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作品名:奥様には秘密がいっぱい 作者:此道一歩

最終回   隠し続けたかった秘密
 身支度を済ませた二人が、昼前の新幹線に飛び乗った時だった。
 出版社の木村洋子から電話が入り、慌ててデッキに出た亜紀が電話を終えて帰って来ると
「なんかね、和食の店で約束してたのに、会社に来て欲しいって」
「ふーん」
「なんか、大変らしい。印刷会社が納品の日を間違えて…… 編集長が大変らしい」
「そうなの……」
「だから、会社で編集長に顔見せた後、洋子と三人で食事することになった、だから会社へはできるだけ早く来てほしいって、なんかちょっと様子が変わって来たから嫌なんだけど……」
「いいじゃないの、偉い人がいると気を遣ってしまうし…… 」

 亜紀は、原宿にお気に入りの店があって、そこで友樹に服をプレゼントしようと思っていた。そのため、余裕をもって出発したのに目論見が外れ、ことがうまく運ばないことに違和感を持っていた。
 しかし
(あれっ、今日は東京に泊まりなさいってことか? )
ふとそんなことを思うと急に楽しくなってきた。

 出版社に着いたのは三時前であったが、連絡をすると木村洋子がすぐに降りてきた。
「久しぶり」亜紀に微笑んだ後
「おっ、噂の友樹君ね、初めまして、木村です」笑顔がとてもさわやかだった。
「は、初めまして、有賀です」彼は慌てて頭を下げたが
「わかる! わかるよ…… 亜紀がこの人と一緒になるっていうのがよくわかるよ」
 彼女が亜紀に微笑むと
「さすが洋子、まっ、そう言うことよ」亜紀も微笑み返した。

 土曜日のため、通用口から入り、編集部がある五階へ上がると、広いフロアーはかなりざわついていた。二十人を超える社員が机に張り付き電話応対に追われていた。奥では、年配の上役とその部下なのだろうか、二人が三人の社員の前で懸命に何度も頭を下げている。
「ふざけるなよっ、何年やっているんだよっ」三人の中から怒鳴り声が聞こえた時、はっとして目を向けると、頭を下げている若い方の男の顔を見て、驚いた友樹は瞬時に背を向けた。
 なんと、「すいません」を連呼しながら頭を下げているのは、あの松谷裕也であった。

「なんか、大変そうね」その様子を見ながら亜紀が呟くと
「まいってんのよ、印刷会社が納品の日付を間違って全国の書店に発送してしまったのよ」
「へえー、発売日前に本屋に並んだってこと?」
「うん、基本的には発売日の前日着で発送しているから、書店の方は機械的に翌日店頭に並べるんだけど、今回三日前に着いちゃったから、発売日より二日早くなってしまったのよ。いくつかの書店から連絡もらって大慌てよ。総動員で連絡しているところ、バタバタしていてごめんね」
「それはいいんだけど、頭下げてる二人も気の毒ね」
「何言ってんのよ、休みなのに動員かけられた方が大変よ」
「た、確かに」

 そんな話をしながらゲストルームに通された二人がソファに座ると、すぐに若い女子社員がコーヒーを入れてきた。
 その女子が出ていくと
「今の子ね、さっき謝ってた若い方の男と付き合っていたのよ」木村が小声でささやいた。
「へえー、過去形なの?」
「そう、だいたい、あの男ね、最初から腹立たしいのよ。チャラチャラしてて調子が良くてね、若い子にはなんか、いろんなもの持って来てこそっと渡してさ」
「それって、自分にくれなかったから、腹が立ってるんじゃないの」
「まっ、それもあるけどね」

 そこへ、編集長が入って来て
「申し訳ないですね、せっかく来ていただいたのにバタバタしてて……」あいさつをすると
「えっ……」亜紀は驚いた。
「どうしたの?」
「いや、男性だとばかり思ってたので……」亜紀が苦笑いすると
「高橋里子と申します。四十は過ぎてますけど、女装しているわけじゃないですよ。ちゃんとした女ですから、子供も二人産みましたよ」
 彼女が名刺を出して微笑んだ。
「よかったー、私、叔父さんだって思ってたから、どんな顔して挨拶したらいいんだろうって……」亜紀はなぜかうれしくなった。
「ごめん、ごめん、言ってなかったね、東大の先輩で、この人に引っ張ってもらったのよ」
「そうなの……」亜紀が片目を閉じて『駄目っ』と言わんばかりに洋子に合図すると、機転を効かした洋子が
「二人とも灯台が好きでね、あの暗い海を照らす人生の道しるべみたいな灯台の灯がねー、良く見に行くのよ」訳の分からない補足をしたのだが
(なんなのよ、訳わかんないし)亜紀はばれたかもって思い顔をしかめた。
しかし友樹は
(へえー、変わった趣味の人もいるんだ)と思って全く気にも留めていなかった。

