その頃、国境の門の前にはたくさんの人で溢れていた。出国したいのだが門が閉ざされている為、それが出来ないのだ。もちろん入国も出来ない。人々は門番の兵士たちに詰め寄った。 「自分の国に帰りたいのにこれでは帰れないではないですか!」 「なぜ門を閉ざしているのですか。今すぐ開けてくださいよ。」 「明日サンライズ国にいる妹の結婚式があるのよ。このままでは間に合わなくなるわ!」 「国境閉鎖なんて横暴だぞ!今すぐ開けろ!!」 それぞれが事情を抱え苛立っている。怒号も飛ぶ。兵士たちは困惑しながら何度も説明を繰り返す。 「緊急事態なのだ。月鏡が盗まれてこの国に運ばれた可能性がある。犯人を逃がさない為の処置だ。皆ここは我慢してくれ。」 しかし人々は納得がいかない様子だ。 「月鏡ってなんだよ。」 「月鏡が盗まれたからなんだというの?私たちに関係ないじゃない!」 50年前に世界を震撼させた出来事も月日の流れと共に風化していく。ノンカカ国の滅亡の話は親から子へ、子から孫へと語り継がれることもあるがそうでない場合もある。 特に若い人たちは知らないことが多い。 漠然と知っているのは祈りを神に捧げ神事を行う月族という民族がいるということ、月鏡に触れると呪われるということぐらいだ。騒然とした現場で兵士はありったけの声を張り上げて皆に伝える。 「明日の朝8時には門は開かれる。それまではこの国に留まって欲しい。今夜の宿がない者は申し出てくれ。宿を提供する用意はある。」 「そんなこと急に言われても・・・。」 「そんな暇はないぞ!これでは商売があがったりだ!」 若者たちは不平不満を垂れている。ノンカカ国の顛末をその目で見た年配者やノンカカ国のことを話で伝え聞いている者たちは兵士の要望を受け入れて素直に従おうとするが。 その中にいた一人の老人がため息交じりに呟いた。 「やれやれ、近頃の若い者は月鏡の恐ろしさを知らないのか、甘く見ているのぉ。」 そんな中、一人の兵士が猛スピードで門のところにやってきた。そして息を弾ませながら門番の兵士たちに報告している。報告を受けた兵士たちの表情が見る間に安堵の色に変わり全身で喜びを露わにしている。ついに朗報とばかりに大声で叫んだ。 「今、国王から連絡があった。月鏡を盗んだ犯人たちを確保し、月鏡も無事月族の手元に戻ったそうだ。これより門を開放する!」 「おぉ!!」 「良かった!!」 「月鏡が戻ったってよ。」 人々は歓喜した。自然と拍手が沸き起こる。歓喜と安堵の輪が波となって国中に広がっていく。 その様子を静かに見守っていた一人の老人がいた。白髪で年齢は70歳ぐらいだろうか。年のわりに背筋がぴんと伸びていて品の良さを漂わせている。その老人はゆっくりと兵士の元に近づいてきた。そして 「すみません、今の話だと今この国に月族の方がいるのですか?」 「そうだが、それが何か。」 「なんという偶然。私はサリノ国に住むピアと申します。50年前までノンカカ国王の側近を務めていました。どうか月族に合わせていただけないでしょうか。ぜひとも月族に謝りたいのです。国王にそう伝えていただけないかと・・・。」 「あなたが昔ノンカカ国王に仕えていたのですか!?」 「はい。今となってはお恥ずかしい話です。」 兵士は信じられないものを見たかのように目を見開いた。こんな偶然があるのだろうかと神の取り計らいに身震いもした。 「分かりました。国王の元へ案内いたします。あちらに馬車があるのでそれにお乗りください。」 「これはありがたい。心より感謝致します。」 ピアはほっとした笑顔を浮かべた。そして兵士に案内されて馬車に乗り込み城へと向かった。
城の前に到着した。 兵士は「ここでお待ちください」と言い残し国王とライトルたちに事情を説明をする為に城の中へ向かう。ほどなくして兵士は戻って来た。 「月族があなたに会いたいそうです。」 「ありがとうございます。」
