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作品名:地球が丸く見える丘から 作者:鷺町一平

最終回   1

 循環バスは、地球が丸く見える丘展望館の真ん前のバス停に停まった。宮内ひなたはバスを降りて、やや上りになっている展望館に続く道を小走りに駆け上がった。振り返ると通りを挟んだ公園の向こうに青く光る太平洋が見えた。やっぱり、海近いんだぁと思った。ひなたは大きく深呼吸をしてみた。かすかに潮の香りがした。
 一階のチケット売り場で入館料三百八十円を払う。JKに人気のマイメロがついたお気に入りの小銭入れを広げていると、後ろから声をかけられた。
「あれぇ? 宮内じゃないか。お前、UFOに興味あったん
だ?」
 振り返ると、ひなたと同じ銚子中央高校、そして同じ吹奏楽部の一個上で2年の瀬上優一が立っていた。
「あっ、先輩も来てたんですか! 偶然ですね〜」
 実は、偶然でもなんでもなかった。
「確か、宮内って家、銚子じゃなかったよな。わざわざ電車で来たのか。そんなにUFO好きだったのか〜。意外だなぁ」
 正直、ひなたはUFOとかオカルトチックなものにそれほど興味があるわけではなかった。同じ吹奏楽部の憧れの先輩、瀬上優一がオカルト好きで愛読誌がムーであるということは以前から知っていた。
夏休みに入ったばかりのこの日に、ここ銚子の愛宕山にある地球が丸く見える展望館で「銚子にUFOを呼ぼう」というイベントがあることを知り、優一が参加するであろうことを親友の美央から聞くに及んで、ひなたは周到に作戦を練ったのであった。 
すなわち、UFOに興味津々のオカルト大好き少女を装い、好意を寄せている優一先輩との距離を縮めるために、このUFO召喚イベントに並々ならぬ決意をもって参加してきたのであった。

それは四月、桜が舞う中、期待に胸を膨らませて始まった高校生活。ひなたは吹奏楽部に入部した。そこで出会ったのが一年先輩の瀬上優一であった。新入部員勧誘でデモ演奏していた優一のサキソフォンのかっこよさとその端正な横顔に一目で恋におちてしまったのだった。ひなたのパートはトランペットでパート練習は一緒にできなかったが、気が付くと目で優一を追っていた。実力は折り紙付き。次期部長は間違いないといわれている。それでいて性格は明るく、気さくとくれば、女子に人気が出ないはずがない。一年女子の間では非公式のファンクラブまであるという噂だ。
吹奏楽部でストイックに練習しているときとはがらりと雰囲気が変わって、今日の優一のいでたちはラフなTシャツにデニムのストレートダメージジーンズ。ご丁寧にTシャツの胸にはUFOがデザインされていた。メッシュの野球キャップを後ろ前に被った姿はとても似合っていて、ひなたは思わず心の中で先輩! カッコいいっ! と叫んでしまったのであった。
もっとも、ひなただって相当気合が入っていた。なにしろ、片思いの瀬上先輩との距離を縮めるための大事な日なのである。出来るだけ可愛く見られたいというのは極めて自然な乙女心だった。いちばんのお気に入りの夏の定番、ノースリーブふんわりシルエットの花柄ワンピースで決めてみた。ポイントは“清楚”、この一点である。夏だからと言って露出が多すぎるのは厳禁。さわやかさを演出することに専念すべきなのだ。
「なんか、今日いつもと雰囲気違うな。宮内」
 よっしゃぁ! 心の中でガッツポーズ! どうやらつかみはOKみたいだわとひなたは思った。髪だっていつものストレートじゃなくて汗っぽくならないようにポニーテールにした甲斐があったというもの。
「ほんとですか。うれしいな」
 ちょっとだけ小首をかしげ、可愛く微笑んでみる。このポーズにはちょっと自信があった。先輩がちょっとだけ動揺してるのをみて、やったと思った。
 どんどん人が多くなってきた。みんなUFO召喚イベントに参加する人たちだろうか。ひなたと優一はエレベーターに乗った。
「先輩はなんでUFO好きになったんですかぁ?」
 身長百八十一センチメートルの優一に対して、ひなたは百六十四センチメートル。ちょっと上目使いに先輩を見上げる。ちょっと瞳を潤ませて。これも昨夜さんざん練習したポーズだ。
「俺かぁ…、なんだろう、親がそういうの好きでさ、物心ついたときから家にそういう本とかいっぱいあったんだよね〜、ムーとかさ。それにほら、銚子電鉄の君ヶ浜駅がネーミングライツでロズウェル駅になっただろう、ああいうのもあってさぁ。決定的だったのは三島由紀夫の「美しい星」読んでからかなぁ…。宮内、知ってる?」
「いいえ、知らないです…で、でも絶対読みます!」
 ステキ! 先輩は、文学もちゃんと読んでるんだわ。今日帰りに買わなくちゃ! とひなたは思った。そして付け焼刃の知識じゃ先輩についていけないとも思った。ついでに昨夜仕入れたそれこそ一夜漬けの情報を口にしてみた。
「銚子って、住民の五人にひとりがUFOを目撃してるんですよね? それってすごくないですか? 先輩も銚子市民ですよね? UFO観たことあるんですか?」
「一度だけあるよ。部活の帰り道、夕焼け空に一筋の光が横に走ったんだ。何故だかすごく感傷的になっちゃって涙が出た。UFOには人の心を揺さぶるなにかがあるんじゃないかなって思ってる」
「すご〜い。先輩って詩人ですね! 私も早くUFO観たくなっちゃった!」
 いい雰囲気をひなたは感じていた。こんなに長く瀬上先輩と話せたのは、入部以来、はじめてだった。このイベントに先輩が参加するって教えてくれた親友の美央には感謝しなくちゃいけない。心の中で「美央、サンクス!」とひなたはつぶやいた。
 その時、LINEが入った。美央からだった。《どお? ひなた、うまく瀬上先輩と話せた?》《うん、なんかいい感じ〜》すぐにひなたはLINEの返信をした。
 ひなたと優一は、三階に上がってきた。この三階のテラスから屋上に続く階段があるのだった。三階にはちょっとした軽食がとれるスペースがあった。かき氷やソフトクリーム、焼きそば、銚子名物ぬれ煎餅などが置いてあった。そういったものを横目で見ながらテラスに出る。正面に夏の真っ青な太平洋が広がっていた。

「わぁ、気持ちいい!」
ひなたは思わず、のびをした。キラキラ光る海の反射にとなりの優一もまぶしそうに眼を細めている。目の前には日比友愛の碑のモニュメントが鎮座している。第二次世界大戦中、不幸にして戦火を交えた日本とフィリピン両国民が互いの恩讐を超えて永遠の世界平和を祈念するために、昭和三十三年に建立された。何故ここに日比友愛の碑が建てられたかというと銚子の愛宕山が眼下の太平洋を隔てて途中に遮るものが何一つなく、フィリピンに相対しているからだ。モニュメントの先端は、三千q離れたマニラ富士と呼ばれるフィリピンのマヨン山の方角を向いているという。
 テラスの右奥に階段があり、登っていくと屋上に出られる。その屋上からは何やら、威勢のいい楽し気な音楽が流れてくる。ひなたと優一は階段を登って屋上に出た。屋上は五十畳ほどの広さがあった。海風が心地よい。この建物の呼び名にもなっている文字通り見渡す限りの水平線が広がって、地球が丸く見える。三百六十度のうちの三百三十度が水平線なのだ。ほぼ水平線を遮るものがない一大パノラマ。西は屏風ヶ浦から太平洋の大海原を経て東の犬吠埼の灯台、さらに銚子港方面の銚子ポートタワーまで一望できる。
「すっご〜い! ほんとに地球が丸く見える! 感動。初めて来た」
「太平洋に突き出た銚子半島ならではのロケーションだよな。ここまで水平線が見える場所って本州ではなかなかないだろうなぁ」
タイルで覆われた手すりにもたれてはるかな太平洋を見つめて優一は言った。

