「安いよー。寄ってきな。」 店主の明るい声が軒下で良く響く。その声に誘われた客が次々と店に入っていく。そこら中に溢れる笑顔と活気。そして好奇心。出来たてのパンの香りがカリンの鼻をくすぐった。パン屋ではお洒落な帽子を被った婦人が気取った風にパンを一口頬張っている。男も女も子供も年寄りも皆楽しそうだ。自由奔放に道を行き交う人々。 ここには確かに『自由』がある。ふと気づくとカリンの瞳から一粒の涙がこぼれた。トーマスはそんなカリンを見て微笑む。 「すごいだろう?ここにはなんだってあるのさ。」 トーマスはまるで自分が作った町であるかのように自慢げに言った。 「ずるいやトーマス。こんな素晴らしい景色を何度も見られるなんて。」 カリンは活気ある景色に心奪われながら荷車から降りた。感動で足が震えている。 「感動するのはいいが残念ながらそう時間はないぞ。早く買い物してこい。画材屋はあそこだ。」 トーマスは町の一角を指差した。トーマスの指し示す向こうに画材屋はある。その瞬間、カリンの胸が高鳴った。どれほどたくさんの絵の具が置いてあるのだろう。わくわくする胸を押さえながら、でも肝心のものがないことを思い出す。 「でもお金が・・・。」 カリンが心細げに言うとトーマスは懐からいそいそと金貨を取り出した。 「これだけあれば足りると思うがどうだ?」 見たこともないたくさんの金貨を見てカリンは目を輝かせた。 「うん、ありがとう!」 カリンは金貨を受け取ると大切そうにしまった。 「でもどうしてこんなにたくさん持っているの?」 カリンが不思議に思い尋ねると 「前の買い物の時の使いきれなかった金だ。うちらの村では使いようがないからな。」 「言われてみればそうだね。」 トーマスはカリンの笑顔を見てとても満足な気持ちになった。 「さて、俺はこれからこのポクールの実を金貨に変えてくる。待ち合わせは夕方の五時。場所はここ。いいな。」 カリンは大きく頷く。そして画材屋に向かって一目散に走り出した。カリンの弾むような後姿を見てトーマスの心もまた弾んだ。 「さて、まずは換金。それから薬。次に布・・・。」 皆に頼まれたものを指折り数えながらサンキットに合図を送った。サンキットがゆっくり歩き出す。村に帰った時に見れるであろう皆の嬉しそうな顔を思い出すとどうにもはやる気持ち。トーマスは思わずにやけそうになるのを堪えた。 カリンは画材屋の前に立ち、高揚する胸をなんとか落ち着かせようと撫でる。たくさんの絵の具を見られる事への期待感は膨らむばかりで今にも心臓がはちきれそうだ。ドアを開くと中から絵の具の匂いが漂ってくる。カリンはこの匂いを独り占めしたくて思いっきり息を吸った。 「いらっしゃい。」 店主がこれまたにこやかに話しかけてくる。カリンは店に入ると周りを見渡した。真っ白なキャンパス。見たこともない様々な形をした絵筆。油絵に必要な溶剤。そして数えきれないほどの絵の具。 絵の具に吸い寄せられるようにふらふらと歩み立ち止まった。赤、黄、黒などの原色。橙、黄緑、紫などの中間色。ありとあらゆる色、今まで見たことがない色ももちろんある。色彩が色鮮やかなパレードを繰り広げているようだ。 無限の虹がカリンの目の前に架かり、感動で胸が震えた。心と直結している指も震える。恐る恐るカリンは手を伸ばす。こんなにもたくさんの青色がある。喜びがカリンの体全体を包み込んだ。店主にもこの客は本当に絵が好きなんだと分かった。こんなにも目を輝かせながら絵の具を見つめる客をもっと喜ばせたくて 「お客さん、マントを預かりますよ。見るのに邪魔でしょう?」とカリンのマントに触れた。 が、その瞬間カリンはびくっとしてとっさに店主から離れた。ほとんど脊髄反射だった。 「い、いいえ、結構です。」 カリンは怯える様な目で断る。さっきまで喜びいっぱいのオーラで目を輝かせていたのに今は一転して怯えの表情。警戒心を隠そうとしない。カリンの変わりように店主は驚いた。 「こ、これは大変失礼致しました。」 店主は心から申し訳なさそうに謝る。 「いいえ。」 カリンは戸惑いながらも自分の気持ちを落ち着かせようと自身を宥めた。ここでばれたら駄目だ。何回も自分に言い聞かせる。店主も緊迫した空気を元に戻そうとカリンに話しかけた。 「この青色すごいでしょう?これはカラン王国からわざわざ取り寄せたんですよ。」 カリンは店主にそう説明されて視線をそちらに移した。ラベルにはターコイズ・ブルーと書かれている。その隣にはラピラズリー。またまたその隣にはヘビー・ブルー。サファイア・ブルー。カリンは喜びを取り戻した。それを見て店主はほっとする。そして 「ではこちらはいかがです?」 次の青を勧めた。ラベルには『スカイ・イン・スカイ』と書かれている。 「これはどういう色ですか?」 カリンが聞くと店主は待っていましたとばかりにチューブからスカイ・イン・スカイを取りだしそれをパレットの上に乗せた。鮮やかな青色がカリンの瞳に映る。それはカリンがずっと憧れ続けてきた、心の中に広がる青空の色だった。カリンは息をのんだ。求めてやまない理想の色とようやく巡り会えた。 この青で空を描きその空の中を自由に飛び回る自分の姿を想像する。なんて幸せなんだろう。幸福とは今感じているこの感情のことを言うのだろう。カリンは泣きそうになるのを必死でこらえた。だがどんなに堪えてもあふれ出る喜びは店主にも伝わる。店主はもっとこの若者を喜ばせたい、そう思わずにはいられなくなった。 「もし良かったらこの店のもの全部試してみていいですよ。」 店主は真新しいキャンパスをわざわざおろし、商品である絵筆をカリンに手渡した。 「本当にいいんですか?」 恐る恐るカリンが尋ねると店主はにっこり笑って 「好きなだけ試してください。この画材たちもあなたにこんなに愛してもらえて喜んでいますよ。」 店主の思いも寄らない優しい言葉にカリンの涙腺が決壊した。店主は、突然泣いてしまった若い客に戸惑いながらも暖かい眼差しで見守る。 「ありがとうございます!!」 カリンは深々とお辞儀をすると早速スカイ・イン・スカイをキャンパスに乗せる。自分の心に大切にしまってあった空がキャンパスに蘇る。カリンはもう嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。
|
|