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作品名:朝舞探偵事務所〜この蜜柑を君に〜 作者:空と青とリボン

第25回   25
それでも如月さんは黙ったままだ。
尚も淳さんが続ける。
「如月さんにとって蜜柑はどのような意味があるんですか?それはもしかして綾さんに関係しているのはないのですか?もしよかったら聞かせていただけないでしょうか。」
如月さんは話すことを迷っているのかおもむろに空を見上げた。そして一つ深呼吸をするとようやく決心したのか静かに語りだした。
「一年前、綾ちゃんがやっと心を開いて僕に話してくれたんです。今までどうやって生きてきたのか、なにを思い、なにを諦めて生きてきたのか。」
「やはり綾さんに関わっていることでしたか。」
「はい。」
「昔、綾さんになにがあったのですか。」
「・・・ほんのささいな出来事なんです。多分僕やあなた方からみれば取るに足りないささいな出来事。でも綾ちゃんにとってはとても大きな出来事だった。」
「でもそういうことってあると思います。他人から見ればなんだそんなことと思うような事でも本人にとっては重大なことってあると思いますよ。誰にだってそういうものはある。」
「そうですね。」
如月さんは淳さんの言葉を聞いて少し安心したのかほっとしたような顔をした。
「それは綾ちゃんが小学生の時でした。それまでの綾ちゃんは自分が半妖怪であることを隠す為に他人と距離を置き友人も作らず一人でいたそうです。もちろん内心では友達が欲しいとずっと思い続けていたと言っていました。でも友達が欲しい気持ちと自分の正体がバレることへの恐怖の狭間でいつも揺れ動いていた。彼女は教室でも一人、登下校も一人、遠足でも一人でお弁当を食べていた。その寂しさはきっとあなたたちには分からない。僕に分からない。僕も妖怪ですけど見た目はなんら人間と変わらないですからなにも隠すこともない、幼い頃から友達もいましたし。」
如月さんの言うとおりだった。茜さんから如月さんがとても強い妖力を持っていると聞かされなければまったく妖怪だと思わない。
「そうやって小学生時代を過ごしていたある日、綾ちゃんのお母さんが言ったそうです。この蜜柑を近所の同級生に分けてあげなさいと。お母さんも綾ちゃんがいつも一人でいることを気にかけていたんでしょうね。いつもの綾ちゃんだったらそんな勇気がない、出来ないと断っていた。でもその日は違かった。」
「・・・・。」
「綾ちゃんは勇気を出してその蜜柑をみんなに分けてあげようと思ったんです。自分から声をかけて自分から渡す、それを今やってみようって。それで両手いっぱいに蜜柑を抱え近所の子たちが遊んでいるたまり場へ走り出しました。」
「良かったじゃないですか。小さな一歩がのちの大きな第一歩になる。」
俺はその時の風景が目に浮かび微笑ましい気持ちになった。
「そうですね。それが上手く渡せれば大きな第一歩になったでしょう。でもそうはならなかった。」
「どういうことです?」
俺は不思議に思って聞き返した。上手く渡せなかったのかな。まさかいらないと拒否られたとか!?もしそうだったら近所のガキ、許すまじ!!