 屋上の片隅で、かっぱの着ぐるみをきた変なおじさんがエレキギター片手に歌っていた。さっきから聞こえてきていた音楽の発信源はここだった。だけど聴いているひとは誰もいない。時刻は午後二時を少し回った。三々五々、人が増えてくる。気が付くと百人くらいの人が屋上にあふれていた。見るからにオタクっぽい人や、何やらアタッシュケースを持った制服に制帽を被ったパイロット然とした若い男性やら、とても堅気な職業にはついていなさそうな年齢不詳の中年夫婦、黒のゴスロリファッションに身を包んだミステリアスな雰囲気の奇麗なお姐さん……、雑多な人々が集まっていた。みんな高価そうな一眼レフやスマホを片手にしている。UFOを撮影する気満々だ。
 まず主催者のあいさつから始まる。MCの男女が出てきた。やけにオデコのひろい芸人と鉄オタアイドルだ。笛木洋子というらしい。鉄オタアイドルは車掌のコスプレをしている。赤いミニスカートがちょっと痛々しいとひなたは思った。この人アイドルって言ってるけど、結構歳くってるんじゃないかしら。ひなたはやっと気づいた。後ろに立っているパイロット然とした若い男は、この鉄オタアイドルの追っかけだったのだ。この鉄オタアイドルはUFO大好きで、今年で三回目になるこのUFO召喚イベントのことは知っていて、呼ばれなかったらプライベートでも来るつもりでしたよと言っていた。日本全国すべての鉄道に乗りつくしている彼女は何回か銚子電鉄にも乗ったことがあって、そんなに好きなら出ちゃえばいいじゃないですか〜と仲良くなった広報の人に言われて出演が決まったそうである。
「さぁ、今年もやってきました。このUFO召喚会。今年で三回目ですがUFO出現率百%を誇っています。今年も現れるでしょうか?」
「今日は、東スポのカメラマンさんも取材にみえてますからねー。UFO撮影に成功すれば明日の東スポ一面まちがいなしですよぉ!」
鉄オタアイドル笛木洋子が煽りまくっている。優一とひなたは顔を見合わせた。優一はちょっと首をすくめていた。
そしてUFOおじさんこと、コンタクティの沢村さん登場。見た目は七十歳くらい。おじさんというよりもおじいちゃんという感じ。ひなたは全く知らなかったが、その筋では有名なひとらしくテレビにも何度も出ていて、いたるところでUFOを呼び寄せている専門家とのこと。コンタクティというのはUFOとコンタクトできる人のことをいうらしい。
 そのUFOおじさんの沢村さんがUFOを呼ぶときの呪文があるという。UFOを呼びたいときはみんなでこの呪文を口ずさむのだ。MCのデコ芸人と鉄オタアイドルが、沢さん、どうですか。UFOを呼んでくださいと水を向けるとその呪文を唱えだした。
「ゆんゆんゆん、きゅんきゅんきゅん、ふぁんふぁんふぁん……」
 ひなたは思わず笑いそうになってしまった。でも隣の優一をみると真面目くさった顔をして、ゆんゆんきゅんきゅんと口ずさんでいる。MCのデコ芸人と鉄オタアイドルが「さぁ、みなさんご一緒に!」と盛り上げている。仕方なくひなたもゆんゆんゆん、きゅんきゅんきゅんと小さく口に出してみる。そのうちなんか楽しくなってきた。こういうイベントはとことん楽しまないと損だ。くだらないとかバカバカしいとか思ったら、一気にしらける。ハイテンションなノリを維持することが何より大切なのだ。最初こそ小さかったひなたの声はだんだん大きくなっていった。
屋上にいる全員が真っ青な夏の空を仰ぎながらゆんゆんゆん、きゅんきゅんきゅんと唱えているのはなかなかにシュールな光景である。沢さんは言う。
「さっきから、ものすごいパワーを感じています。肉眼では見えませんがすでにこのあたりにUFOは来てます!」
 屋上に集まったすべての人たちが一斉に空に向かってスマホや一眼レフのシャッターを切る。ひなたも優一もみんなに負けじとシャッターを切った。
 そうこうしている間にステージでは同時進行で「宇宙フォークジャンボリー」が始まった。一番手は先ほどのかっぱの着ぐるみをきたおじさんだった。MCの鉄オタアイドルが紹介する。
「地元銚子のかっぱ屋の店長、川端京二さんで〜す」
「どうもぉぉ! みなさん、元気ですか〜。元気があればなんでもできる! 現金があればなんでも買える! 元気の源、かっぱ屋店長の川端康成じゃなくて、川端京二です。今日はUFO召喚イベントにお招きいただきありがとうございます」
 かっぱオヤジはかっぱの着ぐるみのまま愛想を振りまいている。
「かっぱ屋さんというのはどういうお店なんですか?」
 鉄オタアイドルは、手作りの赤い車掌コスプレの帽子が吹き付ける海風で飛ばないように抑えながら、かっぱオヤジにマイクを向ける。
「かっぱについてのあらゆるものを置いてます。かっぱグッズ、アクセサリー、小物、かっぱがデザインされたハンカチ、タオルからテーブルクロス、傘…みなさんも漁港の近くに来たらぜひお寄りください」
「楽しそう! こう見えても店長さんは、日本のロックシーンに輝かしい足跡を残した伝説のバンド、元『延髄ゲリーズ』なんですよ〜。それでは歌ってもらいましょう。ええっと、タイトルなんでしたっけ? ああ、『かっぱっぱルンバ!』で〜す!」
「簡単な振りなんでみんなもおどってくださいね〜」
「♪かっぱっぱ〜、かっぱっぱ〜、今日も朝からお皿はツルツル、お腹はペコペコ、ご飯のキュウリをポ〜リポリ♪ はいっ」
 かっぱオヤジは両手を頭の上にあげて手のひらを下に向けると小刻みに振った。
「さぁ、ご一緒にぃぃ!」
 仕方なく前列の何人かの人々はその真似をした。ひなたが振りをして優一に笑いかける。しぶしぶ優一も真似をして振りをつけた。目の前のかっぱオヤジは満足そうに微笑みながら歌い終えた。
「ありがとうございました〜。結構みなさんノリノリでしたね〜。こういったらなんですけど、すごい楽しかった。わたしも自然に体が動いちゃいましたヨ」
 トウの立った鉄オタアイドルはフォローを忘れない。
「宇宙フォークジャンボリー、次は、誰ですか? おっ、沢さんいきますか? なに歌いますか? 『十代の恋よ、さようなら』。沢さんの青春時代の曲かな? あるかな〜。あるみたいです。では沢さんおねがいします」
 デコ芸人が紹介すると沢さんが気分たっぷりにステージに進む。すでにマイクをもつ小指が立っている。イントロが流れる。あまりにのどかで牧歌的曲調に会場の空気が変わる。
 ひなたは優一と顔を見合わせる。ひなたは素早くググってみる。優一はスマホをいじるひなたに冷やかな目線を浴びせている。ひなたがスマホの液晶画面をみつめつぶやく。
「昭和三十三年だって。古〜い!」
「宮内、お前なんでもすぐにググるのな。わからない時間、考える時間が人を成長させることもあるんだってことを覚えたほうがいいよ」
 いままで、ひなたにそんなことを言ってくれたひとは誰もいなかった。ひなたは優一の言葉に感動していた。先輩、すごい。これは素敵なアドバイスだ。そうだ、なんでもすぐにググるのはきっとよくないんだ。自重しようとひなたは思った。もっと成長して先輩にふさわしい彼女にならなくちゃ! そう、すでにひなたは優一の彼女になると決めていたのだった。
 
