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作品名:type X 作者:鷺町一平

第5回   第五章
第五章



 営業部長の多岐川の心境は複雑だった。例の心中事件でtypeXとともに製造元であるオリガント・インダストリーの名は一気に全国区となった。売上は爆発的に伸びた。おかげで製造の現場はてんてこ舞いだと報告が入っていた。三交代のシフト制を敷いて対応しているがそれでも製造が間に合わない。もともと大量生産できる製品ではない。特に命ともいうべき顔は手作業になるから余計だ。今までは一部の好事家や切実な事情でラブドールを欲していた層に対して受注生産していたのだが、一気に興味本位のオーダーが増えた。それはそれで企業としては喜ぶべきことであったが、バックオーダーを大量に抱えている。切実なラブドール希望者からは入手できないとの苦情も入っているという。
 午前九時から定例会議が入っていた。社内各部署の責任者が集まり幹部役員の前で、情報を共有するという名目で各部署の進捗状況を報告し合うという、実にくだらない会議であった。多岐川にしてみれば付加価値のない会議でしかなかった。情報の共有ならば他のツールで十分に代替可能だったし、業務効率の上からいえば全く必要のない会議であった。いまや会議などは全員出席する意味などなかった。必要最小限の人間がでればいいし、会議の出席は任意にするべきだと多岐川は考えていた。意思決定の必要な会議ならばいざ知らず定例会議などに出る意味があるのかと自問しながら、多岐川は自分の席についた。
 案の定、製造の現場はバックオーダーを抱えて休日出勤までしているが間に合わないというすでに報告されている問題を切々と訴えた。そして現場責任者は厚さ一センチメートルにもなろうかという書類にまとめた資料を読上げはじめた。一体資料の読上げに何分の時間を費やすつもりなのか。大体、人間の集中力は十五分周期と言われている。だらだら一時間も二時間も会議していてもしょうがないのだ。生産性のいい会社はどこでも会議は三十分以内だ。
 多岐川がこれほどいら立っているのには理由があった。今日は午後から経済産業省主催の次世代AIプラットフォームの推薦枠を決めるワーキンググループの検討会があるのだ。オリガント・インダストリーは大手のGoogleやamazonに伍してこの枠に入ることを悲願としていた。そのためにだいぶ以前から経産大臣だった和久にアプローチをしていたのだった。おそらくは大丈夫だろうと思ってはいるが、正式に発表されるまでは安心できなかった。推薦枠に入るメリットは計り知れなかった。オリガント・インダストリーが発売したtypeXに搭載されているAIはいわばラブドール用に特化したAIである。ところが汎用AIならば用途や使用目的を限定されることなく自律的に思考し学習して判断するからあらゆるビジネスに対応することが出来る。そのプラットフォームを担う一角に食い込むことが出来ればビジネスチャンスは無限に広がるのだ。
 いまや前経産大臣、和久徳一郎とオリガント・インダストリーは切っても切れない密接な関係を築いていた。それを世間では政治家と企業の「癒着」というのだった。しかしそんなことは多岐川にはどうでもいいことだった。企業が業績を伸ばすためにあらゆるものを利用するのは当然だと思っていた。
 まだオリガント・インダストリーが町工場だったころに先々代の社長に拾われて、多岐川はこの会社に入った。ラブドールが当たってどんどん会社は大きくなり、今や医療用シリコンの分野ではほぼ百パーセントの世界シェアを誇っていた。次世代AIプラットフォームの推薦枠を得られれば会社は飛躍的に伸びる。そのお膳立てをすることが、自分を拾ってくれ目をかけてくれた先々代の社長に対する恩返しだと多岐川は固く信じていた。



