ハルの躊躇の理由と苦悩を知りながらもそれを振り切った。 「カーターに許しを貰ってきます!」 今度はカーターの所に向かって走り出した。ハルは何も言えず拳を握りしめる。ハルは妻の命と空族の存続を天秤にかけてそのどちらも選択できない自分が情けなくなり悔しくて悔しくて自分の太ももを何度も拳で叩いた。ナーシャにはそれが不思議でならない。お母さんを助けるのに何をそんなに躊躇するのだろうかと。 ホエンはカーターのいるテントに飛び込んだ。必死な形相のホエンを見てすぐにカーターは異変を感じ取る。 「どうした。」 「ルリの容態が急変しました。事態は一刻を争う。でも肝心の薬が手元にはないんです。」 「ルリが・・・。」 カーターは苦渋の色を滲ませ唇をかみしめた。 「でも職場に戻れば手に入ります。取りに戻りたいんです。すぐに戻ってきます!」 想像もしてなかったあまりにも突然のホエンの申し出にカーターは息をのんだ。ホエンの懸命な懇願。 カーターは正直迷っていた。薬を取りに戻るのは構わない。でも果たしてここに戻ってくるだろうか。ホエンの気が変わったりしないだろうか。ずっと空族と一緒に暮らしてくれるなんてはなから思っていない。空族の体力が回復したら家に帰る事は分かっている。それを引き留めるつもりも責めるつもりも毛頭ない。 ただ家に帰り周りの人間に空族の事を話す可能性がまったくないとも言い切れない。ホエンに限ってそんな事をするわけがないと分かっているし、分かっているからこそあの時ホエンのことを家に帰そうとした。 だが正直なことを言えば一点の曇りなく百パーセント信じる事が出来るのかと問われればすぐに頷くことは出来ない。人の気持ちというものは移ろいやすいものだ、カーターは信じるべきか否かの岐路に立たされた。 迷い、答えを出しかねているカーターにホエンは必死で信じてくれと訴える。シュンケはただ黙ってカーターが下す決断を待った。シュンケも幼いながら分かっているのだ、父がなぜ決断出来ずにいるのかを。 それは空族の頭領だからだ。頭領として決断すべきことはなんであるか。シュンケの心情としてはそれはもうルリを助けて欲しくてたまらない。しかし助けてあげてと懇願したい願いを必死で抑えた。父から何度も言い聞かせられてきた、頭領として一番大切な事は空族の命を守ること。 ルリを守るか、空族皆の命を守るか。シュンケは幼い心を痛めて父の答えを待っている。しかし答えを待つまぶたの裏にはルリやナーシャやハルの笑顔が浮かんでくる。やっぱりルリを助けて欲しい、シュンケはそう思った。口にこそ出さないが目でカーターに訴える。 『ルリを助けてあげて。』 カーターはシュンケを見た。我が子の目が「助けてあげて。」と訴えてくる。確かに頭領として選ぶべき最善の道はルリを見捨てて空族全体の命を守る事なのかもしれない。 しかし、本当にここでルリを見捨てていいのだろうか。いや、一人を守れなくて大勢を守れるわけがない。カーターは決心した。 「サラ、ホエンを林道まで送っていく。後の事は頼んだぞ。」 「・・・わかったわ。気をつけて行ってきて。」 サラが覚悟を決め凛とした目で受け答える。そして静かにシュンケを抱き寄せた。ホエンは信じて貰えた事が嬉しくて仕方がない。 「ついてきてくれ。」 「はい!」 歩き出すカーターの後をホエンは追った。カーターはホエンがついこられるくらいの速度に歩幅を落とし先を急いだ。ホエンは遅れないようにと必死でついていく。二人は林道めざしてひたすら歩く。 カーターの表情は硬かった。ホエンを信じようと決心したが心のどこかでまだ迷いがある。それでも立ち止まるわけにはいかない。 半日以上森の中を進んだだろうか、ようやく森の向こうに葉や枝をかいくぐった陽射しが地面の上に辿り着いているのが見えた。みっしりと生い茂る木々の密度が薄れてきたということは林道が近い事を表す。それからしばらく歩くと木々の隙間に林道がちらちらと見え隠れした。カーターが案内出来るのはここまでだ。急に立ち止まり前方を指差した。 「あそこに見えるのが林道だ。」 ホエンは言われるままに指し示す方向を凝視する。 「ありがとう!すぐに戻ってくる!!」 ホエンは礼を言うと林道に向かって一目散に走りだした。カーターはホエンの姿が小さくなって消えるまでそこに立ちすくんでいた。ホエンには「信じているぞ。」と最後まで言えなかったが今、言う。 「信じているぞ。」 大量に汗をかき苦しそうなルリの元にシュンケやジムやカリン、ルシア、ロザン達が集まっている。心配そうにルリを見つめるシュンケにジムは 「ルリなら大丈夫だよ。」と慰めた。カーターはホエンが戻ってきたときの為にホエンと別れた場所で待つことにした。空族の皆がホエンが戻ってきてくれることを信じている。
林道に出たからといってすぐに人に出会えるわけではない。ホエンはまず人を探してひたすら駆け回った。早く帰ってルリさんを助けないと!その一心で人を探し半日も経った頃、ようやく人に出会えた。たまたま馬車でここを通りかかった人に大声を出して助けを求めた。 「私の患者が危ないんです!チームク市に連れて行ってください!」 「それは大変だ。早く乗ってください。」 ホエンを乗せた馬車は大急ぎでチームク市に向かって走り出した。 そしてようやくホエンは辿り着いた。空族の元を離れてからすでに一日半が過ぎている。ホエンは早速自分が勤めている病院に向かって走り出した。無我夢中で走っていたがふと自分の身なりに気づく。ぼろぼろの服。汚れた手足。空族と共にいた時は近くにあった川で水浴はしたが慣れない水の露天風呂で汚れをよく落とせなかったのも事実。まして一日半駆けずり回ったせいで汗の臭いもきつい。これでは病院に入れないと思いひとます服だけでも着替えようと自分の家に方向を変えた。 今度は一目散に家に向かって走り出す。 するとその時だ。偶然に町の人の会話が耳に飛び込んできた。 「なぁ、聞いたか?空族に懸賞金がかかったらしいぞ。」 「懸賞金?」 「あぁ、空族の生死を問わず捕らえた者には一千ロドを支払うだってよ。」 「一千ロド!?そいつはすごいな。俺らが一生働いても手に入らない大金だ。」
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