ジャノの翼が飛行に成功してから7年の歳月が経った。
ハラレニ国ハラレニ町から北に三キロ進んだところに落ち葉舞う林がある。その林に寄り付く人はあまりいないが、かえってそれが好都合とばかりにハラレニ国の国王に仕える兵士たちの格好の息抜き場になっている。 今日も中堅の兵士が二人、任務を抜け出しさぼりにやってきた。兵士の一人は鎧の兜を脱ぎおもむろに懐から水煙草を取り出す。 「おいおい。そんなものを懐に忍ばせていたのかよ。」 「だってこれくらいの娯楽がないとやっていられないだろう。」 そういって平然と煙草をふかし始めた。 「それもそうだな。」 「それにしても今の国王になってからこの国はすっかり平和になっちまったな。」 紫煙にため息が混じる。 「まぁ、平和なのはいいことだろう。」 「それはそうだけど、こうも平和だと体が鈍っちまう。あーあ、戦争でも起きねぇかな。」 煙草をふかしながら愚痴る。慌てて傍らにいる相棒が窘めた。 「めったなこと言うなよ。そんな言葉が国王の耳に入ったら叱られるだけじゃすまないぞ。」 だが、窘めた本人もそう言いながらもため息をつく。二人はふっと苦笑いをした。 「俺、そろそろ城に戻るわ。お前はどうする?」 「俺はもう少しこれやってから戻るよ。」 「そうか。あまり遅くなるなよ。」 兵士の一人は念を押し、城へと戻って行った。残された兵士は相変わらず煙草をふかしている。 ガサッ・・・。突然、草を掻き分ける音がした。 「何だ?」 兵士は身構えて音がした方を見る。どうせ、狐か狸の仕業だろうと思った。だがそこに現れたのは一人の男。男はボロボロの服を着て血の気のない真っ青な顔で立っていた。 生きているのか、それとも亡霊なのか、パッと見では分からない程の生気の薄さ。 兵士は男のあまりの生気のなさに不気味なものを感じた。この幽霊みたいな男の中に自分も取り込まれてしまう気がしたからだ。 「貴様!何者だ!」 兵士が問うと男はにやりと唇の端をあげた。男の目にわずかだが表情が浮かぶ。つかみどころがない表情、それもごくわずかな量。 「酷いなぁ。俺のこと忘れちゃったんですか。」 思いがけない男の言葉に兵士は驚いた。男の顔を見るが記憶にはなかった。 男は「忘れていない」という返答を待っているのだろうか。幾分期待が混じった目で兵士を見てくる。初めて読み取れたこの男の感情。 しかし兵士はいわれなき期待をされていることに妙に腹が立った。 「貴様のことなど知らん!」 そう結論づけて吐き捨てた。その瞬間、男の顔から表情が消えた。そして 「俺、ハナ族ですよ。」 感情のないつるっとした声で男は言った。 「ハナ族?」 兵士はようやく思い出した。そういえばこいつハナ族だ。何回かこいつの顔を見たことがあった。だが、ハナ族は確か解放されたはずだが。 「どうしてここにいる。7年前に自由になった身だろう。」 兵士が訝しげに聞く。男はふっと鼻で笑いながら 「ここにいてはだめですかね。」 「勝手にすればいいだろう。ここにいようがどこにいようが俺には関係ない。」 兵士は、ハナ族の意図の見えない目にイラついている。しかし男は実に飄々としていて 「自由になったのはいいんですけど、どうしていいのか分からないんです。どこへ行ったらいいのか、何をしたらいいのか分からない。どうしたらいいのでしょう。」 「そんなの知るか!!」 兵士はこの男の的を射ない問いかけにとうとう切れた。そうじゃなくても煙草を楽しんでいるところを邪魔されたのだ。兵士は苛立ちを隠さず男を睨むと 「さっさとここから立ち去れ。邪魔だ!!」とシッシと追いやった。そしてそれからは男には目もくれずまた煙草をふかし始める。 「・・・知らないんですか。」 男がぽつりと呟いた次の瞬間。
バーン・・・。突如響き渡る銃声。あまりに突然のことだった。兵士は崩れ落ちる。頭を銃で撃ち抜かれたのだ。煙草がぼたっと地面に落ちる。撃ったのは目の前にいる男、ハナ族だった。銃口から煙が薄く立ち上る。ハナ族は背筋が凍るほどの冷たい目で 「生き方を教えてくれなかった罰ですよ。」と吐き捨てた。 そして亡霊のようにその場から立ち去った。
