溢れんばかりの緑色の穂を波のように揺らす小麦畑、まっすぐに伸びる道、そこを行きかう人々、馬車。 家々の屋根は日差しを乗せて眩しく輝き、教会の鐘は厳かに佇む。いつもなら見上げている風景が今はゆっくりと眼下を過ぎていく。 ルナは生まれて初めての体験に目を輝かせている。シュンケに抱かれて上空を飛行しているからだ。 元々高い所は苦手ではないし、ましてや信頼するシュンケと共にいるからちっとも恐怖を感じない。気分は高揚しむしろこのまま遠くまで行きたい気分だ。 ルナは握りしめている月鏡の破片の反応を常に気にかけながらも普段なら見ることが出来ない大パノラマの荘厳さに何度も心を奪われそうになった。 シュンケは月鏡が共鳴し合う距離1kmより上に行かないようにいつもより少し低く飛んでいる。そのおかげで道を行く人や窓から外を眺めている人たちの目に触れやすい。 「あっ、あれはシュンケじゃないか?またハラレニ国へ行くのか。」 「きゃあ///シュンケが女の人をお姫様だっこしているわよ///」 「彼女と空中散歩かしら、ロマンチックねぇ、彼女いいなぁ。」 サンライズ国の人々はシュンケとルナの姿を見つけると羨ましそうに騒いでいる。 ライトルはというとシュンケの姿を見失わないように気にかけるのと同時にリコアとスルがいないか辺りを注視しつつ馬を走らせている。ゆっくりとしたスピードだから出来ることだ。リコアたちがこの道を通って行くとは限らないがハラレニへの一番の近道なのでここを行くことにした。 緩やかに風を切りながらシュンケがルナに尋ねる。 「ルナ殿、月鏡の反応はあったか?」 「いいえまだ・・・・。」 ルナが残念そうに返事を返した。 「そうか・・・。月族の村を飛び立ってからそろそろ40分になる。この近くで少し休憩していいか?」 「もっ・・・もちろんです!!」 ルナはシュンケに相当な負担をかけていることを申し訳なく思いながらライトルに向かって手を振る。地上に降りるという合図だ。シュンケはゆっくりと下降し地上へと静かに降り立った。そして丁寧にルナを地上に下ろす。ルナは40分ぶりの大地の感触を踏みしめた。そこへライトルがやってきて無事合流した。 「ルナ殿、体調は悪くないか?気分が悪くなったらすぐに言ってくれ。しばらく休もう。」 シュンケはルナを気遣った。ルナはシュンケの方が体力的にきついであろうに自分のことを気遣ってくれるシュンケの優しさに触れ切なくなった。ルナは泣き出しそうな笑顔を浮かべながら 「全然大丈夫です。私は高い所が得意なのです。それに風がとても気持ちいいです。」 「そうか、それは良かった。」 ルナは安堵したシュンケの顔を見て胸が津波のように高鳴った。 「シュンケ殿、お疲れ様です。ルナは重いから大変でしょう?」 「もう!お兄様ったらそればっかり!」 ルナが憤慨している。ライトルはまたしてもルナの乙女心を傷つけてしまったようだ。 「はははっ。そなたらは本当に仲の良い兄弟だな。だが私は全然大丈夫だ。それより殿など付けなくて良い、呼び捨てにしてくれ。」 「ではお言葉に甘えて。それと僕たちのことも呼び捨てにしてください。一緒に旅している仲ですから。」 ライトルは人懐こい笑顔を浮かべながら言った。 「分かった。ライトル、ルナ、あそこでしばらく休憩しよう。」 シュンケは薄い木漏れ日が射す林道の端にある切り株を指さしながら提案した。生い茂った葉っぱが夏の強い日差しを遮り木陰を作ってくれている。見るからに涼しそうだ。無論ライトルたちは大賛成だ。三人は大きな切り株に座って一息つく。ライトルは持参した水をシュンケとルナにも分け与えた。 「すまない。」 「ありがとう。」 「どういたしまして。」 三人は美味しそうに水を飲み干す。まさしく命を繋ぐ水だ。 すると向こうから一人の男性がやってきた。人のよさそうな満面の笑顔を浮かべた中年太りのおじさんがシュンケたちの所へ近づいてくる。ちなみに男性はサンライズ国で床屋をしている。 「やぁシュンケ、こんなところで会うなんて奇遇だな。これからハラレニへ行くのかい?」 「そうだ。それはそうとドレヤがガンチにはいつも世話になっていると感謝していた。私からも礼を言う、ありがとう。」 「なんだよ急に。空族の頭領からそう言われると照れるな。」 