「大丈夫、何もしないよ。もし君が危険だと感じたら僕を殺して家に帰ればいいさ。」 ジャノはそう言って空を指差した。ナーシャは僕を殺してという物騒な言葉に一瞬ドキッとしたがとても優しい笑みを浮かべるジャノを見るにつけ全身に張り巡らされた警戒心が嘘のように解けていく。 「じゃあ、少しだけ。」 ナーシャが気恥ずかしそうに答えるとジャノは本当に嬉しくなって 「僕の名前はジャノ・フリークス。よろしく。」 「私はナーシャ・マロン。空族よ。」 ナーシャは慣れない自己紹介に戸惑いつつもどこか嬉しそうで、またジャノも照れくさい気持ちになりお互い顔を見合わせて思わず苦笑いした。
人間の家に入るのは生まれて初めてのことだった。ナーシャは物珍しげに家の中を見渡した。家の中は発明品であろうもので溢れている。設計図や機械工学の本で足の踏み場もないくらいだ。 「足元に気を付けて。」 ジャノはナーシャに気遣いながら暖炉に火をつけた。 「こっちに来て温まるといいよ。」 手招きしてナーシャを暖炉の前へと誘う。ナーシャは促されるまま暖炉の前に腰を下ろしほっと一息ついた。ジャノは部屋の奥から大きなタオルを持ち出してきてナーシャに手渡す。 「これで体を拭くといいよ。」 「ありがとう。」 恥ずかしそうにお礼を言うと素直にタオルを受け取った。 「そうだ、傷の手当をしよう。」 ジャノは今度は救急箱を取り出してきた。こんな乱雑に物が置かれた部屋から欲しいものだけを的確に引っ張り出してくることが出来るのはこの部屋の主人だからに違いない。 ナーシャがそんなことに感心していたら突然、ジャノが腕に触れてきた。ナーシャは酷く驚いて慌てて腕を引っ込める。あの男たちから逃げる時に小枝やシダの葉で切ったのであろう、確かに体のあちこちに切り傷があった。 しかしいくら傷の手当とはいえ人間に体を触れられるのは・・・。触れられるのはあの時以来だ。ナーシャはとても戸惑った。そこには恐れもある。ジャノはそんなナーシャの怯えを敏感に感じ取った。ジャノはナーシャの緊張と戸惑いを解こうと 「僕はね、怪我の手当には慣れているんだ。翼の実験でね、上に飛び上がるには上がるんだけどすぐに落下してしまう。そのたびに大怪我さ。おかげで傷の手当だけは上手くなった、今すぐにでも看護師になれるくらい。でも一度だけ死にかけたことがあるよ。その時は天まで飛んで天使に会えたからラッキーだったけど何が気に入らないのか天使に帰れと追い返されたよ。」とおどけて見せた。嘘か本当か分からないジャノの調子のよい口調にナーシャも思わず笑う。そんなナーシャを見てジャノは何気なく 「良かった。ようやく心から笑ってくれた。」と本当に何気なく呟いた。 だがその何気ない言葉がナーシャの心に衝撃をもたらす。ジャノの言葉がじわりと胸に染み込んでいき、なんとも言えない幸せな気持ちになった。 ナーシャは己の内側に沸き上がる幸せな気持ちに戸惑いながらもジャノを見つめる。 幸福感が戸惑いをいとも簡単に凌駕していった。ジャノの指先が肌に触れるたびにそこが熱を帯びていくのをナーシャ自身気づいていた。心臓は早鐘を打つ。その音をジャノに聞かれやしないかと内心冷や冷やしていた。一方、ジャノは一通り治療を終えると 「さて。」と言って立ち上がった。
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