 ゆったりとしたテンポのいかにも昭和のイントロが流れると、期せずして会場のあちこちから手拍子が起こる。何故か撮影してる人もいる。
「♪好きでならない、ひとなれど〜」
 気持ちよさそうに熱唱する沢さんにあたたかい拍手と声援がとぶ。優一が苦笑いしながらつぶやく。
「村祭りのカラオケ大会かよ〜」
 UFO召喚と昭和三十年代の懐メロ歌謡。このあり得ない取り合わせの妙にひなたもどう対応していいかわかなかったけれど、どこか懐かしいこころが安らぐような穏やかな気分になっていた。
 一方で相変わらず空を撮りまくってもいた。ひなたのとなりの大学生っぽいメガネをかけた若い男はiPhoneのバーストモードで撮りまくっていた。連続シャッター音が途切れることがなかった。他人事ながら、メモリーとバッテリーがもつのか心配になったくらいだ。
カオスだった。すべてが混とんとしていた。さらに宇宙フォークジャンボリーは続く。トリは鉄オタアイドル、笛木洋子が自分の曲を歌う。「駅が呼んでいる」という歌で合いの手で日本全国の主要な駅名が入る。ここで追っかけパワーが炸裂した。全国各地から終結した鉄オタアイドル、笛木洋子の追っかけの面々がサビの駅名のところで、声を合わせて駅名を連呼してる。
「いまから駅名をいいます。返してくれるとうれしいです! 今日は、東海道新幹線! 東京!」
 後ろから野太い声の一団が返す。その中にはさっきのトークショーでアタッシュケースを持っていた彼ももちろん入っていた。
「東京!」
「品川」
「品川!」
「新横浜」
「新横浜!」
「小田原」
「小田原!」
「熱海」
「熱海!」
……。
 おそるべきオタクパワーと呼ぶべきか。さっき歌い終わったかっぱオヤジが鉄オタアイドルの周りをローアングルの動画で撮影して回ってる。笑顔で応えて手を振る鉄オタアイドル。
「さぁ、みなさん。UFO撮れましたか? UFO写ってる人! まだいない? じゃあこのあと、UFOが来るように祈りましょう! ありがとうございました」
 一人の女性が手を挙げた。海風が吹き抜ける屋上が騒然となった。
「なんか写ってますか? 沢さん、鑑定おねがいします!」
 沢さんがその女性のスマホを確認している。MCのデコ芸人や今歌い終わったばかりの鉄オタアイドル、笛木洋子も、覗き込んでいる。女性の周りに人垣ができた。沢さんが目をしばたかせて言った。
「これはUFOですねぇ。太陽の下に明らかにレンズのケアレや反射ではないクラゲのような物体が映りこんでいますねぇ」
 MCのデコ芸人が声を張り上げて宣言する。
「はいっ、認定でました〜。今日の第一号」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って。UFO認定はいいんだけど、それ以前にこのスマホ、液晶画面がバキバキにひび入ってますよ〜。なんかそっちのほうが怖いんですけど!」
 鉄オタアイドル、笛木洋子がみんなの笑いを誘う。
「あ〜っ、ちょっと落としちゃってぇ。でも使えるんで割れたまま使ってます」 
 持ち主の女性が恐縮気味に答える。
 みんなこれでスイッチが入ったのか、なお一層、空に向けてシャッター切りまくる。動画で撮影してる人もいる。先ほどのメガネの大学生は相変わらず、バーストモードで連写しまくっている。すでに何千枚にもなっているだろう。
 結局、この日の成果は動画で三人、静止画で一人、UFOらしきものが確認された。瀬上優一も宮内ひなたもUFOを撮影することは叶わなかった。最後まで屋上にいた人たちはUFOコンダクター沢さんや鉄オタアイドル笛木洋子も入って記念撮影をした。撮影してくれたのは取材に来た東スポの記者さんだった。ひなたと優一は、沢さんの後ろでポーズをとった。お約束のゆんゆんゆん、きゅんきゅんきゅんと言いながら。


