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作品名:奥様には秘密がいっぱい 作者:此道一歩

第12回   亜紀の物語
 話は遡るが、友樹の家を後にした高島亜由美は、かつて住んでいた近くのマンスリーマンションにとりあえずの居を構え、松谷に連絡を入れたが、
『ごめん、おふくろが倒れた。今、病院なんだ。また、連絡する』とメールがはいってきた。

「うちの母さんより年上だったかなー、まっ、年取るとなんかあるよね……」
 彼女は独り言をつぶやきながら、ベッドに横たわっていた生前の母を思い出した。

 荷物の整理を済ませると翌日、彼女は人気のレストランで遅めの昼食をとっていたのだが、その時、かつて母親がお世話になっていた病院の看護師に出会い、母親の死を報告した。
 この女性は年齢が近く、特に親しくしていたこともあって、亜由美のことをよく知っている人であった。
「わたし、あの後、病院を変わったのよ」
「ええっ、そうなんですか、でも、どこに行っても看護師さんて大変ですよね」
「うん…… 」彼女が目を伏せた。

「どうかしたんですか?」
「うん、それがね…… 」彼女は躊躇したが
「えっ、どうしたんですか、何かあるんだったら話してくださいよ」亜由美の一言に
「うん、以前あなたが付き合っていた人がいたでしょ、何度か病院にも来たじゃないの、ちょっとイケメンの…… 別れたって言ってたけど……」患者のことを話し始めた。
「あ、はい、松谷さんですか……」
「そうそう、本当はこんな話は良くないんだけどね、あの人のお母さんに困っているのよ。あなた、別れて良かったわよ」彼女が顔をしかめる。
「ええっ、何があったんですか?」
「もう三ヶ月が過ぎるのに退院してくれないのよ」
「ええっ、そんなに前からなんですか?」亜由美は目を見開いた。
「うん…… それも今回運び込まれたのは二度目なのよ。あの男もあなたを見捨てたから罰が当たったのね」彼女が顔をしかめる。
「そうですか…… それで退院しない理由は何かあるんですか?」
「うん…… 前回退院した後は、なんか長期で仕事を休んでいたみたいなんだけど、もう休みも取れないらしくて、施設も見つからないで困っているみたい」
「へえー、でも、お父さんがいたと思うんだけど……」
「お父さんも癌で、そんなに長くないらしいよ。治療費も相当に使ったみたいで、うちの病院に来て、あれこれ理由を言うんだけど、皆さん事情はあるからねー。まっ、誰かを見捨てた人間は誰かに助けてもらうことができないよね」
「付き合っている人もいないのかしら……」亜由美が呟くように探りを入れてみると
「最初の頃は時々見かけたけど、そのうちに見なくなったわね。そりゃいやでしょ。介護が見えているのに一緒にはなれないでしょ」
「そうね、まっ、私は見捨てられたとは思わなかったけど、そういうことになるにはやはりそれなりの理由があるんでしょうね」

(そうか…… あいつ、それで私とよりを戻したかったのか…… まっ、倒れたって聞いた時点で、関わりたくはないって思ったけど、また何か言って来るだろうな……)
 亜由美はそんなことを思ってさほど気にも留めていなかった。

 そして翌日、一緒に夕食を食べたいと言ってきた松谷裕也とファミレスで待ち合わせた亜由美は彼が席に着くと
「こんなところで食事するなんて珍しいね」微笑んだが
「うん、あまり時間がないんだ、病院もいかないといけないし……」彼がせわしそうに話す。
「そうなの…… 大変ね」彼女が同情を装った。
「実は、お前が帰って来たら、もう一度結婚を前提に付き合って欲しいと思っていたんだけど、おふくろがこんなことになって、実は親父も癌でもう長くないんだ、この重荷をお前に背負わすわけにはいかないから、もう諦めたよ。ごめん」彼が目を伏せると
「そうなの…… あなたの気持ちはよくわかるわよ。私も母の介護が必要になった時、あなたに迷惑はかけられないって思ったから、今のあなたの気持ちは本当によくわかるよ。だから、私もやり直したいって思っていたけど、諦めるよ」彼女は冷静に言葉を並べた。

「……」彼が唇をかみしめて俯くと
「ご両親のお世話は大変だと思うけど頑張ってね」彼女は優しく微笑んだが、何か言い出すかもしれない、と思っていた。

 しばらく沈黙があったが
「でも、でも、本当は別れたくないんだ、お前のことが忘れられないんだ」
 彼が哀れな表情を見せると

(やはり…… 私が『私もっ』って言うと思っているのっ、こいつ、こんな屑だったんだ……)
「ありがとう。私も、いつもあなたのことを思い出していた…… 母の話をした時に、あなたが何も言わないで引いてくれたから、私はとてもうれしかった。もし、あそこでごたごたしていたら、こんなにして会うこともなかったでしょうね」
 彼女は、できればこのまま何もなく静かに立ち去りたいと思っていた。

 しかし、
「駄目だ、やはり駄目だ。亜由美のいない人生なんて考えられないっ」俯いていた彼は顔を上げると涙目で亜由美を見つめた。
 あまりの一生懸命に、通路を挟んで反対側にいた女子高生の二人連れが、驚いて彼に目を向けた。
 