「でも、有友さんに会えてよかった。一目見て安心しましたよ」
 感のいい編集長は
(東大出身だってことを隠しているのか……)と思って微笑んだ。

「そ、そうですか」亜紀は嬉しそうだった。
「うん、どんなに考えてもあなたの作品からあなたを想像できないのがいい、あなたはまだまだ活躍できると思うよ」
「あ、ありがとうございます」
「それに、この婚約者がいい、二人が一緒にいて全く違和感がない」
「もううれしい限りです」

「あっ、ごめんね、もう行かなくっちゃ、でも良かった。本当に顔見ただけになってしまったけど、あなたに会えただけで、あのバカみたいなミスがどうでもよくなってきた。ありがとう」

しばらくして、和食の店【華処(はなどころ)】に移動して食事を始めた三人だったが、亜紀は友樹の様子がどうもおかしいことが気になっていた。
「友樹、どうかしたの?」
「うん…… あのさー、さっき叱られてた印刷会社の人がいたでしょ」
「うん、どうかしたの?」
「あれ、松谷なんだよ」
「ええっー、松谷って、あの亜由美さんに言い寄ってた?」亜紀が驚くと
「うん……」
「知り合いなの?」木村も驚いた。
「えっ、知り合いっていうほどじゃないんですけど……」
「でも、大丈夫? 亜紀がいるんだから、何だったら編集長に連絡しておとがめなしにしてもらうことだってできるよ」木村が友樹に語りかけると
「そんなことができるの?」亜紀が驚いたが
「亜紀さんて、そんなにすごいの……? 」友樹も目を丸くした。

「友樹君、うちの編集部が扱っている作家は五十六人いるのよ。亜紀はその中で、うちの売り上げの十%以上を占めているのよ。これってすごいことなのよ」
「そ、そうなんでしょうね……」
「いや、そんなことより、助けてあげたければ…… 電話するわよ」
「いいわよ、洋子、そんな仲じゃないのよ、次の物語には彼も登場するわよ」
「ぶふっ、そ、そうなの…… 悪役なの?」
「まあね……」

「そうかー、まっ、彼もかわいそうなところもあるんだけどね」
「えっ、何か知ってるの?」
「うん、あの松谷君の元カノっていう女子がいたでしょ、昼間、コーヒーを持ってきた子なんだけどね」
「うん」
「あの子が別れた理由って、彼のお母さんが介護状態になっていて、お父さんも癌で……」
彼女は松谷の家庭環境を詳細に説明した。

「あの子が言うにはね、『介護のために彼女にされたみたいで不愉快だった』って言うのよ」
「そういえば亜由美さんも最後の電話でそんなこと言っていたような気がする」
「そうか、別れた理由はそれか…… なんとなく見えて来たね」
「うん…… 」
「まっ、洋子、この亜由美さんて人も次の登場人物だから……」
「なんか、楽しそうね」

 その夜、出版社が用意してくれた豪華なスイートで交わった二人は翌日、原宿で友樹の服やパンツをたっぷり買って、春日町に帰るとそのまま亜紀の実家へ出向いた。

 喜んだのは町長夫妻であった。
「そうか、有賀君ありがとう、本当にありがとう」町長は涙を浮かべて友樹の手を取り何度も頭を下げた。
「そ、そんな……」友樹は困惑したが
「これで伊三郎さんに喜んでもらえる。私はこの有友の家のことも心配だったが、町長の跡取りをどうしようかって思ってたんだ、こんなうれしい日はないよ」町長が感慨深く口にすると
「ちょっ、ちょっと待ってください」友樹の困惑が驚きに変わった。

「父さん、友樹は町長にはならないわよっ」亜紀が助け舟を出すと
「だ、駄目なのか……」大きな落胆が伝わってきた。
「す、すいません…… 」
「そ、そうか…… 君のお兄さんに逃げられてから、途方に暮れてたんだ」
「えっ、兄貴に逃げられたって、どういうことですか?」
「知らないのか?」
「はい、何のことか……」
「君のお兄さんには、私の跡を頼むってお願いしていたんだが、全く相手にしてくれなくてな、町の主だった者は、友助さんの孫しかいないって言うし、困り果てていた時に、君が春日町に来てくれるっていう電話をもらって、わたしゃ、飛び上がって喜んだよ。チャンスだって思ったよ」
「そんなことが……」友樹は眉をひそめた。
「だけど、この子は東京だし、帰って来ないし、君が他の女性と付き合うたびにドキドキしていたんだよ、東京から母娘が来た時には、さすがに諦めたけど…… でも、不思議だな、人生っていうのは流れだな」
「す、すいません……」
「いや、私が勝手に思っていただけなんだから……」

「でも……」
「いや、いいよ、でも、養子にはなって欲しいんだが……」
「は、はあー、そのことも含めて、一度兄貴と話してみます」
「そ、そうか、よろしく頼むよ」

 帰途に就いた友樹は
「兄貴は俺を身代わりにしたのか…… なんか、よくわかんないなー」色々考えてはみたがどうすればいいのかよくわからなかった。

 そして、翌日の夜、亜紀とともに兄夫妻のもとへ出向いて結婚を報告すると、彼らはとても喜んでくれて、義姉は瞼に涙を浮かべた。
「大学へ行けって言ってた兄貴が、春日町って言ったら、急に態度を変えたのが、なんとなくわかったよ」友樹が苦笑いすると
「そりゃ、お前が覚悟を決めたのかって思ってよ」
「はあー、何の覚悟だよ」
「いや、将来は町長になるのかなって思って……」
「はあー、どうしてだよっ」

