二年以上が経つんだねぇ……。あの娘は本当によくクロードを見舞いにきたものさ。クロードもあの娘が来ている間は、無理して起きて談笑していたよ。ベッドの上で、あの娘の肖像画を描くんだなんて無理してスケッチブックを広げたりしてさぁ……。胸を患っていたから咳が出て、そう長くは筆を握っていられなかったくせにさ。
 アタシは普段あんまり映画とかも観ないんで、あの娘が女優だったっていうのもついこの間知ったような有様でさぁ……。まったく、なんていうか、女優っぽくない娘だったねぇ、フランソワーズは……。いつもクロードの絵の素晴らしさを説いて、クロードを励ましていたからねぇ。あなたの絵は近いうちにきっと認められるって言ってねぇ……。
 えっ、自分自身に言い聞かせていた? そうなのかい? フランソワーズも女優として世界的に認められる直前だったのかい、それは全然知らなかったねぇ……、ほら、アタシャ、そっちの世界の事に関しちゃ、まるっきり疎いからねぇ。
 でもあの娘が帰ると、クロードは意気消沈したようにぐったりとしてねぇ、気をはってたんだろうねぇ。アタシャ、クロードが若いときから知ってるんだよ。なにしろ十数年、このオンボロアパートの管理人をやってるんだからねぇ。家賃も滞っていたけど、あの娘がこっそり払ってくれていたんだよ。クロードには言わないでねって言ってさ。クロードはああ見えて、プライドが高いところがあるから、へそを曲げちまうからねぇ。もっと陽あたりのいい別のアパートに移ろうとも言っていたようで、入院も勧めていたんだけど、クロードは頑として首を縦にはふらなかったねぇ。
 いよいよ具合が悪くなってきてさぁ……。アタシャ、かかりつけのヤブ医者を呼んだのさ。じじいのヤブ医者は眼鏡の奥の目をしょぼつかせて言うんだよ。もういけない、手の施しようがない。会わせたい人が居るなら呼んだほうがいいって……。クロードはうなされてフランソワーズの名前を呼ぶんだよ……。アタシャたまらなくなってさぁ。あの娘に連絡したんだよ。しばらくしてフランソワーズから電話があってね、どうしても決まっている仕事があって、これからイギリスに発たなくちゃならないから行けないっていうんだよ。そのことで妹とケンカになって仕事に穴をあけるのはプロ失格だって言われたってこぼしていたよ。
「ごめんなさい、どうしても行けないの」
そう言って電話口で泣いてたよ、あの娘は……。
 クロードも必死で朝まで頑張っていたんだろうけど、ついにその時がやってきた。混濁する意識の中でクロードは一心にフランソワーズの名を呼んでたよ。最後は、こう、右手で空をかきむしるようにして息を引き取ったんだ。身寄りのないクロードを看取ったのは結局、アタシとヤブ医者の二人っきりだったよ。その時、柱時計がひとつボーンと鳴ったよ。一九六七年六月二十六日、雨の月曜日の午前九時半だったねぇ。
 あの事故は、クロードがフランソワーズを連れて行ったんだよ……。アタシはそう思っているよ、ああ、今でもね……。

ニース警察署 アドン警官の話

 はい、あの時に事故処理をしていましたアドンと言います。日本からわざわざご苦労さまです。本当はフランスの警察組織は国家憲兵隊ジャンダルムリっていうのですが、細かいことはいいです。
あの日の事故処理は手間取りました。なにしろ雨が降り続いていましたし、炎上した車両の遺体の状況は酷いもので、黒焦げで性別の判断すらできませんでしたから。当初身元もわからなくて、焼け残った免許証の一部からようやく遺体が、女優のフランソワーズ・ドルレアックだったとわかったのは翌日でしたからねぇ。そりゃあもう、大騒ぎになりましたよ。フランス中が哀しみに包まれました。なにしろ新進気鋭の売り出し中の女優だったし、妹はあの「シェルブールの雨傘」のカトリーヌ・ドヌーブですしねぇ。
 私は、事故処理の際、車線規制をして交通整理を担当していました。事故車両の脇を渋滞していた他のクルマを徐行させて、一台一台通していたのですが、その時、実に不思議な光景を見たのを覚えています。小降りになってきていたとはいえ、まだ雨が降っている中、雨雲に覆われた空の一点が割れて陽光が射してきたんです。その陽光はまるでスポットライトのように、炎上して真っ黒に焦げてフレームしか残っていないルノー10の上に降り注ぎました。階段のようなものが空まで続いているのが見えた気がしました。頭がぼーっとしてるのかな、目の錯覚かなと思い、目を擦ってみました。そんな状態で交通整理なんかしていたらかえって危ないですからね。再び目を開けてみるともっと驚くべきものが見えたのです。足の悪い痩せた青年が、若い女性を抱いて一段一段不自由な足を引きずりながら、階段を登っていく姿がかげろうの中に浮かび上がっていたのです。
 本当に驚きました。これは夢かとも思いました。ゆらゆらとしたかげろうはやがて二人を包み、階段は途中から消え去り二人はそのまま、ゆっくりと天に昇っていきました。はっきりと私は理解しました。運転していた女性の魂が今、まさに天に召されたのだと。はい、その時点では運転者の性別もわからなかったんですが、女性だと確信したのです。彼女を抱いていた足の悪い痩せた男が、天使なのか悪魔なのかは私にはわかりません。
 ただ、そのとき誘導していた多くのクルマのドライバーたちもあっけにとられていたので、たぶん見たのは私一人ではないのではないかと思っています。もちろん、私も敬虔なクリスチャンですから、胸の前で厳かに十字を切りましたよ。その時点では誰だかわからなかった彼女のために……。まさかあれが女優のフランソワーズ・ドルレアックだっただなんて……。ええ、フランス国民ならみんな、天に召された彼女の魂の安寧を祈っていると思います……。






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