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作品名:奥様には秘密がいっぱい 作者:此道一歩

第10回   プロポーズはしたものの……
 そして翌日の土曜日、昼前のことだった。

「おい、友樹、いるか?」そう言って上がり込んできたのは、隣の家の中村のお爺さんだった。隣の中村家は、高齢者の夫婦だけで生活していて、亜由美が来るまでは、時々、夕食を持ってきてくれたり、畑でとれた野菜をもってきてくれたりして、懇意にしていたのだが、ある日を境にほとんど付き合いが無くなっていた。

「おい、あの女、追い出したのか?」中村が尋ねると
「追い出したっていうか、出て行ったっていうか……」
「まあいい、あんな女とは別れて正解だ」
「ど、どうしたんですか?」
「どうもこうもねえよ、話しかけたって頭を下げるだけで、ものは言わねえし、祖母さんが持ってきた玉ねぎは袋に入れたまま腐らせてしまうし、この前なんて、俺が畑で座っていたんだが、田町の祖母さんが急にしんどくなったのか、道端でしゃがみこんでよ、見てたらあの女が通りかかったんだけどよ、その後ろを忍者みてーに、そっーと通り過ぎやがってよ。もう信じられないぜっ」
「そ、そうですか……」
「昨日もにこにこしてうれしそうな顔してたぜ、新しい男でもできたんだろうな。でも正解だ。お前の祖父ちゃんが守ってくれたんだろうな」そこまで話すと中村は微笑んだ。
「……」
「まあ、お人好しのお前が利用されたんだ。仕方ねえよ。それがお前のいいところだ。きっぱり忘れた方がいい」中村はそう言うと鍋に入れた肉じゃがを置いて帰っていった。

「腹が立っても黙っていてくれたのか…… 申し訳なかったなー 」友樹は独り言をつぶやきながら亜紀の言うとおりだと思った。彼を送るため玄関を出た友樹に秋の終わりを告げる冷たい風が突き刺すように吹いてきた。

 そして翌日、昼前、彼は亜紀からのメール着信音で目が覚めた。
『お好み焼きが食べたい、三十分後にホテル前に集合! なお、君は拒否できない』

(な、なんなんだ)
 友樹は慌てて洗面を済ませると車に飛び乗った。

 ホテルで彼女を乗せると
「『寂しくなっても、来るな』って、言ってたじゃないですか、まだ寝てたんですから……」
 友樹は不満をぶつけたがとてもうれしかった。
「なるほどね、だけどね、私がこの物語を書くとしたらね、二〜三日すると、友樹君が泣きながら私の所にやってきて、『泊めてください』って言うのよ、だからね、そうなる前に亜紀さんが手を差し伸べたのよ」と軽くあしらわれてしまったが
「そんなことしないですよ、もう勝手に物語をつくらないでくださいよ」
 彼は反論しながらも心はうきうきしていた。

 そんな話をしながら、結局、食事のあと、友樹は亜紀に操られるようにホテルに入り、明るいうちからベッドインしてしまった。

 友樹が賢者タイムに入ると、シャワーを浴びた亜紀はまた物語を書き始めた。
「また、俺のこと、書いてんの?」
「うーん、友樹君の物語じゃないけど、君とベッドに入ると、なんか無性に書きたくなるのよね」
「ふーん」友樹はベッドに横たわり天井を見つめながら、ふと心の重苦しさが消えていることに気が付いた。二〜三日前まではあんなに苦しい思いの中にあったのに、なぜか晴れ晴れとしている自分が不思議でならなかった。

(俺は何を馬鹿みたいに悩んでいたんだ。亜由美さんがいなくなったことがそんなに辛かったのか? いや…… なんかおかしい、こうなってみると、なんてことないじゃないか…… ばかみたいだ、でも、そうか…… これは亜紀さんのおかげなんだ、この人がすべて振り払ってくれたんだ……)
 彼はそんなことを思いながら亜紀を見つめたが、彼女は一心不乱にキーボードを叩き続けていた。

