「それが分かっていながら・・・なぜ空族を追うことを・・・やめないんだ・・・。」 衰弱しきっている体の奥から次第に怒りが湧き上がってくる。どこにこんな気力が残っていたんだろうとカリン自身が驚くほどだ。カリンの怒りを感じとったのか王は暫く目を閉じた。牢屋の空気は凍結し無音になる。だがやがて王は語りだした。重々しく重大に。 「脅威だよ。」 「脅威?」 「あぁ、空族に対する脅威がそうさせるんだ。」 王は包み隠さず本心を話すつもりだ、それはカリンにも分かった。カリンは王を見つめる。 「人間がなぜ空族を脅威に思うか分かるか?」 「・・・・。」 分からない。分かりたくもない。 「人間は野兎のような速い足もオオカミのような鋭い牙も持たない。そんな我々が獲物を得たり、時にそれらから逃れる為には銃や矢が手放せないのだ。人間とは弱い生き物なのだよ。」 「・・・。」 カリンには王が言いたいことが分からない。人間のどこが弱いというのだろうか。 「人間は弱い生き物だ。だから得体の知れないものに対して意味なく恐れ、そして攻撃的になる。」 「人間はやりたい放題ではないか・・・。どこが弱いのか・・・。」 カリンはやっとの思いで絞り出した声で反論した。 「自分たちには把握できない異種のものを攻撃し排除する。排除することによって自分たちの居場所を守る。そしてやっとこれで我々は危機を脱したのだと初めて安心できるのだ。」 「空族は人間を・・・排除したいと思ったことなど・・・ないのに。」 カリンの反論に王は密かに苦痛のため息をついた。 「空族は我々人間と全く同じ姿形をしている。鋭い牙も爪も持たず足は獣より遅い。何もかも同じなのに一つだけ決定的に違うものがある。それは飛べる事と飛べない事だ。」 「翼・・・。」 「そうだ。飛べる事と飛べない事との間には天と地ほどの差がある。姿形はどんなに似ていてもその能力の差は圧倒的に空族が勝っている。」 カリンは王の語りにただ首を横に振るしかなかった。何と返事していいか分からない。 「人間は空族が怖いのだ。飛べる能力が怖い。その能力が欲しいから迫害してきたのではない。その能力が怖いから迫害してきたのだ。」 王にそう言われてもカリンには理解できなかった。この地上に人間は数億人といる。対して空族はたった五十五人。こんな少人数で一体何が出来るというのか。いくら空を飛べるといっても五十五人で人間を相手に出来るわけがないのに。 「空族より・・・人間の方がくらべものにならないくらいに数が多いのに・・・空族が怖いなんて馬鹿げている。」 「・・・そうだな、馬鹿げている。だが自分は飛べないのに敵は飛べるという恐怖は数の理論など忘れさせてしまうのだ。」 「僕らは敵ではないのに・・・。」 どうしようもないやるせなさがカリンを襲う。 「敵ではないという確証が持てない。いくら言葉でそう言われても信じる事が出来なければその言葉は絵空事になってしまうのだ。」 「どうしたら・・・信じて貰える?」 「無理なんだよ。こんなことは世の中にはいくらだってある。人間同士の戦争がその最たるものだ。戦争の始まりはいつの時代でも消すことの出来ない不信感だ。」 カリンは怒りよりも虚しさで涙が溢れてきた。拷問を受けた体よりも王の言葉を浴びせられた心が酷く痛む。心が血を吐いている。心から流れ出た血は、ムチで叩かれ続け体から流れ出た量を遥かに凌駕している。信じられないというのならもう何を言っても無理なのだろう。 「空族の血を飲めば飛べるようになると信じられてきたから・・・人間は僕らを狩るんだと思っていた方がましだったよ・・。」 そう言い放ったカリンは虚無感に支配され目の焦点も心の焦点も合わなくなっていた。だが王は感情が見えない表情で 「今まで何十人という空族の血を飲んでも誰ひとりとして人間は飛べないのだからその方法で飛べないという事は皆薄々勘付いているさ。」 カリンはそれなら僕らは滅びるしか道はないのだろうと思った。どんなに空族の血を飲んでも飛べないということが分かれば人間はもう空族を狩ることはなくなるだろうと期待していた。そうなる事を願っていた。 だけど現実は空族を狩るのは恐れからだという。恐れが人の心から消えることはないのだから空族がこの地上から跡形もなく消え去るまで排除は続くのであろう。この絶望はカリンの生きる望みを奪ってしまった。だがどうしても最後にもう一つだけ聞きたいことがある。 「なぜ・・・僕にそんな話を・・・?」 カリンは生気のない弱弱しい声で聞くと 「そなたが狩られる理由を知りたがっていたからだ。」 王は即答した、何のためらいもなく。王の答えを聞いてカリンはもう死んでもいいと思った。虚しさがカリンに残されていた生への執着を吹き消してしまったのだ。気力が煙のように頼りなく体から抜けていく。徐々に意識が遠のいていき、主を失った意識はもう次の王の言葉を拾おうとしない。 「もっとも父は最期まで本気で空族の血を飲めば自分も飛べるようになると信じていたようだが・・・。だが我はこのままでいいとは思っていない。空族への恐れをなくしたいのだ。迫害から得る安心など欲しくはない。」 王の目に色濃く浮かんだ決意の色と紡がれたこの言葉をカリンはとうとう聞くことはなかった。カリンの瞼の裏に憧れ続けた青空がどこまでも遠くまで広がっている。すべてを諦め静かに微笑むカリンの閉じた瞳の端から涙が一粒、流れ星のように流れていった。
夜が明けジャノ達は再び出発した。シュンケたちはその姿を人間に見つかりまくった。でももう隠れない。隠れる必要などないからだ。三人の目的はただ一つ、カリンを、仲間を救い出すだけ。子供が空を指差した。 「ママー見て!人が空を飛んでいるよ!」 無邪気な歓声を上げる。驚いて空を見上げる母親。視線の先には大きな白い翼をはためかせ飛んでいく二人の空族がいた。子供は空族を追いかけようと駆けだす。もちろん追いつくはずがない。それでも子供たちは嬉しそうにはしゃぐ。母親は子供を「空族に近寄るのは危ないからやめなさい」と止めた。
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