弾むようにシュンケの元へと急ぐジャノの背中を見守るナーシャ。その瞳からこらえきれなくなった涙がぼろぼろと溢れだした。
シュンケは大きなガタイに相応しい大きな獣を肩に担いでとある一軒家の前に立った。山鹿を狩ってきたのだ。ドンドンと扉を叩くと中から声が聞こえてくる。 「誰だ?」 「シュンケだ。」 それを聞いて扉がおもむろに開いた。中の住人はシュンケの顔を見た途端、安堵した。シュンケは早速台所に向かい山鹿を降ろす。 「血抜きはもうやっておいたぞ。」 シュンケは振り返り、住人にそう言うと 「いつもすまないな、シュンケ。俺が狩りが出来れば良かったんだが。」 住人は左足をひきずっている。 「気にするな、ロザン。皆が息災で暮らせるようにするのも頭領の役目だ。」 すると部屋の奥から小さな子供が駆けてきてシュンケの足元に抱きついてきた。 「シュンケ!」 子供は嬉しそうにシュンケの足元ですりすりしている。小さな翼がぱたぱたとはためいてまるで子犬のしっぽのようだ。シュンケは子供の頭をぽんぽんと優しく叩いた。 「こら、マルロ。シュンケを困らせるんじゃない。」 ロザンが窘めるとマルロは小さな舌をぺろっと出しよりいっそう強くシュンケの足元にしがみついた。シュンケがマルロを抱き上げる。腕にかかる重み。 「どんどん大きくなっているな、マルロは。」 「うん、早く大きくなってシュンケみたいになるんだ。」 マルロはわんぱくそうな笑顔を見せた。 「期待しているぞ。」 シュンケはマルロの小さな背中を頼もしく思った。 「あれから十一年か・・・。」 突然、何の前触れもなくロザンが呟いた。シュンケも思い出したように遠い目をする。そしてロザンは切々と語り始めた。 「あの日を境に俺の人生は変わっちまった。あんな事がなければ今でも俺の左足も左翼も何ともなかったのに。」 ロザンが思いつめた目で深い傷跡が残る左足を見つめる。そんなロザンの様子を見てシュンケの顔にも苦痛の色が色濃く滲んだ。 「ところでロザリーナの具合はどうだ?」 シュンケが話題を変えた。 ロザンは隣の部屋の奥を見ると深いため息をつき 「相変わらずだ。あまり良くない。」 「そうか・・・。今からでも医者にかかればお前の足もロザリーナも良くなるかもしれないのにな。」 シュンケは何気なく言ったつもりだった。だがロザンの表情は一変する。 「冗談じゃない!もう医者は信じられない!二度とあんな目に合いたくはない!!」 ロザンは突如怒りだした。シュンケはロザン豹変に少し驚いたが 「しかし信じられる医者を連れて来れば・・・。」 ロザンを宥めるように言うがそれは火に油を注いだに過ぎず。 「どうやって信じられる医者を連れてくる!?どうやってそれを見極める!あの時もそれが出来なかったからあんなに多くの仲間が!この足と翼が!ホエンのせいで!!」 「でも医者が全員ホエンと同じだとは限らないだろう。探せば他にもきっとどこかにジャノのような人間がいるはずだ。」 「いい加減にしてくれ!!発明家の次は医者を連れてくるつもりか!?シュンケは人間に気を許し過ぎる。ジャノは確かにいい奴だが他の人間もそうだとは限らないぞ!」 ロザンは興奮し感情的に声を荒げた。 「でもこのままではロザリーナは悪くなる一方だぞ。」 シュンケは言うが。ロザンは一方的に会話を閉じようとする。 「この話は終わりだ。シュンケが医者を連れてくるというなら俺もロザリーナもこの村を出る!」 ロザンは取りつく島もない。シュンケは困惑した表情でロザン見つめた。 「シュンケ、あんたは本当に世界一の頭領だ。あんただったから空族はここまで生き延びてこられた。あんたの言うとおりにすれば間違いないのは分かっている。でもこればかりは言う事を聞くわけにはいかないんだ。」 シュンケとロザンの間に重苦しい空気が流れていく。二人の空気の重さに居心地の悪さを感じたマルロは「おろして。」とシュンケにせがんだ。マルロをそっと降ろしてやるとマルロは傍にあったおもちゃで無邪気に遊び始めた。ロザンはさすがに我を忘れ憤慨した自分を恥じたのか申し訳なさそうに 「すまない、シュンケ。頭で分かっていても心が言う事を聞かないんだ。」 「・・・いや、私の方こそ考えが足りなくて不用意な事を言ってすまない。」 シュンケは謝ると「また来る。」と言ってロザンの家を後にした。その足取りは重く。 ロザンは心苦しげな表情で立ちすくんでいた。 悲しい過去は時がいつしか洗い流してくれるだろうと思っていた。けれどあまりに重すぎる過去はどこにも行けずそこにとどまることしか出来ないのだろ。そして死ぬまで胸の内に漂い続け心の目を濁らせるのかもしれない。誰が信じるに足りるかを見極める心の目を。 シュンケは頭領といえどまだ二十歳。どうする事も出来なさそうな未来でもどうにかしていい方向に変えたいと思うのは若さゆえだろうか。人は経験を重ねれば重ねるほどその経験に縛られ身動きがとれなくなっていく、そうロザンのように。 シュンケは消せない空族の傷跡に心を痛めながら自分の家の扉を開けた。そして驚いた。そこにジャノが居たからだ。 「どうしてここにいる?」 「シュンケに話があって来たんだ。居ないようだったから勝手に上がらせてもらったんだけどまずかったかな?」 ジャノは申し訳なさそうながらもどこか嬉しそうだ。 「いや、大丈夫だ。」 シュンケはそう答えて家に入ると腰に下げていた弓矢を外した。そしてジャノの向かい正面に座った。 「で、話とはなんだ?」 するとジャノは待ってましたとばかりに身を乗り出し 「明後日、トーマスが人里に下りるんだよね?」 「あぁそうだ。それがどうした。」 「そのトーマスの役目、僕にやらせてもらえないだろうか。」 「!!?」 シュンケは絶句した。驚きのあまり固まっている。
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