 シャワーを浴びて部屋に戻ってきた彼が亜紀の後ろに立っても、彼女はそのことに気が付かずまだキーボードを叩き続けていた。
 無性に愛しくなった彼が、腰をかがめると彼女の肩先から両腕を回し、強く抱きしめ、右の頬を彼女の左後頭部に押し付けた。
「きゃっ……」驚いた彼女は小さな悲鳴を上げたが、
「ダブルヘッダーは駄目よ」画面を見つめたまま微笑むと、またキーボードを叩き始めた。

 微笑んだ彼はベッドに腰を下ろすと
「ねえ、結婚しよっ……」彼女に向かって微笑んだが
「だめっ!」すごい勢いで瞬時に拒否られてしまった。
「えっ、ええーっ、駄目なの?」驚いた友樹の声が大きくなると
「だめよっ」彼女が繰り返した。
「ええっー、この前までは…… 」
「……」
「やっぱり、からかわれていただけなのか……?」友樹の声がフェードアウトする。

「ふうっー」大きくため息をついた亜紀が振り向くと
「私の中で物語はまだ終わっていないの、まだ第一部が完結していないの、友樹にはわからないかもしれないけど、あなたの心の奥底にはまだあの女の燃えカスみたいなものが残っているのよ」諭すように説明したが
「ええっー、何なの、それ?」友樹には全く分からない。
「例えば、一年くらいあの女から音沙汰がなければその燃えカスは消えてしまうけど、もし一週間後に、あの女から『私、あなたの所に帰りたいの』とかなんとか言って電話でも入ったら、その燃えカスから再び煙が昇り始める。その時に、それをぴしゃっと断ち切ることができるかどうか、もしできなければ、また同じ思いを繰り返すことになるでしょ」
「そんなこと絶対にないよ。もし電話があっても絶対に断るよ、俺だってそこまで馬鹿じゃないよ。この前の話でよくわかっているよ」友樹は懸命に説明したが
「ふふふ、ふふっ、有賀友樹君……」亜紀が不気味に笑った。
「ど、どうしたんですか?」
「でもね、人間ていうのは不可解な生き物なのよ、頭で考えるように心を操ることはなかなかできないのよ。何度も同じ失敗を繰り返す人がいるでしょ、そういうことなのよ」
 彼女が優しく諭す。
「俺は違う、もう絶対に亜由美さんを相手にすることはない」
「わかった。でも、私に結婚を申し込むのはそこが決着してからにしてよ」
「でも、そんな電話があるかどうかも分かんないし……  それに、それに電話があったとして、ピシッと断ることができたら、結婚してくれるのっ」友樹の語気が強くなった。
「ちょっと待ってよ。それこそ、卑怯でしょ。あなたが言っているのは、『今の彼女と別れたら、ぼくと付き合ってくれますか』って、言っているのと同じことよ」言葉に怒りはないが、それでも彼の心にぐさっと突き刺さった。
「……」
「別に責めるつもりはないのよ、でもね、あなた自身のためにも、私がいるから亜由美さんとのことを決着するんじゃなくて、あなた自身の問題として決着させるのかどうか、私がいなくても決着させるべきだと思っているのかどうか、冷静になってそこを見極めるべきだと思うのよ」亜紀の話はいつも理路整然としている。
「……」
「私だってそうよ、あなたが気の毒だから受け入れるのかどうか、すべてを決着して笑顔になったあなたを受け入れることができるのかどうか、あなたが心から私を求めているのかどうか、そこをわからないと、答えは出せないわよ」
「……」友樹は唇をかみしめて小さく何度も頷いた。

(この人はすごい、俺と二歳しか違わないのにこんなことを思っているんだ…… もっと早くにこの人のすごさをわかっていたら、亜由美さんに声をかけることはなかったのかもしれない、この人の人生経験はすごいんだろうな、俺なんかとは比べ物にならない…… この人と結婚したい、絶対にしたい……! )

(だけど、だけどもし、この人が俺と結婚してくれるとしたら、なぜなんだ? 俺なんか何のとりえもないし、こんなにグジグジしているし…… なぜなんだ? わからない…… やっぱり、同情してくれていただけなのか…… いや、でも亜由美さんと再会する前からだ、なぜなんだ、わからない)

「わからない……」思いが声になってしまった。
「えっ、何がわからないの?」
「いや、いいです。ちゃんと決着した後に聞きます」
「そう……」亜紀の微笑はとてもやさしかった。


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