ハラレニの町は相変わらずのにぎやかさだ。人々の活気で溢れ、商売っ気がこれでもかと飾られている店先。パン屋、服屋、果物屋、魚屋、帽子屋、画材屋・・・。いろとりどりの店が絵画のように並んでいる。 表通りから裏道に入って暫く歩き、坂を上ったその先に平屋の貸家がある。そこにジャノとナーシャは暮らしている。部屋は三部屋。二人で住むには十分な広さである。ちなみにその内の一部屋はジャノの発明品が占領していた。 「寒くないかい?」 ジャノはナーシャを気遣いながら暖炉に薪をくべた。 「寒くないわ。」 ナーシャのお腹は大きかった。今にも赤ちゃんが生まれてきそう。妊娠九か月。後少しでジャノとナーシャは待望の我が子と出会えるのだ。ジャノはナーシャを労わりながらその大きなおなかに耳を当てた。 「おぉ、今日も元気だな。」 ジャノは嬉しそうに笑う。 「こんなに活発なのはきっとあなた似だからだわ。」 ナーシャの言葉にジャノは目を丸くする。ナーシャはそれを不思議に思い 「何?」 「いや、活発というなら僕より君似だと思うよ。」 ジャノは茶目っ気たっぷりに答えた。ナーシャはくすっと笑う。どうやらナーシャも自覚はあるようだ。二人はこの家で幸せに包まれながら暮らしている。ジャノは柱にかけてある自作の時計を見ると 「そろそろ城へ行ってくるよ。」 「えぇ、いってらっしゃい。今日も早く帰ってこられるの?」 「あぁ、早く帰ってくるよ。何か買ってくるものはあるかい?」 「ううん、今の所ないわ。」 「じゃあ、行ってくる」 ジャノは元気に手を振って家を出た。 「いってらっしゃい。」 ナーシャは慈愛あふれる手でお腹をさすりながらジャノを見送った。 坂を下り細い路地裏を抜け表通りに出た途端、にぎやかな雰囲気がジャノを出迎える。毎日ここを通っているがここの活気はどんなに浴びてもいいものだ。町の人々の笑顔を見る度にジャノの心は喜びに満ち溢れる。 しかし、通りを歩いていくにつれその足取りはどんどん重くなっていった。いつしかジャノの顔に浮かぶ苦渋の色。実はジャノは悩んでいた。 悩みの種はジャノの翼。ハラレニで翼を初めて披露したのが七年前。それからずっと翼の改良を試みてきた。翼のエネルギー源である金充石、この金充石の消費をいかに抑えるか。 金充石は水などの溶液に溶ける時に莫大なエネルギーを発する。そのエネルギーを利用し翼を動かすのだが、エネルギーを生み出すと同時に金充石はどんどん小さくなっていくのだ。そしてやがてきれいさっぱり消えてなくなる。だから目下の課題は金充石からいかに効率よくエネルギーを取りだすか、いかに金充石が水に溶ける速度を遅くするか、だ。 この課題にジャノは七年間取り組んできた。改良の甲斐もあって翼が消費する金充石の量は七年前の半分にまで抑えられるようになってきた。しかし金充石はここ数年でその価値をますます高め、市場価格は七年前の倍になっている。 金充石の利便性があらゆる方面で重宝され各分野からひっぱりだこ。もともとジャノの翼の為だけに存在しているわけではない金充石だ、どんなに値上がりしてもジャノは文句は言えない。翼を改良し金充石の消費を半分に抑えてもその金充石の価格が二倍になったのだから七年前となんら変わっていない。これがジャノを悩ませていた。ジャノの願いは「金持ち庶民関係なく自由に空を飛べるようになること」 しかしその願いはいまだ叶えられずにいた。 元々、金充石は値段が張る高価なもの。それを手に入れることが出来る者だけがジャノの翼も手にすることが出来る。そのためジャノの翼は金持ちだけの娯楽となっていた。庶民にとっては高嶺の花。ジャノは翼で使用する金充石の量を少しでも抑えようと日々研究を重ねているのだがこれがなかなか上手くいかない。気ばかりが焦っていく。そんなジャノの焦りを町の人々は知ってか知らずかにこやかに声をかけてくる。 