ナーシャとシュンケがホエンの顔を覗き込んだ。この時初めてカーターはホエンの様子がいつもと違うことに気づく。まさか!?次の瞬間。 ボキボキバキバキと枝を折り草の根を掻き分ける怪しい影が蠢いた。そこら中に漂う不穏な気配。隠れていても分かる。これは人間のものだ。突然、カーターが叫んだ。 「逃げろ!!!」 その声にびっくりして固まるハル達。その声が引き金になったのか四方八方からいきなり人間たちが飛び出してきた。しかもそれらは兵士だ。銃や弓矢を携え鉄の鎧をつけている。ざっと見て30人くらいはいるだろうか。そのどれもが獲物を狙う鋭く血生臭い目を甲冑の隙間からのぞかせている。 今までだって人間と対峙した事はある。でもここまで至近距離で囲まれた事はなかった。経験した事がない恐怖がシュンケやナーシャたちを襲う。恐怖のあまり足がすくむ空族たち。しかしカーターだけは冷静だった。 「どういう事だ、ホエン。」 ホエンを見るカーターの目は殺気に満ちていた。それは初めて出会った時の目と同じ。ホエンはその目を見た途端我を取り戻した。そしていきなり膝から崩れ落ちる。 「許してくれカーター。こうするしかなかったんだ。」 それでもカーターの怒りは収まらない。兵士の一人が勝ち誇ったような目つきでホエンを見下ろしながらとホエンと空族との溝を容赦なく深くえぐる。 「そいつはお前たち空族を売ったのさ。」 「売った?」 ハルが聞き返す。 「空族には一千ロドの懸賞金が懸けられている。居場所を教えただけでも七百ロド。そいつはその七百ロド欲しさに我らをここに案内したというわけさ。」 兵士は狡猾な目で説明した。ハル達の厳しい視線がホエンに突き刺さる。 「許してください・・・。娘が、リンダが病気なんだ。手術をしないと死んでしまう。手術には七百ロドかかる。でもそんな大金私には払えなくて・・・。だから。」 「お前は始めからこうするつもりだったのか!!」 カーターが怒りのままに問い詰めた。ホエンは必死に首を振りながら否定する。 「それは違う!!信じてください!リンダが病気になってしまったことは皆さんに会った時は知らなかった。知ったのは抗生剤を取りに戻った時です!信じてください!許してください!」 「ホエンはそこまで言うと声を詰まらせて泣き伏した。 「そんなこと言われても許せるわけがないじゃないか!!」 シュンケが叫ぶ。そんなシュンケをカーターは手で制した。一方、ハルは「薬を取りに戻った時・・・。」と呟いて呆然としている。するとカーターはおもむろに自分の首に下げていた笛に外し、そしてそれをシュンケの手を取って渡した。この笛は頭領だけが持つことを許されている。だからカーターは肌身離さず持ち続けてきた。 「シュンケ、私が合図したらこれを二回吹け。そして母さんと逃げろ。」 人間たちに聞こえないようにシュンケの耳元にかがみこみ小声で囁いた。 「そこの者何をしている!動くな!!」 カーターの動作を怪しんだ兵士が叫んだ。 「怯えている息子を落ち着かせているだけだ。」 カーターは偽りの説明をし、両手を上げこれ以上動かないという意思表示をした。だがカーターの思惑を知る由もないシュンケは 「!?父さんは?父さんはどうするの!?」 思わず大声で聞き返してしまう。兵士たちは何事かと警戒銃を構え臨戦態勢をとる。 「大声を出すな。いいから笛を二回吹いたら何も考えずに逃げろ。」 尚、囁いた。 「でも笛二回は飛んで逃げろという合図でしょう?父さんが吹いてよ。一緒に逃げようよ!!」 シュンケは小声で抵抗しながら今にも泣き出しそうな顔でカーターの服の端を握りしめた。 「お前は空族の頭領になる男だ。頭領として今何をすべきかを考えなさい。」 「でも・・・でも・・・。」 シュンケは泣きじゃくりながらそれでも父の服をぎゅうと握りしめて離そうとしない。カーターはそんなシュンケを優しい目で見つめ 「空族が生き延びるためには多少の犠牲は仕方がない、以前お前に話したはずだ。それは頭領だとて同じ事。ならせめて最後まで頭領として空族を・・・父としてお前を守らせてくれ。」 カーターの顔はとても穏やかだ。その瞳は海のように深く、光のように真剣だ。サラは覚悟を決めたように唇を固く噛みしめ必死で泣くのをこらえている。