その夜、友樹のベッドに入った亜紀が、 「ねえ、このベッドで亜由美さんと愛し合ったの?」と尋ねると 「そ、そんなこと…… 」友樹は楽しそうに尋ねる彼女の笑顔が信じられなかった。 「なんで気にしてんのよ、いいじゃない、事実なんだから、それをなかったことにはできないでしょ」 「そ、そうだけど…… 」 「それで彼女って、どうだったの?」亜紀の瞳が輝いた。 「えっ、どうだったって……?」 「うーん、セックスよ、夜はどうだったの?」彼女は興味津々だった。 「かっー、信じらんない、そんなこと聞くっ! 何なの……」驚いた友樹は恥ずかしさもあって声を張り上げたが 「そんな大きな声、出さなくてもいいっしょ」彼女が少し機嫌を損ねると 「でも、そんなこと、普通は聞かないでしょ、それにだいたい答えようがないよ」彼も顔をしかめた。
「へえー、あっ、頭の中で思い出したんだ」彼女がからかう。 「もう許してよ……」友樹にはこの空気が耐えられなかった。
「じゃ、一つだけ、一つだけどいいから教えて! 私とどっちが良かった?」 亜紀のはしゃいだ気持ちが伝わってくる。 「かっー、もう信じらんない、そんなの、猫と犬のどちらがいいって、聞いてんのと同じだよ」友樹が吐き捨てるように言うと 「はあっー、どっちが犬で、どっちが猫なのよ」 亜紀は面白い表現だなとは思ったが、そこは聞いてみたかった。
「ちょっ、ちょっと待ってよ。じゃ亜紀さんは今まで何人の男と関係したのさ?」 彼は気にしていたわけではないが、負けていられないと思ってつい尋ねてしまった。 「なーるほどね、昔の男に嫉妬してるんだ、友樹君ってかわいい」 「はぐらかさないで答えてよ」 「じゃ、君の推測は?」 「ええっー!」 「……」 「うーん、五人?」彼は十人くらいはいるんじゃないかと思ったが遠慮して答えた。 「はあっー、あんた、殺すわよっ、私のこと、何だと思ってんのよっ!」初めて目にする 亜紀の表情だったが、それは怒っているというよりはむしろ驚いて無機になっているようだった。
「ご、ごめん…… 」彼は思わず目を伏せたが 「あんたを入れて二人よっ」目を据えて答えた亜紀に 「えっ、ええっー!」思いもよらない数字に友樹は目を丸くした。 「ほんとに、何なのよ、信じらんない……」
しばらく沈黙が続いたが 「大学に入って、初めての夏休みだったのよ」亜紀が急に語り始めた。 「えっ」 「懸命に言い寄ってくる男子がいてね…… 人の好さそうなやつだったから付き合い始めたのよ」 彼女の脳裏を一瞬、峡谷温泉で久しぶりに会った大野の顔がよぎり、彼女は戻しそうになったが、懸命に平静を装った。
「うん……」 「その夏、初体験も済ませて、旅行にも行ったりして、けっこう楽しかったんだけど……」 彼女が何かを思い出すように遠く一点を見つめた。 「ど、どうしたの?」 「うん…… ある日、救急車で運ばれたのよ、それもあの最中に……」 「……」友樹は言葉が出なかった。
「急に苦しみだして、もう、びっくりして、一瞬、殺人罪で捕まるのかって思ったわよ」 亜紀は笑いを取るつもりだったのだが 「そ、それでどうなったの?」友樹が目を見開いて身を乗り出す。
「その人、もともと心臓が悪くてね、結局、年明けに亡くなってしまったのよ……」いつもは明るい亜紀がしんみり話すと 「ごめん、変なこと聞いてごめん」友樹の瞼には涙が浮かんでいた。
「いいわよ…… もうあまり長くないって聞いてからは毎日見舞いに行っていたらね、ある日、彼のお父さんに言われたのよ……」亜紀は、何故か流れで物語を延長してしまった。 「……」 「その父親がね、『君には将来があるから、もう来ない方がいい、早く忘れて次の人を見つけた方がいい』って……」 「それで、どうしたの?」 「うん、だけど、そんなことできないし……」 「そりゃそうだよね……」 「うん……」
「最期は看取ってあげたの?」 「いや、連絡をもらったけど間に合わなかった。ご両親が、目にいっぱい涙ためて、『ありがとう、ありがとう』って何度も頭下げるのよ…… 」彼女は俯いてしまった。
しかし、この話はフィクションであった。 亜紀は、大野との初体験を悲しい物語に作り換えてしまった。
「そうだったの、ごめん……! そんな悲しい秘密があったなんて、本当にごめん」 友樹は涙をぬぐいながら目を伏せたが 「はあっー、何なのよっ、そんなわけないっしょ!」突然目を見開いた亜紀に 「えっ、ど、どうしたの……」友樹は慌てた。 「いや、ありえないし! なんでそれが秘密なのよっ」 「えっ、ええっー、ち、違うのっ」 亜紀が噂されているような女性ではないこと、さらには気になっていた秘密がわかって、ほっと安堵していた友樹は、頭が真っ白になってしまった。
「友樹君の感覚っていうか、考え方なのか、よくわかんないけど、なんか変…… まっ、いいけどね」 「ふうっー」我に戻った彼は大きなため息をついた。 (じゃあ、秘密って、いったい何なんだ。子供はいないみたいだし、まさか男じゃないだろ、セックスだってしてるんだから…… ううっー、くそー、何なんだ? )
「ところでさ、さっきの犬と猫の話、私はどっちなの?」 「ええっー、もうわかんないよ…… でも亜紀さんが犬かな?」 「どうしてなの?」 「ええっ、なんとなく……」 「まっ、いいわ、犬の方が賢いしね」
そして二人は初めて友樹の家で愛し合った。
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