 雅人の死から二ヵ月が過ぎた。当初はあれだけ加熱したマスコミの報道もだいぶ下火になってきていた。サングラスなしではとても外を歩けなかった千草もこの頃はようやくスッピンで外出することが出来るようになってきた。時折マスコミからは取材の申し込みの電話はかかってては来たが、あまりの多さに電源を切っていた以前ほどではなくなっていた。もちろん千草はすべての取材要請を断り続けていた。
 千草の立ち上げた《被害者の会》のホームページのアクセス数も上がっていた。ぽつりぽつりと雅人の事件を皮切りに全国でtypeXと心中する男たちが現れ始めた。すると全国で千草と同じような立場に置かれた女性たち、すなわち夫や恋人をtypeXに奪われたという女性たちが続々と千草のもとに集まり始めた。
 千草のもとに一本の電話が入ったのはそんな時だった。
「もしもし」
 相手は無言だった。珍しいことではなかった。ホームページを見て意を決して電話はしてきたものの、なんて言い出せばいいのかわからなくなって絶句してしまう女性は少なくなかった。
「もしかしてホームページを見て電話してくれたのでしょうか?」
 電話の向こうで相手はため息をついたのがわかった。逡巡しているようだったが覚悟を決めたように話し出した。
「あの、藤田隆史といいます。雅人君とは中学の同級生でした。……こ、この度はご愁傷さまでした。あの、一言お悔やみを言いたくて……」
 千草は相手が予想に反して男だったこと、さらに雅人の中学時代の同級生という意外さに戸惑いながら対応した。
「もしかして、結婚式に来てくれたかたですよね? あれ以来ご無沙汰してしまって申し訳ありません」
「とんでもないです。こちらこそいきなり不躾な電話をしてしまって。奥さんの心労お察し申し上げます。もし、差し支えなかったら図々しいお願いなんですが、お線香をあげさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
 千草に断る理由などまったくなかった。相手は来訪したい日の日時を告げてそそくさと電話をきった。極端に友達が少なかった雅人は結婚式にあまり友人を呼ばなかった。友人が多い千草とのアンバランスを埋めようとしてそれほど親しくない中学時代の同級生まで呼ぶことになった。その一人が藤田隆史だった。それほど仲良くはなかったとしてもなにか一つくらいエピソードがあるだろうと千草が根ほり葉ほり聞き出そうとしたとき、普段はあまり感情を表に出すことがない雅人が珍しくイライラして、不快感をあらわにしたことを千草は思い出していた。
 数日後、藤田隆史はやってきた。六月の寒い梅雨の日の午後だった。ドアホンが鳴ったのでモニターで確認すると、キチンと喪服を着た青年が緊張気味に立っていた。およそ半年前の結婚式で確かに見た顔だった。髪は今時珍しいカーリーヘア。人懐っこそうなタレ目が神妙そうだ。千草は上がってもらって、ダイニング脇の六畳の和室に藤田を通した。普段はインテリアのように見えるウォールナット仕上げのいわゆるモダン仏壇の前で、供物をそっと置くと藤田は手を合わせ、線香に火をつけた。
 線香をあげる手つきがぎこちない。きっとあまりお線香をあげることに慣れていないのだろうと千草は思った。もっとも二十代でそんなことに手慣れてる人間はそう多くないことに気づいた。位牌に向かって、一生懸命手を合わせている仕草に、千草はこの青年の誠実さのようなものを感じた。
 焼香のあと、リビングで千草は藤田にお茶を入れてやった。紅茶かコーヒーかどちらがいいか尋ねると、コーヒーがいいと言ったので、ちゃんと豆を挽き、ドリッパーを使った。コーヒー好きだった雅人の為に毎日入れていたコーヒーだったが、雅人が居なくなって以来久しぶりだったのであまり自信がなかった。
「コーヒー、とっても美味しいです。やっぱり挽きたては香りが違いますよねぇ」
 藤田はそう言って、人懐っこい笑顔を作った。笑うとタレ目が一層たれて憎めない子犬のような顔になった。
