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作品名:エビカニ大将 作者:鷺町一平

第2回   第二章
第二章

ゴールデンウィークに入り、再びやってきた叔父、豊の働きもあり、田植えも無事に終わった。田植えで汗を流した豊をもてなす為、夕食の食卓には、明人の母、君江の精一杯の手料理が並んでいた。裏山で採れた旬の筍を使った筍とわかめの若竹煮、自宅で栽培した椎茸を使い、桜でんぶをふんだんにあしらったちらし寿司、近所の魚屋からとった刺身の盛り合わせ、豆腐の白和え、わかめとキュウリの酢の物、筍とあさりの白だしお吸い物、そして茶碗蒸し。小さな座卓に所狭しと並べられた普段みたこともないようなご馳走に内心、明人は目を丸くしていた。ふだん、母ちゃんはこんな料理作ったことないのに、頑張ったなぁと思った。その思いを祖母のつねが代弁した。
「今日は、おおごっつぉだなぁ」
 いまでこそ腰の曲がったつねは、若い時は村一番の働き者だったそうだ。朝は誰よりも早く畑に出て、夜は真っ暗になるまで田んぼで畔の草刈をした。つねと君江はそりが合わない。明人は学校から帰ってくると祖母と母が喧嘩しているかどうか、空気でわかった。孫の明人をつねが可愛がっていると、母の機嫌が悪い。そしてまた明人が母になついていると、孫をとられたようで祖母は面白くなかった。そんな時、明人は母と祖母、双方に気を使ってバランスをとってきた。小学生の男の子だってそれなりに家庭の平穏には心を砕いてきたのだった。しかし父の仁は、そんな空気を察しても、我関せずを決め込んでいた。
 つねが元気な頃は、そうやって家の中が常に緊張状態にあったが、最近少しボケてきた事と耳が遠くなってきた事で、幾分そんな緊張状態も遠のいて平穏な日々が訪れたかと思った矢先に、仁が入院する羽目になってしまったのだった。
酒好きな豊の為に、君江は熱燗(あつかん)を用意していた。猪口(ちょこ)に注がれた日本酒を一気に飲み干すと豊は言った。
「美味いなぁ。燗の具合もちょうどいいですよ〜、義姉さん。これは上燗ですね」
「叔父さん、じょうかんって何?」
「明坊、燗もいろいろあってな、上から熱燗、上燗、ぬる燗、人肌燗っていうんだよ。上燗ってぇのはだいたい45度くらいかな」
猪口を持った豊が嬉しそうにしているのをみて明人も楽しくなってきた。
「おおっ、すげぇ。金箔入りだぁぁ!」
「暮れに神社に奉納した御神酒の残りもので申し訳ないけど、金箔が入ってるから縁起がいいかなって思って……。豊さんの口に合えばいいんだけど」
 ちょっと照れながら君江が金箔入りの真相をバラした。
「金箔入りの豪華な純米酒を義姉さんのお酌で飲むなんて、こりゃあ緊張して酔えないかもなぁ」
「あらっ、そんなこと言わずにたくさん召し上がってくださいな。アタシも少し頂こうかしら」
「そう来なくっちゃ! ひとりで飲んでても楽しくないもの」
「オレも飲みたい!」
「おっ、明坊、ひとくち行くか?」
「やめてください、豊さん、この子ソノ気になっちゃいますから! 明人、アンタはダメにきまってるでしょ!」
どさくさに紛れて明人も猪口を差し出したが、君江にたしなめられた。つねも笑っていた。賑やかしにつけてあったテレビの歌番組からは、小柳ルミ子の「春のおとずれ」が流れていた。
 こうして楽しい夕食の団欒は過ぎていった。