 「初めてUFO召喚に来たけど、面白かったです。宇宙フォークジャンボリーも超楽しかった! ねっ、先輩!」
「まぁな〜。B級感満載だけど、そこがまたいいのかもな〜」
 ひなたと優一がそんなことを話しながら、地球が丸く見える丘展望館の玄関まで来たとき、ロン毛を後ろでひっつめた中年のオヤジにふたりは後ろからがっしりと肩をつかまれた。
「よっ、おふたりさん。UFOの写真は撮れたかな?」
「だっ、誰?」
「あれぇ? 忘れちゃった?」
 その中年オヤジは、バッグの中から、緑色のかっぱの着ぐるみを半分ひっぱり出してふたりに見せた。
「あ〜っ、かっぱ屋のおじさんだぁ〜」
 ひなたは大きな声で、かっぱオヤジを指さして歓喜している。
「やっと、思い出してくれたか。歌の時は一番前で見てくれてありがとうな。今度、店にも遊びに来てくれよな」
 優一は言った。
「かっぱっぱルンバ、すっごく面白かったです。さっきMCの人も言ってましたけど、おじさん、元ロックバンドのヴォーカルだったって本当なんですか?」
「あー、うん。昔の話さ。ヴォーカルじゃなくてギタリストだけどなぁ。延髄ゲリーズっていうんだけどさ〜、アルバム三枚くらい出したんだけど、売れなくてな〜」
 三人は話しながら地球が丸く見える丘展望館の前の道路を横切り階段を下りて、公園になっているふれあい広場に降りてきた。
「おじさん、すご〜い。ロックバンドのギタリストだったなんてカッコいい。あんな着ぐるみ着てコミックソング歌ってるのにぃ!」
「なに言ってんだ。あの振り付けはモーニング娘。の振り付け担当のひとが考えてくれたんだぞl。昔はもっとロン毛でもっとずっとスリムだったし、モテたんだぜぃ」
「うっそーっ、信じらんな〜い!」
 ケラケラと笑い出すひなた。でも罪がないからちっともいやみじゃない。誰も傷つかない得な性格である。
 ふれあい広場の中には、夏の花々が咲き誇っていた。花壇の中には赤い花と黄色い花がきれいに植え分けられていた。赤い花はサルビア、黄色はマリーゴールドである。白い花弁の一部に細いまだらが入っているのが、アルストロメリア。可憐な花である。それらの花々よりはるかに大きく茎は長く花弁の高さは人の身長ほどのところにあり鑑賞しやすいのがアメリカフヨウ。夏の日中にダイナミックで大きなピンクの花を咲かせて人々を楽しませている。少し離れた花壇には青いペンタスと控えめな菊に似た花ルドベキアが咲き乱れている。
 かっぱロックオヤジ、川端京二はポツリといった。
「夏の花たちはみんな懸命に生きているんだなぁ。そうそう、知ってるかい? ここは昔、レジャーランドだったんだぜ。犬吠オーシャンランドっていうのがあったんだ」
 優一とひなたは顔を見合わせた。
「全く、知りません。初耳です」
「私もぜんぜん知らな〜い。ビックリ!」
 かっぱロックオヤジは自販機でペットボトルのお茶を買ってきてくれて、ひなたと優一に無言で差し出した。ふたりは礼を言って受け取った。
三人は公園のベンチに座った。川畑京二は自分の分のペットボトルのキャップを開けて一口ごくりと飲んだ。小さな虫がひなたのノースリーブの腕にとまった。蚊だと思ったら暗灰褐色のセミによく似た四ミリくらいの虫だった。背中に白い紋があった。すぐに手で払いのけた。今年の夏は虫が多い。
「今年は猛暑だけど、銚子は東京あたりに比べると気温が5℃くらい違うって言われてる。銚子は涼しいよな〜。特にこの愛宕山は太平洋から海風が吹くから体感温度はもっと涼しく感じるよな」
 ひなたは、犬吠オーシャンランドという昔ここにあった施設の話を聞きたいと思った。それは優一も同じらしい。だが、ロックかっぱオヤジ川端は、はぐらかすように関係のない話をしはじめたので少しいら立った。
「さっき屋上にいたときも風がすごく強くて、晴れてるのに暑いどころかちょっと肌寒いくらいだったもん。それで、おじさん、犬吠オーシャンランドって、どんな施設だったんです?」
 ひなたはペットボトルのお茶をにぎりしめて言った。不思議と喉は渇いていない。
「五つのプールやゴーカート場、アスレチック施設、海の生活館なんていうのがあったんだ。一九七三年に開園して、夏場を中心に賑わったんだが、だんだんさびれてきてな〜、一九八九年に閉園しちまったんだ」
 そう言って、ロックかっぱオヤジは寂しそうに笑った。
「なんだ〜っ、ここにプールがあったんですか〜。うわ〜っ、入りたかったぁぁ」
 いかにも残念そうに優一はため息をついた。ひなたもイメージしてみた。もしも今まだ犬吠オーシャンランドが存在していたなら、私はきっと先輩と来ていたのだろうかと。そして優一の前で水着になることを想像してひとりで頬を赤らめていた。
「花壇にサルビアとかマリーゴールドをはじめとしていろんな草花が植わってるだろう…このあたりがちょうどプールだったんだよ」
「プールの前には引退した漁業指導船が置かれててな〜、今でいうウォータースライダーっていうのかな、滑り台から直接プールにそのまま入れたんだ。大人気だったよ」
「へぇ〜、船まであったんですか。見たかったなぁ」
「うん、私もそのスライダー滑りたかったぁ!」
 ひなたは頭からスライダーに飛び込むポーズを作って笑顔をみせた。
「それだけじゃないぜ。さっきまでいた展望台の横には、当時、犬吠スカイタワーっていう回転式の展望台を持つ高さ四十五メートルのタワーがあったんだ! 一階はゲームセンター、二階にはレストランと売店、三階にタワー乗り場と軽食コーナーがあったんだ」
「すげぇ! そんなタワーまでそびえ立ってたんですか。ここ愛宕山が海抜七十三メートルだから、その頂上に建ってたってことは海抜百十八メールってことですよねぇ。信じられない、その見晴らしは圧巻だったでしょうねぇ。チクショー」
 優一は指を折って計算してくやしがった。
「回転しながらゆっくり上がっていく展望キャビンは三十一人乗りでな〜、今の展望台のはるか上まで上がったんだから、その見晴らしのよさっていったら、なかったな〜。九十九里の海岸線から屏風ヶ浦はもちろん、鹿島灘、遠くは筑波山まではっきり見えたんだぜ」
「え〜っ、回転展望キャビンとかなんかカッコいい! 絶対、先輩と乗ってみたかったな〜」
 大げさにため息をついて肩を落としてひなたはがっかりした仕草をみせた。
「なんで、そんな素敵なタワーが今は残ってないんですか?」
 優一は素朴な疑問をぶつけた。
「それがな、ここやっぱり潮風がきついだろう? 昭和五十二年三月の定期検査でタワーの主要構造部の腐食が見つかっちゃったんだよ。すぐに修理って話になったんだけど、もうその時には犬吠オーシャンランド全体の経営が苦しくなっていて修繕費用の四千万円が捻出出来なかったんだ。そしてその年の六月に営業を停止。しばらくして危険なのでタワー撤去。目玉のタワーが無くなったんだからレストランとかさびれる一方で三階建てのビルも解体って流れ…」
「うわぁ、なんかもったいない…」
 ひなたはうなだれて顔を覆った。
 ベンチから立ち上がってロックかっぱオヤジは公園の中をずんずん進んでいく。優一とひなたもつられて少し遅れてそのあとをついていく。今は公園になっているふれあい広場は愛宕山の傾斜地にある。地球が丸く見える丘展望館と道路を隔てている。その道路に沿ってコンクリート製の使用目的のよくわからない建物が建っている。コンクリート製の広い階段がついていて途中で折れ曲がってふれあい広場に下りられるつくりになっている。トイレがあり、その横は休憩室となっているが天井が高く、コンクリートの打ちっぱなしで元々は違う用途であっただろうことが容易に想像できた。
「ここが元は犬吠レジャーランドのチケット売り場でそのまま階段からエントランスになっていたのさ。レジャーランドは解体されちゃったけどどういうわけだか、ここだけは残ってるんだ。ちょっと前までここにはプールの監視用はしごいすが置いてあったもんさ」
「おもしろ〜い。なんかちょっとした探検みたいになってきましたね、先輩」
 そういって、ひなたは隣の優一に微笑みかける。
「ああ、愛宕山にこんな歴史があったなんてな〜。ということはここは犬吠レジャーランドの残骸かぁ…」
そう言いながら、優一は歴史を感じさせるコンクリート打ちっぱなしの壁を撫でている。
「夢の跡みたいなものなのかな…」
 すこしだけ、感傷的になってひなたはつぶやいた。
「おじさん、やけに詳しいですね。なんでそんなに細かく知ってるんですか?」
 優一が、川端に問いかけた。
「そりゃあ、何故って、一九七四年の夏、俺はできたばかりのこの施設でバイトしていたんだ。そして合間にプールの横でバンド演奏させてもらってたんだ。演奏してるとうるせ〜っ、ラジオが聞こえね〜だろって怒られた。みんなラジオの高校野球中継の銚子商の試合に夢中だったんだ。あの頃、千葉県は高校野球が強くてなぁ…。七四年、昭和四九年は銚子商業、翌五十年は習志野が、夏の高校野球で全国制覇したんだ! “千葉を制するものは全国を制す”なんて言われたもんさ〜」
「あ〜、それ聞いたことあります」
「少年、話合いそうだな。もっと詳しく話そうか」
 額から汗を滴らせ、ロックかっぱオヤジは言った。
「暑いし、小腹すいてきたな。近くに喫茶店があるからそこで涼もうか。おごるぜ」


 その喫茶店、『海風のカンバス』からは、東洋のドーバーと呼ばれている屛風ヶ浦が一望できた。窓側のテーブルの一角に三人は座っていた。ロックかっぱオヤジは和風サラダスパゲッティをかき込みながらしゃべっていた。優一の前にもナスとベーコンのトマトスパゲッティが置かれていたが優一はまだ手をつけていなかった。ひなたは優一の前でもあるし、小食アピールのため、アイスコーヒーだけにしてたっぷりミルクを入れていた。そしてちょっと雰囲気が違ってきちゃったなと焦ってもいた。店内には優一たちのほかにはもう一組しか客はいなかった。店内の中央の天井には四枚羽の大きなシーリングファンがゆったりと回っていた。なかなか雰囲気のある喫茶店だ。
本来ならこんなお店で、優一と二人でゆっくりお互いを知るための会話がしたかったけど、なぜか余計なロックかっぱオヤジがいる。おごりだと言っていたので本当はやけ食いしたかったところだが、優一の手前、小食でかわいい後輩アピールのため、泣く泣く涙をのんだのだった。しかし二人はさっきから高校野球の話に夢中だ。ひなたはそれほど野球に詳しくない。第一ルールすらそれほど良く理解していない。そういえばおじいちゃんも野球やってたとか言ってたけど、あまり興味なかったし…。少し退屈さを感じたひなたはアイスコーヒーのストローの袋を切り、ストローを鼻と唇の間に挟んで遊んでいた。

