未体験な出来事に瞳を輝かせるシュンケを頼もしく思い、ホエンはシュンケの頭を優しくなでた。 「いたって健康だよ。」 それを聞くとシュンケはしゃいだ。サラの体にも異常はなかった。そして次はおばば様だ。この人は空族の長老だ。特に念入りに診察をする。診察を受けながらおばば様はホエンに尋ねた。 「そなた、独り身らしいがこの先ずっと一人でいるつもりかい?」 いきなり妙な事を言い出すおばば様。ホエンは思わずむせた。サラがびっくりして聞き返す。 「おばば様、いきなり何を?」 なのにおばば様はしれっとしていて 「いや、医者稼業が忙しくて結婚出来ないのかと思ってのぉ。」 「参ったな。医者をしてても結婚している人はたくさんいますよ。私が不甲斐ないだけです。」 ホエンは頭を掻きながら恥ずかしそうに答えた。 「それなら・・・」 おばば様が言いかけた時だ。ホエンは急に真顔になった。 「実は結婚していた時はあったんですよ。でもあまりに私が仕事に夢中になりすぎて家庭を全く顧みなかったんです。娘もいるというのに。」 「別れたの?」 シュンケが無邪気に口を挟んだ。 「こらっ。シュンケ!」 カーターが叱る。 「いいや、いいんですよ。その通りですから。妻に愛想つかされまして。妻は娘を連れて家を出て行きました。それからずっと独りです。もう三年になるかな。」 苦笑いしながら話すホエンを見て何と返答していいか分からないカーター達。 「あっ、でも独り身も悪くないんです。休日は好きな所へ出掛けて好きな絵を描いて過ごす、気楽でいいですよ。」 ホエンはあっけらかんと言ってのける。 「たいしたもてなしは出来ないが好きなだけここに居てくれ。」 カーターが勧めると 「そうしなよ、そうしなよ。」とシュンケは翼をはためかせ飛び跳ねた。実に嬉しそうだ。シュンケの喜びようにホエンの心も跳ねた。 「もちろん。」 ホエンは満面の笑みを浮かべる。温かく優しい時間が辺りを包み込む。人間と空族の間でこんなに穏やかな交流が実現するなんて四日前には全く想像出来なかったし相手がホエンでなければ叶わなかっただろう。これを奇跡と呼ばずになんと呼べばいいのか。 するとおばば様はこれは良いタイミングとばかりに 「なら、紹介したい娘が・・・。」 「どこも悪くはありません。さすが長老、健康でいる秘訣を知っていらっしゃる。」 にこやかに答えた。どうやら診察は終わったようだ。ホエンは立ち上がり「では次にいってきます。」と一言残してその場を離れた。 「だから紹介したい子が・・・。」 おばば様は尚、諦めきれずホエンの後姿に声を掛ける。残念そうなおばば様。おばば様が考えてる事がなんとなく分かったカーターとサラは顔を見合わせて笑った。 「ところで。」 サラは急に真顔になりカーターに尋ねる。 「ここにもう三日もとどまっているけれどそろそろ移動しなくていいの?」 「私たちの旅は過酷だ。ホエンは連れて行けない。ホエンが我らと一緒に居てくれる間はここに居よう。」 「そうね。」 サラもカーターの意見に同意する。 ホエンはカリンの所にいた。小さな体のカリンを診察する。カリンの翼は同い年の子と比べて二回りも小さく、また片方の翼は歪んでいた。この翼では飛べないだろとホエンは内心思った。 「ねぇ、あの白いもの、もう一度みたいな。」 無邪気な笑顔でカリンがせがむとホエンは優しい笑顔を向け 「いいよ、じゃあちょっと待っててね。取ってくるから。」 にこやかに立ち上がった。 「わざわざすみません。」 カリンの父親が申し訳なさそうに謝ったが 「いいんですよ。私も絵が好きな子と出会えて嬉しいんです。」 ホエンはにこやかに答えると早速キャンパスを取りに戻った。ホエンはカーター達のテントのすぐ横に小さなテントを作ってもらいそこに寝泊りしている。キャンパスを手に戻ってくると早速カリンに見せた。 「すごい!すごい!」 感激してキャンパスに見入っている。瞳には希望の星がキラキラと輝いている。ホエンはもっとカリンを喜ばせたくて鞄からたくさんの絵の具と絵筆を取り出した。 「これなぁに?」 カリンは瞳を輝かせ聞いてくる。ホエンは待っていましたとばかりに 「この絵の具をこのパレットというものに搾りだしてそれをこの絵筆で混ぜ、こうやってキャンパスに描くんだよ。」 ホエンは実践しながら丁寧に説明する。青色の絵の具をキャンパスに乗せた。白いキャンパスに青が鮮やかに蘇る。 「わぁ!!」 カリンは大きな瞳をさらに大きくして感動している。ホエンはそんなカリンを見て幸せな気持ちになった。そしてその画材道具一式をカリンに差し出した。カリンとカリンの父はきょとんとしてホエンの顔をまじまじと見つめる。 