「ありがとうございます。そういってくれると嬉しいです。最近はコーヒーを飲んでくれる人も居なくてうまく入れられるか心配だったんです……」
「そんなことないです。豆のこの豊饒(ほうじょう)な香りが、鼻孔いっぱいに拡がって…」
 言っていて自分でも陳腐だと感じたのだろう、藤田は後の言葉を飲み込んでしまった。リビングのテーブルをはさんで向かい合った二人に沈黙が覆いかぶさった。沈黙を振り払うかのように何かを言おうと、藤田は懸命に言葉を探しているようだった。
「あの……、位牌の戒名っていうんですか? あれは……、なんて……」
「ああ、あれは慈講院麗真静雅大居士と読むの。正直、戒名なんて私はどうでもいいと思ってたんだけど、両親が立派な戒名をつけてもらうんだって気張ったっていうのかしら……、個人的には戒名がどうとか興味ないしどうでもいいの……。なにしたって、今更雅人が帰ってくるわけじゃないし……」
 そこまで言うと、藤田隆史の表情が歪んだ。
「よかったら、雅人の中学時代の話を聞かせて欲しいなぁ……」
 隆史はテーブルに目を落とし、千草と視線を合わせることなく小さな声でつぶやいた。
「……もしかしたら、雅人君が亡くなってしまったのは、僕のせいかもしれないです……」
 千草は一瞬、自分の耳を疑った。
「どういうことですか? 詳しく話してください!」
 つい、語気が鋭くなってしまった。
 藤田隆史は、ポツリポツリと中学時代のことを語りだした。アンティークな柱時計が午後三時を告げていた。梅雨空から落ちてくる雨脚はますます強さを増していた。ベランダの観葉植物の葉に打ち付ける雨音がより激しくなった。



 隆史は真新しい机を前にそわそわしていた。中学生になって初めての登校日。自分の机と椅子がうれしかった。新しいクラスと新しい友達、新しい教科書。隆史は先ほどの体育館での入学式を思い出していた。列に並んでいる時からクラスにひとり、すごい美少年がいるなぁと思っていた。それが雅人だった。それはほかの皆も同じらしく、彼がクラスに入ってきたときの女生徒のざわめき方はすごかった。
 隆史はクラスの中の不良、数人にたちまち目をつけられた。くせっ毛、タレ目で子犬のような雰囲気を醸し出す隆史は、格好のイジメの対象になった。一方、孤高ともいうべきたたずまいを身にまとう雅人は不良たちからも一目置かれていた。クラスのボスである氷室もアイツだけには手を出すなと、とりまき達に命じていた。
 そんな五月のある晴れた日の午後の体育の時間だった。体育館は改修中で運動場の土のコートでバレーボールをやることになった。体育教師の指導の下、バレーボールは試合形式で行われていたが、別の教師が体育教師を呼びにきて、体育教師は、自分たちでやっていろと言い残し、席を外した。すると猫を被っていた氷室たち不良が本性を現した。
 レシーブをミスした隆史に、後衛として後ろで見ていた氷室は怒り狂って、隆史に後ろから飛び蹴りをくらわした。隆史はみじめに運動場のコートの上に這いつくばった。土埃がたって、口の中に砂が入りじゃりじゃりした。氷室が隆史を見下ろして怒鳴った。
「レシーブもまともに出来ねえのかよ! 足引っ張りやがって!」
「ご、ごめん。氷室くん……」
 背中を蹴られ、怯えて謝る隆史。それを横でじっと見ていた雅人は、隆史と氷室の間に割って入った。
「弱い者いじめはカッコ悪いよ」
「なんだ。このヤロー!」
 気色ばんだ氷室は、雅人に殴りかかった。次の瞬間、雅人は上体を奇麗にスウェイバックして氷室の拳を難なくさらりとかわした。バランスを崩した氷室はよろめいて転びそうになったが、なんとか踏みとどまった。その姿を雅人は冷たく一瞥した。その目の光の冷たさの中に不穏なものを感じたのか、バツが悪くなった氷室はとりまき数人を引き連れ、無言で教室とは反対のほうに去っていった。ちょうどこの時、チャイムが鳴った。隣のコートで一部始終を見ていた女子が何人かいて、女子たちの間でやっぱり雅人くんはカッコいい! 惚れなおしたという意見が盛り上がり、雅人の株はまた上がったのだった。