「昭和四九年の銚子商の強さはなかったな。あれはもう伝説だよ」
「聞いたことあります。黒潮打線が爆発したんですよね?」
「すご〜い。先輩なんでそんなこと知ってるんですかぁ?」
 退屈なひなたが目を丸くして茶々を入れてきた。野球には興味がない女の子にはチンプンカンプンな話らしい。
「銚子に住んでりゃ、ジョーシキだっつーの」 
 そういって優一はひなたにウィンクをした。
「投げては、土屋正勝という超高校級の投手を擁し、打っては今言ったその黒潮打線の中核をなしていたのが、そののち巨人からドラフト一位指名されるそのとき二年生だった篠塚だったんだぜ。サードを守ってた。土屋はドラフト一位指名されて中日に入った」
 口の端に刻んだ海苔をつけたまま、ロックかっぱオヤジは熱弁をふるっている。
「そんなキラ星のようにスター選手が輝いた大会だったけど、何故かオレの印象に残ってるのは、一番バッターで主将を務めていたショートの宮内なんだよな〜」
 ロックかっぱオヤジは窓越しに見える屏風ヶ浦を眺めながら遠い目をしていった。
「そんなに活躍したんですか?」
 優一が丸めたスパゲティを口に運びながら身を乗り出して聞いた。
「いやいや、その逆さ。“黒潮打線”が猛威を振るって強豪校を次々と撃破していく中、宮内だけひとり蚊帳の外だった。一本もヒットが出なかったんだ」
 あれ、話に入れなくておとなしくしていたひなただったが、この話なんか聞いたことあるなと首をひねっていた。
「そりゃあ、キャプテンとしてリードオフマンとして、焦りもあったろう、責任感も人一倍感じていただろう。だんだんオレは他人事に思えなくなってきて、試合がベスト8、ベスト4と進むうちに祈るような気持ちになっていた。なんとか宮内にヒットが生まれてほしい! そう願うようになっていた」
 優一もひなたも神妙に聞いていた。 海風のカンバスの窓の外の敷地には西洋風の風車があってその前に山羊がつながれていた。きっとこの店で飼っているのだろう。草を食んでいた。ひなたはその山羊を見ながら、頭の中ではこの話をどこで聞いたのか懸命に思い出そうとしていた。
「そして迎えた決勝戦。相手は山口の防府商。その日はバイト休みだったんで家でテレビにかじりついてた。宮内についに待望のヒットが出たんだ。それもなんとホームラン! あの時は涙が出るほどうれしかったなぁ。オレ、テレビの前で思わずやった〜って大声あげて拳つきあげちゃったら母親にうるさいって怒られた」
 突然、ひなたが立ち上がり、素っ頓狂な声をあげた。
「思い出した! それ相手は準決勝の前橋商戦だよっ!」
 優一が驚く。
「はぁっ? 宮内、お前、野球、全然興味ないんじゃないのかよ!」
「だって、それ、私のおじいちゃん! ほんとに野球興味ないから聞き流してたけど、おじいちゃん準決勝の前橋商戦でホームラン打ったって自慢してた」
「あ、苗字、宮内だもんな…」
「ということは…お嬢ちゃんは…」
「はい。私、孫です。宮内ひなたって言います」
「え〜っ、思い込みってこわいなぁ。オレはてっきり今の今までホームラン打ったのは決勝戦だとばかり思ってた〜」
 そういってロックかっぱオヤジ、川端は手のひらでこめかみを押さえた。
「しかし、まぁ…、こんなところで宮内キャプテンのお孫さんに会えるとはねぇ…。おじいちゃんは元気かい?」
「はいっ、おかげさまで!」
 にっこりとひなたは微笑んだ。
「お嬢ちゃんが宮内ひなたさん、んで、少年、君の名は?」
「あ、申し遅れました。銚子中央高校2年、瀬上優一です。吹奏楽部でサックス吹いてます。宮内は一個下の後輩で同じ吹奏楽部です」
 ひなたが受ける。
「トランペットやってまーす」
「そうかそうか。瀬上優一くんと宮内ひなたさんか。オレは川端京二といいます。よろしくね。それでふたりは付き合ってるのかい?」
「うふっ、そう見えますぅ?」
 うれしそうにはにかむひなたに対して、はげしくかぶりを振り否定する優一。
「ち、違いますよ! たまたまイベントで一緒になっただけです」
 そんなに力いっぱい否定しなくても…とひなたは心の中で不満に思った。
「いいなぁ。若いっていうのは…。オレも青春時代を思い出すぜ」
「おじさん、バンドやってたんでしょ。オーシャンランドのバイトの合間に演奏してたってさっき言ってたじゃないですかぁ。その時は彼女いたんですかぁ?」 
 アイスコーヒーをストローですすりながら、いたずらっぽい目でひなたが尋ねた。
「好きな娘かぁ…。プールでバイトしてた時、告ったよ。ストレートのサラッサラッの髪の娘でねぇ…。でも、フラれた。アタシ、野球部の宮内さんが好きなんですって言われた。ショックだったな〜。バンドはやっぱり野球部に勝てないんだって思った」
 そういうとロックかっぱオヤジは笑った。
「それからオレが好きになった娘を夢中にさせてる宮内ってどんなだよって見始めたんだけど、さっきも言ったけど、これが全然打てないわけよ。最初はケッとか思ってたんだけど、だんだんあまりに打てないんでかわいそうになってきちゃって。気づいたらいつの間にか応援してた」
「なんか、笑ったらいけないんだろうけど、川端さん、いい人ですね」
 優一はそういうと鼻の下を人差し指でこすって少しだけ目を細めた。
「そうかな? そうだ、せっかく仲良くなった印に、ふたりにお土産をあげよう」
そういうと、かっぱロックオヤジ川端は、ふたりの前にかっぱが肘を枕に寝そべったデザインの小さなキーホルダーをふたりのまえにひとつずつならべた。
 ひなたは、ロックかっぱオヤジがバッグの中に手を入れたとき、なにをくれるのかとドキドキしたが、かっぱのキーホルダーの実物をみて内心がっかりした。それもたいしてかわいくないというか、どっちかというとグロテスクだったし。でも先輩とお揃いなのは嬉しかったので気を取り直して、かっぱロックオヤジに最上級の笑顔を作ってみせた。
「可愛い! ありがとう。大事にします」
 二人はお礼を言った。
「それで、川端さんはなんでUFO召喚のこのイベントに出ることになったんですか?」
「そんな改まらなくてもいいよ、おじさんでOKだよ。いや〜っ、かっぱってホラ、何となく宇宙人っぽいでしょ。」
「かっぱ宇宙人説ってのもありますよね」
「基本的に町おこしだからね。UFO召喚イベントは」
「そんな夢のないこと言っちゃっていいんですか? ロズウェル駅まで作っちゃったのに」
 スパゲティの最後の一口を飲み込んだ優一は、コップの水を飲み干して言った。ひなたはロズウェルがなんなのかよく知らなかった。ググりたい衝動に駆られたが、優一からさっきむやみにググるのはよくないと言われていたので思いとどまった。そんなひなたの心中を察するように優一は言った。
「一九四七年七月、アメリカのニューメキシコ州ロズウェル付近で墜落したUFOを空軍が回収したことで有名になった事件のこと。ロズウェル付近といっても実際の墜落現場は七十マイルも離れてたんだけどロズウェル陸軍飛行場が深く関与してるのでロズウェル事件と呼ばれてるんだ。世界でもっとも有名なUFO事件って呼ばれてる。そこからロズウェル駅なのさ」
 先輩、ありがとう、ひなたは優一の優しさに感激した。そんな駅なら見てみたいとひなたは思った。
「いや、あれこそ町おこしの象徴でしょう。銚子では5人に一人がUFO目撃してるとか言っちゃってるしさぁ…」
 ロックかっぱオヤジはデザートのチーズケーキまでしっかり平らげていた。
「私、そのロズウェル駅見たいです。銚子の人じゃないからあまり銚子電鉄乗ったことことないし…」
そういいながらひなたの目は窓の外の山羊を追っている。
「宮内キャプテンの孫にそういわれちゃ、しょうがないなぁ。じゃあオレのクルマで乗せていってあげよっか。かっぱ屋って店の名前が入った軽ワゴンだけどね」
「ほんとですか。うれしいっ。ありがとうございまーす」 
ひなたはさっきから窓の外の山羊が気になって仕方ない。山羊がこっちを見た。目が合った。
「その前に私、あの山羊触りたい!」