「おはよう、ジャノ。翼の方はどう?」 「おはよう。うん、今、頑張ってるところだよ。」 「そっか。私達にも買えるようになるのを期待しているわ。」 町の人々は屈託のない笑顔を向けてくる。ジャノならやってくれるだろうという期待の眼差し。 「ジャノ。おはよう。」 「おはよう、ポール。」 「今日も城で仕事かい?」 「あぁ、早く皆に翼を届けたいからね。」 「それは頼もしいな。でもあまり無理しすぎるなよ。俺は気長に待っているからさ。」 「ありがとう。」 ジャノは町の至る所で人々の期待と労わりを受ける。その度に嬉しさと焦りを感じて、早く皆の元へ翼を届けなくてはと決意を新たにするのだ。そんな日々がここ数年続いている。 町を抜けると遠くに城が見えてきた。勝手知ったるこの道を当たり前のように急いでいた時だ。農民たちの会話が聞こえてきた。 「おい、なんでも飛行機なるものが研究されているらしいぞ。」 「飛行機?」 「アメリの方で作られてるらしい。じきに完成するとか。」 「へぇ〜。その飛行機というやつはどんなものだい?」 「なんでもジャノ翼より遠くまで行けて、ジャノの翼より速く飛べるらしい。」 「はぁ〜。そんなことが出来るのか。」 「ジャノには気の毒だけどこれからはその飛行機とやらにジャノの翼は取って代わられるかもな。」 ジャノは思わず立ち止まった。 「飛行機・・・。」 ジャノの鼓動が次第に早くなる。いや、別に嫌な気はしない。その飛行機が皆を自由に空に飛ばしてくれるなら自分の夢も叶ったのも同然。例え、誰かの手により叶えられたものだとしても喜ぶべきことなのだ。今の自分の翼ではやはり実力不足だと分かっているから。 しかし胸に湧き上がる一抹の寂しさはごまかせなかった。ジャノは複雑な思いを抱きながら城へと向かう。
城へ辿り着くとまず古めかしい城門が立ちはだかってくる。ジャノは毎日ここの前に立つがなかなかこの門が漂わせる威圧感には慣れなかった。門番はジャノの顔を見ると軽くおじぎをし扉を縦断する太い閂を抜いた。重厚な音を立てながら扉が開く。 「ありがとう。」 ジャノはいつものようにお礼をいって門をくぐる。すると風景は一変した。そこには美しい中庭が広がっている。庭の真ん中に大きな噴水がありその周りを取り囲むように美しい花が咲き乱れている。この花は季節ごとに植え替えられ今は秋の花が庭を飾っていた。芝生は綺麗に刈られこの国の繁栄と律義さを物語っているようだ。 ジャノはこの庭を通るたびに身も心も洗われる気がした。庭を通り、前衛的な彫刻が施された城の扉の前に立った。ほどなく扉が開く。中に入ると扉のすぐそばに立っている兵士と目が合った。 「おはよう。」 ジャノが挨拶すると兵士も静かに頷いた。門番は私語は慎むことと命じられている。 ジャノは早速自分の部屋に向かった。ジャノに与えられた作業場だ。石造りの階段を昇りようやく部屋に辿り着く。扉を開けてジャノは一つ大きくため息をついた。 「やっぱりいない・・・。」 ジャノは困り果てた表情で椅子に座る。ジャノがため息をついた原因、それは翼改良の監督責任者であるフランがいないからだ。七年前にジャノの翼をより完璧なものにするべく監督になることを王から命じられたフラン。それは今でも続いているはずなのに今日もフランは改良も研究も放り投げて翼を持ちだし自分ひとりで気ままな遊覧飛行としゃれ込んでいる。 実はここのところジャノとフランはなにかとそりが合わなくなってきていた。意見の食い違いが原因だ。ジャノは金充石の消費量を抑える改良を進めてきた。翼がたくさんの金充石を使うようではとても庶民は手が出せないからだ。 しかしフランはそんなことはどうでも良かった。どんなに金充石の値段が高騰しようとフランは気にしない。フランは王の側近。自由に城の金を使える立場にある。翼の改良費にと与えられた金も湯水のように使い金充石を買いまくっている。それを研究に使うのならいいのだがもっぱら自分が飛ぶ為だけに使っているのだ。 