鶫守はその時、窓を開け月を見つめていた。満月は天の一番高い所に昇ろうとしている。 鶫守はその胸に質素な装飾を施した銀縁の鏡を大切そうに抱えていた。 夜鶫の鏡だ。 「いよいよ始まるな。」 鶫守は部屋の片隅にある和装タンスの4番目の引き出しを開けた。その中には綺麗に畳まれた服があって鶫守はその引き出しの奥に手を突っ込んだ。奥には小さなレバーがありそれを手前に引く。 するとタンスのすぐ横の壁がススッ・・・と動いた。壁の向こうにはもう一つの部屋がある。いわゆる隠し部屋というものだ。 鶫守は鏡を抱えながらその隠し部屋に入った。鶫守が姿を消した途端、壁は元通りになりタンスの引き出しも自動で閉まってここに隠し部屋が存在するなんて微塵も感じさせない。
一方、太郎たちは寒々とした牢屋の中でも羽根布団のおかげで眠りにつくことが出来た。 満月が一番高い所に昇ったその時だ。 ズドーン!! 突然地響きが鳴り渡った。牢屋の中にいた全員が驚いて飛び起きた。 「なんだ!?地震か!?」 俺と伯父は焦りながら辺りを見回した。だが茜さんと淳さんは冷静だった。 「いや、これは地震ではないな。これは・・・。」 淳さんが注意深く茜さんを見た。茜さんは頷く。 「えぇ。妖気が漂ってくるわ。そいつの仕業ね。」 「!?」 俺と伯父は驚愕そして困惑。なんでいきなりそういう展開になる!? 「鶫守の気が急に変わったとでもいうんですか!?」 俺はにわかに信じられなかった。だってあの鶫守がそんなことするはずがないと思ったから。 「いいえ、この妖気は鶫守のものではないわ。もっと邪悪な妖気よ。」 茜さんの言葉に俺は震え上がった。 鶫守のものではない、もっと邪悪な妖気ということはお呼びでない妖怪がここに現れたということか!!脳裏に浮かぶのは鶫守が話していた人間の体の一部を欲しがるという妖怪。 「ひえぇえぇえ!!」 俺は恐れおののき頭から布団を被った。どうしようどうしようどうしよう!! 伯父も恐怖で布団に潜ってくる。布団の中で俺と伯父の目があった。 「私たちはここで死ぬのか?」 伯父は震える声で聞いてきた。 「茜さんと淳さんがいるから大丈夫ですよ。」 俺はそう答えて布団を跳ね除けた。そうだ!今は茜さんと淳さんがいる。鬼に金棒だ! 妖気を放つ何者かが手当たり次第に辺りのものを破壊しているのだろう、不快な衝撃音が轟く。徐々に近づいてくる破壊音は実に心臓に悪い。はっきりいって吐きそうだ。 伯父は布団の中で怯えきっていて「私はここで死ぬのか?ここで死ぬのか?」と呟いている。多分気絶寸前だろう。いっそ気絶してしまえば楽になれるかもしれないがこの凄まじい衝撃音と揺れがそれを許さない。 「鶫守なにをしているんだ!変なのが来たらおっぱらってくれると言ってくれたじゃないか!」 俺は恐怖のあまり叫んだ。茜さんが振り向く。 「鶫守はそんなこと言ってたの?」 「はい。妖怪の中には人間の体の一部を欲しがる変態野郎がいて、もし万が一その変態野郎がきたら追い払ってくれると言っていました。」 「そう・・・。でも残念ながらさっきから鶫守の妖気が全然感じられないのよ。」 「え?それはどういうことですか。」 俺は動揺して聞き返した。 「鶫守の妖気が感じられないの。鶫守の妖気は絶大で数十メートル離れていても感じることが出来たのに今はまったく感じられないわ。」 「そんな・・・。」 激しく狼狽する。そんな俺に向かって布団から顔を出した伯父が言い放った。 