 幸い食事も済んでいた二人も賛成してくれたので、店の人に断って三人は外へ出た。エントランスからコの字型になっている建物の窓を回り込んで、山羊のいる場所に向かった。小高い丘になっているので外に出ると一層見晴らしがいい。午後の陽光にきらめく太平洋と屏風ヶ浦の切り立った崖のコントラストが素晴らしい。山羊はとても人懐っこい。きっと今までもたくさんの客に頭を撫でられているのだろう。ひなたを怖がる様子もなくずんずん頭を寄せてきた。角で押されてひなたは少しよろめいた。その拍子に山羊のまわりにたくさん落ちている小指大の黒い塊をふんでしまった。
「なにこれ、もしかして山羊のうんち?」
 山羊の糞はよくみるといたるところに落ちていた。山羊は一応繋がれているので半径数メートルの範囲だったが黒い小さな塊が無数に落ちていた。
「宮内、山羊のうんこ、踏んでも平気なのか? うちの妹だったらぎゃ〜ぎゃ〜っ、泣きわめくぞ」
ところがひなたは山羊の糞を踏んでも別段騒ぐこともなく、こうつぶやいたのだった。
「私、野生児ですから。山羊のうんちって面白〜い。先輩、まるでマーブルチョコレートみたいですね!」
 と微笑んだのである。
優一も山羊の頭を撫でようとした。ところがひなたには進んで頭を撫でさせた山羊は、優一が差し出した手から逃れるように頭を振った。まるでお前に撫でられるのは嫌だとでもいわんばかりに。もう一度手を伸ばすと、またしても頭を振って逃げた。
「なんだよ、こいつ! 宮内には撫でさせたくせに!」
 ひなたが笑い転げている。
「きっと、先輩のこと嫌いなんですよ、この子」
 そういっていとも簡単にひなたは山羊の頭を撫でた。
「なんだよ。まったくぅ」
 優一は苦笑いした。その時、山羊は激しく耳を動かした。どうやら耳のうしろに虫がついていて痒いらしかった。
「先輩、この子ちっちゃなセミみたいな虫がいっぱいついてますよぉ。さっきも公園にいましたよ、この虫。今年の夏は虫が多いんでちゅかね? よしよし痒いんでしゅか? 私がとってあげましゅよ」
「宮内、いつの間にか赤ちゃんことばになってんぞ」
 優一は笑った。ロックかっぱオヤジは笑おうかどうしようか迷っているようで複雑な顔をしていた。


 ボディに大きく『かっぱ屋』のロゴが踊る軽ワゴンは、国道244号線を右折して細い農道に入っていった。
「え〜っ、こんなところに本当に駅があるんですかぁ? 何もないじゃないですか!」
 軽ワゴンの助手席でひなたは不安そうにつぶやいた。それを後ろのシートに座った優一と運転してるロックかっぱオヤジはにやにやして聞いている。駅に着いた。
ワゴン車のドアを開けてロズウェル駅に降り立ったひなたは絶句していた。
「想像超えてます。無人駅とは聞いていたけど、これほど何もないとは……」
 普通の駅にあるべきものが何もない。駅前広場がない。駅前商店街がない。何しろ駅舎そのものがない。ホームに向かう階段と柱が四本あるだけ。改札もない。階段を登れば目の前にホーム。かろうじて駅らしいのは柱のホーム側に貼ってある時刻表のみ。以前は凱旋門風の白亜のアーチが三つついていたのだが、老朽化が激しく撤去されてしまったので今は柱が残るのみとなっている。駅の前には自販機がぽつねんと一台あるばかりでその隣には申し訳程度の掲示板がある。駅前広場はないに等しくクルマが一台ようやっと駐車できるスペースがあるのみ。商店街はおろか店すら一軒もなく、駅前の道の眼前は民家のブロック塀が伸びている。その先には賃貸アパートが一軒あるだけで周囲はすべて畑で占められる。ホームは片側にしかなく、線路を挟んだ反対側には申し訳程度の住宅街があるだけ。あとはやはり果てしなく畑が広がる。アーチだった柱の中央に「ロズウェル」、その下に小さく「きみがはま駅」と書かれたボードが掲げられている。
「先輩〜。これが駅だなんて信じられませ〜ん。私の地元の駅も十分田舎ですけど、ここまでさびれてませんよぉ!」
「しょうがないよ。なにせ無人駅だし、一日の利用客数はここ十年来ずっと変わってなくて十人から十五人だもの」
「これじゃあ、銚電も危機感もって濡れ煎やまずい棒を売ろうとして躍起になるわけですよね〜」
 名物猫のきみちゃんが駅に住み着いていて駅長をしてくれていたのだが、二〇一六年の夏に亡くなってしまったので今はきみちゃんを偲んで小さなプレートが作られている。プレートにはクッションで気持ちよさそうに寝ているきみちゃんが描かれ、「ありがとう、きみちゃん」の文字が入っていた。
「ふえ〜ん、きみちゃん死んじゃったんですね〜。生きてる間に会いたかったですぅ」
しゃがんでプレートを眺めていたひなたのそばに、バンダナを巻いた若いシャム猫がすり寄ってきた。
「あれっ、きみはきみちゃんの生まれ変わりかな? 二代目きみちゃんになるつもりですか?」
ひなたが頭を撫でてやると猫はにゃあと鳴いた。
「バンダナを巻いてるってことは、どこかで飼われてる飼い猫かな」
 ロックかっぱオヤジが目を細めながら言った。ロックかっぱオヤジが背中をなでてやるとシャム猫は喉をごろごろと鳴らした。
ひなたはそのシャム猫を抱き上げた。シャム猫は嫌がる様子もなく、妙に落ち着いてやってきた三人の顔をそれぞれ見回している。それはまるで亡くなったきみちゃんのあとをついでこの駅を守っているかのようでもあった。
「でも私、この駅好きです! 味があって」
 そう言ってアーチの名残の柱のほうを振り返ったひなたは、ひゃっと小さな叫びをあげた。駅のホームの柱の陰から顔を半分覗かせている女がいた。ひなたの腕に抱かれていたシャム猫は驚いて、腕をすり抜けてどこかへ逃げてしまった。
 いつの間にか階段の上にゴスロリ美人が立っていた。
「き、君は、さっきのUFO召喚イベントにもいたよな。どうやってここに? いつから居たんだ?」
 矢継ぎ早の優一の質問を全く無視してゴスロリ美人は全く表情を変えずに押し黙ったままだった。ひなたや優一には目もくれずに、視線はまっすぐロックかっぱオヤジ、川端に注がれていた。川端はゴスロリ美人と目を合わせようとしなかった。気まずい沈黙が訪れた。
「博士、そろそろ帰ってきてくれませんか」
 ゴスロリ美人の口から意外な言葉が飛び出した。
「この世界の暮らしはもう十分に堪能なさったでしょう?」
「悪いが戻る気はない。私はこの世界の暮らしが気に入ってるんだ」
「そういうわけには参りません。博士」
 ひなたと優一は全く訳がわからなかった。小声でひなたが優一に尋ねる。
「先輩、どうなってるんですか?」
「知るか、そんなもん。そもそも、どういう関係なんだ?」
対峙するゴスロリ美人とロックかっぱオヤジの間でオロオロする二人…。
「私たちには時間がないんです。決断の時が迫っているんです。博士も実はお気づきになってらっしゃるんじゃありませんか? 彼等の動きを…」
博士と呼ばれた川端の表情が曇った。
「だが私には、もうそんな力はないんだ」
「博士があくまで拒否するおつもりなら、もう実力行使をする他はありません」
「実力行使とは何かね?」
「この地球人二人をアブダクトします!」
 ひなたは頭の中がクエスチョンマークだらけになった。地球人って私と先輩のことを言ってるわけ? じゃああなたは何人なの?
「待ってくれ! 彼らは関係ないだろう!」
 突然日が陰った。さっきまで雲一つない夏の日差しだったはずなのにとひなたは上空を見上げた。そして驚愕の表情を浮かべたまま固まった。
ロズウェル駅の頭上二〇メートルに巨大なアダムスキー型のUFOが忽然と出現していた。その巨大なUFOの下部から一条の強い光が射してきた。ひなたと優一はその光に包まれた瞬間に意識を失った。