「ありがとう……」
 隆史は助けてくれた雅人の手をとってお礼を言った。さりげなく握った手をほどくと雅人は何も言わず、口角を少しだけあげて微笑むと隆史の体操着の背中についた土の汚れをはたいてくれた。
 この時から急速に、隆史は雅人と親しくなっていった。どちらも帰宅部だった二人はいっしょに下校した。マーくん、タカちゃんと呼び合った。その道すがらお互いのことをよく話した。お互いの置かれた境遇のこと。家のこと。そこで隆史は、雅人の両親が東名高速を走行中に交通事故で他界したことを知った。ただ一人生き残った当時三歳の雅人は祖父母の家に引き取られて育てられたが、その祖父母にはとても可愛がってもらっていたが、七歳の時に祖父が亡くなり祖母も認知症を発症するようになり、とうとう十歳の時に母方の叔母に引き取られることになった経緯を淡々と教えてくれた。叔母さんはよくしてくれるけれど、叔母さんのうちの子供たちと打ち解けきれないでいること。いろいろと遠慮があることなど。そしていつしか隆史は、雅人に対して友達以上の好意を抱くようになっていった。
 やがて、雅人は隆史の家によく遊びにくるようになった。隆史の家は熱海港近くでひもの屋を営んでいた。三代続くひもの屋だったが、最近は客足も遠のいてしまって、カツカツで、母親は家計を助けるために近くの旅館の中居をして生計を支えていた。雅人は遊びに来るたび、珍しそうに店のあじやさんま、いわし、さわらのひものやみりん干しなんかを見て回っていた。裏にまわって作る工程、兄貴と親父が魚をさばくところとかを飽きずに見ていたりした。一度、雅人がさばくのをやってみたいって言ったけど、隆史の父親は素人が包丁持つと危ないからともたせなかった。
 隆史の五つ年上の姉は、高校を中退してスナックでバイトをしていた。客の男と恋愛中で家を出るの出ないので両親とケンカして男のアパートで同棲中だった。一度この姉のアパートを雅人と尋ねたことがあった。茶髪の隆史の姉は、目の中に入れても痛くないほど可愛がっていた弟が友達を連れてきた事をとても喜んで、二人を歓待してくれた。そして弟の友達がびっくりするほどの美少年なことに驚き、彼女なりにもてなしてくれた。
「ほんと、隆史よく来たなぁ。雅人くんだっけ、奇麗な顔してるわぁ。化粧したらすごい美人になるわ! うわぁ、髪もさらさらやん。ちょっとここ座って」
 隆史は、姉ちゃんが雅人を気に入ってくれたのがうれしかった。雅人もちょっと戸惑ってはいたが、まんざら嫌そうでもなかった。楽しげに姉ちゃんは、自分のドレッサーの前の化粧道具の中からいくつかを選んで雅人に化粧をし始めた。ルージュをひいて、マスカラをつけてやった。最初はちょっと驚いていた雅人だったが、特に嫌がるわけでもなく素直に隆史の姉のされるがままになっていることが、隆史には可笑しかった。雅人は嫌なら嫌とハッキリ口にすることを知っているので、抵抗はおろか嫌な顔すらしないということは雅人自身もノッていることを示しているからだ。仕上げに姉ちゃんは自分のドレッサーの前に雅人を座らせると自分がもってるいくつかのウィッグを持ち出してきた。ブラッシングしながらどれが雅人に似合うか品定めしていた。
「これなんかきっと雅人くんに、よく似合うよ」
 そういうと、姉は少し茶色がかったゆるふわカールのウィッグを雅人に被せてみた。
 姉ちゃんも隆史も、驚きのあまり息をのんだ。そこにはビックリするほどきれいな女性が出現していた。
「ちょっ、ちょっと! あまりにも美人すぎてビビったわ〜。うわっ、アタシ、マジで女辞めたいくらいだわ。なにこの美しさ! モデル並み。ゆるふわカールに短めバングがこれほど似合う男の子なんていないわ」
「姉ちゃん、バングって何?」
 隆史が聞くと姉ちゃんは早口で教えてくれた。
