俺にはどうしてもしずくの心が理解出来なかった。この秋川しずくが鶫守に謝ることなど到底ないのだと分かった。それはもう諦める。しかし不老不死のことはどう思っているのか。有名になって地位や名誉を手に入れてどんなに充実した日々を送っていてもそういう暮らしが何百年と続いたら飽きてこないのだろうか。それに親戚の人とか知り合いとか友人とか同僚とかスタッフとか親しい人たちが天国へ旅立つのをずっと見送り続けなければならないんだぞ。そんなのって悲しすぎるし寂しすぎる。 「どうしてそこまで女優として成功することにこだわったのですか。不老不死になってまで。」 思わず聞いてしまった。しずくは何をいまさらという顔をしている。 「言ったでしょう?どうしても有名になりたかった。有名になれれば女優でなくても良かったけどね。でも女優が一番私に向いていてから今の私がいるのよ。」 「・・・有名になることがそんなに大切なことですか。」 俺はどうしても不信感と疑念が拭えないでいた。 そんな俺の棘のある言い方がしずくの癇に障ったらしい。しずくはいきなり声を荒げた。 「当たり前でしょう!有名にならなければ復讐が果たせないじゃない!!」 「復讐?」 しずくの口から洩れた物騒な言葉に俺と茜さんは息を飲んだ。しずくはしまったという顔をしてすぐに口を噤んでしまう。思いがけず口を滑らせてしまい動揺しているようだ。気まずい空気が辺りを支配する。 復讐とは穏やかではない。その先を聞きたいような聞きたくないような複雑な気持ちになった。なんだか怖いし。でも茜さんは怯まなかった。 「なにか事情でもあるんですか?いや、話したくなければ話さなくてもいいですけど。プライベートなことですし。」 しずくは苦渋の表情で暫く沈黙していた。どれくらいの時が経っただろう、やがて諦めたかのようにため息をついた。 「別に話したっていいわよ。どうせあなたたちには私が不老不死だということ知られてしまったんだし。まぁ、話したところであなた達に理解してもらえるなんて思っていないけどね。」 しずくは投げやりに前置きをして、肩で息を吐いた。しずくが自分の過去をさらけ出す。 「私が有名になることにこだわったのは私の父と母に復讐する為よ。」 「ご両親に・・・。」 「ご両親なんて言い方やめてよ。私はあの人たちを親だと思っていないわ。」 しずくの冷たい表情と吐き出された言葉からは両親への愛情が微塵も感じられない。それどころか軽蔑しているのがありありと見て取れた。 「私のプロフィール知っている?」 「プロフィールって芸歴のことですか?」 「それも含めての私の生い立ちよ。週刊誌とかにたまに載るやつよ。」 「それなら伯父から聞いたことはあります。でも・・・。」 俺は言うのを躊躇った。本人を目の前にして不幸な生い立ちをなぞるのはさすがに気が引ける。だがしずくはそんな俺の戸惑いを察したのか鼻で笑った。 「何を気にしているのよ。別にいいわよ、言っても。」 そう言われてもなぁ・・・。でもあまり気にし過ぎるとかえって本人に失礼かもしれないと思い直した。 「幼い頃に両親が離婚、それから母子家庭で育ってご苦労されたと聞きました。その後、母親も亡くなってしまってそれからは親戚の家に引き取られて育てられたとか。」 説明しているうちに自分でおかしなことを言っていることに気づいた。さっきしずくは両親に復讐をすると言っていた。自分と母親を捨てた父親に対しての復讐というならまだ分かるけどなぜ母親まで?恋しがることはあっても復讐とかは普通思わないよな。苦労して育ててくれたんだろうし。 どうにも腑に落ちなくて視線を泳がせた俺を見たしずくは乾いた笑みを浮かべた。 「それ、嘘のプロフィールだから。」 しずくは言い切った。薄ら笑いさえ浮かべているしずくに俺は一瞬寒気を感じた。 「嘘?」 「そう、それ作ったのよ、事務所のマネージャーと社長がない頭を必死に捻ってね。」 「事実は違うんですか。」 するとしずくは大きくため息をついた。そして俺と茜さんを深く見据えた。その目にはすべてを告白しようという覚悟が色濃く映っている。 「私が6歳になった時に父と母は離婚したわ。原因は父の浮気。もっとも私と母を捨てていったんだから父にとっては本気だったんでしょうね。それから母と私は肩を寄せ合って必死に生きたわ。慰謝料も養育費も一円も貰えなかったから母は本当に苦労したと思う。