 UFOの内部でひなたと優一は意識を取り戻した。二人はベッドのようなものに寝かされていた。UFO内部は色とりどりの様々な見知らぬ機械が置かれているようだったが、すべてが実体があるようでなくはっきりとせず朧げだった。かたわらにゴスロリ美人とロックかっぱオヤジ川端が立っていた。
 起き上がった優一がつぶやいた。
「ここはまぎれもなくUFOの中なんですね。ということは僕たちは本当にアブダクトされたっていうことなんですね」
 ロックかっぱオヤジ川端はうなずいた。
「ということは、おじさんは宇宙人なんですか?」
 いまだに何が自分の身に起こったのかはっきり理解しているのかどうかわからない風情で、ひなたが尋ねた。
「まぁ、君たち地球人の概念でいえばそういうことになる…」
「でも、川端さんは昭和四十九年の銚子商業の優勝のことや犬吠オーシャンランドやスカイタワーのことだって知っていた。一体いつから地球にいるんですか?」
「君たち地球人とわたしたちとは“時間”に対する概念がちがうんだ。君たちの五十年はわたしたちにすればそれほどの時間ではないのだ。
 そういって、ロックおやじ川端は語り始めた。おおよそ、それは次のようなものだった。

 私たちは古の昔より、この星に何度もやってきている。そして人類の誕生から進化の過程を見守りづつけてきた。私たちのことを君たち人類がなんと呼ぼうがそれは君たちの自由だ。一部では神と呼び一部では悪魔と呼んでいることも我々は認識しているが、我々は関知しないし、また気にしてもいない。
しかし近年、人類はその傍若無人ぶりが年々酷くなってきていることを憂慮してもいた。我々の世界では、最近の君たちのふるまいがこの星に対して度が過ぎているということで、この星のためにならないのではないかということを主張する輩が力を持ち始めている。
そして我々の世界を二分する議論が巻き起こった。すなわち、君たち人類を存続させるか滅亡に追い込むかについてだ。そして我々の世界の世論は不要派、つまり人類を滅亡させる事を是とする一派の論に傾きつつあった。滅亡させるといってもハリウッド映画によくあるように武力で殺戮するとかそんな荒っぽい真似はしない。圧倒的な科学力の差があるので、ある時点で人類に子孫を誕生させないように遺伝子情報の一部を書換えるのだ。子孫が誕生しなければ人類に待ち受けるのは滅亡しかありえない。静かにこの星から退場してもらうというわけである。
だがそこに新しい理論が出てきた。それは人類には我々のDNAが数パーセント含まれているのではないかという説だ。その説を提唱したのはまさに私なのだ。私の研究によれば、古の昔より我々の祖先が人類と交わった証拠がいくつも散見されるのだ。それは君たちの神話と呼ばれるもののなかにも記述がある通りだ。私は人類の研究をするうちに人間が好きになった。そして私は自分の研究を実証するために四十四年年前に、ある少年を研究対象にしていたのだ。その少年が若き日の川端京二少年だ。
彼は四十四年前の一九七四年夏、犬吠オーシャンランドのプールサイドである少女に告白してフラれた。その時私は大いに彼に同情して、彼の中に飛び込んだ。耳から入り込んだんだ。そして彼と生活を共にしてきた。そして今では自分が地球人なのか異星人なのか、自分でも判別できないほど同化してしまっているのだ。