「前髪のことよ、ホラ、ここを切りそろえるか梳いて流すかで印象が全く変わるんだけど、ちょうど太い眉毛にかかって、男っぽい印象を薄めてるんで、アンニュイな雰囲気が漂ってて、めっちゃいいわ〜。そうだ! 雅人くん、記念に写メ撮ってあげる」
 バタバタと携帯を取りに行く姉ちゃんの足音を尻目に、確かに隆史もその美しさに見とれていた。でもドレッサーの鏡に映る見知らぬ女性の姿に一番びっくりして、戸惑っていたのは雅人かもしれなかった。



 九月にはいると、隆史たちの中学校では文化祭があった。隆史たちの教室の出し物は「お化け屋敷」だった。数日前から夜遅くまで学校に居残ってみんなでお化けの製作に勤しんだ。前日はほとんど徹夜のような恰好になったけど、なんとかお化け屋敷を完成させた。当日はみんなハイテンションになっていた。隆史たちのクラスのお化け屋敷はおおむね好評を博した。文化祭も終わりに近くなってきて、最後に自分たちの作ったお化け屋敷に隆史は雅人と一緒に入った。その暗闇の中で隆史は文化祭が終わってしまうという寂しさも手伝ってか、自分の気持ちを雅人に伝えなくちゃと焦っていた。
 隆史は暗がりの中でしっかりと雅人の手を握り締めた。雅人の手は暖かかった。対して隆史の手のひらはじっとりと汗ばんでいた。
「なんだよ、タカちゃん。怖いのかよ。自分たちで作ったお化けじゃんかよ〜」
 雅人は半分冷やかすような声で、笑いながら隆史に言った。
「マーくん、好きなんだ。ずっと前から……」
 雅人の耳元で囁くと、暗がりの中でも雅人の驚きは伝わってきた。空気が変わることを恐れた隆史は、答えを聞く前に必死で雅人の唇を自らの唇で塞いだのだった。突き飛ばされると思った。罵られると思った。殴られるかもしれないと思った。すべて覚悟していた。だが雅人はそんなことはしなかった。ただ暗がりのなか、無言のままじっと隆史を見つめていた……。

 古びた公園の誰も乗らない朽ちかけた二つのブランコに二人は並んで腰かけた。錆びついたブランコは二人が座っただけで、大袈裟に軋んだ。
「この一列がトマトとハムで、こっちがタマゴ。マーくん、前にタマゴがすきだって言ってたから……」
 隆史は雅人の為に手作りサンドイッチを持ってきていた。その小さな公園からは通りを挟んで熱海の海が見えた。海側とは反対の山側にもうじき日が沈もうとしていた。
「うまい! うまいよ、タカちゃん」
 一口食べて感想を言う雅人。
「それで、こっちがウチのみりん干しと卵黄ととうふを混ぜたもの。意外とイケるよ。食べてみて」
「ほんとだ〜。全然魚臭くないね〜。これならいくらでも食べられちゃうよ」
 もともとひものに興味津々だった雅人は、美味そうに隆史の作ったひもののアレンジ料理サンドをパクパクと食べながら、ボソッと言った。
「小学校の時の保健体育の授業で、先生が言うんだよ。……セックスは異性同士で行うとは限りませんって……。お父さん、お母さんという呼び方も問題がありますって。パートナーが異性同士とは限りません……ってさ」
 隆史は突然雅人が何を言い出すのかと驚いて、じっと雅人の顔を覗き込んだ。それには構わず、雅人はどんどん話しだした。
「ずっとそんなことを言われ続けて、だんだんボクは自分が男なのか女なのかわからなくなってきちゃったんだ。生まれついての性は《男》だけど、本当のボクは《女》なんじゃないかと思うこともあるんだ……。でもそうじゃない、やっぱり《男》だって感じる時もあるし……。まだ、よくわからないんだ。だから……もうちょっと待ってほしいんだ。タカちゃんの気持ちはすごくうれしいよ。ボクもタカちゃんのことは好きだよ」
 隆史は、こっくりと頷いた。全面的には受け入れてもらえないけれど、いわば保留扱いだけれど、隆史は雅人が自分とのことを真剣に考えてくれて、拒絶されたわけではないということだけで嬉しかった。ずっと待とうと思った。公園のブランコ越しの雅人は夕日を浴びて輝いていた。そしてその夕日は熱海の町並の向こう側,山の陰にもうじき隠れようとしていた。