男性は照れながらも嬉しそうだ。男性の名はガンチと言う。 ドレヤはこのサンライズ国に住んでいる空族だ。空族の村に帰ってくるたびにガンチのことを話し、シュンケにも一度会わせたのでお互い顔を知っている。 「で、その綺麗な娘さんはシュンケの彼女かい?シュンケが女と空中デートしているともっぱらの噂になっているぞ。」 「・・・っ!?」 小さな呻き声をあげたのはルナだ。恥ずかしさのあまり体中の血が瞬間沸騰して今にも湯気が出そうだ。しかしシュンケはルナとは対照的に沈着冷静。 「いや、彼女ではない。これからこの方たちをハラレニにお連れするんだ。」 「そうなのか。」 ルナはシュンケの「彼女ではない」という言葉に聞いてショックを受けて悲しくなった。でも彼女ではないのは事実、ルナはシュンケに気づかれないように深呼吸しながら必死で悲しい気持ちを打ち消そうとする。そんなルナの健気な姿を見逃さなかったライトルは複雑な気持ちになった。 「それじゃあ俺はそろそろ行くとするよ。道中気を付けてな。あっ、空中だから空中気を付けてか。あははは。」 「ありがとう。ガンチも気を付けてくれ。」 「OK!それにしても道中ではなく空中気をつけてか。俺上手いこと言ったな!」 ガンチは自分の言葉にウケながら陽気にその場から去って行った。たいして上手いことは言ってないのだが。 シュンケはガンチの後姿を優しく見送った。ライトルはシュンケとガンチのやりとりを見て驚いている。 「ライトルどうした?何を驚いた顔をしている?」 「いや、だってあの人、空族を見てもたいして驚きもせず普通に会話しているから。あの人だけでなく他も人たちもシュンケを見ても普通にしているし。僕たちなんてシュンケを見た時にあんなに驚いたのに。」 「あぁそれなら彼らは空族を見るのは珍しくないからな。ハラレニに行くときは必ずこの国を通るし、空族であるドレヤとティーチはこの国に住んでいるのだ。だから日常的に空族を見ているから慣れている。今や空族の半数は我らの村を出て人間の社会で暮らしている。人間にとって空族は昔ほど物珍しいものではなくなっているということだ。だが我々はそれが嬉しいのだ。それだけ空族が人間の世界に馴染み人間と共に幸せに暮らしているという証だからな。」 ライトルとルナはシュンケの言葉を聞いてハッとした。空族がこんなにも自由になれたのはたった9年前のことだ。それまでは人間に狩られ殺される運命にあった種族。過酷な運命を持って生まれた空族は今や自由を手にし好きなだけ空を行く。 ルナは空族に比べれば自分はなんて恵まれているのだろうと思い知った。それと同時にこみあげるあの苦渋の日々。自分たちの無力さを思い知って嘆き悲しんだ歳月。ルナは自分の悩みをふと口にする。 「私たち月族はかつて空族の方々の自由を心から祈り続けました。」 突然のルナの告白。ライトルはルナの告白に息を飲みやがて辛そうな表情に変わっていく。だがシュンケにはなんのことか分からない。 「空族が今までどれほど辛い思いをしながら生きていたか私たちは知っていました。だから空族が一日も早く苦しみから解放され人間に襲われることがなくなるようにと祈り続けました。でもどんなに祈り続けてもその願いは叶うことはなかった。私たちは無力です。」 切々と語るルナの瞳に涙が滲んでくる。その苦しい胸の内はライトルにも痛いほど伝わりライトルもまた唇を噛みしめている。そんな二人の苦悩を間近で見たシュンケは優しい笑顔を浮かべながら励ます。 「だからこうして空族は自由になれた。今はとても幸せだ。月族のおかげだ、ありがとう。」 「いいえ!空族の方々が自由になれたのはジャノのおかげです!ジャノの翼のおかげで!」 ルナは私たちのおかげではないと今にも泣きだしそうな顔で必死に反論した。シュンケはルナたちが空族に対して罪悪感を抱いているということを肌で感じ取った。 「こんなことを言ったら誤解されると思うがあえて言うぞ。欲望に目がくらんだ見ず知らずの他人の愚かな行動を止められる人間などそうはいない。例えそれが月族であってもな。もし止められると思っているのならそれは思い上がりだ。だからせめて自分の周りの人間、例えば家族や友人、恋人の愚行を止めようと最善を尽くす。