頭領の証である貝笛を息子に託したという意味を知っているからだ。 ハルにもカーターが考えていることが分かった。自分ひとりここに残り兵士と戦うつもりだと。カーターはとても強い。その戦闘能力はすさまじいものがある。 しかしこんなに大勢の兵士を一人で相手にして敵うわけがない。何よりシュンケから父親が奪われる事があってはならない。 ハルは突然土下座をした。驚くカーター達。予想もしなかった突然の事に兵士たちも驚く。だがハルは 「どうか私の血をあげるから他の者は見逃してもらえないだろうか。」 思いもよらない事を言い出すハルにカーターは憤った。 「何を言っているのだ!!」 「パパ・・・。」 ナーシャは戸惑う。 「私の血も翼も好きにしてくれて構わない。だからどうか他の者の命は見逃してくれ。この通り!頼む!!」 ハルは地面におでこをこすりつけて力の限り懇願した。 「勝手な事をするな!お前も逃げろ!!」 カーターが思わず怒鳴った。その言葉に反応した兵士たちは逃がすものかと間合いを詰める。しまった!カーターは瞬時に後悔した。するとルリが無理矢理に荒い息を抑えながら起き上り緊迫した空気に懇願を投げかけた。 「私の・・・私のせいなんです。」 「そんな事はない!!」 カーターが叱る。 「いいえ私のせいなの。ホエンに薬を取りに行かせたからこうなった。私のせいなんです。」 「それは違う!ホエンに薬を取りに行くことを許可したのは頭領であるこの私だ!!」 カーターが必死で自分をかばってくれる、そのことがルリにはとても嬉しかった。だからこそカーターも皆も誰一人犠牲には出来ないと思った。 「・・・私は人間と一緒に生きていきたいとずっと思ってきました。今もこの時もその思いは変わらない。どうか一緒に・・・あなた達人間と一緒に生きていける道を私たち空族と一緒に探してくれませんか・・・。お願いします・・・。一緒に生きていきたい!」 ルリは弱った体を奮い立たせ兵士たちに必死に訴えた。 ルリの命がけの必死な言葉は兵士たちの心を揺さぶった。兵士たちの間に動揺が広がる。その動揺の波はカーター達の所まで伝わった。いくら翼が欲しいからといってなんの罪のない幼い子まで手にかけるようなことは兵士だってしたくないのだ。 しかし兵士たちの躊躇を感じ取った指揮官は兵士たちの殺気が萎えるのを恐れた。 「騙されるな!!こいつらはいつか人間に復讐するはずだ!お前たちの家族をそんな目に合わせていいのか!?」 指揮官はいきなり兵士たちを叱りつけた。それでも兵士たちは戸惑いを隠せない。自分たちとの共存を願っているなんの咎がない者たちをいくら空族とはいえ殺すのか・・・そんな戸惑いだった。 「復讐なんてするはずがない!!」 シュンケが叫んだ。幼い子供の怒れる、でも信念に溢れる眼差しを目にし、指揮官はたじろいだ。しかし 「空族の血を王に持って帰る!それが我々の使命だ!お前たちは誰に仕えている!?我が王、カリダ様じゃないのか!!」 指揮官の凛とした声が森中に響き渡る。指揮官の叱咤で我に返る兵士たち。その目に殺気が戻った。 ここまでか・・・、カーターは思った。そして大きく息を吸うと目を固く閉じ。そして覚悟を決めた。 「吹け!!シュンケ!!」 カーターの迷いのない気迫に押されたシュンケは思わず笛を吹いた。森中を駆け巡る笛の音が二度響いた。 兵士たちは何の事か分からずきょとんとしていた。だが次の瞬間、大きな鳥の羽ばたきの音がしたかと思うと空族が一斉に空へと舞い上がった。 しまった!!指揮官は瞬時に命令する。 「撃て!!逃がすな!」 兵士たちは慌てて空に銃を向け撃ち放った。戦慄が炎のように暗闇を駆け抜ける。 「行けシュンケ!!」 カーターは叫びながらシュンケを向こうへと押しやる。だがシュンケは「いやだ!!」というばかりで全く言う事を聞かない。 「言う事を聞きなさい!母さんが死んでもいいのか!?」 その言葉にシュンケはぶるっと震えた。するとカーターは柔らかな笑みを浮かべ言い聞かせた。 「母さんを頼む。母さんを守れるのはお前だけだ。」 それは別れの言葉。シュンケは泣きながら翼を広げ飛び立った。一生懸命翼を羽ばたかせて逃げる。 「逃がすな!!」 兵士たちの怒号と銃声。その内の一人がシュンケに狙いを定めた。