茜さんは急遽、除霊の予定時間を遅らせてもらうよう依頼主に電話をした。依頼主の方も急用が出来たらしく快く了解してくれた。 それから待つこと3時間。なんだか緊張してきた。芸能人に会えるというだけで緊張するのにそれが大女優となればなおさら。 ドアを見つめていた茜さんが急に立ち上がりドアの方へと歩み寄った。 「来たんですか?」 茜さんは気配で依頼者が来たかどうかがいち早く分かるのだ。 「えぇ、来たわ。」 茜さんの表情にもさすがに緊張の色が浮かび上がってくる。 トントン。ドアを叩く音がした。 「はい。」 茜さんはドアを開けた。そこに佇む女性。つばの広い黒の帽子を目深に被り、いかにも高級そうな毛皮を羽織っている。百万円はゆうに超えそうなブランドもののバッグを肩からかけている。どれもこれも高級なものを身に着けているがまったくといって浮いていない。 ヒールの高いラメ入りの黒靴に負けないスタイルの良さ。何よりその女性が漂わせるオーラは半端なく見ているだけでこっちが圧倒された。 「ようこそいらっしゃいました。おひとりでいらしたんですか。」 茜さんが声をかけた。 「いいえ、マネージャーを外に待たせているわ。」 やはり秋川しずくだった。その声は凛としていてよく通る。さすが舞台もこなす大女優だ。 「どうぞ、中へお入りください。」 茜さんが中へ入るように勧めるとしずくはヒールをカツカツと鳴らしながら実に堂々とした態度で部屋の中央にやってきた。俺は慌ててソファーに座るように促す。 「どうぞお座りください。」 「・・・・。」 しずくは無言のままソファーに深々と座った。座るという一つの所作にさえ女優の気高さが滲み出ている。俺は圧倒的なしずくのオーラーに気圧される立ち尽くすことしか出来ない。 そこへ茜さんが淹れたてのお茶を運んできた。 「どうぞ。」 しかししずくはお茶を一瞥し。 「いらないわ。」 きっぱり言い捨てた。 これには茜さんも俺もむっときた。失礼な奴だな、いくら大女優とはいえこの態度はなんだ。 「撮影の合間に来たのよ。時間がないから無駄話はいらないわ。」 つーんとすました物言いに益々カチーン!茜さんも腹が立っているようだがそれは表情には出さず極めて冷静な態度だ。 「ではさっそく。鶫守はご存知ですよね。」 茜さんがしずくを真正面から見据え単刀直入に聞いた。しずくは一瞬動揺したように見えたがすぐに立て直す。 「知らなかったらわざわざここに来ないわ。朝舞探偵事務所ってそういう所でしょ。」 「だったら話が早いです。先日私たちは鶫守に会ったのですが、あなたのことをとても褒めていました。8年前のあなたは女優としてはまだ芽が出ていなかったけどとても輝いていた、服装や化粧の仕方はまだまだだったけどそんなことはどうでもよくなるくらいに美しかった。まるでダイアモンドの原石のようだったと言っていました。」 「昔の話よ。」 しずくは感情の見えない声で言い切った。 「あなたにとっては昔のことでも鶫守は昔と変わらずに今もあなたのことを気にかけていますよ、あなたが出ている番組は欠かさず見るぐらいに。」 「・・・。」 「あなたの活躍を願い、今でも見守り続けて・・・。」 「くだらないわ。」 「え?」 俺は一瞬、しずくが何を言ったか分からなかった。 「くだらないと言ったのよ。そんなことを聞かせる為に私と会いたかったのかしら。それならば帰らせてもらうわ、私は暇じゃないのよ。」 しずくには取りつく島もなかった。排他的な眼差し、誰も寄せ付けないプライドの高さ。こんな女性に鶫守は惚れたのか・・・。 俺は無性に腹が立った。それと同時になんだか虚しくなってきた。茜さんも虚しさを感じているのだろう、なんとも言えない表情で黙ってしまった。 「話は終わったようね。」 しずくは俺たちを軽蔑するような視線で立ち上がった。 「待ってください!」 俺は反射神経で呼び止めた。 「何よ。」 しずくが俺を一瞥してくる。でもここで気圧されて引いては駄目だ。俺は息を整えた。 「鶫守はあなたのせいで死にかけたんですよ。」 「え・・・。」 しずくは俺の言葉に驚いて声を詰まらせている。そこですかさず茜さんが畳み掛ける。 「あなたは取引をしましたね。不老不死の薬を手に入れる為に鶫守の秘密をとある妖怪に教えてしまった、そうですよね。」 「!!」 しずくは不老不死の薬という言葉に激しく動揺した。指先がわずかに震えている。今までの圧倒的オーラーが嘘のように消え失せ、誰が見ても分かるくらいに狼狽している。 「あなたが鶫守の秘密を暴露したせいで鶫守は命を狙われました。」 「それで!?それで鶫守はどうなったの!?」 しずくは鶫守の生死をかなり気にしているようだ。激しく感情を揺らしながら前のめりで聞いてくるしずくを見て俺は内心ほっとした。 しずくは鶫守のことを完全に忘れたわけではないんだ、それどころか今もこうして気にしている。