「今朝来る時に途中で自販機に寄ってコーヒーを買ったんですけど、その時に1000円落としてしまったみたいです」。 俺はもうすでに涙目だ。 「あらあらそれじゃ太郎ちゃん。100円拾って1000円落としてしまったの?100円拾って喜んでいたら1000円落として損していたのね。900円の損よ。」 「茜さん・・・。」 茜さん、容赦ない。益々落ち込む俺。淳さんは俺の落ち込み様を見かねたのか 「でも1000円じゃなくて900円の損で済んだと思えばラッキーかもしれないよ。」 淳さん、それフォローになっていないです。あぁ、なんということだ。アエショーデビュー当日に犬のフンを踏み、100円拾って喜んでいたら1000円落とすという間抜けよう。際限なく落ち込む俺にさすがの伯父も同情したのか俺の肩を優しくポンポンと叩いた。 「まぁそう落ち込むな。人生なんてそんなものだ。山あり谷あり。良いこともあれば悪いこともある、人生はトントンだ。」 「伯父さん・・・。」 俺は伯父の優しい言葉に感動した。 「1000円は給料が出た時に返してくれればいいぞ。」 伯父のいけずーーーー!! 「・・・はい、その時にお返しします。」 敗北感で肩を落とす。 「さぁ、仕事に入ろうか。」 伯父の一言でそれぞれが自分の仕事に入っていく。いつもの風景。俺の涙目はなかったことにされた。茜さんは事務所に届いた郵便物を整理し始め、淳さんはクライアントへの報告書を作成し始めた。伯父は新聞を読み始める。 郵便物を見る茜さんの手がふと止まった。その表情は険しい。 「どうしたんだい?茜ちゃん。」 淳さんが不思議に思って尋ねた。茜さんの目が据わっている。 「公私混同の最たるものを見たわ。」 「?」 茜は一通の封筒を持って所長の所へ向かった。 「所長、これはなんですか?」 「これって?」 「この封筒です。」 茜さんの絶対零度の冷たい眼差が気になるが伯父はまったく気にしていないようだ。それが余計に茜さんの癇に障ったようで。 「今朝の郵便物の中にこれが入っていたんですけど、普通こういうものを会社宛にします?」 俺と淳さんは俄然その封筒が気になって茜さんの手元をのぞいた。そこで目にしたのは薄茶色の封筒の表にしっかりとした太字で印刷された文字。 『秋川しずくファンクラブ入会申し込み書在中』 俺と淳さんは顔を見合わせた。秋川しずくってあの女優さん? 伯父は相変わらず飄々とした態度で答える。 「別に会社宛にしてもいいだろう。ここが我が家みたいなものだし。ここに寝泊りするのは珍しくないぞ。週に4日はここで寝泊りしている。」 それは泊まり過ぎ。家に帰って布団で寝た方が体が休まると思うのにな。 「そうことじゃなくて!なぜファンクラブの申込書が自宅ではなく会社に送られてくるのかということが聞きたいんです!」 茜さんが憤慨して聞くと伯父は君はなにをそんなに怒っているんだという顔をした。 「なぜって、まずいか?」 「まずいですよ!公私混同も甚だしいですよ!」 「あぁそういうことか、すまんすまん。これからは気を付けよう。」 すまんすまんと言いながらたいしてすまないという顔をしていないのが伯父で。 「ぜひそうして下さい。」 それでも茜さんの気持ちはひとまず落ち着いたみたいだ。 「それにしても所長が秋川しずくが好きだったなんて知らなかったですよ。」 淳さんが物珍しげにファンクラブ申込書を見つめながら聞いた。 「あぁ最近好きになったのだ。綺麗な人だろ?」 「そうですね、とても綺麗な人ですね。芯が強そうな感じがまた良いですね、一筋縄ではいかない感じが。」 淳さんは何気なく言ったつもりだった。しかしそれを聞いた茜さんの目がいきなり据わった。こえーぞ、おい。おしおきを企んでいそうな怖い目で淳さんを睨んでいる。焦る淳さん。 「いやぁー、でも僕のタイプではないかな、あははは。」 淳さんは目を泳がせながら言い訳をしている。 茜さん、嫉妬したな。そんなに淳さんのことが好きならさっさと告白してしまえばいいのにといつも思う。茜さんは男からの告白を健気に待つ性格ではないのだから、女ターザンのごとく攻めて攻めて攻めまくればいいのに。それが茜さんでしょ?と言いたくなる時もある、が、それを言ったら次の瞬間俺はあの世に行っているのだろうからな・・・。 それにしても淳さんも茜さんもお互いのことが好きなのは見ていてまる分かりなのでとっととくっついてしまえばいいのに。やっぱり同じ仕事場というのが告白する時にネックになるのだろうか。上手く行ったときは良いけど玉砕したらそのあと職場で顔を合わせるのは気まずいだろうし。でもこの二人に限っては100%成功すると思うけど。 茜さんに睨まれている淳さんがあまりにかわいそうなので助け舟を出すことにした。助け舟になるかは分からないけど。 「秋川しずくってここ数年でぐっと人気が出てきた女優さんですよね?確か大女優主演ドラマのわき役に抜擢されてそこでブレイクしてそこからドラマにちょくちょく出るようになって。今では連ドラの主演を務めるまでになった。飛ぶ鳥を落とす快進撃を続けていますよね。」 好きな女優の話が出たからか俄然伯父のテンションが上がっていく。 「太郎も覚えているか?ドラマ初出演、わき役ながらあの素晴らしい演技力。確かそのドラマが放送されたのは7年前だったな。私はそれでしずくを知ったのだが、その後もどんどん演技の才能が開花して今や日本国民知らない人がいないという大女優にまでなった!実に美しく才能のある女性だ。彼女は例えるなら情熱的な薔薇であり、時にたおやかな百合であり、時に儚い桜だ。その時々、四季折々でいろんな表情を見せてくれる。」 「伯父さん、べた褒めですね。」 確かに伯父は美人に弱く、美女を見れば所構わず尻尾をふる男だ。まぁ、尻尾は振ってもその美女の後をついていかないところを見ると分をわきまえているのかもしれないが。
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