 その秋に林間学校があった。海の近くの学校だったので高原に向かった。燃えるような蓼科高原の紅葉の中、昼間のオリエンテーションと夜のキャンプファイヤーで力を使い果たしたのか、夜はみんなぐっすりと眠っていた。就寝時間になった始めこそ、枕投げをする者もいたが、五分もしないうちにあちこちでいびきが聞こえ始めた。
 そんな中、隆史だけは妙に気持ちが高ぶって寝付けなかった。昼間のオリエンテーションも夕食後の盛り上がったキャンプファイヤーの間もずっと、隆史は雅人しか目に入らなかった。ずっと雅人だけを見つめていた。もう気持ちは抑えられないところまで来ていた。雅人は隣で安らかな寝息をたてていた。大好きでたまらない雅人。あの五月のバレーボール事件のあとから育んできた友情はいつしか恋愛感情に変化していた。否、嘘はよそう。初めからあの入学式の体育館で雅人を一目見た瞬間から、隆史は雅人に恋していたのだった。
 夜も眠れないほど恋焦がれている雅人が今まさに隣に寝ている。そっと雅人の横顔を盗み見た。その端正な横顔……、長い睫毛に数本の前髪がかかっている。柔らかそうな耳たぶ……、たまらなくなった隆史はそっと雅人の布団にもぐりこんだ。すでに理性はあらかた吹き飛んでいた。寝返りを打った雅人の背後にピッタリと自分の身体を摺り寄せた。背後から雅人を抱きしめた。深い眠りの中の雅人はまだ起きる気配がない。雅人のうなじに口づけをしながら、その柔らかそうな耳たぶをねぶってみる。いい匂いがした。若く健康な少年の香り。隆史の興奮は最高潮に達した。これ以上ないほど硬くなった陰茎を雅人の臀部に押し付けた。そして右手を雅人のスウェットの中に侵入させて、下着をずらし直接その手で“雅人”をまさぐる。
 その時だった。隆史は雅人が起きた気配を感じた。しばらく現状を認識しようとしているらしかった。しばしの逡巡の後、「やっぱり、無理!」というつぶやきと共に、次の瞬間、隆史は眉間にすさまじい痛みを感じのけぞった。雅人の渾身の肘打ちが飛んできたのだった。それは紛れもない「拒絶」の意思表示であった。

 数日後、隆史が学校に行くと、教室の黒板に大きな相合傘が書かれていた。その下には隆史と雅人の名前があった。横には「オカマカップル誕生!」とフキダシがついていた。
「誰だよ! こんなことするのは!」
 真っ赤になった隆史はあわてて黒板の文字を消しにかかった。そんな中、雅人が登校してきた。チラリと隆史を一瞥した。隆史と目が合うとすぐに視線をそらした。そして二度と目を合わせようとしなかった。隆史は、雅人との蜜月が終焉を迎えたことを悟った。事実、それ以降二人の仲は急速に冷めていった。挨拶くらいは交わすけれど、以前のようにお互いの家を行き来することはなくなったのだった。



 話を聞き終わった千草は、自分が全く知らなかった雅人の一面を垣間見た気がして、心が落ち着かなかった。何かしら雅人には秘密めいた事柄があるのは薄々感じてはいたが、中学時代の“交際相手”から、直接当時の様子を聞けたのは新しい発見といえた。
 目の前に座っている藤田隆史は、その当時彼が雅人に与えたトラウマが、今回の雅人の死のきっかけになっているのではないかと怯え、後悔しているのだった。それを千草に伝えることで自分の心の重荷を降ろしたいのだろうと千草は思った。いわば千草に語ることによって懺悔(ざんげ)したいのであろうと感じていた。
 しかし千草は中学時代のこの出来事が、今回の雅人の死に直結しているとはどうしても思えなかった。依然として雅人の突然の死は千草にとって、謎だった。理解できない不可解さはずっと残っている。そしてまたもう一つの疑問がわいてきた。雅人は一体、自分との結婚生活に何を望んでいたのだろうかという疑問だった。
 雅人の死の責任の一端は、自分にもあると言ってきかない藤田隆史をなんとかなだめすかして帰すと、千草はなんだかどっと疲れが出た。


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