斎藤の家ではエリカが、結婚して間もなく一年になる兄を心配していた。
「兄さん、一生あそこで生きて行くつもりなんだろうか?」 「今まで考えたこともない幸せを見つけてしまったんだから、そうなっても仕方ないわね」 玲子はふっと遠くを見つめて、諦めているようでもあった。 「ママ、どうしたの? えらく寛大だね」 「見てしまったのよ……」 「えっ、何を見たの?」
「一度あの子の顔が見たくて、夜お店に行ったのよ、もちろん外から見ただけよ、だけどあんな幸せそうな顔、見たことない。楽しそうにお客さんとお話ししながら焼きそばを焼いていた。悲しい思いの中で生きてきた子だから、小さい頃からあまり笑う子供じゃなかったのよ…… だからあの子が少しでも笑ってくれるとうれしくて、うれしくて……
「そうだったの……」 「なのにあんな笑顔で…… あの子があんなに笑っていられるのなら、あそこで生きていってもいいわよ…… 」
「そんなこと初めて聞いたわ! 確かに言われてみればあまり笑う人じゃなかったわね、笑っていてもどこか作り笑いみたいなところがあって…… 理穂さんのおかげなのかな? 」
「そうね、間違いない、確かに素敵な女性よね、何より和也を幸せにしてくれている。これが一番よ。あの子が幸せならそれでいい…… 」 「この家のこと、話したのかなー」エリカが呟くように言うと 「たぶん、話せなくて困っていると思う」 「そうなの?」
「あの子はあの静かな世界で生きて行きたいのよ、理穂さんだってきっとそうなのよ。その理穂さんに斎藤グループの跡取りだってことを知られたら、彼女が離れて行くかもしれないって、あの子はそれが不安なのよ。だから絶対に話していない……」
「やっぱりねー」エリカが小さくため息をつく。
「でもいつか会社を継がなければならない時が来たら、その流れは仕方ないと思っているはず、その時は理穂さんもわかってくれると思っているはず、だけど今はその時じゃない、あの子は絶対にそう考えている。だけど、できることならこのまま生きて行きたい…… それが本音だと思う」 玲子が一点を見つめながら静かにに話すと
「ママ、すごいわね、さすが兄さんと一身胴体! でももう駄目よ、兄さんは理穂さんのものよ、あの二人の中に割っては入れないわよ……」 「わかっているわよ、あの子の奥さんになる人にあの子を引き渡すまで…… そう思って懸命に育ててきたのよ、ここまでだってことは痛いほどわかっているわよ!」 それは懸命に自分に言い聞かせているようで、その寂しそうな母を見て、私も早く結婚しよう、エリカはそう思っていた。
夏前、久しぶりに店に行ったエリカは理穂の妊娠に気がついて驚いた。結婚して一年になるのだから、妻が妊娠しても全然不思議ではないのだが、思ってもいなかったことで、加えて母に孫ができるという現実が彼女に大きくのしかかってきた。
玲子も和也が結婚して以来、時々店を訪ねては名乗ることのできない息子の嫁と世間話をしていた。 ( ママもその内には気が付く、また心配してあれこれ言い始めるなー、でも良いことなのにそんなことで悩んでいたら罰が当たるか…… )
予定が二月であることを聞いた彼女は、家へ帰ると 「ママ、理穂さん、子どもができたみたいよ」 「えっ、いつできたの!」 「何言ってるのよ、お腹の中よ!」 「あっ、そりゃそうよね……」
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