そして、その後、二度、東京に通った友樹は、ついに高島亜由美を納得させ、五月下旬、彼女とその母親が彼の家にやって来た。 彼は、一階の一室を改造し、何とかつかまり立ちのできる義母のため、ベッドの横に室内用水洗トイレを設置し、亜由美のためのベッドも用意し万全の態勢で二人を迎えた。 その日から義母は訪問医療を受けながら、週に二回デイサービスへ通い、常に娘がそばにいてくれる幸せな環境に、涙を流しながら友樹に感謝を繰り返した。 友樹自身も、帰宅すれば笑顔で迎えてくれる亜由美がいて、おいしい夕食が待っている家庭にこれまでにない幸せを感じていた。 しばらくの間は母親の部屋で眠っていた亜由美も、一週間ほどして落ち着いてくると、友樹とともに寝室で眠る日もあって、彼はあこがれ続けていた人と交わり、早く子供が欲しいと思うようになっていた。
小さな町のため、入籍はしていなかったが、二人が結婚したという噂はあっという間に広がり、亜由美も買い物に出掛ければ「有賀さん」と呼ばれるようになり、静かに時は流れて行った。 母がいるため、長時間、家を空けることはできなかったが、それでも土、日には、隣町まで買い物に出かけ、友樹は幸せの絶頂にあった。一方亜由美も、華やかな東京での生活が長かったため、この地域のさみしさに驚いてはいたが、一時母の介護から解放されるこの時間はとても穏やかで、安らぎを感じていた。 そんな幸せな時間が、三ヶ月ほど続いたが、八月下旬まだ蒸し暑さが残るある朝、トイレに目覚めた友樹がふと義母の部屋をのぞいて異変に気が付いた。 「亜由美さん! お義母さんがおかしい!」友樹が声を張り上げると彼女が飛んで降りてきたが、母はもう息をしていなかった。
もともと、丸々市出身の高島亜由美は、大学卒業後、結婚が決まると、母と二人で暮らしてきた実家を売り払い、母を東京に呼び寄せ新居になる予定だったマンションの近くにアパートを借りて二人で住んでいた。このため、丸々市にはお墓しか残っていなかったが、それでも納骨できるお墓があるということに友樹は安堵していた。 一週間後、初七日の法要を済ませ、部屋の片づけも終わり、一段落すると、友樹は、 (これで二人だけの生活が始まる、ここからだ)と思って、義母の死を悼んではいたが、それでも、気にかけなければならないものが無くなってしまったという解放感があることは否めなかった。
しかし、その頃から亜由美は考え込むことが多くなり、どこかへ誘ってみても、「まだ遺品の整理ができていないの…… 」と顔も上げずに答える彼女に、彼は一抹の不安を抱くようになってしまった。 ほとんど会話が弾まない日が続き、友樹はただ重苦しい時を刻まなければならなかった。 仕事をしていても、ふと、出て行ったのではないか…… そんな不安が脳裏をよぎり、心ここにあらずの状態が続いていた。
そして、四十九日の法要が終わった十月の半ば、 「友樹さん、悪いんだけど、明日から叔母さんの家に行ってきてもいい?」亜由美が突然尋ねた。 「えっ、叔母さんがいたの?」 「ええ、横浜に住んでいるんだけど、身体の調子が悪くて寝込んだままだから、連絡しなかったの、だけど母が亡くなったことだけはちゃんと伝えておきたいの……」 「そりゃ、そうだよ、ゆっくりして来たらいいよ」 「うん、ありがとう」
その翌日、朝早く家を出た亜由美は、横浜で叔母に報告を済ませると、そのまま東京に出てホテルに宿泊した。 狭いビジネスホテルの一室ではあったが、窓から人の雑踏ときらめく灯りに魅せられていると、ふと春日町の山と畑に囲まれた風景が脳裏をよぎる。 彼女は目を固く閉じると (どうしてあんな田舎に行ったんだろう…… こんなに早く亡くなるんだったら、東京にいればよかった、もう帰りたくない……) そんなことを思って何度も小さく頭を振った。
母の介護に追われていた時は、ほんのひとときの安らぎに幸せを感じていたが、母が旅立った後、彼女が春日町にとどまる理由は友樹に対する罪悪感だけであった。かつては母が倒れた後、慌てて仕事を捜し生活を維持してきたが、実家を売却して得た四千万円はまだ手つかずで残っている。介護がいつまで続くのかわからないという不安の中で仕事は続けたが、その四千万円の蓄えがあることで、彼女が悲壮感を持つことはなかった。 しかし、足かせが無くなってしまうと、この四千万円を持ったまま、友樹と結婚し、あの田舎で一生を生きていくということは、とても耐えられそうにはなかった。
彼のやさしさに迷ってしまった私が間違っていたのかもしれない…… でも、彼だって……
そんなことを考えていると、初めて友樹の実家に行って彼の義姉から言われた言葉を思い出した。 「環境が変われば心も変わっていくかもしれない。今、二人が冷静な判断をしているのかどうか、それが心配、だから入籍はせめて子供ができるまで待った方がいいと思うの」
彼女はその時、 (このお義姉さんは結婚には反対なんだろうな)と思ったが、反論できるはずもなく、微笑んで快諾したのだが、いざこういう状況になってしまうと、義姉の思いが突き刺さってくるようだった。 (友樹をバツイチにしたくなかったんだ、お義姉さんは私を見透かしていたのかもしれない。私自身にも分らなかった私の思いを…… でもそう思っていたのなら、好都合よ。 このまま無理してあそこで生きていっても、一年ももたないかもしれない。それだったら……)
再び華やかな街で暮らしたいというよりは、何もない田舎で暮らしたくないという思いが、瞬時に亜由美の身勝手な理論を打ち立ててしまった。
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