もしかしてこれがしずくの本当の姿なのかもしれないな。そう思ったら鶫守も浮かばれた気がして嬉しくなった。茜さんも同様に思ったらしく今までの挑戦的な態度は消え、代わりに優しいまなざしをしずくに向けた。 「鶫守は無事でした。あなたに不老不死を渡した妖怪の方は無事では済まなかったですけど。」 「そう・・・。」 茜さんの言葉にしずくはほっとため息をついた。心から安堵しているようだ。 伯父さん、大丈夫だ、秋川しずくは伯父さんが好きな秋川しずくだ。 するとしずくは突然俯いた。つばの広い帽子に隠れて表情は見えないがもしかして泣いているのかもしれない。罪悪感と後悔に打ちひしがれているのだろう。 「しずくさん・・・。」 俺はたまらなくなって声をかけた。 確かにしずくは不老不死の薬を手に入れる為に鶫守を裏切った。しかしそれもこれも自分が癌で死ぬという未来を見たからだ。死にたくないから鶫守のことをはからずも裏切ってしまった。俺は果たしてそれを悪いことだと責め切れるだろうか?もし自分だったらどうする?もししずくの立場になった時にしずくと同じ行動を取らないと言い切れるか? 今までも何度となく自問自答してきたのに、一度は答えを出したはずなのに今こうやって俯いているしずくを目の前にするとまた俺は迷い始めている。 しかしそれは突然だった。 「そう・・・。これで私に会いたかった理由が分かったわ。」 しずくの低い声が響いた。そしてキッと顔を上げる。その目はあまりに鋭く攻撃で。 俺は唖然とした。ついさっきまで鶫守のことを心配していた時の姿とあまりに違いすぎる。 「鶫守に謝れと言いたいのね。それとも不老不死をネタにして私をゆする気かしら。」 「!!」 挑発的なしずくの態度は俺や茜さんを怒らすには十分すぎた。 なんなんだこの豹変ぶりは!!それにゆするって言いがかりにもほどがある!!俺は激怒した。 「ちょっと!いくらなんでもゆするとか冗談でも言わないで下さい!!」 「あっそう。だったら謝ってほしいのね。でも私は謝らないから。」 俺はもう何がなんだか分からなくなった。怒りとやるせなさが心を激しくかき乱す。茜さんはひたすら怒りを押し殺しているようだ、固く握りしめた膝の上の拳が怒りを物語っている。 「仕方ないじゃない、あの時はそうするしかなかったのよ。不老不死の薬を手に入れなければ私は今頃死んでいたのよ!」 「でもそれならこまめに人間ドックに行って早期発見に努めれば良かったじゃないですか!癌は早期発見、早期治療なら必ずしも不治の病ではないんですよ!」 俺は反論した。だって癌になると分かっていたらそうするのが普通だろう? しかししずくの考えは違うようだった。 「そんな甘いことを言っているからあなたはこの事務所で一番下っ端なのよ!」 「はい!?」 今なんて言った? 「何か間違っている?私は長年の経験で相手を一目見ただけでその人がどういう地位にいるのかが分かるのよ。どうせあなたは一番下の使い走りでしょう!そうね、さしずめ雑用係かペット探し専門という所かしら。」 「ぐっ!」 図星だった。ぐうの音も出ない。反論できない。 「ちょっと!失礼なこと言わないでください!」 茜さんがいきなりキレた。怒りで顔を赤くしている。 俺は感動した。そこまで俺のことを・・・。 「確かに犬猫探しが板について、近所の人からはペット店からの回し者だと噂されているけど!」 「え?僕そんな噂されていたんですか?」 そういえば思い当たる節はある。この前、帰る時に近所の床屋さんがトイプードルを抱えて俺の所に来て「犬の毛が伸びたのでカットしてくれ」と言ってきたけど。それで俺は「トリマーじゃないんですけどいいんですか」と答えたけど。そしたら「それでもいいからカットしてくれ」と言われたけど。それでカットしてあげたけども。それで「素晴らしい!!」と褒められたけども。 そういうことだったのかーーーー!! 俺は頭を抱えた。というか俺って探偵よりトリマーの方がむいているんじゃないか?結構指先器用だしな。いっそ転職しようかな・・・。 「それでも太郎ちゃ・・・朝舞君はうちの大事な探偵ですから!!それにペット探しも立派な仕事です!」 茜さんが言い切った。清々しい程、堂々と。 「茜さん・・・。」 俺は今、猛烈に感動している。 だがしずくは鼻でフンと笑った。 まったく嫌な女だ。伯父さん、会わなくて正解です。 「とにかく私は謝らないし、鶫守にも悪いことしたと思っていないから。有名になることは私自身に課した使命。女優は私にとって天職なのよ。その為なら私はどんなことでもするわ。誰を犠牲にしても、人としての道に外れてもね。倫理なんてどうでもいいわ!!」 秋川しずくは吐き捨ているように言い切った。その目に一寸の迷いもない。これが秋川しずくにとっての矜持なのか・・・。
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