そしてスラヌ。スラヌはハラレニの城の裁きの間にいた。これから国王によって裁きがくだされる。ハラレニの兵士二人と側近フランを殺した罪は重い。極刑になってしかるべきなのだが。スラヌは跪き俯いたまま顔を上げない。スラヌが懺悔の気持ちでいっぱいなのは誰の目から見ても明らかだった。 スラヌは死を覚悟していた。 「スラヌ。」 国王の力強く凛とした声が裁きの間に響く。 「そなたを城勤めとする。」 「え・・・。」 スラヌは一瞬なにを言われたか分からなくて国王の顔を穴が開くほど見つめた。 「これからは城へ戻り、皆の世話をしてくれ。もちろん城から出ることも自由、城へ戻ることも自由だ。」 スラヌの瞳に涙が浮かび上がってくる。 「今すぐ町の中で暮らしていくのは困難であろう。そなたにはカウンセラーをつける。そしていつか人に慣れたら町で暮らせばよい。」 慈悲深く包容力のある国王の笑顔。 「あ・・・ありがとうございます。」 スラヌはやっとの思いで言葉を発すると堪えきれなくなってとうとう号泣し始めた。張り詰めていた糸が切れたように。
ノックはハラレニの隣の町にいた。満足そうに膨らんだお腹をさすっている。ハラレニで評判のピザとコーヒーを堪能したあとにこの町へやってきたのだ、もちろん食べ歩きの旅だ。 「それにしても・・・。」 ノックは豊かに香るダージリンを飲みながら先日のことを思い出した。あの日、やたらと不気味な男に声を掛けられ突然銃口を向けられた。あの時はこれで自分は死ぬのだと思ったが男は何かを思い悩んだあとにまったく違う方向に向かって銃を撃ったのだ。 「それにしてもあの男なんだったのだろう。」
それからさらに二日が経った。いい加減帰らないと空族の皆が心配すると思ったシュンケは村に帰ることにした。すっかりここでの生活が気に入ったラトは帰りたくないとだだをこねはじめる。シュンケは泣きじゃくるラトをなんとかなだめすかしラトがおねむに入るところまでやっとこぎつけた。 「ふうー、やっと寝てくれた。」 シュンケはとりあえずの安堵のため息をつく。 「ハハハ。さすがのシュンケも息子には手を焼いているようだな。」 国王がからかった。 「子育ては大変です。でもやりがいはありますよ。」 シュンケは眠っているラトを起こさないようにそっと抱きかかえた。 「名残惜しいが空族も頭領がいないと不安だろう。またいつでも遊びにきてくれ。」 国王はそう言って静かに右手を差し出す。シュンケもそれに快く応じ二人は固い握手を交わした。 「では。」 シュンケは国王に深く挨拶をして静かに歩き出す。ラトを起こさないようにそっと。しかしそんなシュンケの苦労を知ってか知らずかレンドが 「また遊びに来いよー!」 と明るく大きな声で叫んだ。 「ありがとう。」 シュンケは振り返り、心を込めて手を振った。内心、せっかく寝付いたラトが起きやしないかと冷や冷やしながら。
城の門の所にジャノとカリンとルシアはいた。カリンとルシアもおいとますることにしたのだ。三人は国王とシュンケには別れの挨拶をたっぷりと時間をかけてして欲しいと気を遣い、先にここに来てシュンケが来るのを待っていた。 シュンケがラトを抱えやって来た。 「シュンケ遅いよ。」 ルシアが急かした。 「すまない。ちょっと手間取ってな。」 「どうせラトが駄々こねてなだめすかすのに時間がかかったんでしょ。」 ルシアは相変わらず察しがよくてシュンケは思わず苦笑いした。 「シュンケ、もう帰ってしまうんだね。寂しいよ。」 カリンが今にも泣き出しそうな顔をしている。 「まぁそう言うな。また遊びにくるさ。」 「本当?」 「あぁ、本当だ。」 シュンケの明朗な返事でカリンの顔はぱぁっと明るく輝きだした。そこでジャノが何かを思い出したように 「そういえばシュンケはカリンの個展に行きたがっていたよね。これから見に行ってきたらいいよ。個展は今日までだよ。その間僕がラトの面倒を見ておくよ。」 「えっ、あぁ、だが・・・。」 カリンの個展を見に行きたいのはやまやまだがラトを預けるのは申し訳ない気がしたシュンケは躊躇している。 「遠慮しないで。僕ももうすぐ父親になるからその予行練習にもなるしシュンケはカリンの絵が見られるしで一石二鳥だよ。」 「それもそうだな。」 シュンケはジャノの厚意に甘えることにした。すると今度はルシアが 「そうと決まったら早く早く!ラトが起きちゃうよ。」とシュンケの腕を引っ張って連れていこうとする。 「カリン、いいのか?」 「うん、ぜひ見ていって。」 カリンはにこやかに答えた。
