月族のルナはリコアたちの食事を用意した。鮎のハーブ焼きと具だくさんのビーフシチューに香ばしいパン、採れたての野菜をふんだんに使ったサラダをそれぞれ多めに盛り付けリコアたちのいる宿に運んだ。 ルナは扉の呼び鈴を鳴らした。 「どうぞ。」 リコアが返事をしながら扉を開けた。 「失礼します。初めまして、私はルナと申します。お食事を持ってきました。」 「初めまして。私はソラピアダ村から来たペラダと申します。お世話になります。」 ルナが中へ入るとリコアは食事を見て目を細めた。だがスルはルナの姿を見た途端、目を皿のように丸くして驚いている。おまけに体が固まってしまった。どうやらルナの美貌に見とれてしまったらしい。そんなスルの様子に気づいたリコアは軽く肘でスルの腕をつついた。 「は・・・初めまして。お・・・僕はスル・・・じゃなくてトランと言います。よろしく。」 スルは緊張のあまりしどろもどろで挨拶した。リコアはスルが何かやらかさないかを危惧しすぐさまごまかしに入る。 「これはこれはなんて美味しそうな。ありがたく頂戴いたします。」 ルナから食事を受けとりさっさとルナのことを追いやろうとした。 しかしルナは立ち止まり気遣いの表情を浮かべながら 「ソラピアダ村とはムンカ国のどこにあるのですか?雨が降らなくてさぞかしお困りでしょう。」 リコアの眉毛がピクっと動いた。警戒しながら慎重に答える。 「ムンカ国の北の端にあるのですよ。人口も少なく小さな町なので地図にも載っていませんが。自給自足で生活しているので穀物が育たないのは死活問題なのです。」 「そうですか・・・それはお困りでしょうね。私たちの祈りが届くといいのですが・・。」 「はい、頼りにしています。」 とりあえずこれ以上は追及されることはなさそうだとリコアは内心ほっとした。しかしルナはふと憂いの色を瞳に滲ませる。 「このことだけは心の片隅に置いておいて欲しいのですが、巷では月族は神と通じていると言われていますが決してそうではないのです。私たちは神に祈りを捧げているだけです。私たちに自然界を動かす力があるわけではないのです。だから雨乞いの儀式を行っても必ずしも雨が降るわけではありません。」 リコアはルナの説明を聞き失敗した時のいいわけかと心の中で軽蔑した。だがそれは表に出さず人の良い農民を演じる。 「ですが今まで月族が儀式をして雨が降らなかったことはないと聞いています。百発百中だともっぱらの噂ですが。」 「それは偶然の賜物です。雨が降ったとしても月族の手柄というわけではありません。でももし私たちの祈りが神に届いて神が願いを叶えてくださるなら私たちにとってこれ以上の幸せはありません。」 「偶然の賜物ですか。百発百中の偶然の賜物などないような気がするんですけど。月族の祈りが神に届いている証なのではないですか?」 「そうだといいのですけど。」 ルナの憂いの表情は消えない。納得はしていないのだろう。 リコアはますます月族のことが嫌いになった。私たちには自然を左右する力はないと謙遜し、月族と縁もゆかりもない者の為に祈り、願いが叶えられればこれ以上の幸せはないという自己犠牲。 リコアがもっとも嫌う類の人種だ。自分とは全く相いれない清らかな生き方をする月族を目の前にして心の中で「全く反吐が出る!!」と乱暴に吐き捨てた。 しかしルナはそんなリコアの本心に気づかない。ルナは思い直したように笑顔を浮かべた。 そしてスルの方に向き直り 「お風呂は好きな時に使ってください。お皿は頃合いを見て下げに参りますのでドアの外に置いておいてください。。出発は明日の朝、8時ですがよろしいですか?」 「は・・・!はい!よろしいです!」 スルはルナに見つめられてすっかり舞い上がっている。 「ソラピアダ村はここからとても遠いと聞きました。5日ほどかかるらしいですね。」 「いえ!ハラレニまでは二日ぐらいです!」 「ハラレニ?」 ルナが不思議そうに聞き返した。スルはしまったという顔をして慌てふためいている。その後ろではリコアが殺気をみなぎらせてスルを睨み付けている。 「ハラレニ国をわざわざ通って行くのですか?」 ルナが不思議に思うのは仕方がない。月族の村からムンカ国に行くのにハラレニ国を通る必要など全くないからだ。ハラレニを通るとかなりの遠回りになってしまう。ルナは首を傾げた。 リコアの表情が見た者の体が凍るほど冷酷なものになった。そして己の懐にそっと手を入れた。そこには短剣が忍ばせてある。スルはリコアがルナを殺そうとしているとすぐに悟った。自分の立場が危うくなると容赦なく相手の命を奪うリコアを今まで何度も見てきたからだ。 スルは全身に焦りを滲ませながらルナとリコアの間にさりげなく体を入れた。身を挺してルナをかばっているのだがそれ以上どうすればいいか分からないのであたふたするだけ。 「トランさん?」 ルナはスルの意図が読めなくて不思議がっている。リコアは懐の短剣に触れたままで極めて冷静な声で語り掛けた。 「ハラレニ国を通るのは念のためですよ。コランナ国を通った方が断然早いですが今、コランナ国は内政が荒れている。国民たちは殺気だっていてよその国から来た者に過敏になっているんです。そんな危険な場所を月族の方を通らせるわけにはいかない。だからかなり遠回りでも安全なハラレニ国を通った方が得策なのです。」 リコアはとっさに言い訳をした。確かに今コランナ国はなにかと物騒なのだ。ルナはそれならばと納得した。 「そうですか。お心遣いありがとうございます。」 ルナの言葉を聞いたリコアは懐の短剣から手を離した。スルの体によって視界を遮られていたルナはリコアが何をしようとしていたのか確認出来なかった。だがそのおかげで命拾いをしたようだ。 「では明日出発しますね。」 「はい、お願いします。」 リコアは極めて冷静さを装いにこやかに返事をした。ルナが立ち去ったのを確認した途端。 「貴様って奴は!!」 リコアは激怒しスルの胸倉を乱暴に掴んだ。 「すまん!つい口が滑った!でもあの女は疑っていないぞ!お前の説得が功を奏したんだ、さすがはリコアだ!」 スルは必死で宥めた。リコアはスルの馬鹿さ加減に呆れつつ仕方なしに胸倉を離した。 「まったく・・・!あの女も殺すところだったぞ。余計な仕事を増やすな!」 「すまん。でもあんな上等な女を殺したら夢見が悪いだろう?女子供以外は俺だってどうでもいいが。」 「お前はそうだろうが俺はお前とは違う。邪魔者は女子供でもすべて消す、それが俺の主義だ。」 「そうだな・・・。」 スルはリコアの冷徹な表情と残忍な主義に寒気を覚えた。とはいえスル自身も今まで幾人もの命を奪ってきた。でもそれは相手は大人の男ばかりで女子供には手を掛けなかった。そういう主義なのだがリコアはそんなことは関係なく赤ん坊まで始末する冷酷非道な人間だ。 リコアが実際に赤ん坊まで手にかけたのを見たことはないがこの男なら必要に応じてきっとやるだろうと思った。スルはリコアの残忍さに触れ身震いが止まらない。そしてリコアには何があっても逆らっては駄目だと強く認識をした。
|
|