時に叱ったり必死で説得したり泣いたり、そうやって近しい人の暴走を止めることが出来るのが人間だ。それで十分ではないか。」 「シュンケ・・・。」 ルナとライトルはシュンケの言葉に頬を殴られた気持ちになった。もちろんいい意味でだ。自惚れることなく目を覚ませと言われた気がする。特にルナはずっと誰かに言ってほしかった言葉を言ってもらえたかのように心の底からの喜びの表情を浮かべている。 しかしその表情もシュンケの次の言葉でかき消された。 「それに私は月族を尊敬しているぞ。自分となんの関係もない人々の為に平和を祈り、穏やかな暮らしを願う。なかなか出来ることではない。月族こそ尊敬されるべき特別な存在だ。」 シュンケはルナたちを慰め励ましたい気持ちでいっぱいだ。ライトルはシュンケの思いやりに心から感謝する。しかしルナは頭を横に振った。 「いいえ月族は特別な存在などでは決してありません。月族として生まれてきて当たり前のことをしているだけです。空族が空を飛ぶように、漁師が魚を獲るように、農民が畑を耕すように、パン屋がパンを捏ねるように自分がなすべきことを当たり前にしているだけ。それは息をするように自然なことで決して特別なことだとは思っていません。月族を特別な存在だと思って欲しくないんです。」 「・・・。」 その表情は必死でしかも憂いを帯びている。ルナは心の奥底に悩みを抱えていて月族という存在について思うことがあるようだ。シュンケはそれが気になった。でもそれ以上聞かずにいた。 「変なことを言ってすまなかった。」 シュンケが素直に謝った。それを見てルナは我にかえり狼狽する。 「ごっ・・・ごめんなさい!私たったらなにか変なことを・・・!」 「いや、ルナは何も変なことは言っていないぞ。」 「でも!」 ルナが今にも泣きだしそうな顔で懸命に謝っている。シュンケは「気にしていないし気にするな」とルナを慰めている。そんなルナの姿を見てライトルは苦痛に満ちた表情をしている。ルナのことを心配しているのだ。 ルナは真面目で純粋だ。そして人一倍責任感が強い。誰かに助けを求められても何もしてあげられないもどかさしさ、無力さにさい悩まされている。 空族のことは人間の業の深さが招いたことで月族にはどうすることも出来なかったし、第一、空族が人間に虐げられていた時期はルナはまだ子供。ノンカカ国のことに至ってはルナが生まれる前の出来事でルナとはなんの関係もないこと。 しかしルナは自分は月族だからということに囚われてその責任感に押しつぶされそうになっている。 それゆえにその重圧から逃れたいと思っている。だから月族でも出来ることは限られている、月族は万能ではない、月族は特別ではないと思うようにしている。でもそれは裏を返せば責任感が強すぎるということだ。 他の月族のように自分たちの祈りは神に届いている、届いているからこそ平和は保たれているのだと自尊心を高くしたら楽に生きれるものを。月族として生きるにはある意味思いあがっていた方が精神的に楽になれるのだ。 ライトルはルナが思い悩んでいることを知っていてその度に 「物事を深く考えすぎるな、月族は神ではない。神に祈りを捧げているだけのただの人間だ。」とルナの思いに沿って励ますのだがなかなかルナは吹っ切ることが出来ない。所詮同じ月族が言ったところで傷の舐めあいにしかならないからだ。 ルナは月族という重圧に耐えながら24歳になった。正直今まで恋どころではなかったのであろう。 だが今ルナはシュンケに恋をしている。初めての恋だ。だからライトルはルナの恋を全力で応援してあげたいと思う。この恋が実りますようにと切に願う。 例え実らなかったとしてもこの恋はルナを変えてくれる気がした。 人間の欲望の暴走を止められると思っているならそれは月族の思い上がりだとはっきり言ってくれたシュンケならきっとルナを救ってくれると思った。祈りは月族にとって全てではあるがルナという一人の人間にとっては全てではない。 恋を知り、愛に生き、人生の喜びを知って欲しい。月族である前に一人の人間として人生を謳歌して欲しい。それがライトルの心からの願いであった。
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