 色々話していくうちに、友樹が、祖父友助のこと、現町長が後継者を有賀家に期待していたことなど、何も知らなかったことに驚いた兄は
「お前、何も知らなかったのか?」と目を丸くした。
「知るわけないだろ」友樹は呆れていたが
「でもお前、爺さんが亡くなった時、小学生だっただろう? 祖父ちゃんのこと覚えていないのか?」
「そりゃ、祖父ちゃんのことは覚えているけど、そんな細かいことまで知らないよ」
「そ、そうだったのか…… それなのによく亜紀さんと結婚することになったなー」
 兄はそのことが不思議でならなかった。

「何だよ、それ……」

 しばらく考えていた兄が
「わかった、友樹、町長の跡をどうするかは流れに任せろ、継ぎたくなければ断り続ければいい。だけど、有友家には養子に入れ、そうじゃないと人として詰まんねえぞ」
 突然語気を強くして語り始めた。
「どういうことだよ」
「お前な、現町長夫妻は、伊三郎さんが亡くなるという緊急事態の中で、後を継いだんだ。それは町長と言う立場だけじゃなくて、有友の家も継いだんだぞ」
「うん、そのことは聞いたよ」
「その有友の家を継いだ人たちが、有友の家をつぶすことになってもいいのか? お前たちが継がなけりゃ、有友の家は、今の町長夫妻が最後になるぞっ」
「……」
「恩に応えて、義理を通した町長夫妻に、そんな罪を背負わせるのか?」
「罪?」
「罪だ、籍を途切れさせるのは罪だ、爺さんがいつも言っていた」
「……」
「血の繋がりのない有友家に入り、亜紀さんを懸命にわが子のように育て、町のために生きて来たあの二人を苦しめるな、頼むよ」
 今まで兄がこんなに真剣に何かを話したことはなかった。
 義姉でさえ、こんな兄には口を挟まず、うっとりとした視線を向けている。
 亜紀でさえ、全く口を出さないで兄に聞き入っている。

「養子に入らないんだったら、この結婚はなしだ」
『うん』と言わない友樹に苛々した兄が最後の一押しをすると
「無茶、言うなよ…… 言いたいことはわかってるよ、だけど逆に、あんなすごい家に養子に入ったら、財産目当てだって思われるだろ」友樹が不安を語ると
「はははっはは、馬鹿なやつだな、そんなこと言うやつがいたら、『その通りです。美人の奥さんと財産を同時に手に入れることができてラッキーです』って、言ってやれ」

「お義兄さん…… 」亜紀が微笑んだ。

 その一年後、新たな命をおなかに宿した亜紀の半年検診に同伴した友樹だったが、待合で待っていると
「だいぶん目立ち始めたわねー」一人の看護師が近づいてきた。
「あ、お世話になります」亜紀が笑顔で挨拶すると
「少し、前に突き出してきたの?」彼女が亜紀のお腹に優しく手をあてながら
「いいわねー、優しいパパと東大出でのママが待ってますよー」と微笑みながらお腹の中の命に向かって声をかけた。

「えっ!」驚いた友樹が亜紀を見つめると、彼女も目を見開いて彼を一瞬見たが、すぐに目を反らした。
「東大って、東京大学のこと?」おそるおそる彼が尋ねると
「まっ、灯台は海の真ん中で光って、道しるべになるのよ」亜紀は微笑んだ。

 亜紀が東京大学出身であることはほんのわずかの者しか知らないことだった。
 この町で東大出の女性など、もらってくれる者はいないと心配していた町長は、誰かに対峙する時には、【東京大学】とは言わないで常に【東京の大学】という言い方をしていた。

「ちょっ、ちょっと待ってよ。東京大学なの?」 友樹が繰り返し尋ねた。
「ごめん、この秘密は隠し続けるつもりだったのよ…… いや、隠すつもりはなかったんだけど、まっ、何の意味もないよ」

その様子を見ていた看護師は
「ごめん」と言うように無言で手を合わせると二人の前から立ち去った。

「ええっー、どういうこと、誰からもそんなこと聞いたことないけど……」
「そりゃそうよ、知っているのは、両親と、中村の祖父ちゃんだけなんだから……」
「ええっ、じゃあ、なんで今の人は知っているの?」
「あの人、祖父ちゃんの孫なのよ、あっ、ホテルシーサイドのフロントにいる孫も知っているかな…… 」
「ふうっー」大きなため息をついた友樹が
「ねえ、もう秘密はないよね?」尋ねると
「うん、多分、ないと思う……」亜紀が、友樹の背後に目を向けると、伊三郎が嬉しそうに微笑んでいた。
                                  
 完


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