カリンの個展は相変わらずの盛況ぶりだ。最終日ということもあり今のうちに見だめしておこうという人でごったがえしていた。シュンケはカリンに案内されて中へ入りその後をルシアがついて回った。周りの客はシュンケのご登場ににわかに色めきたつ。 「シュンケが絵に興味あるとは意外だわ。」 気の良さそうなおばさんが声を掛けてきた。 「カリンの絵は特別なので。」 シュンケは臆面もなく答えるとカリンは気恥ずかしくなってそっぽを向いた。それにしてもシュンケはどこにいっても目立つ。たださえ体格がよく長身なのに大きく白い翼が余計に人目を引く。そんなシュンケを見て若い女性たちがひそひそ話している。 「あの人、素敵。彼女にして欲しい。」 「そうね、空族はやっぱり自由でいいわよね。」 きゃきゃと黄色い声を上げながらはしゃぐ女性たちにルシアは気づいた。ルシアは今だとばかりに女性たちの前にすうっと立ち 「僕も空族だけど。」と自信満々にポーズをとった。そんなルシアを見て片方の女性が挑戦的な上目づかいで意味ありげに言う。 「そうね、考えてあげてもいいわ。」 「えっ」 ルシアはドキッとした。思いがけないことを言われおまけに挑戦的な態度をとられあたふたする。 「今のもう一回!というかそれどういう意味?」 ルシアは、くすくすと笑いながら去って行こうとする女性を追いかけた。そして画廊から出たところで子守りをしていたジャノと目が合った。 「別になんでもないし。」 ルシアは何事もなかったかのようにすましながらまた画廊の中へ戻っていく。 「?」 ジャノはきょとんとしている。 シュンケはカリンの絵を見てその素晴らしさに言葉を失っていた。そんな時、突然カリンがふらっとよろめいた。シュンケは驚きながらもとっさにカリンの体を受けとめた。 「どうしたカリン、どこか具合でも悪いのか?」 シュンケは心配そうにカリンの顔を覗き込みながら尋ねた。カリンは心配かけまいとニコッと微笑み、しっかり立って見せた。 「ううん、なんでもないよ、大丈夫。最近ちょっと体がだるくて。この個展の為にずっと根詰めてきたからこうやって無事最終日を迎えられて気が緩んでしまったんだと思う。」 カリンは自身の最近の体調の不安定さに慣れているのかけろっとしている。だがそうは言われてもシュンケは尚も心配である。抱きとめた時にカリンの体に微熱があるような気がしたからだ。 「そうか。でも無理はするなよ。何事も健康な体があってこそだ。絵に集中するのもいいが何よりもまず体を大切にしろ。」 「うん、分かっている。絵を描くという幸せを僕にもたらしてくれているのはこの体だから、ちゃんと大切にする。」 そう言ってカリンは自分が作り出した絵を見つめた。それにつられてシュンケも絵に見入る。 カリンの絵は元々素晴らしかったが絵の勉強をしたことによってその美しさに磨きがかかっている。 「やっぱりカリンの絵は素晴らしいな・・・。」 シュンケがぼそっともらした。心からの感嘆だ。カリンはたまらなく嬉しくなる。そして与えられたチャンスは活かそうと改めて心に決めた。 カリンが何気なく辺りを見渡した。 「あっ。」 カリンはあの老人がいるのに気づいた。今日も悲しそうな目をしている。そして今日は絵ではなく空族たちを悲しげな瞳で見ているのだ。今度こそとカリンは思い、老人に近づいた。老人はカリンが近づいてくるのに気づきまたもやその場から立ち去ろうとする。 カリンは慌てて老人を追った。突然のカリンの行動にシュンケも気づき何ごとかとカリンを追う。カリンの視線の先にはやせ細った老人。 「待ってください!」 カリンが訴えるが老人は止まらない。老人は逃げる。カリンは追い、シュンケも追った。シュンケたちの様子にルシアも気づき二人のあとをついていく。老人は足が遅い。それでも今出来る精いっぱいの足運びで必死に逃げようとしている。画廊を出て人ごみにまぎれてまさに消えようとしたその時。 「ホエン!!」 突然シュンケが叫んだ。