「転んだんです。」
「転んだ?」
「綾ちゃんが躓いて転んだ。それで蜜柑を落っことしてしまったんです。」
「え?でも蜜柑なんだから落としても皮をむいて食べればいいじゃないですか。もしかして一度道に落ちたものは汚くて食べられないと拒否られたんですか?近頃のガキは潔癖症すぎますね!」
俺はどうしても拒否られた方向に持っていこうとした。勝手に想像して勝手に憤慨する俺。
「そうではなくて。綾ちゃんは皆に蜜柑を渡すことを諦めたそうです。」
「なんで?」
「転んだから。」
「はい?転んだからというたかがそれだけの理由で蜜柑を渡すのをやめたんですか?」
「そうです。」
「ごめんなさい、意味が分からない。転んだら起き上って蜜柑を拾って皆にあげればいいじゃないですか。」
「でも綾ちゃんにはそれが出来なかった。」
「なぜ。」
「生まれて初めて勇気を出したけど、転んでしまって心が折れてしまったんです。神様に‘お前にはそんなことは似合わない’と言われた気がしたと言っていました。」
「そんな馬鹿な。神様がそんなこと言うわけないじゃないですか。むしろ起き上ってもう一度歩き出しなさいと言いますよ。そして蜜柑を渡しなさいと言いますよ。」
「僕らならそう思います。でも自分に劣等感をもって生きてきた彼女にとってたかが転んだという事実だけでそれからの人生を決めつけてしまったんです。」
「そんな・・・。」
「だから言ったでしょう。僕やあなたたちにとってはささいなことだって。でも綾ちゃんにとっては私なんてと自分の可能性を閉ざしてしまう大きな出来事だったんです。」
俺は如月さんの話を聞いてどうしても理解出来なかった。転んだら起き上ればいいじゃないか。起き上ってみんなに蜜柑をあげて「これ食べて」というだけでいいことなのに。
「理解出来ないという顔をしていますね。僕だって始めはなぜそこまで綾ちゃんが自分に自信を持てないのか分からなかった。でも綾ちゃんと共に過ごしていく内に彼女の中にある奥深い棘に気づきました。」
「奥深い棘・・・。」
「彼女はただの人間になりたいと誰よりも強く願っている。結局綾ちゃんは人間が好きなんですよ。好きだから人間になりたいんです。でもなれない。それならせめて人間に近づきたい、友達になりたい、でもなれない。自分が人間ではないということがバレてしまから。」
俺はなにも言えなくなった。
「人間が好きで人間が恋しくて人間を求め続けている。自分の正体がバレてしまうのは怖いけどそれでも人間と友達になりたい。だからあの日、生まれて初めて勇気を出して蜜柑を抱えて駆け出した。でも敵わなかった。転んでしまったから。」
如月さんはそこまで言うと俺たちの顔を真摯に見つめた。
「さっき朝舞さんはたかが転んだだけだと言いましたね。でも違うんです。綾ちゃんはあの日生まれて初めて転んだんです。」
「えっ?」
「綾ちゃんの母親は尋常ではない反射神経の持ち主です。母親は妖怪ですから人間のそれとは比べ物にならない。そして綾ちゃんはその血を受け継いでいる。父親が人間なのでその力はだいぶ薄まって綾ちゃんに引き継がれましたがそれでも並大抵の反射神経ではありません。だから赤ちゃんの時、四つん這いから立ち上がり、歩き始めた時から綾ちゃんはその日まで転んだことがなかったんです。」
「そんなことってあるんですか。」
俺はにわかに信じられなくて茜さんを見るが茜さんは頷くだけだった。
「だから本来なら転ぶはずがない。でも転んだ。きっとみんなに蜜柑を渡したいという気持ちばかり焦って足がついていかなかったんでしょうね。それほどまでに蜜柑を渡したかったんだろうと思うとたかが転んだだけとは言えない、少なくとも僕には。」
「そうだったんですか。僕なにも知らなくて・・・。」
軽はずみなことを言った自分を責めた。
「いえ、ご自分を責めないでください。たかが転んだだけ、それが普通の考えです。むしろそうでなければいけないんです。転んだら起き上がりまた歩き出す。それが人間の考えです。綾ちゃんも人間に近づきたいと思うのなら朝舞さんのような考えを持つべきなんです。転ぶことを怖がらずに。」
如月さんの声に一段と強い意志が滲み出た。これは綾さんにそうであって欲しいという願いだ。淳さんが静かに呟く。
「それで作品に蜜柑を刻み続けているのですね。作品を見た綾さんにあの日を思い出して欲しくて。みんなに蜜柑を渡したいと勇気を出したあの日を。」
「随分遠回しのメッセージだなと自分でも分かっているんですけどそれ以外になにも出来ないんです。人間の姿となんら変わりない僕が綾ちゃんに勇気を出せとけしかけるのも無責任のような気がして。だからといって綾ちゃんにこのままでいて欲しくない。勇気を出したあの日を思い出してそして変わってくれたら・・・。僕はそれだけで十分なんです。」
如月さんは蜜柑の木を見つめ柔らかな笑みを浮かべた。


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