「あの白い布が掛かっているのが夜鶫の鏡だ。見てくるがいい。」 「え?私一人で?」 しずくが心細げだ。ここに住みだして初めて見せた気弱さかもしれない。鶫守はしずくを一人で行かせることに躊躇したがこればっかりはどうしようも出来なかった。なぜなら夜鶫の鏡を見る時は一人でなければならないのだ。 「傍についていてやりたいのは山々だがそれは出来ん。未来を知りたい本人以外の者は鏡に近づいてはならないのだ。鏡と本人が一対一となって向き合わない限り魔鏡の魔力は発揮されないからな。」 「そうなんですか・・・。」 さすがのしずくもいざとなると怖がっているようだ。無理もない、明るい未来が見られればいいがそうでない可能性だって大いにあるのだから。 「見るのをやめてもいいんだぞ。行くのもやめるのにも必要なのは勇気だ。ここでやめても少しも恥じることはない。むしろそれが賢明な判断だ。」 鶫守は慰めた。しずくに自分の未来を知って絶望して欲しくなかったからだ。 しかししずくは大きく深呼吸をし、やがて決断をした。 「私は運命は変えられるものと信じています。だから行きます。」 誰よりも力強く凛とした声でしずくは言い切った。鶫守はそんなしずくを見て信じてみようと思った。この強さなら案ずることはない。鶫守の迷いも吹っ切れた。 しずくは迷いのない一歩を踏み出した。一歩一歩決意を踏みしめていく。これからどんな未来を見てもしずくは乗り越えなくてはならない。いや、しずくなら乗り越えられるだろう、鶫守はそう信じて扉を閉めた。
それからどれくらいの時間が経ったのだろう。しずくはまだ部屋から出てこない。さすがに鶫守も心配になってきた。もしかしてあまりの不幸ぶりに絶望して泣き崩れているのではないか!?そんなことを考えだしたらいてもたってもいられなくなった。 鏡が力を発揮している時、本人以外は何人たりとも近づいてはいけないというのは犯してはならないルールだ。しかし、もししずくが絶望のあまり変なことを考えたらと思うと鶫守はとてもじゃないけどじっとしてはいられなかった。 意を決して扉に手を掛けたその時だ。 扉が開いた。中からしずくが出てくる。 「しず・・・。」 鶫守はかける言葉を失った。しずくがあまりにも真っ青な顔をしているからだ。唇も小刻みに震えている。しずくの表情をひと目見てしずくが見たであろう未来が分かった気がした。それはしずくが望んだものではなく、むしろ想像以上に残酷なものだったのだろう。 「だからやめておけと言ったものを・・・。」 鶫守はいたたまれなくなって呟いた。 「ありがとうございました・・・。」 しずくは今にも消え入りそうな声で礼を言った。まるで生気のない顔。一瞬でも名を残せるなら死んでもいい!!と訴えてきた人間とはまるで別人。今ここに居るのはため息だけでかき消されてしまいそうなほど霞のようにか弱き女性。鶫守の胸がズキズキと痛んだ。なんとかしてやりたいと心から思った。 「しずく!」 力強くしずくの名前を呼んだ。しずくはうつろな瞳で鶫守を見上げた。 「運命を変えてみせると言ったのはそなたではないのか!もう忘れたのか!」 鶫守の真摯な眼差しがしずくの心を打ち抜く。 しずくは暫くは茫然としていたが、やがて目が覚めたのか青白かった頬に赤みが舞い戻ってきた。 「はい!変えてみせます!!」 しずくは断言した。生気が宿り、光を失っていた瞳にあの眩しい輝きが溢れだす。本来の自分の戻ったのだ。
いよいよしずくがここを離れる時が来た。鶫守は名残惜しくてたまらない。もっとここに居て欲しいと思ったがここに居てはしずくの夢は叶わない。秋川しずくは大女優になる人間なのだ。だから寂しさを押し殺して力強く見送ることにした。 「鶫守さん、本当にありがとうございます。鶫守さんのおかげで私は立ち直れました。」 「いやわしはなんにも・・・。」 鶫守は照れくさそうに頭を掻いた。 「いいえ鶫守さんのおかげです。鶫守さんって強いんですね。」 「え?」 「だって全然弱い所なんてなさそう。いつも堂々としていて逞しくて優しくて。完璧な人って感じです。私なんてあれだけ覚悟していたくせにいざ自分の未来を知ったら落ち込んでしまって。駄目ですね、私って・・・。」 しずくはそう言うと自嘲気味に微笑んだ。鶫守の方はというと褒められてまんざらでもない。 ここでふと、鶫守の脳裏にある情報が浮かんだ。それは仕事もプライベートもなにもかもそつなくこなす男がふとした瞬間に見せる弱さ。女は男の普段の強さと自分にだけ見せる弱さ、そのギャップに胸がキュンとくるというのをテレビで見たのを思い出した。 そこで鶫守は小さくコホンと咳をした。 「わしにも弱点はあるぞ。」 「え?弱点なんてあるんですか?」 しずくは驚いた顔で鶫守を見つめた。 「もちろん。これは絶対に絶対に他人に話しては駄目だぞ。そなたにだけは特別に話してやる。誰にも話さないと約束出来るか?」 「はい!もちろんです!約束します!」 しずくは元気いっぱいに答えた。興味津々だ。
|
|