ピアは貴賓室に案内された。そこでライトルとルナが待っている。国王は3人だけで話がしたいだろうと気を遣い、人払いをして自分もその場から離れた。 ピアはライトルたちが待つ部屋に入った。ライトルとルナはピアの顔を見るなり心苦しくなり泣きたい気持ちになった。 しかしピアは二人とは対照的に穏やかな笑みを浮かべながら歩み寄ってくる。そして親し気に握手を求めた。ライトルたちは遠慮がちにその手を取った。 「あなた方が月族の方ですか。私は昔ノンカカ国王に仕えていたピアという者です。」 「僕はライトルと言います。月族の長を務めています。こちらにいるのが妹のルナです。」 「はじめましてルナです。」 だがライトルもルナもそれ以上なんと言ったらいいか分からなくて途方に暮れてしまった。 ライトルたちはノンカカ国民に引け目を感じているのだ。その当時自分たちはまだ生まれていなかったとはいえ月族としてノンカカ国の為に何もしてやれなかったという申し訳なさがある。 月族の無力さを感じているし何よりもライトル達の母親が幼いライトルたちにいつも自分の後悔を語っていた。それがライトルたちの心にトラウマのように刻まれてしまった。 ピアはライトルたちの心に突き刺さった棘に気づいた。だからこそ優しい声で。 「私はあなたたち月族に謝りたい気持ちでいっぱいでここに来ました。」 ピアの思いがけない言葉にライトルたちは驚愕し焦った。 「謝りたい?そんな!それはこちらの方です!僕たちの方こそあなたに謝りたい!」 ライトルは切実な声で叫んだ。それはルナも同じ思いだ。そしてこの時自分たちの思いを吐露することを決意した。 「私たち月族はあなたたちの国を守れなかったことを悔やみ続けています。特に私の母は死ぬ間際までノンカカ国の人々に対して申し訳なく思っていました。ウソルーが月鏡を壊そうとした時、この命に代えてでも止めるべきだったとずっと後悔していました。」 「あなたがたのお母様が・・・。それは大変申し訳ないことをした。私こそウソルーの蛮行を止めるべき立場にいたのに・・・。」 「いいえ、そんなことはないです。月鏡のことでなんの関係もない国民たちを巻き込んでしまってどうしたらいいか・・・。」 するとピアは海より深いやさしい眼差しでライトルとルナを見つめながら 「どうか悔やまないでください。私は今とても幸せな人生を送っていますから。」 「でも・・・。」 「ノンカカ国が滅びたのは月鏡を壊したからではありません。月鏡の呪いなどではない、ノンカカ国自らが選択した道なのです。」 「どういうことでしょう。」 ライトルとルナはピアの言葉の真意が分からずに困惑している。 「あの当時のノンカカ国は他国に対してあまりにも酷い仕打ちをしていた。隣国の国民たちのたくさんの命を奪い、土地を奪い、富を奪った。その報いが来たのでしょう。永遠に奪い続けることなど出来ないのです。ノンカカ国はあの時すでに許される限界を超えていた。」 「でもそれはノンカカ国だけではなかったはずです。世界のあちこちで戦争は起こり命が奪われる、でも戦勝国の中で滅んだ国はノンカカ国の他にはないです。敗戦国は滅ぶことはあっても・・・。なぜノンカカ国だけが滅んだのか、それも自然現象で。僕にはやはり月鏡が関わっているとしか思えないのです。僕たちにとっては辛いことですけど。」 「戦勝国と敗戦国の差なんて紙一重ですよ。」 「紙一重・・・。」 「ノンカカ国は戦勝国ではないと思います。なぜなら当時の国民の心は荒んでいた。僕は当時の国王に苦言を呈し為、母国から追放されサリノ国で人生をやり直しました。新たな国で好きなことをやり好きなように生きようと決心したのです。