彼の名は山本蒼汰(そうた)、長身でそこそこのルックスに恵まれているため、学生時代から女性に不自由することはなかった。 大学を卒業後、森菱商事に入社した彼は、6年目を迎える営業マンであったが、ある時から、なぜか相田奈津美という女性のことが気になっていた。 彼女は、経理課に席を置く、蒼汰よりも2歳年下の女性で、ブスとまでは言わないが、決して口が裂けても美人とは言えない。客観的に視れば、中の下、あるいは下の上に位置づけされるかもしれない。 だが、彼は彼女のことが気になって仕方なかった。 あるとき、ぱっと見、「かわいい」と思ってしまったのである。 でも、よく視ると、なぜそう思ってしまったのか、彼にはわからなかった。 目は少し大きめ、鼻も口も普通…… だけど、美人ではない、それははっきりしているのに、彼の頭からなぜか【かわいい】という思いが消えなかった。
それは1週間前の朝のことだった。 駐車場に止めた車から降りようと、片足をおろした彼女に向かって 「おはようございます」 蒼汰が挨拶をすると 「おはようございます」驚いた彼女は困ったように眉をひそめて、頭を下げながら小さな声で返してきた。 彼は、その瞬間、「かわいい」と思ってしまったのである。
色白で肌は艶やか、スタイルはいい、清潔感もある。 彼の目分量によると、身長は163p、体重は44kg、細身だからウエストのくぼみは目立たない、胸もそんなに大きくはない。足は細く、お尻はプリッとしていてとてもかわいい。セミロングの髪は艶やかで、うしろ姿は95点を上げたい、彼はそう思っていた。
しかし、彼がかわいいと思ったのはうしろ姿ではない。
彼はここまで、残念な女性を見ると目を背けて、できる限り視線を向けないようにしていた。 だが、彼はなぜか、彼女の姿を追うようになってしまった。
ある日、昼食をとりながら、 「おい、省吾、経理課の相田奈津美って知っているか?」 彼は同期の夏山省吾に尋ねた。 「えっ、知ってるよ。あのちょっと残念な人だろ?」 「そうか…… やはりそう思うか?」 「おいおい、何があったんだよ、ブスとまでは言わないけど、一緒には歩きたいとは思わないね」 彼が首を傾げる。 「ふーん、彼氏はいるのかな?」 「お前、どうしたんだよ?」省吾が驚いて蒼汰を見つめたが 「いや……」彼は返事に困ってしまった。
「経理課だったら、鈴木渚がいいよ、俺、いつか告るよ」 「うん、美人だもんな」 蒼汰はそう答えたが、なぜか彼女のことは好きになれなかった。彼は何度か、添付書類のことで話したことがあったが、言っていることがよく分かない上に、仕草がいちいち鼻について、美人であることは認めるが、時間を共有したいとは思わなかった。
そして、その日の午後6時、彼は会社を出て駐車場に向かいかけたが、姉に車を貸していたことを思い出し 「あっ、今日は電車だ」つい呟いて、駅に向かおうと振り返った時 「あっ、相田だ……」彼は駐車場に向かって歩いて来る彼女を見て心が躍った。
そのすれ違い際、 「もう帰るの?」蒼汰がついに話しかけた。 「えっ、あっ、はい。失礼します」彼女が頭を下げて通り過ぎようとした時 「あの車って、いつもきれいにしているね」彼が思い切って話を進めると 「えっ、あっ、はい、ありがとうございます」彼女が立ち止まった。 「新車だよね」 「は、はい、4月に買ったばかりです」 「えっ、それまでは?」 「ボロボロの中古に乗っていたんです」彼女が眉をひそめると、蒼汰はドキッとした。
「ボロボロッて…… 」 「いえ、本当にボロボロで、お祖父ちゃんが乗らなくなった車をもらって……」 「へえー、それに3年間乗ったの?」 「はい、3年たったら運転も上手くなるから新車にしてもいいって言われて……」 「じゃあ、3年でお金を貯めたんだ」彼が微笑むと 「えっ、いや、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんが買ってくれたんです」彼女は恥ずかしそうに顔をしかめたが、蒼汰はその可愛さに魅せられてしまった。
