カリンは惚れられる心配など全くしていなかったと懸命に反論する。ルシアは意地悪そうな笑みを浮かべながら 「それなら良かったよ。まぁ僕がカリンのことを女として見るなんてありえないから。僕はスタイルの良い女が好みだからさ。端的に言えばおっぱいのデカイ子。カリンはいくら女性化してきているとはいえまだまだ貧乳だし全然僕の好みではないな。」 「あっそう!僕も安心したよ。ルシアに惚れられたら気持ち悪いしぞっとする!」 お互い言いたいことを言い合っている。カリンが壊したくなかったのはこういう関係性なのだろう。だからカリンは反論しながらもどことなくほっとしたような顔をしているのだ。ナーシャはそんな二人を見つめながら優しく微笑んだ。 だがやはり気になることがある。ナーシャは急に真面目な顔になりカリンの肩に優しく手を置き向き合う。 「ねぇ、カリン。」 「なに?」 「もうこれからは自分のことを『僕』と呼ぶのはやめなさい。」 「え?」 カリンは突然の忠告を受け明らかに狼狽している。それを見てナーシャは小さくため息をついた。 「カリン、あなたの体は女。では心は男?それとも女?」 「・・・女・・・だと思う・・・多分・・・。」 「そう。これからどんどん体は女性化していくわ。そしてやがて男性としての機能は消滅する。体は女なのにいつまでも自分のことを僕と言っていたのでは周りが戸惑うわ。若い内はそれでもいいけど年をとっておばあちゃんになったら困ることもあると思うの。何より言葉遣いはその人を映す鏡よ。女性としての言葉遣いをしていくことによって心もそれについていくの。体だけでなく心も女性にならないとこの先どんどん辛くなっていく。体と心の剥離はいつかカリンを苦しめることになる。」 「・・・。」 「でももし、体は女でも心は男だと思うのなら男として振る舞い、男として堂々と生きなさい。そういう生き方もあるのよ。そしてそれは正しいしそれを咎める権利のある者など世界中探してもどこにもいない。でもそうでないのなら心も女だと思うなら今から覚悟を決めて準備していかないと駄目よ。まずは自分のことを『僕』と呼ばないように心掛けること。いいわね。」 ナーシャはカリンの瞳をまっすぐに見つめながら言い聞かせた。心の奥底に刻まれるような真摯な言葉。カリンの背中を力強く押してくれる温かい言葉だった。カリンは力強く頷いた。 「分かった。これからは私と呼ぶようにする。」 それを聞いてナーシャも安心したように微笑んだ。ルシアはへぇ〜と感心しながらナーシャを見つめていたがすぐにいつものルシアに戻りニヤリと意味ありげに笑むと 「じゃあカリンはこれから僕と言ったらその度罰金だな。1僕につき1シド貰うから。」 「罰金!?」 カリンは焦っている。 「なに?自信ないの?破産しちゃう?」 ルシアはからかうように言った。カリンは画家としてかなり稼いでいるので1シドごとき払っても痛くも痒くもないのだがルシアに罰金を払うのは癪だ。 だがナーシャに言われた通り、女として生きると覚悟を決めたならその第一歩を踏みださないといけない。 「分かった、払うよ。でも僕はそんなこと言わないけどね。」 「「ほら言った!!」」 ルシアとナーシャがすかさず突っ込んできた。カリンはしまったとばかりに口を噤んだが時すでに遅し。渋々財布から1シド取り出しルシアに払った。 「まいどあり!」 ルシアは得意満面の笑み、カリンは恨みがましい目でルシアを睨む。そして二度と僕と言うまいと固く心に誓うのであった。 「それはそうとカリン、フランキーやハラレニ国王たちにはちゃんと体のことを話したの?これから体つきはどんどん女になるから黙っていても直にばれるわよ?」 「フランキーさんや国王やレンドたちにもちゃんと話すよ。いつまでも隠してはおけないから。」 「そうね、あの人たちならきっと受け入れてくれるわ。人としての器が大きいもの。」 「・・・うん。」 カリンは自信なさそうに頷いた。 正直、受け入れてもらえるかどうか不安はある。今まで男だと思っていた相手がいきなり女へと変化する。どれほどの混乱を与えてしまうのか想像すると申し訳ない気持ちでいっぱいになった。フランキーたちにどれほど良くしてもらっていてもやはり人間に対して遠慮はある。どんなに親しくしていても空族に対しての距離と人間に対しての距離は違うのだ。そんなカリンの不安をルシアは見抜いたのか 「カリンは元々女顔だし、これから体も女になりますと告白されたところであっそう、だから?って感じだよ。だって僕らには翼が生えているんだからさ。いまさら体に付いてないものが付いたり、それまであったものがなくなったところでたいしたことないって。