 田植えも終わったある土曜日の午後、明人はエビカニ獲りの実演が見たいというリクエストに応えて、田んぼに少年たちを集めていた。集まったのは明人、順一、順一の弟で小三の勝(まさる)、輝夫、茂雄といった面々。それから女子では眼鏡をかけた図書委員の恵子と恵子と仲良しの大人しい芳江が興味津々という風情で観に来ていた。といっても熱心なのは順一ひとりで、他の連中は田んぼの隣の水路でエビカニ釣りに興じていた。明人は内心、奈美が来るんじゃないかと期待していたが、来ないことを知って少しがっかりしていた。
 のどかな午後だった。さっきから国道では市長選の選挙カーが「石川ゆういち、石川ゆういちに清き一票を!」と候補者名をがなり立てていた。順一がおどけていった。
「選挙カー、うっせ〜っ、ここまで聞こえるんだけどぉ!」
 田んぼから国道までは優に数百メートルは離れていた。
「ホントだよな〜、田んぼの蛙やエビカニには、選挙権ね〜のになぁ」
茂雄は自分で気の利いた事言ったつもりなのか、ひとりでウケていた。全く面白くないってことがわかってないんだ、だから茂雄は浮くんだよって内心、明人は思った。輝夫が言った。
「奈美の父ちゃん、当選するかな?」
「えっ、あの石川って奈美の父ちゃんなのか? 立候補してんのか?」
 明人はそんな話は初耳だった。
「ちがうよ、輝夫くん。奈美ちゃんのお父さんは今度立候補した新人の石川優一候補のお兄さんで、なんていうんだっけ、選挙…選挙さ、さ……」
 奈美と仲のいい恵子が言い淀んでいると、茂雄がしたり顔で助け舟を出した。
「選挙参謀だろ」
 「そう、それそれ! 後援会作っていろいろと応援してるみたい」
 奈美のうちは手広く会社やってるからいろいろ忙しいんだな…だから来ないのかなとぼんやり明人は思った。七月に入るとすぐに市長選だったが、子供には関係のない話だった。
「順一、まず畔の穴を探すんだ」
「うん、あったよ、明ちゃん」
 順一はすぐに、巣穴を見つけた。
「これ、エビカニの巣穴だべ?」
「手ぇ、突っ込んでみればわかっぺ」
「え〜っ、エビカニじゃなくてヘビの巣穴だったらどうすんだよ〜」
情けない顔で順一が訊いてきた。
「くちゃめじゃなきゃあ噛まれたってたいしたこたぁねーべ!」
「くちゃめって何だっけ?」
「マムシのことさ」
 ぎゃっと言って、順一は巣穴に入れようとしていた手を引っ込めた。
「ちぇっ、意気地がねぇなぁ。冗談だよ〜。この辺りにマムシなんかいねーよ」
「なんだよ〜っ、脅かすなよ、明ちゃん」
 実は明人も、エビカニの巣穴に手を突っ込むときは一抹の不安を感じていた。もしくちゃめが入っていたらと思うことはあったが、幸いにも今まで一度もそんなことはなかったから、たぶん大丈夫だと思っていた。
「おっ、その巣穴に今、結構でかい赤爪が入っていったぞ!」
「順ちゃん、とってみ!」
「おっしゃ!」
 順一はおそるおそる巣穴に手を差し込んだ。
「どうだ? 赤爪に触ったか?」
「ンと、まだ……、あ、ハサミの先に触った」
「挟まれないようにして、出来るだけハサミの根元を持つんだ。ゆっくりだぞ、順ちゃん、早く引っ張りすぎると赤爪は自分でハサミ自切して逃げちゃうからな!」
 順一のとなりで明人は懸命にアドバイスを送った。
「分かった。そーっと、そーっと……」
 肩まで泥んこになった順一が、巣穴から顔をだした赤爪を最後に引き抜こうとした瞬間に、赤爪はハサミを自切して巣穴の奥に再び逃げ込んでしまった。泥だらけの順一の右手には、赤爪の片方のハサミだけが残った。
「あ〜っ、もうちょっとだったのにぃ〜」
 切断されたハサミを名残惜しそうに順一は、青空にかざした。
「何やってんだよ、順一〜。へったくそだなぁ!」
 見ていた輝夫が笑った。
「簡単じゃね〜んだよ! じゃあ輝夫やってみろよ!」
 順一は、そう言って頬をふくらませた。順一に代わって畔に横になった明人はすばやく巣穴に手を突っ込んであっという間に順一が逃がした赤爪を引っ張り出した。立派な赤爪ではあったが、左のハサミが付け根のあたりからもげていた。
「順ちゃん、ほら、見てみ。この付け根のところにスジがあるべ。切れ目なんだわ。紙でいうミシン目。ちょっと変な力が加わるとすぐ折れるんだわ。いざとなったら、ここから自切してエビカニは逃げるのさ」
「ふ〜ん、でも明ちゃん、エビカニはまたハサミ生えてくんだべ?」
「そりゃあ、小っちゃい時なら脱皮のたびにハサミは大きくなるからほとんど分からないくらいになるけど、成体になったら、完全には元通りにはなんねえな」
「オレも左右のハサミがアンバランスなエビカニ、見たことある!」
 横から輝夫が口を挟んだ。
「片爪じゃあ、どんなにでかくても、赤爪としての価値なんてね〜よ」
 そういうと、明人は赤爪の胴体と尻尾を二つに引きちぎった。尻尾の部分を素早く皮をむいて剥き身にすると、隣の水路でエビカニ釣りをしている茂雄たちのほうにポイッと投げた。?き身は水路にポチャンと落ちた。するとたちまちエビカニたちが群がってきて?き身の争奪戦が始まった。いうなれば共食いである。順一の弟の勝が群がるエビカニたちを網で掬った。いとも簡単に大量のエビカニが獲れた。あっという間にトタンバケツはエビカニで一杯になった。トタンバケツの中でうごめくエビカニたちがトタンをひっかくカリカリという音がひっきりなしにしている。
 明人は、尻尾を失った上半身のみの赤爪を農道に投げ捨てた。極めて短時間に左のハサミと尻尾を失った赤爪は、痛覚がないのか、まだ死なずに農道の草の葉陰に隠れた。きっと数時間のうちにはカラスのエサになっているであろう。
「残酷〜。男子ってホント平気で生き物殺すよね〜。可哀そうって思わないのかしらね〜」
 水路でその一部始終を見ていた恵子が、芳江と顔をしかめながら頷きあった。
正直、明人は動揺した。そんなことを言われるとは思ってもみなかった。考えたことすらなかった。そして、ここに奈美がいたら、やっぱり同じように「残酷〜っ」と言って顔を背けてしまうのだろうかと想像した。
「ちぇっ、だから女子はめんどくせ〜んだよ! なにかっつ〜とザンコク〜! カワイソウ〜! しか言わねぇ。こうやってエビカニ釣りの餌になってんだよ、なっ、勝」
 水路でエビカニを釣っていた輝夫が珍しくムキになって反論した。
「エビカニのいちばんのごちそうはエビカニなんだよ」
 さっきまで夢中でエビカニを網ですくっていた勝が無邪気に答えた。ある意味真理だった。当時の少年たちは、家の冷蔵庫からくすねてきたかまぼこや魚肉ソーセージやサキイカよりも、?き身のほうがよっぽど釣れることを経験則で知っていた。
「『一寸の虫にも五分の魂』って言葉、知らないの?」
 なおもそう言って恵子が突っかかってきたので、何故か茂雄がキレた。
「じゃあ、お前ら女子は、蚊一匹だって殺すなよな! 刺されまくってどんなに痒くても蚊取り線香とか使うなよ。ゴキブリが出たって殺虫剤もダメだかんな! ぜってぇ使うなよ! 自分だけは虫一匹も殺しませんっていうそういうの、ギゼンって言うんだかんな!」
「なによ、なによ! 茂雄君はアタシが偽善者だっていうの? 酷いわ!」
 そう言うと恵子は泣き出してしまった。芳江がそんなことないよ〜と慰める。順一は面白がって、へんな節をつけて歌いだす始末。
「あ〜あ、泣かしちゃったぁ。いっけないんだ〜、いっけないんだ〜♪」
 生き物を殺すことをなんとも思わないこの年代の少年たちと違い、女子はやっぱり感傷的である。

