カリンが素朴な疑問をぶつけてみた。そういえば・・・という表情のトラボルタ。 「だが、スラヌは空族と兵士の匂いだけは忘れない。嗅ぎ分けられると言っていました。それがハッタリでないとしたら。」 シュンケも疑問を口にした。ルシアはなんだ、そんなことかという顔をして言う。 「ハッタリじゃないの。どこでどう暮らしていたかは知らないけど7年も何の匂いもしないところで暮らすなんて無理だよ。地下に潜ってもぐらのような生活をしていたというなら別だけどさ。でも兵士を撃つのに町を歩き回っているんだからもう嗅ぎまくりでしょ。僕らの匂いも兵士の匂いも嗅ぎ分けられなくなっているって。」 そこで国王はひたすら思案し、一つの可能性について言及する。 「恐怖が我らの匂いを忘れさせないのかもしれん。」 「恐怖?」 「前国王は恐怖と空族の匂いを結び付けて覚えさせた。惨たらしい空族の姿と共に匂いを嗅がせることでスラヌの中で恐怖や嫌悪感と空族の匂いが結びつく。そして恐怖と共に刻まれた空族の匂いは忘れられなくなる。我々でもあるではないか、大人になっても幼い頃に経験した恐怖体験が忘れられないことが。ましてスラヌには空族の居場所を突き止めなければ自分が殺されるという恐怖があっただろう。尋常じゃない恐怖がスラヌの嗅覚に影響を及ぼしてもおかしくはない。そして空族狩りを強要する兵士たちの匂いもスラヌの中に刻まれていったとしたら空族と兵士たちの匂いだけは嗅ぎ分けられるというのはありえない話ではない。」 シュンケたちは考え込んでしまった。空族を狩ること、それがスラヌにとって唯一の生き残る手段だったのだろう、と。 「でもそうなると尾行は不可能ですね。匂いで気づかれてしまう。」 アルタが断言した。 「・・・兵士でも空族でもない者に尾行させたら・・・。」 レンドが何気なく呟いた。アルタはとたんにそれだ!!という顔になり 「一般人に尾行させたらどうです?空族と兵士以外の匂いなら普通の人間なみの反応しかしないはず。一般人なら尾行しても気づかれない!」 アルタは得意げに言うが皆はあまり気乗りしない様子。 「一般人って誰が尾行するのさ。尾行に慣れた一般人なんてそうそういないでしょうが。匂い以前に尾行を見破られて終わりでしょ。」 「・・・・。」 ルシアが何言っているのという表情で言うのでアルタは少し凹んでしまった。 「警察官かあるいは金を積んで町の探偵屋にでも依頼しますか。彼らなら一般人よりも上手く尾行出来るでしょうし。」 トラボルタが臨機応変に提案すると 「うむ。警察官に任務をまかせよう。スラヌの所業は誰にも口外せぬようにその者には固く約束させるように。世の中に知られてしまってはスラヌがますます生きにくくなるからな。」 国王はそう言って結論を出した。しかしこれにアルタは猛反対する。 「国王!まさかスラヌを捕らえても何の御咎めもなしで解放するつもりですか!?それはなりません!配下の者が二人も殺されたんです。しかも国王の側近であるフランを誘拐するなど言語道断。なんの処罰もせずに世に放ってしまったらまた同じ凶行を繰り返すに違いありません!」 「しかしスラヌの人生を台無しにしてしまった責任は私にもある。その責任を果たさずにスラヌ一人に罪を被せるわけにはいかぬ。」 国王はアルタの反論を突っぱねた。アルタは思わず口を噤んだ。 「スラヌの処遇は捕らえてから考えましょう。今はとにかくアジトを掴み、協力者を突き止めることが先決です。どうやってこの国を滅ぼそうとしているのか白状させなければなりません。」 トラボルタが冷静に意見を言った。そして皆の頭の中に湧き上がる一つの疑問。それはどうやってこの国を滅ぼそうというのかということ。世界でも有数の大国ハラレニを自分の腹一つでどうにか出来るわけなどないのだ。考えられる方法は二つ。 その一つは内乱。しかしこの平和な国でどうやって内乱を起こすというのか。国王の失脚を謀り、後継者争いの内乱を起こす?しかし幸いなことにハラレニでは後継者争いは起こらない。 前国王はかなりの陰謀者であった為、その産物としてしたたかな面を持ち合わせていた。反逆を起こしそうな面々は徹底的に排除してきた。反逆者の素質がありそうな者は可能性の段階だけで極刑にした。極端な排他的政策を取った結果、王族に忠実な子飼いだけが残った。