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作品名:朝舞探偵事務所〜妖魔のおもてなし〜 作者:空と青とリボン

第57回   57
それから半年の月日が流れた。
今朝は昨夜まで降り続いた雨が上がり、アスファルトの上に置きざりにされた水たまりは鏡に生まれ変わって青空を映している。街路樹の葉の上に乗っかっている水滴の中では夏の太陽がキラリと丸くお座りしている。
俺は今日もお気に入りのスニーカー・アエショーを履いて出勤した。
朝舞探偵事務所のドアを開ける。
「おはようございます。」
「おはよう太郎君。」
「太郎ちゃんおはよう。」
それぞれがいつも通りの朝。そこで伯父はチラリと俺を見て一言。
「遅いぞ、太郎。」
これもいつも通り。
「定時時刻の30分前ですが。」
俺はまたかと反論したが伯父はいつもの伯父である。
「お前がこの中で一番下っ端なのになぜ一番遅いのだ。これからは夜明けと共にここに来なさい。」
「そんな無茶な。夜明けと共にって僕はパン屋の職人ですか。」
俺もいつもどおり突っ込む。すかさず茜さんが所長に詰め寄った。
「所長、昨晩もここで寝泊りしましたね。ソファーに毛布、テーブルの上にはカップめんは毎度のこと、今朝出勤したらお味噌汁の匂いがしたのはびっくりしました。生活感がありすぎです。もしかしてここで作ったんですか?」
「鍋持参でネギを刻んでな。だが安心しろ、人様に見えないように鍋と茶碗は流し台の下にちゃんと隠してあるぞ。」
「いや、そういうことではなくて。」
茜さんが頭を抱えている。
「伯父さん、いい加減家に帰った方がいいんじゃないですか?なんでそんな張り込みの刑事みたいなことをしているんですか?」
「探偵とは刑事のいとこみたいなものだ。」
「わけがわかりません。」
俺は自分の席についた。隣の席の淳さんにちょっと尋ねてみる。
「それにしても淳さんも茜さんも出勤が早いですね。やっぱり僕ももっと早く来るべきかな。」
「いやいや、皆でそんな早出合戦を始めてしまったら、しまいには全員で事務所の窓から夜明けを見るようになってしまうよ。僕は今気になる案件を抱えているし、茜ちゃんはここから家が近いから早く出勤しているだけ、気にしないでいいよ。」
そう言って淳さんは明るく笑った。俺もつられて笑う。
「そうですか、ではお言葉に甘えて。ありがとうございます。」
その時、新聞を見ていた伯父がいきなり驚いたような声をあげた。
「おい!これを見ろ!!」
俺たちは何ごとかと伯父の元へ駆け寄った。朝刊の一面、二面、三面を使って大々的に報道されているその記事は
『日本松来化学工業 世界でも画期的な放射能の元素転換に成功!!放射能の無害化に向けて大きく前進。』
俺は目を見開いた。朝からテンションが上がる上がる。嬉しくて心臓がドキドキしてきた。松来化学工業の社長は夜鶫の鏡の依頼人だった。結局、鏡を見ることを断って来たらしいけど。
だが淳さんは何をいまさらという顔をした。
「所長、この話題は昨晩のニュースでどこもかしこも取り上げられていましたよ。今朝もその話題で持ちきりだったのに今頃知ったんですか。」
淳さんはすでに知っていた。その表情はとても嬉しそう。茜さんもすでに知っているらしく
「そうですよ、所長。テレビを見なかったんですか?珍しい。」
「うむ。昨日からなんとなくテレビを見る気になれなくてそのまま寝てしまったのだ、すまん。」
伯父は頭を掻きながら申し訳なさそうにしている。実は俺も昨日は疲れて家に帰ってからバタンキューだったので今まで知らなかったのだがそのことは言わないでおこう。一応、毎朝ちゃんと新聞の一面から三面くらいまではさっと目を通してくるけど今朝に限ってそれもしてこなかった。
俺はその記事を熟読する。読み終わってほっとため息。
「松川さんの念願が叶って良かったですね。」
「そうね、本当に良かったわ。」
茜さんが心から呟いた。俺たちは新聞を眺めながら猛烈な感無量。
「さてと、仕事だ仕事。」
伯父が気持ちを切り替えてはっぱをかけた。それぞれが持ち場に戻る。
淳さんはノートパソコンを抱え、出掛ける準備を整えた。
「では行ってきます。」
「「いってらっしゃい。」」
俺と茜さんの声が重なった。
すると淳さんは茜さんにすっと近寄り、耳元にそっと囁いた。
「ところで茜ちゃん、僕の弱点ってなんだか知っている?」
「淳君の弱点?なにそれ?知らないわ。」
茜はきょとんとしている。
「それは茜ちゃん。」
「!!」
とたんに茜の顔が真っ赤になった。
「ちょっ、ちょっと!急に何を言いだすのよ!」
茜は耳まで赤くして必死で抗議をした。淳はにこっと微笑む。そして所長の方を振り返り
「所長、今日は帰りが遅くなるので直帰になります。」
「おぉ。しっかり稼いで来い。」
伯父の声に見送られ、淳さんは軽やかな足取りで出かけて行った。
茜さんは何か言いたそうな顔だ。淳さんを追いかけようとしたがにこやかに立ち去られ所在なさげ。
「茜さんどうしたんですか?顔が赤いけど熱でもあるんですか。」。
「知らないわよ。赤くなんかないから!」
茜さんは明らかに動揺している。
「え?でも赤いですよ。」
「なんでもないわよ!太郎ちゃんのくせに生意気!」
「え?」
きょとんとする俺をしり目に茜さんはそわそわと自分の席についてしまった。なんだか怪しい、何かをごまかしている。
「俺なにか変なこといったのかな。」
ぼそっと呟けば伯父はポンと俺の肩を叩きじぃっと俺の顔を見た。
「なんですか。」
「お前は男女の色恋沙汰はまだまだだな。もっと勉強して早く恋愛マスターになれ。そして人間観察のホームラン王になってくれ。」
「人間観察のホームラン王って何ですか?まぁ、でも頑張ります。」
・・・でも本当は茜さんが顔を赤らめている理由はなんとなく分かっているけどね。淳さんから告白めいたことを言われたんだな、もしかしてデートにでも誘われたのかな。お互い想いあっているんだからさっさとくっついちゃえばいいのに。
「それはそうと。」
俺もこの後予定が入っている。これからクライアントの自宅に伺うことになっている。事務所に置いてあるスーツに着替え靴も履きかえた。
「これから依頼者の荒井春夫さんの自宅に向かいますので戻りは午後1時くらいになると思います。」
「確か荒井さんは豪邸住まいの金持ちだったな。おい、太郎、いいか?報酬はふっかけろ。そしたら相手は値切ってくるだろう。それで交渉してお互いの言い値の中間で決着をつけるんだぞ。」
「分かってますよ。それが商売の鉄則というんでしょ?耳たこですよ。」
俺はいささかげんなりした。
「分かったら行って来い。」
「はいはい。」
俺はドアに向かった。茜さんが頬を赤くしたまま笑顔を向けてきた。
「いってらっしゃい。」
「行ってきます。」
足取り軽く荒井さん宅へと向かった。


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