それに呼応したようにびくっとして老人は立ち止まった。カリンとルシアは驚いてはっと息をのんだ。 「ホエンだろ?」 シュンケが老人に近づく。老人は雷に打たれたかのように動けずにいる。やがて老人は恐る恐る振り返るといきなり地面に跪いた。そして 「本当にすまなかった!!あんなことをするべきではなかった!!本当にすまない!!」 おでこを地面にこすりつけながら必死で謝罪した。 やはり老人はホエンだった。周りの人々は何ごとかと集まってくる。シュンケはホエンの肩に手を置き、そっと抱え起こした。 カリンは絶句している。 「そんな・・・この人がホエン?」 記憶にあるホエンはふっくらとした丸顔にふくよかな雰囲気を漂わせていた。なのに今、目の前にいる老人は髪の毛は真っ白でやせ細って目はうつろでとても同一人物に見えない。だからこそホエンがあれからどのような思いで生きてきたかが分かった、それも痛い程に。ルシアもホエンの変わりように言葉をなくしている。 「どうして私がホエンだと分かったのですか。」 ホエンは弱弱しい声で尋ねた。 「・・・なんとなく。」 シュンケにそう言われホエンはいっそう苦しそうに唇を噛みしめた。 ホエンは肩を震わせながら 「私のせいで空族があんなことになってしまった。たくさんの空族が・・・。カーターもカリン君のお父さんもナーシャの両親もみんな私のせいで死んだ・・・!」 そこまで言うと耐えられなくなって泣きだしてしまった。ホエンの掠れた声がシュンケたちの胸をしめつける。 「すまない、すまない。許してくれ。」 ひたすら謝るホエン、あれからずっと後悔して生きてきたのだ。 「もういいんだ、ホエン。」 シュンケの言葉にホエンは驚いて顔を上げた。 「もう17年前のことだ。それに空族はあの時とは違う。今はこうして自由だ。それよりも娘さんは元気か?」 「はい。」 「そうか、それは良かった。」 「・・・うっ・・・うっ。」 想像もしていなかった。空族からこんな風に許しの言葉を貰えるなんて。それどころか娘の心配もしてくれるなんて。ホエンの緊張は糸が切れた凧のようにどこかに飛んで行った。人目もはばからず号泣する。シュンケもカリンもルシアも優しい目でホエンを見守っている。 ホエンは17年もの長い年月を超えてやっと許されたのだ。
シュンケ達はハラレニの町はずれまで辿り着いた。ここでカリンとジャノとはお別れだ。別れるのは寂しいがそれぞれにそれぞれの明日がある。 「じゃあ、カリン、ジャノ。また会おう。」 シュンケが力強く握手を求める。 「うん。」 カリンが握手をしながら涙ぐんだ。 「ほらぁ、また泣く。誰かカリンに泣き虫が治る方法を教えてあげてよ。」 ルシアがからかうように言うが 「そういうお前はどうするんだ。いい加減落ち着いたらどうだ。」 シュンケがちょっとお説教。ルシアはぺろっと舌を出し 「まだまだ飛び足りないからね。これからでしょ、世界中の空を知るのは。」 「そうか、それもお前らしいな。まぁ、風邪をひかないようにな。」 「分かってる。あぁでももう少しこの町に残るかな。さっきの女の子が気になるし。」 「女の子?」 カリンはきょとんとして聞き返す。 「なんでもないよ。」 ルシアはとぼけて口笛を吹き始める。 「じゃあな、ジャノ。ナーシャによろしくな。子供が生まれたら教えてくれ。」 シュンケがジャノにも握手を求めジャノもそれに固く答える。 「うん、真っ先に教えるよ。」 ルシアは肩をすぼめ 「ナーシャも見送りにくればよかったのに。」とぼやいた。 「仕方ないよ。ナーシャのお腹は今にも生まれそうなくらいにパンパンなんだもの。」 カリンは答えればジャノも 「ナーシャは見送りに行きたいと騒いでいたんだけど医者に止められてそれはもう大変だったんだよ。」 「それはナーシャらしいな。」 シュンケが笑い、皆も笑った。 「じゃ、そろそろ行くとするか。」 シュンケは好奇心旺盛の目をしたラトに言う。 「うん。」 ラトは元気よく頷いた。そして明るく元気に手を振った。 「またねー。」 ラトの無邪気な声がジャノたちの心をくすぐる。こうしてシュンケ親子は空族の村へと帰って行った。
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