「きっといち早く逃げたんだよ!私たちを置いて!!」 「鶫守はそんなことしません!」 俺は即否定した。否定したかった。鶫守に限ってそんなこと・・・。 「だったらこの妖怪にもう殺されちゃったんじゃないのか。」 「滅多なことを言わないで下さい!鶫守がそんな簡単にやられるわけないでしょ!」 伯父が軽はずみなことを言うもんだから俺は食ってかかった。淳さんはムキになっている俺を抑え 「でも鶫守の妖気がまったく感じられないというのは確かに変だ。」 「・・・。」 俺は戸惑った。あの鶫守がそんな簡単にやられるわけないのにどうして助けにきてくれないんだろう。 「来るわ。」 茜さんが警戒心を露わにして呟いた。牢屋の中は緊迫感が張り詰めて耳が痛くなる程だ。 「二人は僕の後ろにいて下さい。」 淳さんはそう言って俺たちの前に立ちはだかってくれた。 次の瞬間。 俺たちの前に現れたのは禍々しい凄みを纏い、陰鬱に唇を歪めている男だった。骨をもいとも簡単に噛み砕きそうな牙が見える。目つきも鋭く肉食動物が獲物を見つけた時の怪しいギラツキそのものだった。 男の視界の中に俺たちの姿が入った。 「貴様らは一体何者だ。」 威圧感に満ちた低い声が辺りに響く。牢屋に閉じ込められた人間たちを見て舌なめずりをした。陰惨な笑みを浮かべる妖怪。それに気圧されることなく淳さんが睨みながら聞き返す。 「貴様こそ何者だ。」 「淳さん、あまり挑発しないで。」 俺は涙目で懇願した。ここはなるべく波風を立てない方がいい、穏便に穏便に。 妖怪の唇の端が陰険にニヤリと持ち上がりその目は侮蔑の色に変わった。 「分かったぞ。貴様らも夜鶫の鏡を奪いにきたんだろう。それであいつに捕まってここに入れられた。貴様らのような底辺の下等動物にはお似合いの結末だな。」 茜さんと淳さんがキッと妖怪を睨んだ。 俺はというと茜さんと淳さんまで底辺扱いされたのがどうしても許せなかった。腹立たしさのあまり後先を考えられなくなった。 「それは違う!!確かに僕と伯父さんは底辺の下等動物だけど茜さんと淳さんは底辺なんかじゃない!馬鹿にするな!!」 「太郎ちゃん・・・。」 「太郎君・・・。」 茜さんと淳さんは胸を突かれた面持ちで立ちすくんでいる。だが妖怪は俺の怒りの抗議を跳ね除けた。それどころか益々人を馬鹿にしたような目つきになった。 「フン。確かにそっちの男と女はお前よりは使えそうだが所詮お前よりはマシな程度だ。この俺様から見れば貴様ら全員何も抵抗出来ないカス同然!」 完全に俺たちを見下している。茜さんと淳さんは悔しそうに妖怪を睨み続ける。 「その檻の中では霊力も使えまい。そのくせ態度だけはデカイからなんとも滑稽な話だ。まぁ、だがそんなことはどうでもいい。あいつはどこだ。」 ふいに妖怪からその言葉を聞いて鶫守は無事なんだということが分かり俺たちは内心ほっとした。 「貴様ら、鶫守の居所を知っているんだろう。」 「知らないよ!知っていてもお前なんかに教えない!」 俺は抵抗した。こうでもしなければ腹の虫がおさまらない。 だが妖怪は俺を見てニヤリとほくそ笑むだけだ。 やがて牢屋越しに妖怪は立ち、不気味な眼差しで俺の目をじっと見てくる。 「なんだよ!」 俺は思わず後ずさりした。この変態野郎はモーホーなのか!? 「貴様を殺すことにしよう。」 「!?」 次の瞬間、事態は急変した。
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