ゆえに息子であるカサンの対抗勢力になりうる者も自然と淘汰され、それは前国王の遺産としていまだに王族を縛っている。 現国王には兄弟はいない。王族内に謀反を起こそうとしている者はいないとしたら兵士たちの下剋上ということになるが、そうすると兵士が兵士を始末して一体なんになるという疑問が残る。 だとしたらもう一つの方法しかない。それは他国との戦争。この考えに至った時にその場にいる全員の背中におびただしい戦慄が走った。 「何がなんでもスラヌたちの凶行を止めなければならない!!」 レンドが立ち上がり決意した。しかしどうやって・・・。堂々巡りをしている内に東の空は明るみ始め、見る間に空は青くなり、窓の外の万物は太陽のおもてなしをなみなみと受けている。 一方、暗澹たる空気が支配する部屋の中で、シュンケがずっと気にかけていたことを言ってみた。 「どうやって兵士とそうでない者を嗅ぎわけるのでしょう。」 「それは自慢の鼻で、でしょ。」 ルシアが何をいまさらという表情で答えた。 「いや、兵士といえども鎧を脱いでしまえば町人と変わらない。しかしスラヌは例え鎧を脱いでも嗅ぎ分けられると言っていました。スラヌはハラレニの兵士全員の匂いを知っているのですか?」 「そう言われればそうだな。スラヌと直接やりとりがあった兵士のなら、その匂いを知っていてもおかしくはないが、兵士は何百人といる。しかもスラヌとは会ったことがない者も少なくない。その全ての匂いを嗅ぎ分けられるとは考えにくいな。それでも兵士だと分かるとしたら・・・。」 国王はそう言うと逡巡し始めた。カリンは兵士の姿を思い浮かべながら呟く。 「兵士といったら鎧、剣、銃・・・。」 その時だ。レンドが思いついた。 「そうか!鎧、もしくは常に携帯している武器だ。始終それらを身に着けている兵の体にはその匂いがこびりついている。例えそれらを脱いでも何年何十年と身に着けた匂いは取れない。スラヌはそのわずかな匂いを嗅ぎ分けているんだ!」 「!」 「あぁ、それでハナ族の本領発揮というわけか。」 ルシアが心底感心している。 「それなら警官は尾行出来ません。彼らも剣や銃を年がら年中身に着けている。町人に扮しても匂いでばれてしまう。」 トラボルタが困ったと眉をしかめながら言った。 「だったら探偵に頼めば?この町にもいるんでしょう?パイプくわえてコート着ているような名探偵が。」 ルシアは名案だとばかりに言うがトラボルタが否定に入った。 「やはり尾行は無理だ。」 「なにをいまさら言っちゃってんの?」 ルシアは業を煮やした。 「まぁそう焦るな。兵士を囮にすれば当然それは罠だとスラヌは気づくだろう。もしあえてその罠に乗ってきたとしたらそれは尾行をまく自信があるからだ。だからここはあえてその自信を逆手にとってみたらいかかげしょう。」 「逆手?」 「まいてみせる自信があるならそれをこっちが利用するのです。」 「利用ってどうやって。もったいぶらないで教えてよ。」 「空族と兵士が囮となって尾行するのです。」 トラボルタの提案にルシアは呆れたように肩をすぼめ 「それじゃあ絶対にばれるじゃん。空族の匂いも兵士の匂いも嗅ぎ分けるスラヌに尾行していますよと教えているのも同じ。」 「だからあえてばれさせるのです。」 「?」 ルシアの顔にハテナマークが五つぐらい並んだ。しかしレンドはトラボルタの意図に気づいたらしく 「そうか!どうせばれるならそれも折りこみ済みでこちらはその上を行くというわけか!」 この国の参謀と国王の片腕同士で納得している。 「つまり我々空族と兵士でスラヌの後をつけて、それがばれてしまってまかれた後が尾行の本番というわけですね。」 空族の頭領もそれに参加した。 「ちょっと待ってよ。もっと分かるように説明してよ。」 ルシアが説明を求めるとカリンもそれに頷いた。 「相手の油断を誘うということだ。尾行されると知ってそれに乗ってきたのなら当然途中でまこうとする。無事まいたと知ればスラヌは油断するだろう。そのあとを第三者が尾行すればスラヌに気づかれないかもしれん。もちろんこれは希望的観測だが。」 レンドが丁寧に説明した。なるほどね、とルシアとカリンは納得する。 「要は二段構えというわけだな。よし、それで行こう。シュンケ、ルシア、カリン。悪いが協力してくれ。」 国王が要請してきた。