(もし事実を知らなければ、私はここで手を差し伸べたかもしれない……)
 彼女はそんなことを思ったが、それだけに腹立たしさは限りなかった。

「違うでしょ、私に親の面倒を見て欲しいんでしょ」亜由美が語気を強めた。
「えっ……」思惑が外れ、彼は唖然とした。
「あなたの家からだと、入院しているのは第三病院だろうなって思って、昨日行って聞いてきたわよ。もう三ヶ月になるらしいじゃないのよ。よくも突然倒れたみたいに言えたわね。恥ずかしくないのっ!」
「あ、亜由美…… 」今までに見せたことのない哀れな表情だった。
「何が亜由美よっ、呼び捨てにしないでっ!」
 もう関わりたくないと思った彼女は、目を吊り上げ吐き捨てるように言った。
 その勢いに、先ほどの女子高生は顔を見合わせると「くすっ」と笑った。
 
「亜由美、助けてくれ、お願いだ。もうどうにもならないんだ」瞼が潤んで、今にも涙がこぼれ落ちそうである。
「ふざけないでよ、どうして私が助けなくっちゃいけないのよ」彼女は席を立とうと腰を上げたが
「じゃ、金を貸してくれるだけでいい、お願いだ」彼はテーブルに両手をついて懇願する。
「お金?」再び腰を下ろした亜由美が不思議そうに尋ねると
「ああ、二千万円あれば入ることができる施設があるんだ。だけど金がなくて……」
「家を売ればいいじゃないのっ」
「それが、親父の会社がつぶれた上に、高額な治療を何度も受けて、もう売ってしまって……」
「はあー、それにだいたいどうして私に二千万円もあるのよ」彼女はとぼけたが
「家を売った金があるだろ、お願いだ」松谷の言葉に
「そ、そんなことまで知ってるの?」目を見開いた。

「……」
「どうしてそんなことを知っているのよっ」
「……」
「なぜ知ってるのよっ」彼女が語気を強めて重ねた。
「昔、通帳がちらっと見えて……」

 彼女はしばらく考えたが、もうこんな屑は相手にできないと思っていた。
「それで、貸すとしたら何か担保にするものはあるの?」
「そ、それは…… 」彼が俯いてしまうと

 唇をかみしめて哀れなその姿をしばらく見据えていた彼女は
「銀行にでも行ってみたら……」はっとすると冷たく言い放った。
「……」彼が驚いて顔を上げると
「もう二度と電話もメールもしてこないでね」
 彼女は冷たく言い放つと席を立った。

 店を出た亜由美は
「ふうっー」大きなため息をつくと
「ふざけるんじゃないわよ」突然腹立たしさがこみあげてきて声に出してしまった。
すれ違った見知らぬ女性が
「えっ」といって振り向いたが、彼女は大きく深呼吸すると歩き始めた。
(まっ、仕事でも探して、再スタートするか……)

 彼女は気を取り直して翌日から仕事を捜し始めたが、職務経験がなく、資格も何もない彼女に望むような仕事があろうはずもなく、かつて勤めていた弁当屋を覗いてみたが店は無くなっていて、止む無くコンビニでアルバイトをしてみたが、自分よりも若い店長にばかにされ、そこを三日で辞めてしまった彼女は、二週間もすると馬鹿らしくなってしまい、友樹の所へ帰ろうかと考え始めていた。
 そしてあと一週間でマンスリーマンションの契約が切れるという頃、土曜日の午後二時であった。

『もしもし、亜由美です』彼女が友樹に電話を入れてきた。

(うわっ、亜由美さんだ、本当に電話してきた! )
 彼は、一瞬驚いたが、静かに話し始めた。
『はい、久しぶりです。お元気ですか?』
『ええ、ありがとう。あの時はわがままを聞いてもらって本当にありがとう』
『いいえ、仕方ないですよ』
『でもね、横浜の叔母のところで、ずっーと考えていたの……』
『えっ、松谷君の所には行かなかったんですか?』
『とんでもないわよ、彼はお父さんが癌だし、お母さんが介護状態になっているらしくて、大変らしいですよ』
(ええっ、だけどどうして知っているんだ? )

『それでね、いろいろ考えたんだけど、私ね、やはり友樹さんがいないと駄目みたい』
『えっ、本当ですか……?』友樹は驚いたが
(これが燃えカスか…… でも、煙なんて上がるはずないよ)

『ありがとう。嘘でもうれしいよ。でも、俺も亜由美さんが出て行ってくれたおかげで、本当に大事な人が分かったんだ。近いうちに結婚するよ。お互いに幸せになろうね』
『けっ、結婚するの?』
『うん、小説家なんだよ』
『小説家? そんな人で大丈夫なの、私だったら……』
『これからその人の所に行くんだ。亜由美さんも幸せになってね、さよなら』
『えっ、もしもし、もしもし』
プチッ

 友樹は懸命に話を続けようとする亜由美の言葉を聞かずに電話を切ってしまった。
 その友樹が、何か一仕事を終えた感覚の中で目を閉じて
「ふうっー……」大きくため息をつくと、亜紀の笑顔が瞼に浮かんだ。
 彼女の笑顔を思いながらしばらくは心地いい時間を過ごしていたが、彼女の胸に触れた感触が右手によみがえると、彼は、『はっ』として、すぐ彼女にメールを入れた。

『三十分後に行きます。君は拒否できない』


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