 その夜、明人は順一の家に泊った。トタンバケツ一杯のエビカニを手土産に。もっともそれは主に水路で茂雄や勝が釣ったものだったが。
 順一のうちは両親が遠くの親戚の法事に行っていて一九歳の姉とその彼氏だという男しかいなかった。二十一歳になる高史というその男は自動車整備工場で働いているらしい。そばに寄るとかすかに油の匂いがした。
順一の姉、看護学校に行ってる律子が大漁のエビカニを茹でてくれて、夕食のおかずになった。
「明ちゃんも、順もいっぱい食べな。自分たちで獲ってきたエビカニなんだから」
そういって律子は笑った。他にもテーブルには彼氏に食べさせるためか、腕によりをかけた律子の手料理が並んでいた。
明人はエビカニを獲るのは好きだったが、エビカニ料理はあまり好きではなかったのでほとんど手をつけなかった。順一はうまいうまいと言ってパクパク食べていた。代わりに明人は手ごねハンバーグをもりもり食べた。律子が彼氏用に作ったハンバーグは美味かった。律子はあまりの勢いで明人が食べるので彼氏の分が無くなってしまうのではないかと気が気ではなかった。
「エビカニ釣り? なに素手で? しちめんどくせぇ事やってんなぁ」
缶ビール片手に高史は上機嫌だった。
「俺たちの頃は、火のついた2B弾を池に投げ込んで爆発させて、衝撃で浮き上がってきた魚を獲ったもんだ」
「水の中では消えちゃうんじゃないの?」
「ところが2B弾は水の中でも平気なんだよな〜。結構な爆発力で水柱が上がったりしてよぉ、面白かったなぁ〜、ありゃあ」
「そんなの、邪道じゃん!」
 口をとがらせて、明人は渋い顔をした。
「そっかぁ? 魚なんか獲れればなんでもいいじゃん!」
 すでに缶ビールで酔っ払ったのか、赤い顔して高史は笑った。その口元から覗く歯は、前歯が一本欠けていた。