翼のインパクトには敵わないでしょ。とはいえカリンの翼は小さくて元々使い物にならないけど、まぁとりあえず翼は翼だから。」 あっけらかんと言った。このルシアの軽さにカリンは今まで何度救われてきただろう。 「使い物にならないは余計な一言!」 カリンもいつものように返した。ルシアとナーシャに安堵の笑顔が浮かぶ。 「あとはフランキーさんたちに話すだけか・・・。」 カリンは覚悟を決めた。それと同時に半年前の空族の村でのやりとりを思い出した。 月のものが始まりいよいよ分化も本格的になることを踏まえて皆に自分の体のことを告白しようと決心し空族の村へ帰った。 打ち明けた時、皆は最初こそとても驚いていたがおばば様が以前からことあるごとに空族は両性体が誕生しやすいということを話しておいてくれていたおかげもあり、それと現実に両性体の仲間が過去にいたこともあり、すぐにカリンの事情は温かく受け入れられた。それどころか 「なぜもっと早く言ってくれなかったの!カリンに女物の服を着せて楽しみたかったのに!」 「いやいやナタリー、今からでも遅くないわよ。あの手作りドレスもあの帽子もカリンに着せてあげましょうよ。絶対似合うわ!楽しみだわ!」 「カリンが両性体だったとはな。そう言われてみればそんな気もしていたぞ。昔のあの子らに雰囲気がどことなく似ているしな。」 年老いて腰が曲がっているタチルは懐かしそうにそう呟いた。 「空族の村へ帰ってこいよ。男勝りの女は大歓迎だ。でもやっぱりもっと早く知りたかったぞ。全く水臭いなぁ。俺とカリンの仲だろう?」 と逆に責められたぐらいだ。 カリンは仲間たちの温かさに包まれ、心から安堵し堰を切ったように泣いてしまった。張り詰めていた緊張の糸が切れたせいだ。そんなカリンを優しく慰める空族たち。持つべきものは友人であり仲間だということを改めて思い知らされた瞬間でもあった。 シュンケはそんな仲間たちを誇らしく思った。 「まぁそうカリンを責めるな。カリンだってもっと早く言いたかったはずだ。でも昔の我々は生き延びるのに精いっぱいでそれどころではなかった。でも今はこうしてありのままに生きることが出来る。息を潜めることなく堂々と暮らしていける。これほど良き時代になったことを幸せに思うぞ。そして何よりおばば様が100年間も空族を見守り続けてくれたことに感謝をする。ぜひあと100年生きて欲しい。」 シュンケがおばば様に労いの言葉を手向けると皆もおばば様を温かく見守った。 「後100年どころか200年生きるわい。」 おばば様はそう言うと満面の笑みを浮かべた。そこでトーマスがからかうように 「おばば様って実は空族ではなくて魔女なんじゃないですか?あと1000年位は生きそうだし。」 この発言に眉を顰めたのはシュンケの親友ジムだ。 「こらトーマス!おばば様に向かってなんと失礼なことを言うのだ。」 「よいよいジム、トーマスの言う通りわしは魔女かもしれんのぉ。なんせ生まれついたときにはすでに皺くちゃだったからの。」 おばば様の冗談に空族がどっと沸いた。
思い浮かべる空族の村はいつも穏やかと優しさに溢れている。 空族が素晴らしいものであればあるほど、変化していくこの体を抱えて生きることは大変なことのように思えてくる。正直言えば空族の村へ戻りたくなる時もある。 だけどカリンは人間が大好きだ。フランキーやハラレニ国王やレンドたちが大好きで心の底から大切に思っている。 そして自分の絵を愛してくれる人たちに感謝をしている。種族が違う自分に優しく接してくれるたくさんの人たちに感謝している。その人たちがカリンの体のことを知ってからどう変わるかは分からないが もしかして気持ち悪がられて避けられるようになってしまうかもしれないが、それでもいいとカリンは思った。 堂々と人間を好きでい続け、堂々とこの人生を生きる。やっと得られたこの安らぎを手放さない為にも。 カリンが心の中で固い決心をしている時、ルシアは複雑な表情でカリンを見つめていた。 先ほどカリンが言った「僕は今まで通りルシアと親友のように接していくつもりでもルシアがそうでなくなったら嫌だなぁと思ったんだ。」という言葉。その言葉がルシアの胸の壁をちくちく刺している。どこか辛いようなどこか苛立つような・・・。 ちょっとだけ泣きたくなるような気持ちにもなったがそんなのは自分の性分ではないとあえて軽さを演じた。 この時のルシアは今感じているかすかな胸の痛みがなんであるかを知ろうとはしなかった。
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