「つまり、今の私のこの“意識”は、地球人、川端京二のものか、異星人%&‘()のものか自分でもわからないんだ」
 異星人以下の部分は多分、あちらの発音なのだろう、ひなたと優一には聞き取れなかった。
「ちょっと待ってください。一体あなたたちの真の姿は、どうなっているのですか?」
 優一は、彼らが神か悪魔か異星人かはともかく、本当の姿が知りたいと思った。
「私たちの本当の姿?」
 ゴスロリ美人はしばし逡巡したのちに言った。
「いいでしょう。見せてあげるわ」
 次の瞬間、ゴスロリ美人の耳から何かが飛び出した。虫だった。それはUFO内部を飛び回るうちにどんどん巨大化していった。セミによく似た昆虫だった。ゴスロリ美人は魂が抜けたようにその場で活動を停止していた。人間と見まごうくらい精巧に作られたシリコン製のドールを操っていたのだ。それは地球上では稲の害虫として知られるセジロウンカにそっくりだった。
「これが私たちの本当の姿。ビックリした?」
 テレパシーなのか声が直接脳内に響いた。異星人がセミみたいな虫だとだれが想像したであろうか。優一は、ひなたの反応が気になった。卒倒して気絶してしまうのではないかと思ったからだ。だがそんな心配はこの無邪気な娘には無用だったようだ。驚くそぶりもない。
「わぁっ、背中の白い線カッコいい! だからセジロウンカなんですね〜っ」
「羽触ってもいいですかぁ? わー、柔らかーい」
 ゴスロリ美人の中から出てきたセジロウンカに似た昆虫型異星人もどうリアクションとっていいのか戸惑っているようであった。もしかしてどっきりかなんかと勘違いしてるんじゃないかと優一は思った。そうでなければ、相当宮内はアタマのねじがぶっ飛んでいるのかもしれない。
「おじさんは、出てこないんですか?」
 ひなたは川端に向き直って尋ねた。
 川端は困ったような顔をした。
「私も見た目は彼女と同じだよ。たださっきも言ったように川端京二と長いこと同化してしまっているので神経系統を切り離すのに時間を要するからすぐこの体から出るわけにはいかないんだ」
巨大なセジロウンカは言った。
「あなたたちのDNAは調べさせてもらいました。ひなたには、我々のDNAが2.36%、優一には2.27%確認されました」
 いつの間にそんなことをしたのかと、ひなたは思わず両腕をクロスさせて胸を隠すしぐさをしてしまった。てか、呼び捨て?
「例え、数パーセントでも、自分たちと同じDNAを持っている人類を滅亡させようとする強硬派はこれでだいぶ勢いが殺がれるでしょう。博士が我々の世界に戻ることを決意してくれて助かりました。DNAデータと実際の博士の証言があればきっと世論をくつがえせますわ」
巨大化したセジロウンカの声が脳内に響く。
 川端、いやもう博士と呼ぶことにしよう。博士は言った。
「私は、この星の暮らしが気に入っていた。もうあちらの世界に戻るつもりもなかった。だがあの斥候をみてことは急を要すると悟ったのだ。母星の最高機関からも帰還要請を受けたことも大きい」
 博士はさらに続ける。
「私たち、穏健派は少数だが滅亡派にはくみしない。だが、人類存続を望む穏健派と一掃したい強硬派、その中間にはどちらにも属さない中間派というのがいるのだ。これが案外厄介なのかもしれない」
「どういうことですか?」
 優一が怪訝そうに尋ねる。
「私たちは体長四ミリメートル程のセジロウンカとなってこの星に降り立つ。当然この大きさでは目立ってしまうからに他ならない。四ミリメートルほどになればもし万が一、地球人に捕獲されたとしても普通のセジロウンカと見分けがつかないからだ。君等も見ただろう。公園のふれあい広場で、喫茶店の山羊の周辺で、我々の仲間はすでにこの星のあちこちに降り立っている。あれが中間派なのだ」
ひなたは山羊の耳の後ろに小さな虫がいっぱいたかっているのを振り払ってあげたことを思い出した。あれは異星人だったのか!
「やっぱり耳から入るんですか?」
 気になっているのか、優一が尋ねた。
「最近は耳だけじゃなく、目からも入るらしい」
「目? 痛そう…」
 ひなたは顔をしかめて手のひらで目を覆った。
「彼等中間派は、人類をコントロールすることを狙っている。自分たちの望む方向に操りたいんだ。そのための実行部隊がすでにかなりの数、やってきていると考えなくてはならないかもしれない」
 博士は慎重に言葉を選びながら喋った。
「彼等は私のように入り込んだ人間と意識を融合させて共存しようとは考えていない。入り込んだ人間の意識を変えさせることが目的なのだ。君たちの世界にある日突然、性格が百八十度変わったなんて人がいないか? 温和な性格だったのが突然好戦的になったとか…目立たない性格だったのがある日を境に社交的になったとか…」
 ひなたも優一も思い当たる人物を何人かあげることができた。
「つまりそれは、入り込まれている…ということなのですか?」
「その可能性は大いにある」
 優一は背筋がうすら寒くなるのを感じた。考えてみたらそんな人はいくらでもいるのではないかと思ったのだった。そのすべてではないにせよ、何割かは異星人が入り込んでるかもしれないというのだろうか…。
「彼らは君たち人類を正しい方向に導きたいだけだという。人類にアドバイスしてるだけだと主張するのだ。厄介なのは、入り込まれた人間が、コントロールされているとしても、それを自分の意志だと思い込むことだ。いろんな知識や情報を得て自ら成長して意見が変わるなんてことは普通にある。それとの区別が全くつかないのだ」
「それは、つまり侵略とはいえないってことですか?」
「少なくとも彼等にはそんな意識は全くないだろう。侵略などという強い言葉が適当かどうかもわからない。むしろ受取りかたの問題かもしれないのだ。ある人にとっては受け入れ難いだろうし、ある人にとっては歓迎すべきこととして受け入れるかもしれない…」
 優一はある日突然、外部からの力によって、自分の考えが知らない間に変わっていくのはとても許しがたいように思われた。やはりこれは一種の侵略とはいえないだろうか。
「突然、否応なしに自分の考え方や知識が変わってしまうのは、僕としてはやはり受け入れがたいと思います」
「生まれながらにして知見を持っている人間など誰もいない。あらゆる知識や考え方はどうせ誰かの受け売りに過ぎない。君たち人類がもっている知識や英知は本当に君たちだけで培ってきたものだったのだろうか?」
 ひなたは改めて自分の考えとか知識とかって何なのだろうと思った。確かに私が知ってることって誰かに教わったことばかりだ。自分で考えたことってなにかあるんだろうかと不安になった。川端博士は言った。
「いずれにせよ、方針を決定して、彼等を早く止めなくてはならないな。人類の意思はたとえその末路がどうなろうと、人類が決定すべきなんだよ。我々異星人が関与すべきではないんだ」
 ひなたがつぶやいた。
「銚子の住民の五人に一人がUFO目撃者…本当の意味は五人に一人が異星人…だったのね…」
「中間派の実行部隊がすでに相当数、この星に来ているのは間違いない。だが、彼等も私たちの仲間であることも事実だ。意見の相違があるからと言って、彼等を排除することは私たちにはできない。だが友人である君たちは守りたい。相反する感情だが、その時は友情の証が守ってくれるだろう!」
 等身大のセジロウンカの触覚がせわしなく動いてその複眼が光った。


 夕暮れが迫る地球が丸く見える丘展望館の循環バスのバス停前に、ふたりは立っていた。
「あれ、宮内じゃないか。なにしてるんだ、こんなところで?」
「先輩こそ、何してるんですか? 展望館になんか用でもあったんですか?」
「あれぇ、オレなにしに来たんだっけか?」
 道路には、小さな黄白色のセミに似た虫が跳ねていた。そのうちの一匹が優一のデイパックに跳ねて上がってきた。次には優一の耳に飛び込もうと画策しているのは明らかだった。
「先輩、ケータイ鳴ってますよ」
 優一のポケットの中でバイブが振動していた。
「あれ、ケータイじゃないや」
 優一が取り出したのはかっぱが肘を枕に寝そべっているデザインのキーホルダーだった。そのキーホルダーが細かく振動していた。おまけに全体が薄青く点滅していた。
「うわっ、なんですかそれ? キーホルダー? だっさ! それに振動して光るキーホルダーなんてきもっ」
 優一のバックパックについていたセジロウンカはこの振動が嫌いなのか、いつの間にかいなくなっていた。
「先輩、思いっきり趣味悪いですね」
「こんなの、誰からもらったんだろう?」
 銚子駅に向かう最終の循環バスが来た。
「オレ、自転車だからじゃあ帰るわ」
「はい、じゃあまた明日、学校の部活で!」
 バスの座席に座ったひなたは何気なくポーチを開けた。するとさっき瀬上先輩がもっていたのと同じダサいかっぱのキーホルダーが入っていた。えーっ、先輩とお揃い? ひなたは顔をしかめた。そしてしばらくかっぱのキーホルダーを見つめていたが、やっぱ、ないわぁ、と頭をふるとバスの窓から捨てようとして、いったん窓をあけたが、思い直して窓を閉めた。
「後でメルカリに出そうっと!」
そうつぶやくと、キーホルダーをポーチにしまった。ひなたは顔を上げて窓の外をみた。LINEが入った。美央からだった。《どぉ? 先輩とうまくいった?》《何のこと?》《ひなた、何言ってんの?》美央からのLINEは延々続いていたが読むのが面倒になって、ひなたはLINEを閉じた。頭がぼんやりしていた。
走り去るバスの後方で太平洋が夕焼けで赤く染まっていた。その水平線の彼方に銀色に光る物体が飛び去って行ったのに気づいた者は誰もいなかった。
<了>


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