「ええっー、いいねー、俺なんか、この前、ようやく中古を買ったばかりだよ。親父がお袋に内緒で20万くれただけだよ」彼も彼女をまねて眉をひそめてみた。 「えっ、あの車、中古なんですか?」 「うん、もう5万キロも走ってるよ」 「でも、普通車だし、いいですね」首を少し傾げた彼女がまた可愛さを覗かせる。 「えっ、相田さん、普通車の方がいいの?」蒼汰は一瞬ドキッとしたが、懸命に話を続けた。 「はい、普通車が欲しかったんですけど、だめって言われて……」 眉をひそめた彼女もなぜか可愛い。
「ねえ、お好み焼き、食べに行かない? 」彼はこのまま別れたくはなかった。 「えっ、私ですか?」彼女は驚いて、後ろを振り向いた。 自分の後ろにいる誰かに言ったのかと思ったのだろうか、彼の目にはその仕草がかわいくて仕方なかった。 「だめ?」 「えっ、いや、その…… 」彼女が俯いてしまうと 「何か用事あれば諦めるけど……」蒼汰の声がフェードアウトした。 「えっ、そんなことはないですけど、私なんかといたら、女性に不自由しているのかって思われますよ」彼女がまた眉をひそめた。 「何だよ、それ」 「……」目のやり場に困っている彼女がとてつもなく愛らしい。 「俺、今日ね、電車なんだよ。だから、君の車でもいいかな?」 「えっ、私の車に乗るんですか?」 「だめ? 」 「えっ、でも、恐いですよ」彼女が目を見開いて訴えてくる。 「大丈夫だよ」 「は、はあー」 「お好み焼きは大丈夫?」 「はい、大好きです」彼女が微笑むと思ってもみなかったオーラが噴出してしまった。 「そう、じゃあ、行こうよ、襲ったりしないから」 「えっ、襲われてみたいですけど……」俯いてしまった彼女の仕草が何とも言えない。 「ははっははね、相田さん、面白いね」
駐車場まで100mほど、彼女の横顔を見ながら話したが、時折、彼に目を向ける彼女がとても可愛い。
車に乗ると 「山本さん、彼女はいないんですか?」奈津美が尋ねた。 「いないですよ、なかなかタイミングが悪くてね」
彼は何度も女性と付き合ったことはあるが、どうもしっくりこなくて長続きがしなかった。女は慣れてくるといつもわがままと言うか、好き放題を言い出す。女性と付き合うのはかなり体力も精神力も必要になるから、いつも、もっと楽に付き合える女性はいないのか…… 彼はそんなことを思っていた。
「不思議ですね、もてそうなのに…… 会社にもファンの女性が何人かいますよ」 「まさか……」 (ほ、本当なのか?) 彼はうれしかったが、今は、そんな漠然とした話よりも、目の前にいる奈津美に興味があった。
「本当ですよ、私が知っているだけでも3人はいますよ」 「君は?」 「えっ、私が山本さんのファンかどうかっていうことですか?」彼女が冷静に尋ねると 「いや、そうじゃなくて、好きな人がいるの?」彼はついごまかしてしまった。 「ええっ、私なんて選り好みできないですよ。今まで、一度も付き合ったことないんですよ」 「えっ」
店に入って、彼がたこ玉の大とイカ焼きそばの3つ玉を注文すると 「なんか、男性と一つのものを一緒に食べるなんて、初めてで緊張しますね」彼女が楽しそうに首をわずかに傾げたが、その表情が何とも言えず可愛い。 「そんなことで緊張しないでよ」彼は正面から見ていると先ほどの可愛さがよくわからない。
「ところで、車の運転、上手だったよ。恐いとか言っていたけど…… 」 「ありがとうございます、でもね、私、相当に注意していないと、暴走族みたいになっちゃうんです」 彼女が眉をひそめると、彼はまた可愛いと思ってしまった。
しかし、この時、彼は、可愛さを感じるのは、彼女の表情が変わるときだったり、何気ない仕草だったりすることに気づいた。 「はははっ、暴走族? 」 「はい」彼女が眉をひそめて首を傾げると 「……」彼はその可愛さに見とれてしまった。
その後、お好み焼きを御馳走しただけなのに、彼は家まで送ってもらって、今までに経験のない心地よさを感じてしまった。
そして、この日から彼女が完全に彼の中に住み着いてしまい、彼は何とか理由を捜しては経理課へ出向くようになってしまった。
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