これは横領といえるのではと城の金庫番に追及された時もフランは「翼の試行運転です。」と言いきった。そう答えられたらそうですかとしか言えない。 この国の重要な地位につき、やりたい放題のフランにしてみれば庶民のことは気にならなかった。庶民が翼を手に入れることが出来るようになるか、ならないかということにてんで関心がない。自分が飛べればそれで良かったので今日も翼を持ちだして空中散歩。 別にフランがいなくてもジャノ一人で研究は続けられるし、いなければいない方が自由にやれていいのだが、困ったことにフランはありったけの金充石を持っていく癖がある。 おまけにフランが翼を持ちだしたせいでここには翼がない。代わりの翼は今、羽を修理中。だからフランに翼をもっていかれては研究が出来ないのだ。一つの翼を完成させるには結構な労力と時間がかかる為、オーダーメイド制になっている現状で違う翼を一から作るのは容易ではない。そんなこんなで研究はたびたび中断され改良はますます遅れる始末。 そんなこともありジャノはあまりフランのことをよく思っていないのも事実だ。 「早く皆の元に翼を届けたいのに・・・。」 ジャノはまた一つため息。しかしぼやいている暇はない。床やテーブルに落ちている使用済みの金充石の欠片をなんとかかき集めジャノはそれらを試験管の中にいれた。どれも米粒ほどの金充石ばかりだがないよりはずっとまし。これに様々な溶液を入れ金充石が溶ける速度を目を離さず根気よく観察する。 太陽は南天を優雅に遊覧飛行し周りの大気を徐々に暖めていく。時刻は午後一時といったところであろうか。 トントン。ジャノの部屋の扉を叩く者がいる。 「どうぞ。」 ジャノが促すとそこに入ってきたのはレンドだった。とたんにジャノの顔が明るくなる。 「こんにちは、レンド。」 ジャノは早速お茶を出そうと立ち上がった。 「いや、お構いなく。それより翼の調子はどうだ?」 「え・・・ええ。はい、ぼちぼち。」 研究の成果を聞かれ幾分気落ちしたジャノを見てレンドは何かを察したのか 「まぁ、そう焦るな。時間の流れは速いが、かといって尽きるものではない。」 レンドはそう言って周りを見渡した。そして苦笑いする。 「またフランが翼を持ちだしたか。まぁ、許してやってくれ。それだけジャノの翼の虜になっているという証だ。」 レンドに励まされジャノは笑顔になった。 「大丈夫です。僕一人でも研究は続けられますから。」 「そうか。いや、でも僕に手伝えることがあったらなんでも言ってくれ。」 「では、お言葉に甘えて。こちらの試験管とこちらの試験管の金充石の溶け方の違いを記録して欲しいのですが。」 「分かった。見比べていればいいのだな。」 「はい、お願いします。」 レンドは早速試験管の前に座り金充石とのにらめっこを始めた。その時だ。 「入るぞ。」 突然、声がしたかと思うと扉が開かれた。王だ。レンドは機敏に立ち上がり王に敬意を払う。王はうむと頷き 「ジャノ、調子はどうだ。」 レンドと同じ事を聞かれちょっと落ち込むジャノ。 「はい、順調です。」 ジャノは王には本当のことは言えなかった。しかし王はそんなジャノの胸の内を知っているかのような優しい笑顔を浮かべ 「無理はするな。時間は逃げないぞ。」 王もレンドと似たようなことを言う。二人に労われたジャノは嬉しくなって思わずくすっと笑った。 「それはそうとレンド、話がある。ちょっと来てくれ。」 王はくるりとレンドに向き直し伝えた。その顔はジャノに向けていたのとはうって変わってとても厳しいものだ。レンドは瞬時に何かあったのだと悟る。 「かしこまりました。」 レンドはジャノに軽く一礼し、緊張した趣で王のあとについて部屋から出て行った。 ジャノはまたひとり部屋に取り残された。しかし王やレンドの期待を感じ取り、やる気を取り戻していた。
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