それに快く応じる空族たち。 「囮の兵士はこちらで選んでおく。問題は尾行者だ。最後までスラヌに気づかれない尾行慣れした者となるとやはり探偵か・・・。」 国王が町の風景を頭の中に描き始めた。その中で相応しい者を探しているのであろう。 だがその時だ。なんの前触れもなく突然会議室の扉が開いた。驚愕し身構える一同。レンドたちが剣に手をかけた。しかしそこに現れたのはジャノだった。 「ジャノ!?」 あるいはスラヌが現れたよりも驚いたかもしれない一同。しかしジャノは次にもっとも驚くべきことを言い放った。 「その役を僕にやらせて下さい!!」 「!!」 ジャノ以外のその場にいる全員が驚愕し目を見開いた。 「何を言いだすんだ!?」 シュンケが慌ててジャノを止める。国王は半ば呆れ果てた様子で尋ねた。 「聞いていたのか。」 「はい。扉の前に立っていたら聞こえてきました。」 「いつから聞いていた。何を聞いた?」 「三十分ほど前からです。詳しいことは分からないけどこの国の危機とスラヌという名前と尾行するのに探偵を頼むということは分かりました。」 国王はがっくりきた。 「この城の警備は甘すぎるな。至急警備を強化せねば。」 苦笑いする国王の隣にいたレンドがジャノに頼み込む。 「詳しいことが分からないのならこのまま引き下がってくれ。そして誰にも言わずにいて欲しい。」 「いやです!!空族の匂いとか兵士の匂いとか聞いてもなんのことか分からないけどハラレニの一大事だということは分かります!そんな一大事に黙ったまま何もしないなどということは出来ません!!」 「ジャノ、この役目はとても危険なんだぞ。スラヌや仲間に知られたらお前の命が危ない。ここはレンドの言う通り引き下がってくれ。」 シュンケがやる気満々のジャノを引き留めにかかった。しかしそんなことで引き下がるはずもなく 「出来ないよ。僕はこの国を愛している。空族の村と同じくらい大切なんだ。僕の大切な国をいいようにされてたまるか。」 こうなったジャノは誰にも止められない。ジャノの頑固さは誰もが知るところだ。シュンケがどうしたものかと困り果てていたところへ 「ジャノさ、そんなこと言ったって尾行なんて経験ないよね?むしろあったらびっくりだよ。ここは尾行のプロに任せた方がいいって。相手に気づかれてまかれたら元も子もないよ?それこそジャノの愛するこの国をいいようにされてしまうけどそれでいいの?」 ルシアがすらすらとジャノの追い返しにかかった。畳み掛けるともいう。ジャノはぐっと言葉を詰まらせた。どうやら反論出来ないらしい。それを見てルシアはニヤリと笑み 「分かったら、はい、お帰り下さい。お帰りはあちら。」 とジャノの背中を押しながら会議室から追い出そうとした。だがやはりそこはジャノ。 「僕にも何か協力させて下さい!」 尚も食い下がって国王に訴える。国王はそんなジャノに近づき 「この国をそこまで愛してもらえるのは国王としてこれ以上誉なことはない。しかし、これは絶対に失敗は許されない。尾行の経験のないそなたには荷が重すぎる。分かってくれぬか?」 国王は優しい笑顔でジャノの肩をぽんと叩いた。国王はこの件に関しては折れることを期待している。ジャノは国王の顔をまじまじと見つめ、やがて折れた。 「はい、わかりました。」 「すまないな。」 これでやるべきことは決まった。国王は皆に向き直り 「決行は明後日だ。明後日スラヌをおびき寄せることが出来なかったら出来るまで続ける!」 力強い声で命令をした。その一言でそれぞれがそれぞれのやるべきことをする為に準備に入った。 「シュンケ。」 ジャノが呼び止めた。 「何だ?」 「スラヌって何者なの?」 シュンケはジャノに話すべきかどうか迷った。ジャノは真剣でそのくせどこか悲しげな目をしている。この国の一大事に何も出来ない自分が悔しくて悲しいのだろう。 シュンケは話さないわけにはいかないと思った。愛するものの一大事に何も出来ない悔しさや悲しみはシュンケ自身も十分すぎるぐらい経験してきた。だからジャノの気持ちは痛い程分かる。 シュンケは話し始めた。スラヌの悲しい過去、ハラレニで今起こっていること、フランがさらわれていることを。
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