 夜中に尿意を催して明人は目が覚めた。部屋の柱時計を見ると十二時半だった。何回か泊りに来て勝手知ったる友達の家。便所の位置もわかっているので迷うことはなかった。途中の廊下で障子越しにひそひそと話声が聞こえてきた。
「……もう、高史ったらダメだってばぁ…」
「こんなになってんだよ。もう我慢できねぇよ」
「あの子たちが起きちゃったら、どうするの!」
「大丈夫だよ。今頃疲れてぐっすり寝てるに決まってる!」
「しょうがないわねぇ。ちょっとだけよぉ……」
 じゅぼっ、じゅぼっというくぐもった音が聞こえてきた。それが何を意味しているかはなんとなくわかった。先日の学校帰りの茂雄の言葉を思い出していた。全身がカッと熱くなった。息を止めていたが、心臓の鼓動が障子一枚隔てた二人に聞こえやしまいかと心配になった。二人に気づかれないように、明人はそーっとそーっと音を立てずにその場を離れた。
 布団に戻ってからも、興奮で心臓の鼓動は全く収まらない。隣で安らかな寝息を立てている順一を起こそうと揺り動かしたが、もう食えないよ〜と寝言を言うばかりで全く起きる気配がなかった。結局、この夜明人は朝まで一睡も出来なかった。

 明人は、急に今までそれほど意識してこなかった「女子」が気になって仕方なくなった。小五ともなれば、発育にも差が出てくる。女子の体なんて気にしたこともなかったが、昼休みのドッジボールの時、誰それがムネあるなぁとか品定めをするようになってしまった。こうなってくると誰がブラをしていて誰がしてないかが気になって気になって仕方なかった。保健委員の美佐子ちゃんは背は高いけどムネは扁平だとか、意外に恵子がムチムチしているとか、観察していたら奈美にボールを当てられてしまった。明人にボールを当てたときの奈美の顔が得意げだったので、絶対当て返してやろうと狙ってた。場外でボールを受けたとき、明人の狙いは奈美だけだった。陣地の中で逃げ回る奈美のムネに狙いを定めた。奈美のムネは正直服の上からでは発達してるのかそうでないのか明人には全く分からなかった。ちょっとした仕草のときにちょっぴり膨らんでいるような気がしないでもない。でもきっと奈美はまだブラしてないよな〜。とにかくそのムネにめがけて思い切りボールを投げつけた。一旦はキャッチしようとした奈美だったが勢いに勝ったボールは激しく奈美のムネに当り、奈美はその場にうずくまった。場が静まり返った。一瞬、明人はヤバいと思ったが、しばらくすると奈美は何事もなかったように立ち上がって場外に自ら出たので、安堵した。

 午後の授業が始まる前に、恵子をはじめとする女子数人に、明人は廊下の隅に呼び出された。女子たちの先頭に立った恵子がメガネのフレームを持ち上げながら、鼻の穴を広げて抗議してきた。
「友納くん、奈美のムネ狙ったでしょ。女子はねぇ、ムネが成長してる今の時期はねぇ、ちょっとブラウスが触れただけでも痛い時があるんだよ! それをわざとボールぶつけるなんてひどい! 男子ってほんとデリカシーない。それに友納くん、アタシのムネもじろじろ見てたでしょ。そんな人だと思わなかった!」
 明人は、恵子に畳み込まれてたじろいだが、心の中を見透かされたようでつい、言い返してしまった。
「何言ってんだよ、ブス! お前なんか見てるはずないだろ! 自意識過剰なんだよぉ!」
「サイテー!」
 捨て台詞と共に恵子たちは教室に戻っていった。明人は、恵子は絶対ブラしてると確信した。
 放課後、奈美とは掃除当番が一緒だった。一緒に机を片付けてたとき、明人は小声で一言、ごめんと謝った。
「何が?」
「あのドッジボールのときぶつけちゃって……」
「べつに悪い事したわけじゃないじゃん。フツーに私がボール受けられなかっただけだよ。何謝ってんの?」
 奈美の大きな瞳が明人の顔を覗き込んできたのでドギマギした。なんだ! 奈美は全然気にしてね〜ジャン。明人はほっとした。そして奈美は絶対まだブラはつけてないと確信したのだった。


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