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作品名:奥様には秘密がいっぱい 作者:此道一歩

第6回   高島亜由美の迷い道
 その久しぶりの東京の夜、以前はよく通ったイタリアンの店でフルコースを食した彼女は、心身ともに満たされ、ホテルに帰った。
『ごめんなさい。叔母がとても喜んでくれて、二〜三日、泊まってもいいかしら?』
 彼女が友樹にメールを入れると即座に快諾の返事が返ってきた。

 それでも翌朝目覚めると、
「なんてばかなこと、考えてんのよ。あの家を出ることなんてできるわけがない。許されるはずがないよ。もう私はあそこで生きていくしかないのよ…… もう一日だけゆっくりして、明日は帰るか、あの田舎に…… 」
 彼女は独り言をつぶやいた。

 しかし、彼女がシャワーを浴びて、メークを始めた時であった。
 久しぶりの松谷裕也からの電話に彼女は驚いた。
『はい、お久しぶり』彼女がスピーカーで対応すると
『元気そうだね、今、友樹はいないの?』
『いないわよ、一人だけど、どうしたの?』
『お母さんが亡くなったらしいね』
『よく知ってるわね』
『うん、ずっと気になって、時々様子を見に行っていたんだ』
 しかし、実態は高校の後輩にあたるお寺の若住職から話を聞いただけで、彼は、亜由美と別れた後、すぐに別の女性と付き合い、その女性ともあることが理由で別れてしまい、懐かしくなって亜由美に電話を入れてきたのであった。

『うまいこと言わないでよ』
『いや、本当なんだ、だから弁当屋で働いていたのも知ってるよ。生活が大変なんだったら、援助しようかって考えたこともあるんだけど、君は受けないだろうって思って……』
『そうなの……』彼女は少しうれしかった。

 しばらく沈黙があった。

『俺は馬鹿だったよ、なんでお前と別れたんだろうって、ずっーと考えてたんだ』
『そんなこと、母さんが亡くなった後で言わないでよ』それでも責めるような言葉ではなかった。
『まっ、そう思われても仕方ないんだけど、あの時は親に反対されてさ、十年も二十年も寝たままになったらどうするのって、脅されてさ、その時は、なんかそんなことになるような気がして…… 』
『そう…… そりゃ、最悪のことを考えれば、絶対にないとは言えないものね』
『でもさ、お前と別れてからわかったことが一つだけあるんだ』
『何が分かったの…… 』
『今だったらさ、仮にお前が明日倒れたとしても、死ぬまでお前を大事にする自信がある』
『うまいこと言うのね』
『いや、本当にそう思うんだ。人を愛するっていうのは、そういうことなんだろうなって、今だったらそれがよくわかる』
『裕也……』思わず姓ではなく名前が出てしまった。
『結婚しているお前に、こんなこと言ってもどうにもならないんだけど、でも、気持ちだけは知らせておきたかったんだ』彼は入籍していないことを知ってはいたが、あえてそう言うと
『入籍はしていないのよ…… 』彼女は慌てて打ち消した。
『えっ、どういうことなんだ……』彼がとぼけて見せる。

 彼女が、義姉から言われたことを説明すると

『確かにお義姉さんの言うとおりだな。俺もそう思うよ。だけど、それだったらそこにいる意味があるのか?』
『そこって?』
『君が住んでいる春日町だよ』
 いま東京にいることを思い出した彼女は微笑んだ。

『本当に友樹を愛しているのか?』
『どういうこと?』
『弱みにつけ込まれただけじゃないのか?』
『そ、そんな……』
『一度だけでいいんだ、会いたい。東京に来ることはないのか?』
『……』
『俺が行ってもいいけど、人目もあるだろ』

『今、東京にいるのよ』しばらく考えた彼女が応えると
『えっ、じゃ、会おう。お願いだ、一度だけでいいんだ。お前に会いたい……』
 彼の一生懸命が伝わってくる。
『……』
『いつまでいるんだ?』
『明日には帰ろうかって思ってる』
『じゃあ、会おう。今夜七時、【華みずき】で待っている。いつまでも待っている』
『そ、そんなこと言われても……』
『待っているから!』彼はそう言うと電話を切ってしまった。

 電話を切った亜由美はしばらく考えていたが、心は決まっていた。ただ、その場所に出向いて行くことの理論武装を懸命に考えていた。思いのままに動こうとしているのに、それが罪ではないということを懸命に自分自身に言い聞かそうとしていた。

 【華みずき】はかつて二人がよく通った店だった。
 亜由美は懐かしい通りを歩きながら、なぜか高揚感を抑えることができないでいた。
 その彼女が、【華みずき】の入り口に立ったとき、松谷裕也から電話が入った。

「もしかしてキャンセル?」
 一瞬そんな思いが脳裏をよぎったが、

『もしもし…… 』亜由美が携帯を耳にあてると
『亜由美? ごめん、急な仕事が入って! でも今向かっているから、あと五分で着く、今どこ?』
『店の前だけど……』
『じゃ、入っていて、あと五分で絶対に着くから…… 』
『わかった、でも十分しか待たないから……』
『うん、大丈夫』