国王に仕えていた時は屈辱の連続で毎日が地獄でしたがそこから解放されて私は生きたいように生き、ようやく幸せを掴みました。前から庭いじりが好きだったので植木職人になろうと一大決心し必死で勉強して懸命に働きました。おかげさまで植木職人としてそこそこ成功することが出来ました。この歳ですから今は引退し息子夫婦に仕事を継がせましたが孫も出来、今は一番幸せなんですよ。」 「ピアさん・・・。」 ライトルたちはピアの幸せそうな笑顔を見て心から安堵した。救われたような気持ちにもなった。 だがノンカカ国の全ての国民がピアのような恵まれた人生を送れたわけではないことも容易に想像出来る。その落差を想像すると余計に心苦しい気持ちになった。ピアと対照的な地獄のような人生を送った者もいるはずだ。 ピアは、悲し気な笑顔を浮かべるライトルとルナの胸の内を敏感に察した。 「あなた方が罪悪感を持つ必要なんて全くないのです。全ての元凶はウソルーにあるのですから。それにね、私は自分の不幸を誰かのせいにしてはいけないと思うのです。」 「不幸を誰かのせいですか・・・。」 「そうです。私の友人にトロワという男がいました。サリノ国で偶然出会いそれからずっと親交を深めてきました。残念ながらトロワは2年前に病気で亡くなりましたが死ぬ間際まで自分の人生は幸せだと言っていました。トロワはノンカカ国で農家をしていたんですよ。」 「農家を・・・。」 「雨が降らず穀物は枯れ果てどうしようもなくなったトロワ一家はサリノ国へと逃げました。逃げた先で草木も生えない痩せた土地と出会ったそうです。トロワ一家はそこで暮らすことにしました。やせた土地に落花生の殻を撒き、馬の糞を運んできては撒き、肥沃な土にしようと地道な努力を続けました。するとその痩せた土地は穀物が良く育つ畑に生まれ変わったのです。トロワはよく言っていました。『ノンカカ国に雨が降らなかったのではない、ここに雨が降っていたのだ』と。」 「・・・。」 「私たちはごく狭い自分の世界だけで生き、不幸だなんだの嘆きますが広い世界を見渡せば自分が思っていた不幸など小さいものです。世界は広い、だから本気になって自分の居場所を探せばそこに探していた幸せがある。きっと見つかる。私やトロワが見つけたように。その畑はトロワの子供たちが受け継いでいます。そうやって永遠にトロワの思いが受け継がれていく。」 「ピアさん・・・。」 「私もトロワも生き方を変えて幸せな人生を手に入れることが出来ました。だから月族を恨むことなんてありえませんし神を恨むなどとんでもない。むしろ神に感謝していますよ、あなたがたにも。」 ピアは深い皺が刻まれた優しい笑顔で言い切った。 ピアの言葉がライトルとルナを救う。許されたと思った。それまであった心のわだかまりは嘘のように溶けて消えていく。ライトルとルナの瞳に涙が浮かんだ。 「ピアさん、本当にありがとうございます。天国にいる母もピアさんの言葉に喜んでいると思います。」 「それなら私も嬉しいです。もうすぐ私もあなたがたの母親に会うことになると思います。大好きな草木の話でも聞いてもらおうかな。」 「いいえ、どうかもっと長生きしてください。」 「そうですね、せっかく神から与えられた命ですから心ゆくまで生きてみます。ありがとう。」 ピアとライトルとルナは熱く固い握手を交わした。そこにはもう遠慮はない。ルナの瞳から涙が零れ落ちた。 ピアは元気に手を振りながら城から去って行った。 ライトルたちは空を見上げる。雨雲の切れ目から青い空が覗いていた。どんなに雨が降り続こうと雲の上には必ず青空が広がっているのだ。
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