子育てをしながら仕事もしてね。私も出来るだけ母の負担にならないように良い子でいたけどね。」 しずくは当時のことを思い出しながら淡々と話す。ここまでの話を聞いていると父を恨みこそすれ母を恨む要素はないように思えるが。 「そんなある日。そうね、あれは私が8歳の時だわ。母がこう言ったのよ『好きな人が出来た』と。子供からすれば普通なら複雑な気持ちになるところだろうけど私は違ったわ。元々父親に対する愛情はなかったし、むしろこれで母がやっと幸せになれると子供心にほっとした。新しい父親をお父さんと呼ぶ覚悟も出来ていた。だけど現実は違ったわ。私が9歳の誕生日を迎えたその日、母は私に一緒に来てほしいところがあると言ってきたの。」 「・・・・。」 「私はてっきり新しい父親を紹介されるんだろうなと思っていた。新しい父親に気に入られるよう頑張ろうと心の中で決心もした。ところが母が連れて行った先は新しい父親の元ではなかった。どこだと思う?」 「・・・分かりません。」 重々しい空気が漂う。その中でしずくだけが異質なくらいに淡々としていた。 「児童養護施設よ。母は、訳が分からず頭がパニックになった私を見下ろしながら言ったわ。その言葉が今でも頭から離れない。母はこう言った。『彼が自分と血が繋がっていない子供とは一緒に暮らせないと言うのよ、ごめんね。』それが母と私が交わした最後の言葉。笑っちゃうでしょ?そういうことは養護施設に連れてくる前に言えっていうの。あの時の養護施設の人の私を見る目は今でも忘れられない。いかにも同情の目よ。それから母は一度も振り返ることなく私を置き去りにした。私は不思議と涙も出なかった。」 「・・・では親戚に預けられたというのも母親が病死したというのも・・・。」 「そう、真っ赤な嘘。父と母は親戚と仲が悪かったし、祖父母も早くに亡くなっていたから。」 俺は重苦しいしずくの生い立ちにただただ言葉を失うばかり。 「施設では他の子と馴染めなかった。馴染もうとも思わなかった。なぜだか分かる?」 「いいえ・・・。」 茜さんがやっとの思いで返事をした。 「私を捨てたあの人たちへの憎しみを忘れない為よ。」 しずくの声や言葉は厳冬の湖面よりも冷え切っている。そこには1ミリのぬくもりもない。 「私は施設の片隅で心に誓った。絶対に有名になって私を捨てたことを後悔させてやる。地位も名誉も手にいれた私の所へあの人たちがのこのこと尋ねて来たら言ってやるのよ。」 「・・・何を・・・。」 「あなた誰ですか。私には父も母もいません。お引き取り下さいってね。今度は私があの人たちを捨ててやる番だわ!!」 そう言ってけらけらと高笑いをするしずくの姿に、なぜだろう、悲しげな影を見たような気がする。 愉快そうに高笑いしていたしずくが急に沈黙した。苦渋の表情で眉間に皺を寄せている。 「しずくさん?」 俺は不安になって声をかけた。 「それなのになかなか芸能人としてブレイク出来ない。私は焦ったわ。このままでは有名になれない。どうすればこの先有名になれるのかそのヒントだけでも欲しかった。一瞬でもいいのよ!たった一年でも有名になれればあの人らが私の存在に気づくから!!」 両親への恨みを吐き出しながらもその言葉とは裏腹に今にも泣きだしそうな顔をしているしずく。 あぁ・・・そうか、分かった。復讐なんていうのは表向きの理由なんだ。本当は両親に自分が今でも泣いていることに気づいてほしくて、ここにいるから来てよと声をあげているだけなんだ。 なんだかしずくがかわいそうに思えてきた。 「そんな時に裏社会に通じる人たちが陰で話しているのを偶然耳にしたのよ。それで夜鶫の鏡のことを知ったわ。これだ!!と思った。すぐに鶫守の所を訪ねて鏡を見て愕然としたわよ。オーディションに受かってやっとブレイク出来て有名になって、でもその5年後には癌にかかって死んでいるとか。冗談じゃないわ!!何のためにここまで必死に生きてきたのよ!!」 しずくは顔を赤らめ声を張り上げておのれの正当性を訴えようとしていた。 「だから不老不死の薬を手に入れようとしたのね。」 「そうよ。鏡を見てから半年後ぐらいかしら。とある筋から不老不死の薬を持っている妖怪がいるという噂を聞いてすぐに会いに行ったわ。迷いなんてまったくなかった。」
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