『月族の血を継がぬ者は何人もたりとも月鏡に触れてはならぬ。もし触れたなら神の怒りをかい、その者に関わるすべてのものが滅びるであろう。ノンカカ国の悲劇を繰り返してはならぬ。亡国の嘆きを忘れてはならぬ』
ハラレニ国は今は夏。真っ青な空に輝く太陽。夏の強い日差しが大地を照り付ける。 例年ならとっくに雨季に入り、雨が大地や樹々、畑や人々や傘を濡らしているのだが今年はどうやら雨季の入りが遅れているようだ。 そんな中、この辺り一帯の農家たちをまとめ上げ仕切る大農家であり大地主であるラパヌは窓から不安げに空を見上げていた。空がからっと晴れているのとは対照的に表情は曇っている。 「まだ雨は降らないか・・・。このまま雨が降らなかったらどうなってしまうんだろうな。穀物たちに影響が出てしまう。早く雨季入りして欲しいものだが・・・。」 ラパヌがそう呟くと隣で一緒にお茶を飲んでいた男、ミンピが 「そう心配するな、ラパヌ。雨は振るさ。雨季入りがちょっと遅れているだけさ。」 「そうだといいのだが・・・。」 「世界では毎年のようにこういうことが起きる。雨が降らなかったり、反対に大雨が続いて川が氾濫したりな。俺はいくつもそんな国を見てきた。でもどんな災難があった国でもやがて雨は降るし、雨はやむ。砂漠でない限り永遠に続く乾季なんてないさ。」 「お前がそう言うならそうだろうな。なんせお前は世界中を旅している男だ。」 「まぁな。」 ミンピは得意げな顔をして自慢の顎鬚を撫でた。ミンピは世界各地を自由気ままに漂流する旅人なのだ。ラパヌとは昔からの友人で旅から帰ってくるとラパヌの家に立ち寄り土産話を聞かせるのが恒例になっている。ラパヌが土産話を聞かせろとせがむからなのだが。 「私はお前が羨ましいよ。私も農家でなかったら畑を放り出し世界一周としゃれこみたいもんだ。もう50歳も過ぎたというのに私の人生はこの土地に根っこを生やした枯れ木だよ。どこにも行けない。」 「だからこうして俺がお前にいろんな土産話を聞かせてやっているではないか。それでは不服か?」 「いやいやありがたいよ。見たこともない世界各国の話をこうして聞いているだけで私まで旅した気分になれる。いつもお前が帰国するのを今か今かと待っているよ。次はどこの国へ行くつもりだ?」 「次はスワロック国に行こうと思っている。北の方にある国だ。知っているか?」 「私が知るわけないだろう。世界地図なんてまったく見ないのに。地図なんてみたら今すぐ鞄に服を詰め込んで出かけたくなるだろう。」 ラパヌは笑いながらそう答えた。 「まったくだな。じゃあ、そろそろ帰るとするよ。ついつい長居し過ぎたしな。」 「あぁ、気を付けて帰れよ。それでスワロック国とやらにはいつ旅立つんだい?」 「一週間後にここを立つよ。」 「そうか・・・。今度も良い旅になるのを願っているよ。」 「もちろん良い旅にするさ。帰ってきたらまた土産話をたっぷり聞かせてやる。」 「おう、楽しみしている。」 ラパヌはにこやかな笑顔でミンピを玄関まで見送った。 しかし玄関を出て一人になったミンピの表情が一転した。それまで朗らかだった笑顔は消え失せ陰鬱な表情になった。先ほどとは打って変わってまるで別人のようだ。 「何が羨ましいだ!苦労知らずのボンボンめ!!」 ミンピは忌々し気に吐き捨てた。どうやらラパヌに見せる顔は作りものらしい。本音ではラパヌのことを快く思っていない。
広大な畑がパズルのように立ち並ぶ田園風景を抜け、ミンピは一人黙々と繁華街に向かう。街の一角にあるとある居酒屋の前に立ち止まるとポケットの中を探った。ゴミと一緒に古びた紙幣が二枚ばかり出てきた。酒代にと残しておいたなけなしの金だ。 実はミンピは相当金に困っている。一週間後にスワロック国に旅立つというのも嘘だ。そんな旅費は逆立ちしたって出てきやしない。だがすべてが嘘というわけではない。半年前までは本当に世界各地を旅行して回っていたのだ。そして帰国するたびにラパヌに土産話をしたのも事実。 しかし、不幸なことに半年前にとある国でギャンブルにはまってしまった。そこからは坂道を転げ落ちるようだった。貯金はあっという間になくなりとうとう借金をしてまでギャンブルにつぎ込む始末。それでもにっちもさっちもいかなくなり逃げるようにハラレニ国に戻って来た。 当然、旅行どころではなく借金取りに追われる日々。スワロック国に行くというのは嘘で借金取りからしばらく身を隠すつもりなのだ。当然家にも借金取りがやってきて家の扉や窓ガラスを乱暴に叩いたり蹴り上げたりするものだからおちおち眠れやしない。それで居酒屋で時間を潰そうとやってきたわけだ。
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