ジャノは唇を拭った。たった一撃でここまで吹っ飛ぶのだから力の差は歴然だった。殴られた頬は火のように熱く口の中は鉄の味がする。でもここで諦めたらナーシャと二度と会えなくなる。 次の瞬間、ジャノは立ち上がり突進していた。何がなんだか分からないまま破れかぶれだ。ジャノのパンチがシュンケに当たった。でも当たっただけだ。シュンケはへでもないという顔でジャノを見下ろす。ジャノのやわなパンチでは蚊ほどのダメージも与えられない。うっとおしいとでもいうかのようにシュンケの左拳がジャノの鳩尾に入る。うぐっ・・・鈍いうめき声をあげうずくまるジャノ。 「去れ!!」 シュンケの容赦ない低い声が傷口に沁みる。もう何でもいい、とにかくシュンケに勝たなければ意味がない。ジャノはうわぁと奇声を上げながら突進した。またもやシュンケの拳がジャノの体にめり込む。ジャノの目の前に火花が散った。激痛に耐えながらジャノは反撃するがかすり傷さえ相手に負わせる事が出来ない。繰り出す拳が虚しく宙を切り、代わりに殴られ蹴られボロボロになっていく。だがこれでもシュンケはだいぶ手を抜いているのだ。 ジャノは何度蹴られ殴られ倒されようと一歩も引かなかった。シュンケ一人に勝てないのなら到底世論には勝てない。空族を迫害し続けるこの世界の風潮よりも強くなくては空族を自由にする事なんて出来るわけがないのだ。だからここでシュンケに負けるわけにはいかない。ジャノはその思いだけで満身創痍になりながらも何度も立ち向かっていった。 一方、シュンケの心の奥底にも次第に奇妙な感情が湧いてきていた。 『この男なら本当にナーシャを自由にしてくれるかもしれない。』そう思い始めた時だ。 「やめて!!」 女性の悲痛な叫び声が血生臭い空気を打ち破った。誰の声かシュンケとジャノにはすぐに分かった。 「ナーシャ。」 ジャノが呟いた。声がした方に振り向くと視界の中にナーシャの姿がぼんやり映る。ナーシャは、顔も体もあざだらけ傷だらけ血を吐き見るも無残なジャノの元に駆け寄った。ジャノはナーシャの耳元に呟く。 「ごめん・・・僕、弱くて・・・。」 そう言って苦笑いするが顔が変形していてもはや苦笑いしているのかどうかも分からない。 ぼろ雑巾のようなジャノを間近で見たナーシャの背中から怒りが立ち上る。 「シュンケ。」 女の声とは思えない程のどすの利いた声。怒りに満ちたナーシャの声。並みの男だったら思わず後ずさりする程の殺気。ナーシャは土の上に転がっている剣を拾って怒りのまま立ち上がった。シュンケに剣を向け闘志をみなぎらせる。 「許さない!!」 ナーシャはそう叫ぶと突進した。ジャノはナーシャを止めようとするがナーシャの素早さには追いつけなかった。シュンケは軽やかに剣をよけながら「ナーシャ。」と優しくその名を呼ぶ。だが怒りで我を忘れているナーシャの耳にそれは届かない。ナーシャは身を翻しまた突進した。それでも剣はシュンケにかすりもしない。 「ナーシャ!やめてくれ!!」 ジャノが叫んだ。叫びはナーシャの心に届いたようだ。ナーシャはパタッと動きを止めた。 その瞬間、シュンケの胸は張り裂けんばかりに痛んだ。思い知らされたのだ。 どんなにナーシャの名を呼んでもナーシャに自分の声は届かない。一方、ジャノの声なら届くのだな・・・と。どんなにナーシャを愛おしく想っても自分では駄目だということ。百戦錬磨のシュンケの心が抉られるようにズキズキと痛んで呼吸をするのも苦しくなる。 ・・・自分はいったいどうするべきなのか。
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