ジャノは思案に暮れながらふと視線を横に向けると懸命に自分を止めるナーシャの顔が目に入った。涙で濡れているナーシャの頬。シュンケの胸がズキリと痛んだ。 「・・・。」 シュンケはおもむろに剣を下ろし、ジャノとナーシャはひとまず胸を撫でおろした。シュンケとしてはここで引くのは不本意だが、かといってこのまま斬るわけにもいかず剣を鞘に納めた。 「だがこのまま黙ってお前を帰すわけにもいかない。お前が国へ帰って我らの事を話さないとも限らん。」 シュンケは釘を打った。 「そんな事、ジャノはしないわ。」 「ナーシャは黙っていろ!誰のせいでこんなやっかいな事になっていると思っているんだ!」 シュンケはぴしゃりと窘めた。だが、ジャノはあまりに意外な事を言い出す。 「だったら僕はここで暮らします。」 「「えっ・・・!?」」 予測不能なジャノの提案に思わず絶句する空族たち。 「僕はここで暮らします。そうすればあなた達もいらぬ心配をしないで済むでしょう。」 この男・・・。シュンケは内心呆れた。 「こんな所で暮らしていけるものか。お前のようなひ弱な人間が。」 「僕は故郷にいる時から皆から離れて暮らしていたんだ。一人暮らしには慣れている。」 ジャノは負けずにそう答える。全くこのジャノという男は変わった男だ。シュンケはいつの間にか少し愉快な気持ちになっていた。この男に賭けてみてもいいんじゃないか?そんな気持ちにさえなってくる。 「もし万が一、我らを裏切り他の者に我らの事を話したらその時は容赦なく抹殺するからな。」 シュンケに鋭い眼光が戻る。 「そんな日は一生こないと思うよ。」 ジャノは飄々と答えた。全くああいえばこういう、口の減らない男だ。シュンケは呆れたように身を翻しナーシャに声を掛けた。 「ナーシャ、行くぞ。」 するとナーシャは一瞬寂しそうな顔をした。それはジャノも同じだ。二人の間に名残惜しげな空気が流れる。それを断ち切るかのようにシュンケは再度、ナーシャの名を呼んだ。するとナーシャはジャノの元へ駆け寄り耳元に囁いた。 「明日また来るわ。」 その言葉を聞いた途端ジャノの表情は見る間に明るく輝きだした。 それにつられナーシャの顔が赤くなった。そんな二人のやりとりを横目で見ていたシュンケは密かに眉をしかめる。鋼の胸が見た目に似合わずズキッと痛む。その痛みをごまかすように空を見上げると山々の向こうに黒い雲が立ち込めてきていた。 「行くぞ。」 再びナーシャを促す低い声。ナーシャはようやくシュンケの所に来て、背中の翼をはためかせる。 そしてシュンケとナーシャは山の中へと消えて行った。ジャノは空族の飛翔を眩しそうに目を細めて見送る。暮れゆく森の奥から獣の遠吠えが放たれ、それは夜のとばりをぬって群青色の空へと吸い込まれていった。
ジャノは目の前に流れる河を恨めしそうに見つめている。大蛇のようにうねる激流が何人たりともその先を行くことを許さない。
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