慌てて家を飛び出して、午後三時前、ホテルに着いた彼は、勢いで来てしまったものの (あれっ…… どうするんだ? )と思ってロビーで腰を下ろしてしばらく考えていたが、頭の中には何も浮かばない。 目を閉じて眉をひそめたその時だった。
「おい、有賀、何してんだ?」声をかけてきたのは秘書室にいた米田だった。
公けにはされていないが交際費のことがばれてしまい、将来のためという名目で福祉課に異動になった米田は、懸命にもがいていた。 衆議院議員の滝宮に知られる前に何とかしたいと思った彼は、どうにかして町長にとりなしてもらおうと、娘の亜紀を訪ねて来たのだった。 以前から何度か亜紀をストーカーしていた彼は、彼女がこのホテルを拠点にしていることは知っていたが、フロントで尋ねても部屋を教えてもらうことはできずに、電話も繋いでくれない、困った彼はロビーで彼女を待ち伏せしていたのであるが、友樹を見て (あの野郎、まさか……)と思い声をかけて来たのであった。
「あっ……」驚いたのは声をかけられた友樹だった。 「お前、こんなところで何してんだよ?」米田が低い声で睨み付けてくる。 「えっ、別に…… 」彼は習性で俯いてしまったが 「まさか、町長の娘に会いに来たんじゃないだろうな……」米田が凄みを増して迫ってくるが 「えっ、どうしてですか、町長の娘さんがここにいるんですか?」友樹がとぼけて不思議そうな表情を返すと、米田はこの言葉の理解に苦しんだ。
(こいつ、とぼけているのか、まさかあの娘を追いかけているのか……? そ、そんなことはないだろう、あれだけ脅したんだ、それにいくら追いかけたって、あの娘がこんなダサいやつを相手にはしない…… ない、ない)
「町長の娘に会いに来たわけじゃないんだな?」 いくらかの不安を感じた彼が確認を取ろうとする。 「……」亜紀から事情を聞かされていた友樹は、唇を尖らし、眉をひそめると首を傾げたが 「おい、どうなんだっ!」米田が語気を強めると 「どうしてそんなこと、答えなくっちゃ、いけないんですか?」 ついに友樹も侮蔑の目を向けた。
「何だとっ、この前から言ってるだろがっ! 町長の娘には手を出すなっ!」初めての反抗的な態度に、米田の声が荒々しくなった。 「……」これまでであれば俯いてしまうところだったが、友樹は表情一つ変えず、冷たい視線を浴びせ続けた。 「俺の言うことが聞けねえのかっ!」米田の形相が切羽詰まっている。 さすがの友樹も、そんな米田を見ていると哀れになってしまったが、それでも訳の分からない虚勢を張り続ける彼に少しむかついて 「米田さんこそ、何をしているんですか?」冷静に尋ね返すと 「お、俺は滝宮議員の秘書と打ち合わせをしていたんだ。それに町長から、ここを使う時には娘の様子を見てくれって、頼まれてんだ」 彼の慌てた様子がよくわかるし、何故か不自然さが漂う。
「そうですか、様子を見て来たんですか?」しばらく考えた友樹が続けると 「なんでそんなこと、お前に…… 」 米田は途中で言葉をとどめた。 (おかしい、なんでこんなに冷静なんだ…… 何かあるのか……? ) そしてついに、 「ま、まさか、つ、付き合ってるのか?」驚いた米田が尋ねたが、その声はあまりにも弱々しく、消え入るようだった。
「はい」友樹がしっかりと米田を見つめて答えると 「もう、ね、寝たのか?」米田の狼狽ぶりが痛々しい。 「それは答えたくないです」彼は目を反らさない。
「そうか…… フンッ、あんな、くそ女、くれてやるよ。だがな、よく覚えておけよ、いずれ俺は町長になる人間なんだ。 あんなくそ女でも一緒になれば、少し近道ができると思っただけだ。誰が好きこのんで、あんな誰とでも寝るようなくそ女なんかと…… 」 彼にすれば目いっぱいの腹いせだったのだが、あまりにも惨めであった。 「そんな人じゃないですよ 」友樹が憐れんで微笑むと 「フンッ、まっ、すぐに終わるさ。でもよく覚えておけよ、俺に逆らったんだからな」 米田は言葉を吐き捨てるとその場を後にした。
友樹はその背中を見つめながら (この人は、町長になって何がしたいんだ……? それにだいたい、滝宮議員が言ったからって、町長になれるのか…… 選挙だろ、それに町の人で、民自党を支持している人なんて聞いたことが無い、訳が分かんない、何なんだっ、全く……) 「ふうっー」初めて米田に反抗的な態度をとった彼は少し疲れていた。
(あっ、そうだ、こんな事をしている場合じゃないっ) そう思って彼は慌てて亜紀の部屋に向かった。
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