 【華みずき】から三十メートルほど離れたカフェで、窓越しに様子を見ていた松谷は、 亜由美が店に入ったのを確認すると、そこを出て店に走った。

 一方、店に入った亜由美は、若いカップルで埋め尽くされた店内に、言い知れぬ心地よさを感じた。かつて母の生前、息抜きのために友樹と訪れた隣町のレストランは、高齢者ばかりで、聞こえてくる話は、腰が痛い、膝が痛い、あるいは誰かの葬儀の話であったり、たまに若いカップルを目にすると彼女はほっとしていた。
 そのことを思い出した亜由美は、久しぶりに訪れたこの店で華やかだった昔を思い出してしまった。

 席に着くと、まもなく息を切らした松谷がやって来た。
「はあはあ」と言いながら、呼吸を整えようとする彼を見て、亜由美は

(こんなに一生懸命なんだ……! さっきの電話だって、あんな連絡を入れてくるような人じゃなかった。昔は連絡なしで三十分くらい待たされたことだってあったのに…… 
後悔しているんだ、本当なんだ……)

 そんな思いに加え、松谷のスーツ姿はすてきだった。毎日よれよれのスーツを着て町役場へ出かける友樹と比べると、それだけでも、ここの空気は暖かくて、景色が幸せ色に輝いて見えた。

「久しぶりなのに待たせてしまってごめん……」松谷が呼吸を整えながら口を開くと 
「ううーうん、大丈夫よ、仕事なんだから仕方ないよ」亜由美は穏やかで優しい自分の言葉に驚いた。

「お前と別れてからは惨めなもんだよ。仕事はミスばかり、上司に変な女を紹介されて、断るのに大変だったり、酒を飲めば悪酔いするし…… 」彼が目を伏せる。
「そうなの…… それは大変だったわね」
「一度、有賀の家の近くまで見に行ったことがあるんだ…… 」
「えっ、いつ頃なの? 」
「二ヶ月くらい前かな、その時にさ、思ったんだ。亜由美はこんなところで生きていくのかって…… でも、もう結婚したんだから、諦めようって思って…… 」
「……」
「だけどさ、結婚していないんだったら話は別だよ。お前のことだから、有賀を裏切ることはできないとか、そんなことを思っているんだろうけど、それはおかしいと思うよ」
彼が訴えかけるように話しかけてくる。
「どうしてそう思うの?」
「だって、電話でも話したけど、あいつだって、お前の足元見て、弱みにつけ込んできたんじゃないか。お前だって介護しているお母さんがいなかったとしたら、あんな田舎に行ってはいないだろ? 有賀と一緒になんて、なっていないだろっ」
「……」彼女は反論できなかった。
(確かにその通りかもしれない。包み込んでくれる人が出てきて、ほっとしたのは確か…… 結婚だって諦めようかって思っていたのに、お母さんも受け入れるって言ってくれて、流されてしまったのかもしれない)

「まさか再会してわずかの間に愛が芽生えたなんて、そんなことはないはずだ。本音を言わせてもらえば、あいつは卑怯だと思うよ」松谷が言い切ると
「裕也……」思わず昔がよみがえってしまった。
「だけどさ、お母さんが亡くなって、今は白紙じゃないか……! もう一度人生を考え直すべきだ」
「でも……」
「電話であいつのお義姉さんの話をしていたけど、そのお義姉さんだって、あいつがお前の弱みにつけ込んだってことがわかってんだよ。だからすぐに入籍させなかったんじゃないのか……!」なぜか説得力がある。

「そうかもしれないね、最初は嫌われているのかって思ったけど、こうなってみるとお義姉さんの言っていたことがよくわかる……」
 しばらく考えた彼女が静かに思いを語った。
「そうだろ、問題はお前の罪悪感だけだよ。最初から理論立てて考えれば、そういうものが必要ないっていうのはわかるはずだよ。もし、お前が俺を許せないのなら、俺のところに帰って来なくてもいい。でも、あの有賀の家は出るべきだ。俺はお前にだけは幸せになって欲しい。わかってくれ!」
 亜由美は、懸命に諭してくれる松谷裕也の思いがとてもうれしかった。

「本当にいいのかしら…… 苦しい時に助けてくれた彼の思いを気にしなくても本当にいいのかしら……」彼女が独り言をつぶやくように語ると
「いいさ、良いに決まってる!」彼の語気が強くなった。
「……」
「俺があいつに話してやるよ、あいつだって自分がやったことに気づいていないんだ」
「それは、やめて、私が話してみるから…… 彼を傷つけたくないから……」彼女はそう言いながらも、
「ふうーっ」大きなため息をついた。

しばらく沈黙があったが
「だけど、どうして東京にいたの?」
「うん……」
「何かあったのか?」
「いや、横浜の叔母さんのところに母が亡くなった報告に行って、そのままなんとなく……」
「そうか…… やっぱり、この街がいいんだよ。何もないあんな田舎で一生を終わるなんてありえないよ」彼が投げ捨てるように言うと
「……」彼女は微笑んだだけだったが、とても穏やかな目をしていた。


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