照準をシュンケに合わせ引き金を引こうとした時だ。そのことにカーターが気づいた。 「貴様!!!」 カーターの怒りは一瞬で頂点を突き抜け凄まじい形相で剣を振り上げ兵士たちに突進した。剣は兵士を貫きシュンケを狙った弾丸は逸れた。 空へと逃げる空族たち。しかし銃弾が届かない高さに到着するまでには時間がかかる。力の弱い者、運が悪かった者は次々と撃ち落されていく。びっくりして飛ぶ事を止め、走って逃げようとする者もいたがすぐに追いつかれて剣でつき抜かれた。吹き出す血しぶき。撃ち落される空族、剣で刻まれる空族、まさに地獄絵図だった。鳴り響く銃声、矢も飛び交う。逃げ惑う空族、追う兵士。 壮絶で陰惨で血生臭い森にカリンのか細き声が震えている。カリンは、銃弾を受けて力なく横たわる父にしがみついている。 「お父さん!お腹から血がたくさん出ているよ!」 青ざめるカリン。父は痛みと苦痛で顔を歪めながらも必死で大声を上げた。 「カリン早く逃げなさい!!ロダン!!ソウタ!!誰でもいい!カリンを運んでくれ!!」 「お父さん!」 「俺は大丈夫だ。心配するな。」 父はカリンを心配させまいと精一杯の笑みを浮かべた。そこへルシアが駆け込んできた。 「ルシア!お父さんが・・・!」 カリンはルシアの顔を見てほっとしたのか涙を浮かべた。しかしルシアはそれには構わずカリンの腕を取って父から体を引きはがした。 「ルシア?」 カリンはわけも分からず呆然としている。だがカリンの父は心からほっとしたような目でルシアを見つめそして 「カリンを頼んだぞ。」 父からカリンを託されたルシアは覚悟を決めたように深く頷きそして振り返り大声で叫んだ。 「パパ!カリンはここにいる!!」 すかさす翼を広げた空族が駆け込んできた。 駆けこんできたのはルシアの父だった。ルシアの父は今にも泣きそうな顔でカリンの父の姿を見つめた。カリンの父は息も絶え絶えに言伝をする。 「頼んだぞ、シンジ・・・。さぁ早く敵に捕まらない内にカリンを連れて逃げてくれ。」 「・・・分かった。あとのことは心配するな。カリンは俺たち空族皆で育ているよ。」 ルシアの父、シンジの声は辛そうに震えている。だがカリンの父は満足そうに微笑んだ。それを見届けたシンジはカリンの小さき体を抱きかかえた。そして翼をはためかせ急上昇した。すかさずルシアも飛び立つ。 「嫌だ!!離せ!!お父さん!!お父さん!」 泣き叫ぶカリンの声がどんどん高く舞い上がっていき暗闇の中に溶け込んでいく。銃弾が容赦なくカリンたちの元へ殺到するがどうやらうまく逃げおおせたようだ。カリンの父はそれを見届けると心の底から安堵してそっと瞼を閉じた。 「カリン・・・幸せになってくれ・・・。」
「一人残らず捕まえろ!!」 指揮官の冷酷な声が兵士たちを鼓舞する。カーターは勇ましい闘志と卓越した剣さばきで次々と兵士たちをなぎ倒していく。俊敏な動きで銃弾を避け指揮官に突進していく。 さすが空族の頭領、その様子はまさに闘神。何と恐ろしい。指揮官は背中に戦慄を覚えた。この男、人間だったら英雄になれたものを。指揮官は敵ながらカーターの勇敢さに感心した。しかし感心している場合ではない。ここは戦場、狩るか狩られるかだ。 「人間だったら良かったのにな!!」 そう叫びながらカーターを迎え撃った。火花を散らしぶつかり合う剣。ギリギリとお互いを睨む。力は互角か?一瞬でも気を緩めた者が死ぬ。今にも剣が折れてしまいそうだ。しかし指揮官は自分が徐々に劣勢にまわっているのに気づいた。力負けしているのだ。カーターの剣先が指揮官の額をかすめ血が滲む。 「空族の血を飲んだところで空を飛べるようにはならぬ!なぜそれでも我らを追うのだ!!」 カーターが殺気に満ちた目で問うが指揮官は答えない。いや答えないのではなく答えられないのだ。抵抗するのに精いっぱいで答える余裕がない。指揮官は力の差を思い知らされ自分の負けを確信したその時だ。 「きゃあ!!」 女性の悲鳴が駆け抜けた。カーターはぎょっとして振り返る。カーターの目に飛び込んできたのは背中から剣を刺されているルリの姿だった。
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