「これ全部あげるよ。」 思いがけないホエンの言葉。カリンは飛び上がらんばかりに喜んだ。 「いいの?いいの?」 嬉しそうに何度も聞いてくるカリンにホエンはその度にいいよ、いいよと頷いた。カリンはまるで世界中のおもちゃを独り占めしたかのような喜びようでまわりをぴょんぴょんと駆け回った。カリンの父親は申し訳なさそうにホエンを見る。 「こんなにたくさんいいんですか?」 「いいんですよ。私にもカリン君と同い年の娘がいまして。わけあって会えないけどカリン君が喜んでくれるとまるで娘が喜んでくれているみたいで嬉しいんです。」 ホエンは目を細めた。カリンの喜びようといったらなかった。 「ありがとう!!」 カリンは狭いテントの中をキャンパスを持って駆け回る。 「こら、カリン!転ぶからやめなさい。」 父は叱りながらもその顔は笑っている。 「これも血筋か・・・。」 父は感慨深げに呟いた。ホエンはそれを聞き逃さなかった。 「血筋?」 父ははっとしてばつが悪そうな顔をしていたがホエンが不思議そうな顔をしているので話すことにした。 「カリンの母親・・・私の妻はカリンが2歳の時に病気で亡くなってしまったのです。妻は生前、絵を描くことが大好きで落ちていた枝を使っては地面に絵を描いていました。カリンに母親の記憶はないのですがきっと母親の血筋を引き継いでいるのでしょうな。」 「きっとそうですね・・・。」 ホエンはその話を聞いて胸が締め付けられた。もし空族の傍に一人でも医者がいたらカリンの母親は死ななくて済んだかもしれない、そう思うとやるせない気持ちになった。だが絵の道具を貰ってとても幸せそうにはしゃぐカリンの姿を見ている内に自分が幼きカリンの役に立てたことを誇らしく思えてきた。 ホエンはこの時とても幸せな気持ちで満たされた。空虚な心に暖かい陽射しがようやく届いたかのように。しかし、その暖かい陽射しは心の片隅にうずくまっていた小さな孤独を探り当ててしまった。幸せな気持ちになればなるほど自分の中に眠っていた寂しさが浮かび上がってくる。 「リンダ・・・。」 ホエンは自分でも気づかぬうちに娘の名前を呟いていた。 ホエンが空族と一緒に過ごすようになってから一週間が過ぎた。病院の同僚は今頃大騒ぎをしているだろうか。三日間だけの有給休暇を貰って出かけたはずなのにもう一週間も帰らず、音沙汰もなかったらさすがに心配し大騒ぎしているだろう。おそらく捜索願も出されているはず。 でも、分かっている。そんな状況にもすぐに慣れて皆自分の事を忘れるであろう。そして何事もなかったかのように元通りの日常に戻っていくのだ。 元々職場の同僚とは希薄な人間関係しか築けなかった。だから趣味である絵に没頭したかったのかもしれない。ホエンがそんなことを考えていた時だ。 ナーシャが血相を変えてホエンの元へ飛び込んできた。泣きながらホエンの服を引っ張り 「お母さんが・・・お母さんが・・・!」 取り乱しているナーシャを見て最悪の事態が脳裏をかすめる。 「ルリさんがどうした。落ち着いてナーシャちゃん!」 ホエンは医療道具を抱え急いでルリの元へ走った。ナーシャもその後を必死でついていく。ルリはとても息が荒く高熱も出しているようだ。尋常ではない汗のかきよう。脈をとると早鐘をならすという生易しいものではなかった。ホエンは内心焦っていた。やはり抗生剤が足りなかったか、それとも違う抗生剤でなくてはならなかったか。いずれにせよ手元にはもう抗生剤はない。ハルとナーシャは縋るような目でただただホエンを見つめている。ルリの荒い呼吸の音がその場にいる者の胸を苦しくさせる。この状況は一刻を争う。ハルはいたたまれなくなった。 「妻は・・・ルリは大丈夫なのでしょうか。」 大丈夫だと言って欲しくて聞いたのだが 「このままでは非常に危ないです。なんとか薬が手に入れば・・。」 ホエンはそう答えると何かを考え込んだ。重々しい空気が息をするのも困難にさせる。ルリの苦しそうな息だけがやけに大きく聞こえて。そんな中、ホエンは決心した。 「薬を取ってきます。」 「えっ。」 ハルは一瞬何を言われたか分からない。 「病院に戻って薬を取ってきます。」 ハルは驚愕し目を見開いた。病院に戻るという事は人間のいる場所へ戻るという事。ハルは狼狽した。素直にお願いしますと言えない。容態を急変させ今にも死にそうな妻を前にしても空族を犠牲にしかねない道を選ぶ事は出来ない。苦悩するハル。それでもどうしても薬を取りに戻りたいホエンは
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